近くに居過ぎて

聞こえない










サテライトフォン

V

- 私 の 男 -







「こりゃァ失礼」

そう言ってドアを閉めた後坂本はうんと首をかしげた。
此の部屋は確かに尋ね人の居室である。そして今見た部屋は見覚えのある部屋であった。
だが、衝立に掛けられた色とりどりの長着に目の醒めるような紅絹の襦袢が見えたのである。
部屋を間違えるはずはない。だって此処にはドアが二つしかないのだから。

快援隊本船、居住区は男女に分けられているが、共有スペースに設けられているものがいくつかある。
娯楽室に食堂、談話室に売店。
それから陸奥と坂本の私室である。
こんな近くに割り振れられたのが不満であると陸奥は零したが、今更言っても仕様がない。

男女共有スペースの少々奥まったところに斜向かいに並ぶようにしてドアが二つある。
無論一つは坂本の部屋である。
となるともうひとつは自然と誰のものかは子供でもわかる理屈である。

しかしあれは誰であったろうかと再度首を傾げた。

通常であれば部屋の持ち主であろうことは間違いがない。
しかしながら此の部屋の主はあんな色の着物は着ない。

もう一度入って確かめようかとも思ったが、
流石に女性の着替えを覗くというのは少々悪趣味ではないだろうか。

と思ったが、うっかり入ったことにすれば等という不埒な事も無論巡る。
いやもう寧ろ堂々と入るべきか、というよりも純粋に見てみたいとすら思う。

何しろ此方は健康な男子である。

好きなものは女、出来たら何も着てないほうが好ましい。
いや着ていてもいいがその後脱いでもいいとか、
むしろちらリズムで半脱げ位が一番そそるのではないかと自分の趣向の深層を吟味している矢先、ドアが開いた。

部屋の奥から声が飛んでくる。

「開いちゅうがよ」

坂本が内心「役得」と思いつつ部屋に入ると樟脳の匂いが鼻についた。
風除け代わりのシノワズリの衝立が珍しく立ててあり、座敷の奥の人物を隠している。
長着が掛けてある衝立を避け、半開きになった障子を開ける。



「何か用なが」



無地の紫の綸子の長着を羽織った女がそこにはいた。
襦袢の紅絹が艶かしく映る。
蜂蜜色の髪は綺麗に結い上げられ、肌は陶器のように肌理が整い、
頬紅の所為で頬が薔薇色に染まっている。

だめですよ坂本さん、首に腰紐をぶら下げながら着付けを手伝う女性が嗜めた。
陸奥の秘書である。秘書、という呼ばれ方は本位ではないだろうが、
多忙な陸奥に変わり彼女の使う書類や指示を一手に引き受けている部署の中でも有能な人だった。
因みにまだデートに誘ったことはない。

彼女が笑いながら障子を閉めようとしたが、かまんと女は坂本を捨て置き鏡を見ながら着物を着始めた。


「見違えたぜよ」


見違えるのはこれからです、そう言いながら背中の皺や衿を正していく。
綸子は滑りやすいのか、あぁもうと言う独り言がそれぞれから漏れた。
しかしながらものの五分でお端折りを整え帯を締めはじめる。

変わり結びにでもするのか、手伝う彼女は見事な手捌きで若い娘がするような形に結ぶ。
なんという結び方かは知らぬが、一人でするには少々難儀するであろうなと暢気に眺める。

女の支度は無様だという男もいるが、なァにあれは男が見蕩れぬようにするための言い訳である。
その証拠にわが身にうっとりと陶酔するような化粧をするおなごの顔は、ぞっとするほど美しいではないか。
ただ、今眼前にいる陸奥がそうであるとは少々云いがたいが。

いつもどおりむっすりとした表情は化粧をしたところで隠れはせぬ。
ただ驚くほどにその眦は凛としており、持ち前の気性の強さを女の力に変えている。
女の一番の化粧は笑顔というが、コレはコレでそそられる物があるやも知れぬ。

「陸奥よ、成人式にでも行くがかぇ」

腹の中で埒もないことを考えながら茶化すように言えば、
そりゃァはや済ませちゅう、と憮然とした物言いで女は言った。
雪環の地紋のある袖がひらりひらりとはためく。
どこから持ってきたのか大きな姿見に映る陸奥は普段の物言いのままなのだが、
そこに映る姿はまるで別のものである。
赤い口唇が雪原に一輪落ちた椿の花のようで、しゃぶり付きたいほどに蠱惑的だ。


「おんしゃぁ帰りは遅かったじゃなかったがかぇ」


忘年会だと言うちょったが、陸奥は締めた帯の間に帯揚げを畳みながら仕舞う。
鏡の中に映る坂本を見ながら尋ねた。

「なん相手さんの都合での」

事故か何かが起こったらしく今日の忘年会はお流れになってしまった。
割合に大きな事故だったらしく、参加するメンバーがことごとくそちらの処理に追われることになった。
今夜の会合の中止と新年の祝賀会を自粛させていただきたいという申し入れがあったのはつい先ほどの事である。
時差の関係で連絡が遅れたことを恐縮し、次の機会をと返事をした。
その為、小型艇で向かっていた行き先を急遽変更して戻ってきたのである。

顛末を聞き、然様かと頷く。
ほいたら後でお見舞いの挨拶がいるかもしれんきねと言った。

帯締めを結びなおし、最後に鼈甲の簪を挿された。


「さぁ、出来ましたよ」

陸奥はすまんのと云い、箱の中から草履を出した。
秘書はバックバックと云いながら、先ほど陸奥が着ていたであろう着物の下から、
艶の或るクラッチバックを取り出した。
口紅入れてますからねと陸奥に渡す。
普段化粧をしない陸奥が心配なのか、パウダールームでなさってくださいよと念を押す。
まるで母親である。

陸奥は妙に神妙にわかったと頷き、
草履を持ったまま上がりかまちに座り込む坂本に退けやと見下ろした。
坂本は陸奥の左手にある草履を取り上げ床に置き、すくと立って手を差し出す。
紳士の振りである。

付け焼刃は役には立たんぜよと憎まれ口をきいた陸奥に、おんしの事かと応酬した。
陸奥は手を取られたまま草履を履くと、至極可憐な動作でお辞儀をした。

「リハーサルかぇ」
「相手がおんしじゃァ役不足じゃの」

口の減らぬ事である。
そういえば、と思い坂本は此の部屋に入ったときからの疑問を漸くぶつけた。


「ところで、ほがぁにめかしこきどこへ行くがかぇ」




陸奥はクラッチバックの中に携帯と財布、ハンカチを入れながら振り返りもせず言った。




「デートじゃ」













2






「で、」


坂本辰馬は息を呑んだ。
一番その言葉に縁遠い人間からそうすると聞かされれば言葉も詰るというもの。
「今年一番驚いたニュースは」と師走には必ずテレビで放送されるものだが、
それ以上の衝撃といっても過言ではない。
例えるなら、なんであろうか。
一撃必殺の剣技、或いは鉛玉をどてっ腹に撃ち込まれたに等しい。
いや、或いは驚異的な長射程、命中精度に破壊力を兼ね備えた六ポンド砲に匹敵するか。

「デェトォォォォォ!?」


漸く搾り出した、いやもうコレは絶叫か、その声はそう広くはない陸奥の部屋に響き、
表の廊下はおろか共有スペースの談話室まで聞こえたであろう。
片付けの手を止め陸奥の秘書は顔を顰め両手で耳を塞いだ。
陸奥は五月蝿いのはいつもの事であると背後の男には一瞥も呉れず、
机の上に捌いた書類を吟味しながら透明なファイルに入れている。

「ワシとのデートに応じてくれた事なんか一回も、一回も無いのにィ!?」

躾けのならん駄々子が地団太を踏むようなものだという認識では甘かった。
いや、駄々子ではない。
躾けのならん犬のように吼えたり叫んだり、
あァなんちゅう事じゃと自分の尻尾を追いかけるかのようにぐるぐると埒もなく歩き回る。


「他の男とデェトォォォォォォ!?」




「陸奥さん、お帰りは」

衝立に掛けてあった長着を次々に畳みながら秘書は尋ねた。
既に先ほど陸奥が脱いだであろう着物は畳まれ一所に重なっている。

「そうじゃの、明日戻るようになるかの」

陸奥はスケージュール帖を開き、唸った後ペンで印をつける。

「明日ん夜は江戸に寄港するがに、丁度えいからそうするがで」

燃料も無駄に出来んと先ほどのバックとは別の袋へ書面を入れた。
電話があれば転送しとおせと携帯電話の充電器も放り込む。

「宿はあの会議用に抑えてあるスイートがあるろー。あこで」

遊ばせておくんも勿体無いきにといくつかメモを書きながら指示した。
ホテルに連絡を入れとおせ、そう聞きすぐに秘書は了解いたしましたと頷く。




此の会話が為される間も坂本辰馬は相変わらず叫んでいた。


 どがな奴じゃ、

 面はワシよりえぇがか、

 肩書きなんかに惑わされてはいかん。

 男はほがなほんじゃァ計れんきに。

 もしかして陸奥はダメな男のほうが好き?

 いやおんしゃぁ金の匂いが好きなおなごじゃ、ほがな男は鼻にも掛けんろうの。

 いや、寧ろ逆に金も仕事も出来る女子はヒモのような男がえいがかもしれん。


どうじゃと息を切らし、しれとしている陸奥に何とか答えやと詰め寄った。
くだくだといつもの倍以上の舌の回りである。
辟易しながら書く手を休めじろりと睨む。


「煩いのぉ」

完全無視の姿勢を崩し陸奥は漸く顔を上げた。
綺麗に化粧をして貰っているというのに、渋面では台無しである。

「しかもノーリターンって!?」

坂本は机の前に両手をバンと着き、噛み付くように顔を覗き込む。



「ホテルで飯を食うた後しゃれたホテルのバーらぁで一杯引っ掛けて
 お持ち帰りされる気ながおんしゃ!?」

陸奥はあァと気が付いたように、じゃぁ勝負パンツが要るのぉとペン先で頭を掻いた。

 −予想以上に。

陸奥との会話は常日頃から穏やかな真剣勝負の喧嘩である。
回りの者は皆慣れているので口を挟まぬ。
慣れぬ新入りだけがおろおろと二人をためすがめつ見遣るのだ。
秘書は前者の典型であった。
大人しく引っ掛けられた長着を畳み、空気以下の気配でそこに在る。

だから遠慮なく坂本も陸奥も遣りあう。
お互いこんなもので相手が参るわけはないと信じて疑わず口戦するのだ。

しかし予想以上にむかっ腹が立ったのはどういうわけだと坂本は奥歯を噛んだ。
先の発言は逆撫でされると知っていて言ったようなものだが、それでもだ。

「ほがなモノをおんしも持っちょったか。ワシに見せてみや、勝負できるか判定しちゃるきに」
「断る。対戦相手だけの特権じゃ」

秘書は遣り取りを見ながら、これはいつもと立場が逆だわと冷静に分析した。
普段は飄々としている坂本が、今日は僅かながら激昂している。
陸奥さんは気が付いているだろうが、傍目に見ても少々嫉妬が混じるのが判る。
少しはコレで普段の自分を省みればいいのでは、
そう思ったが恐らくそうはならぬであろうとも容易く予想が出来た。


「いやらしー、やらしーむつー」

陸奥は管を巻く坂本から目を逸らし小さく舌打ちした。
やめねばと思う癖だが対坂本に関して一日三十回はしていると思われる。
発言内容が段々と低下している。
中二、いや小学生か、と思うほどに低レベルである。
コレが社員を大勢抱える快援隊の頭か、昔から思っていたことだが情けないにも程がある。

此の奔放さというか無邪気さというか子供っぽさが皆に好かれる理由だと古参のメンバーは云うが、
その口論、いや口戦に付き合うのはいつも自分である。
もっと実のある話をしろと云いたい。
陸奥は大げさな溜息を吐きながら、もう一度じろりと坂本を見上げた。



「めっそう言うと頭かち割るがで」


坂本はにやりと笑った。
陸奥は笑わずにじろりと見上げた。

「おぉ言うたな。わしゃァおんしの股を割って突っ込んじゃるきに。そこに四つんばいになりや」

「断る。後ろからなぞ御免やか。ほがな胸糞わりぃ格好は死んでもしとうないぜよ」

「じゃったら上がえぇか。ワシの上に乗って腰を振っとおせ。お手並み見せてもらいたいもんやか」

「ほれっちゃあ断る、病気移されたから敵わんちや。
 ほれにおんしになぞに技披露なぞ勿体無い。
 あしがその技を披露するがはコレと決めた男にと決めちゅうが」

「病気なんぞはや完治したちや。
 古いことをくだくだ云いおってからに、ねちこいのは女の特権とでも云いたいがかぇ」

「古いことをくだくだ言うのはおんしも同じじゃ」


陸奥は溜息をついた。
嗚呼、喉が乾いた。
ちらりと机の上に置きっぱなしになっていた懐中時計を見る。

負けるが勝ち。
昔の人はいいことを言う。
ただ普段は正直負けず嫌いの性質が勝って終わりの無い遣り取りに従事するのだが、
流石にそろそろ嫌気が差した。時間も迫る。

坂本よ、と陸奥は先ほど勢いを殺してゆっくりと呼んだ。

「さっきのは冗談じゃ。デートじゃやないがで。ただの会合やき」

大人になれ、相手は子供も同然。
子供の方が力で言うことを聞かせられる分始末がいいやも知れぬが。


「会合にゃほがな格好は要るながか、陸奥よ」


坂本は不機嫌である。
手に取るようにありありと判った。
顔は笑っている。
眼鏡の奥の眼も笑っているが、口の端だけがぴりぴりと痙攣している。
普段は能天気な癖して一旦臍を曲げるとてこでも動かぬ。
仕事のことなら理を説くが、こんな私的なしかもこんな小さなことに拘るとは。

大人になれ、大人になれとまじないのように念ずる。

「高そうなレストランを予約してくれるいうがやき普段着じゃいかんろー」
「普段着で行きゃぁいいちや。ありゃァ制服のようなもんやか。
 制服ゆうのは正装ぜよ。将軍様にだって会えるきに」

お前はどこのお母さんか。
あァ上手い事ツッコミが入れられない。
冷静になれ、大人になれ、ここで怒ったらすべて終わり。

「ほがにめかしこんじょったら男は勘違いするに決まっっちゅう」

大人になれ、大人になれ、大人になれ。

「この女ワシに気があるのうと思うていやらしいことを考えるに決まりゆう!」

悪癖の舌打ち。
小んまい事をねちねちと。
好い男というのは多くを語らず、自分の考えをすっと一言口に出すというものではあるまいか。
しかしながら男女の性差云々で四の五の言うのは自らが一番嫌うものであるから、
それを口に出すのは自らの信念に反する。

「皆おんしのような男と思いなや」

いやもう性差云々は棚上げにしておく事にする。

兎も角、これ以上の猶予がない。
話し合う余地は双方一切なく、すべては無駄だ。
時間も、遣り取りも、不機嫌の理由も、その意味も。

「あほうはどっちなが。男ゆうのんは皆スケベじゃ!」

三度目の舌打ち。
ほがなことは、わざわざ言われんでも。
おんしを見ようけば。


 重々承知。


すっくと立ち上がり屈む坂本の顔を正面から捉える。
息も吐かず一息に云った。


「おんしが行かれんゆうたちあしが行くと返事をしたがやか。
 初めは坂本社長さんを言うてきて下さったがに、
 その日はどうにも都合がつかんというたら代理人でも気前よお承諾してくださったがやか。
 それをなんじゃ、うだうだと。
 そういう礼を尽くしてくださりゆう方にこちらも礼を尽くすのが侍じゃぁないなが。
 あしが着ていくものに文句をつけるなぞ小まいことを言うのはやめや。
 訳の判らん管を巻かずにおんしゃぁおんしの仕事をしや」



坂本はさっきまで笑っていた眼を、声を鋭く尖らせた。



「どがな事になってもワシは知らんぞ」



何だというのだ。
随分真剣な顔をして。


「自分のケツは自分で持つきに気にしやーせきおせ。誰かさんとと違うての」


眉間に僅かに皺を刻む。
辰馬の一瞬の口唇の動き。

 『おんしゃぁ、それ』

そう確かに云った。



 なに。




口唇の動きを読んで問い質そうとした瞬間、
ぷぅと頬を栗鼠のように膨らませ、陸奥のアホ!と棄て台詞。
ドアを蹴飛ばして廊下を走る。
下駄の音を賑やかにさせながらバーカバーカとなんとかの遠吠えのように声がこだました。

「誰がアホなが」

と応じるように云ったが聞こえてはいないだろう。

秘書が慌てて手を止め、駆け寄るようにドア向こうをを覗き込んだが姿はもう見えぬだろう。
子供かと一人ごちたあと、タイミングよく内線が鳴った。
連絡船の出港準備できたと告げた。
はぁと今日何度目の溜息かもう数えるのも馬鹿馬鹿しい。

「ほっちょき、誰ぞ人を呼んで縛り付けてでも仕事をさせや」

ベルベッドのショールを手に掛けクラッチバックを持った。
そして書類の入った紙袋を持つ。

「あしはもう出る、間に合わんちや」

ひらりと綸子の袖が宙に舞う。
お気をつけてという声に見送られた。




3








「っていうかさ、お前そんな事言ってこないだもウチに来なかったっけ?」

さめざめと泣いている男を目の前に銀時は好い加減面倒になってきたなと頭を掻いた。
相手は酔っ払っているから本当は泣いていないもかも知れぬ。
喜怒哀楽の激しい気性の或る男であるから、一種のストレスの発散かも知れぬ。
普段は何が楽しいのか笑ってばかりいる楽天家。
ただ「怒」と「哀」はそういえばあんまり見たことがねぇなと手土産のケーキを口に運びながら、
さっきから同じ話を三周するペースで愚痴を言うかつての盟友を見た。


出身が出身なだけあって酒には随分強い筈だが、
しかしながら今日の酒は悪い酒のようで、呑まれた挙句にウェットだ。

正直面倒くさい。

「酷い女じゃ思いやーせんか金時ィ!」

うるせぇよと坂本が持ってきた酒を飲んだ。
そろそろ金時という名の訂正も面倒になってきた。
ツッコミ役の新八は既に帰宅している。
神楽は寝る寸前で、こっちだって今日は珍しくさっさと風呂に入って、
ジャンプのバックナンバーでも自堕落に読んで寝ようと思ってたのに。

イヤ、ホントだって。
ウチにはそんないやらしい本とか一切なんだから!
神楽が寝静まってから〜とかないないない。
思春期の子がいるからウチには持ってないんだってば。

そんな夜分にまるで自分の家の様にガラガラと扉を開けて、
投げ捨てるように下駄を放り寝間に居た家主へ開口一番、
金時聞きとおせぇと蒲団の上に倒れこまれた。
内臓が出そうな衝撃で返事の代わりにカエルのような声が出た。
誰かと思えば見覚えのある癖毛の黒髪。

しかもむちゃくちゃ酒臭いときた。

上に乗っかられるなら出来たらおねえちゃんがいい。
いやって言うか上とかホントはしたないからやめて。
恥じらいって言うものが女には必要だ。
じゃないといざって時に面白くないような。

何でこんな夜中におっさん重みに耐え、愚痴を聞かねばならんのか。
ウチは無料相談所ではない。

男の重みなど毛ほども感じたくないと、蹴飛ばすように起き上がると、
かつての友人が居たと言うわけである。

流石に手ぶらでは拙いと思ったのか、上がり框に土産が置かれていた。
社長なんだからカミュの一つでももってこいと思うのだが、何故焼酎。
いや焼酎は嫌いではないし、寧ろコレはこれで旨い。寧ろ歓迎する。
しかし何故焼酎と肴にケーキ。
ケーキは好きだ。甘味大好き。団子だろうが生クリームだろうがドンと来い。

しかし酒の肴は何一つ坂田家の冷蔵庫にはない。
或るのは味噌と塩のみ。
その為坂本には焼き味噌をだしたが、自分はケーキを肴に酒を飲むという挙に出た。
別々に食べればいいでしょうがとツッこむ新八は重ねて言うが帰宅して不在だ。


「ってぇ云うかさ、なにお前何がそんなに気に喰わないワケ?」


お酒とケーキって銀ちゃん合うの?と神楽が尋ねた。
美味しいよぉ神楽ちゃん、お前も大人になったら判るって、
睡魔に撃沈寸前の神楽は悪食アルねと一蹴し、それでも自分のケーキを死守した。
既に新八の分は無論無い。
箱と銀紙、透明のセロファンフィルム、洗い物のフォーク。
証拠を隠滅しておかねばなるまい。

「だってよぉ、仕事だろ」
「仕事と云うてもうても男女が飯を一緒に食うのは特別なものがあるがやないか」
「飯ぐらいお前とだって食うだろうが」


坂本は一瞬目を逸らした。

「…社員食堂での」

そう、力なく云った。
その項垂れた様子に流石に少々申し訳なく思い、
思わずすまんと謝ったら、謝られると逆に惨めじゃとソファにゴロゴロとし始めた。

既に二人で一升は空けている。
無論半分以上は坂本が呑んだ。
そして奴は此処に来る前に既に出来上がっていた。
まさか飲酒運転じゃあるまいなと前回家に小型艇ごと突っ込まれた事故を思い出す。

「誰が言ったか忘れたけどなぁ」

ケーキの最後の一口を口に入れ余韻を味わう。
あぁ、なんて美味いショートケーキ。
苺の酸味とうっすら甘いクリームの絶妙なバランス。


「同じ女と二人きりで三度食事をして、どうにもならなかったら諦めろ、というらしいぜ」


とりあえず此のケーキ分の愚痴は聞いてやろう。


「っていうかさ、その陸奥だっけ。そいつてお前のアレ、女?」


空の皿にフォークを置き、ソファの上に寝転がっている男に尋ねた。
いったいどういう前提の二人なのか知る由もないが、
少なくとも此の馬鹿は憎からず思っているのだろうということは判る。
しかし、此の馬鹿は女には目がない上人類の半分は女である。
女は地球のものしか受け付けないというから、
幼女と老婆は除いて恐らく此の国の人口の八分の一は大好きだと思われる。

その中の一人をどうのこうの言っても始まらないが、いやに固執して珍しくウェットな酔い方。
しかも問い質せば、いや、そういうわけじゃぁ無いやけど等といって答えを言わぬ。


「さっきから聞いてたらよぉ、
 なんかそれ彼女が合コン行くのを妬いてるカレシ〜みたいな言い草なんだけどォ」


嘗て一度だけ会った坂本の副官、あの鉄面皮の女。
名ははっきりとは覚えていなかったが陸奥陸奥と連呼するのでもう覚えてしまった。

まずやれ上司を小突き回すだの、
社長とも思っていない様子で普段からろくでなしだの何だの云々の悪口の類に始まり、
悪口だけかと思えば、とか何とか言いながら実は結構切れ者で、
坂本が今度着手したいなぁと空想していた事業や品種についての知識を事前に調査し、
ふいと口に出した時には既に資料が目の前に詰まれるという有能さ。
はたまた、意外と女らしいところもあるぜよと云いながらそれは決して口に出さない。
つまりお前に聞かせるのは勿体無いという事であろう。

 正直、心からどうでもいい。

「もしかしてアレか、自分は女居て幸せだけどお前はどう?みたいな自慢かそれ」

実際のところ少々腹も立つ。
他人の家来てのろけてんのか、単に愚痴を云いたいのか、
それとも酔った勢いなのかもうめんどくせぇ。

「いや、陸奥とはそういう関係じゃーないが…というか是非そうなりたいが未だ進展せずというか…」

珍しい。
酒の所為で舌の周りがいいのかどうかは知らない。
しかし他の事はよく喋るくせに此の手の自分のことには口の堅い男が、
いやに素直にポロリと零した。
言ったあと天井を見ながら、あ、しもうたと独り言。

「え、付き合い長いんじゃねぇの」
「タイミングを逃して」


隣の神楽は新八の分のケーキを食べ終え、うつらうつらしていた。
何しろさっきまで寝ていたのである。時計は十二時をとうに回っている。
もう歯ァ磨いて寝なと肘で小突くと、大人しく頷いた。
洗面所に向かいすがら、モジャモジャァと振り返った。
「こんなところで管巻くくらいなら掻っ攫えばいいアル」
一言捨て置きオヤスミねと言った。



二人のもじゃもじゃは自分の半分しか生きてない小娘のストレートに一瞬言葉を見失う。



「女の言い分じゃな」

「ガキだけどな」


多分自分達は。
神楽がこれから先体験するであろう何かを、
見たことの無いものを知っている。

知っているからどうだというのではない。
知らないからこそ飛び込める穴もあるというもの。


互いに一瞬無言になり、銀時は辰馬の湯飲みに焼酎を注ぐ。
まぁ、長いとなぁ、そんな事を云いながら注げば辰馬はあっはっはと陽気に笑った。

「手、出し損ねたんだろ」

口だけだなと笑えば、口どころか手でもしてもろうちょらんと更に笑った。

「でもよぉ、それこそお前が口出す話じゃねぇんじゃねぇの?」

うん、と寝転んだまま顔だけをこちらに向ける。

「だってテメェの女でもないのに難癖つけて他所の男と飯へ行くなとか、
 何それどんな束縛。いちいちうるせぇよ。
 お前ソイツのお母さん?思春期だったらきっとぐれるね、積み木くずしだよ」


反論を待っていたのだが、注いでやった湯飲みにも手を着けず、
ごろんとソファの背に寝返りを打つ。
坂本の前に置いた焼き味噌を舐めた。

 塩鹹い。






「ありゃぁの」


 不意に坂本が口を開く。
 随分長い沈黙だったので不貞寝でもしたのかと思った。


「むかぁし、ワシがアレに勝手に買うたがよ」





初めてまともな利益が出て、皆に均等に給料分配して。
祝賀会と称して皆で江戸の町に繰り出して、
その帰り道に一番殿を二人で歩いた。

呉服屋の前で通りすがりに見た紫色の綸子は、神々しいほどに鮮やかで。
赤や黄色の振袖など着ぬ陸奥が、ショウウィンドウを一瞬ちらと見た。
視線の先にはアレがあった。
それはたった一秒在るか無いかの出来事で、
自分がそのときおぉいと話掛けようとしなければ判らぬ出来頃。

こんなものだって似合うだろうと思った。






 男に混じって采配を奮い、対等に渡り歩かんとがむしゃらなまでに働くあの娘に。



 余所行きの一枚も持たぬ、倹しい暮らしをしていたあの娘に。





「こがな海のものになるとも山のものともなる判らん若造に」


 あの娘は理由がお前とは言わぬだろう。


「二つ返事で着いてきてくれた娘に」


 自分が選んだから来たというだろう。


「おなごの幸せなんぞもお構い無しで」


 奢るな馬鹿者、そう言うのだろう。


「男顔負けの仕事をこなして」


 けれども。


「髪を振り乱すあの娘に」



 彼女を宙に連れてきたのは。

 髪を振り乱させているのは。



「時にはこがなきれえな着物でも着やと」




 乱れた髪を梳いても遣れぬのに。
 それを互いに知っていたというのに。




「いつかコレを着てワシとデートしとおせと云うたが」


いつものように冗談だと流されてた。
そして娘は、要らぬといった。

だが、問答無用で押し付けた。
ワシに着ろというがかえと冗談のように言って。

娘は着たらえぇといった。
でも突っ返しはしなかった。




 アレからどれくらいだろう。






突然、電話が鳴り始めた。
坂本はびくりと振り返り、その反動で床に落ちた。
真夜中の電話というのは心臓に悪い。
しかし銀時はそんな事には頓着せず、ふうんと気も無く返事をし電話を取ろうと腰を上げる。

おんしゃぁ聞いちゅうか、床の上で声を投げる。

「ばぁか、オレじゃなくて本人に言えよ」


受話器を取り上げはぁいと言い、営業用らしい口調であぁ毎度どうもぉと相槌を打った。
坂本は部屋の天井を見上げながら、酔った勢いというものの効用と不始末について少々考えた。
なんでこがなことをワシ言いゆうろう、朦朧とした感覚は相変わらずで、
アルコールは螺子を一つ二つ抜けさせるらしい。
そして今も締まっていない。

アルコール如何ではなく普段から螺子は二三本抜けちょるぞという声が幻聴のようにした。
あのクソ女なら云いそうだ。


「おい」


冷たい床の上に寝転がっていた辰馬の頭上から受話器をすと差し出された。
出ろという合図。
黒電話のコードを伸ばし本体をテーブルの上に置いて、さっきまで座っていた位置に戻る。
受話器を持たされ一瞬考えてはいと出た。


「だれじゃ」

『あしじゃ』


仕組まれたようなタイミング。
何故今此処でと思わないでもなかったが、
不機嫌な声はいつもどおりで、可笑しくも無いのに笑った。


『おんしゃぁなんしゆうが』

「…銀時と呑みゆう」

天井の木目を数える。
ひい、ふう、みい、よ。

『艦から抜け出してか』

そう、艦を抜け出して。
部下二人に引きずられて執務室へ缶詰にされて、
三十分ごとに茶やら菓子やら差し入れるが、その実見張り同然に。


『抜け穴本気で探なぐしたが見つからなかったとゆうちょったがぞ』


社長辞めて忍者に転職すリャぁえいろう、
陸奥は怒っているのか呆れているのかわからぬ声で言った。
恐らく抜け出した理由など微塵も判らぬ。
それはそうだ。自分が勝手に怒って勝手に出てきたのだ。

ろくでもない理由で。
些細な訳で。



「用は?」


普段ならすまんすまんと口だけでも謝るが、今日はどうにもそういう気にもなれぬ。
いつもなら、まぁえぇ、と済ませられるようなことなのに。
何を女々しく。

少々ぶっきらぼうに尋ねる。

電話の向こうで人の騒ぐ声。
賑やかな音楽。

どこに居る。






「迎えに来とおせ」





地上と地上を結ぶ電話線。
一秒間に三百六十メートルを進む音速。
ノイズの無い陸奥の声。


「ワシがか」


足の指で脛を掻く。
膝がテーブルにぶつかった。



『あぁ、おんしが、あしを、迎えにじゃ』




なぜそんなことを?

そう訊いたらどう答えただろう。
多分答えなかったかもしれぬ。



受話器と本体を結び、一杯まで伸びたコードは螺旋を描く。
遠回りしながら、辿り、届いた声。














「今、どこじゃ」















ちん、と電話の中で小さな音が鳴った。
受話器を戻し、起き上がる。

「すまん、帰るがで」

銀時はしれとした顔で、自分の分の湯のみの焼酎をちびりちびりと遣っていた。
目だけで坂本を見ると一瞬にやりとした。

「”酷かおなご”を迎えにいくのォ?」

言葉を捜す。
だが見つからない。
だから正直に言う事にした。


「ちくと癪じゃが」

銀時は笑わなかった。
へぇと言っただけである。




「さっきのよ、言ったら?本人に?」

突然出向いた客でも客は客だというのか。
玄関先で見送る時に、さっきの話を蒸し返された。

坂本は放り投げた下駄の鼻緒を爪先で引っ掛け乍ら、
あぁだかうんだか唸って首を掻く。

「おんしなら云うか」

そう尋ねたらそっぽを向いて、真っ平御免だねと言う。
あぁそうじゃろうて。
坂田銀時はきっとそう言う。
多分世の男は皆言うだろう。



「奇遇じゃな、ワシもじゃ」





   *















「相手が女社長さんじゃァなんで云わんがよ」
「おんしが勝手に勘違いしたんじゃろう」


指定された場所は意外な場所であった。
かぶき町でも有名な店らしい。
自分はそれほど行きたいとは思う店では無いので知らなかったが、
そういえば流行っているとは聞いたことはある。


陸奥はその店の前で所在無げに立っていた。
通り過ぎる呼び込みやけばけばしい孔雀のような女達に紛れて。

「どうじゃった、初ホストクラブは?」
「チャラ男ばぁじゃったがで」

ホストクラブ高天原、煌々と光るネオンサイン。
今日のお相手はアパレル企業の女社長さんだったらしい。
そういえば、相手が誰であるかとは完全に失念していた。
聞かなかったとか勘違いとか言われるのは少々筋が違うような気がしなくも無かったが、
確かに女社長と飯を食い、そのあと此処に流れるのはまぁ判らぬでもない。

五十路間近の女社長がホスト連中と大いに盛り上がっている最中、
陸奥に坂本社長失踪の電話が入ったという。
どうやって抜け出したかは知らないが、
円の入った財布が無くなっていると聞いて辺りをつけたらしい。

失踪から三時間余り、苦言ついでに挨拶でもさせようかと呼んだが、
女社長さんは特に仲良くなった一人のホストとアフター行くわぁとお開きになった。
陸奥はお詫びとお礼をして二人のタクシーを見送った後、というわけである。



陸奥は意外にも抜け出した事への苦言は吐かなかった。
いや無論普段よりは、という但し書きが付く。
初めに頭としての自覚が足らぬと始まる長々とした説教で、
それをハイ、ごもっともと頷き、おんしゃぁまっこと分っちゅうがかえ、と締めくくられる苦言である。

しかし今日は半分くらいまで行ったところで、はぁほりゃぁもうえいちやと肩で息を吐いた。
酔っているのか少し頬が紅い。
タクシーを拾うかえと尋ねたら、いいやと言うので目的の場所も決めず、並んで歩いた。



師走も晦日に迫る日である。

道は酔漢たちが溢れている。
そうか忘年会の帰りか。

隊列を組んで陽気に歩くもの、
千鳥足の上司を介抱する若いサラリーマン。
睦まじく歩く年嵩のカップル。
ホステスらしい女が何か怒鳴っている。

 万華鏡のような通りの眺め。

商店街の終点に差し掛かればそれらも形を潜めた。
下駄を鳴らして歩く。
夜風は冷たいが、火照る頬には気持ちがいい。


「辰」


不意に陸奥が辰馬に声を掛ける。

「ん?なんじゃ」

後ろからの声。
さっきまで横に居たのにと振り返る。




「すまん」




不意にそう言った。
なにゆえ、とその理由には身に覚えも無く辰馬は首を傾げた。

「こん綸子」

陸奥はどうにも云いにくそうに、結った髪の後れ毛を少し気にしながら、
それでも顔を上げて言う。

「そういやおんしが買うてくれたが」

記憶力のいい陸奥は無論覚えているとは思ったが、
突然何を言い出すのか。
辰馬は振り返った姿勢のまま、陸奥の声を聞く。

「あしは一枚も娘らしいのをもっちょらんかったきに、コレを着ていったが」

地紋の雪環文様がうっすらと浮かぶ。
北風に靡く袖。
剥き出しの首が凍えている。

「折角買うて呉れたに、おんしにも見せず一度も袖を通さんとしもうたままやった」


今宵は寝待月。
漸く昇った月が心細い。


「なんで謝るがか」

まるで知らない女のようだ。
けれども確かに目の前の人物はよく見知った女で。
辰馬は少々愉快な気持ちになった。


「冗談じゃッたろうが、デートしとおせというちょった」


記憶力がいいのも考え物である。
よくまぁそんな戯言がと吐き棄てられても良さそうな事を、覚えている事よ。

「デートはさておき、まぁ一度くらいは着て見せてもえいかとは思うたがよ」

陸奥は冷たくなった鼻を手の甲で微かに擦る。
ストールが肩からずり落ちる。

「それで、すまんか」

陸奥との距離は三歩分。

ひい、ふう、み。

さぁ、もう追いついた。
酒香と微かな香水が混じった匂い。

ずり落ちたストールを持ち上げ肩に掛けて遣り、
すぅと手をいずれにか伸ばした。
冷えた首を暖めてやろうかと。



 思った。



「なぁにしおらしゅうしゆうがよ、らしゅうない」


行き先を迷う手の方向をすぐに転換して、
ぎゅうと頬っぺたを抓るとあっはっはと笑い飛ばす。


「らしゅうない?」

突然抓られてすぐに放された頬を指の背で撫で、
陸奥ははぁと素っ頓狂な声を上げた。


「天下の坂本辰馬の右腕が、ほがなこんまいことで何を謝りゆう」


こんまい、こんまい、あっはっは。

そう笑いながら。

本当にこんまいのはどっちだと思ったのは腹に仕舞う。
だが言わなくて済む事は言わないに限る。


「おんしゃぁぽんぽんモノをゆうほうがらしいぜよ」

にぃと笑ってやると、一拍遅れていつもの陸奥のシニカルな笑みが漏れた。
どこか既視感の感じる台詞だった。
いつ言ったか覚えていないが、陸奥が馬鹿の一つ覚えかと微かに言ったのが聞こえた。

そうして再び歩き始めた。
ホテルに戻るなら此の道を真っ直ぐ行けば良い。
さて、どうしようかと思ったときに口が先に欲望を言う。

「腹、減ったのぉ」
「あしもじゃ」


おやと振り返る。


「おんしゃァ飯を食うてきたがじゃないなが?」

「ビジネスディナーぜよ、しかもフレンチぜよ?ちまちま出しゆうに食うた気がせんちや」


確かにフレンチは食うた気がしないというのは分かるなと笑った。
陸奥はいつもの調子で、ラーメン食いたいのうと独り言のように言った。

「おんしゃぁえぇ店知りゆうが?」

そう問われふっと考える。
一軒、と思い当たる店を描く。

「しかし汁が散るぜよ」

ラーメンとカレーうどんは食べる時には大人でも相当の注意が必要である。
寧ろラーメンとカレーうどん専用の服を用意すべきだとすら思う。
今日の陸奥はかなり不向きであろう装いである。
そうすると陸奥はにやりと笑った。


「あしにはまた買うて呉れる男が居るきに」


男ォ!と素っ頓狂な声を上げるのは今度は辰馬のほうであった。

「むっちゃん、そんな奴が居るがか!?」

馬鹿を云いよると陸奥はため息を吐き、
そん店はどこながと道も知らぬのに辰馬の隣を通り過ぎる。
嗚呼、白い項がとても綺麗だ。
早う来やと振り返り促され、項と同じくらい魅力的な微笑で見返り美人。

あァ、ワシの事か、とそれで漸く合点が行った。

ストールを掻き上げる様にした様を観て、
その手にある書類の入った紙袋を奪い、ついでに腕も奪った。
今日は陸奥に追いつくには容易い。

「一遍くらい、デートしとおせ」

さぁ、約束だと謂わんばかりに絡め取った腕。
陸奥は眉根を寄せて厭そうな顔をした。

 嗚呼、此の顔がたまらん。

「そればぁ様子が違っちょったら誰もおんしたァ気がつかぇいろう」

厭な理由はそこじゃぁ無いちやと睨んだが、
えいえい煩いと聞かぬ振り。
むすりとしながら、最初で最後ぜよと腕を引き寄せた。









「何をデレデレしゆうが」

普段より歩みの遅い陸奥は着慣れぬ着物の裾に気を取られている所為だ。
こっちに気を取られて欲しいものだが、それでも絡まる腕は離れる事はない。
自然と辰馬の足もゆっくりとなる。
空には細い月。

さながら、その道程は。


「のう、陸奥、コレってデートかのう」


酔いは完全に醒めている。
陸奥はまだ微かに酔っている。


「初デートがラーメン屋かえ?」
「じゃぁこじゃんと洒落たバーで一杯引っ掛けてホテルへ行くがか」

スイートがあるろーと笑ったら、死ねと一言。
ぶすりとやられたがそれでも今日は気分が良い。


腕に掛かる重みが、時折当たるその肩が。
何より気分を高揚させる。





「ところでどこへ行くがよ」




顔のすぐ下で陸奥が見上げる。
口唇の一つでも奪ってやろうかなどと無粋なことを考える。
けれどもやめた。
それは後で考えようか。

常夜灯に照らされ道に伸びた淡い影二つ。
影は黙って寄り添っている。


「おぉ、北斗心軒ゆうての」




end


WRITE / 2007 . 12. 21-12-31
年内完結、有言実行!
陸奥が謝る話が書きたかったのでした。
然る私の好きな漫画でオレサマな男が彼女に「スイマセン」と謝るシーンを見て激しく萌えて
陸奥に謝らせるにはどうしようか!と考えてたらこんなになりました。

たったそれだけです。
ちょっと坂本が坂本っぽくないのが玉に瑕かと思いますが、
まぁ、コレはこれでいいか。
何より年内完結が嬉しい!
そして拍手で放出したおまけもあります。
勢いあまって書いたイントロダクションとこのお話の続き
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