サテライトフォン V
-INTRODUCTION-










困ったと陸奥は俯く。

取引先の女社長との会食である。
食事に誘われたが着ていく服が無い。

化粧も碌にしないからまずはメイク道具一式。
後は髪を結ってくれそうな人間。
女子社員総出で着物を見繕ってもらうように秘書に今駆けずり回ってもらっている。



相手は豪気な人物で好印象だが何というかアマゾネス風の人物なので大変な威圧感がある。
その日は社長不在を告げると、じゃぁ女の子同士であなたがいいわぁと指名された。

「おめかししていらっしゃいよ」

そんな風に言われた。
齢五十過ぎの独身女社長。
女の子同士ってと思わずえ、と思ったが口には出さぬ。


おめかし…。


予約はわざわざあちらが取ってくれた。
行きたかったのよ、あのレストランと仰っていたが多分その通りなのだろう。
しかしそのレストランというのが凄い。
有名フレンチ高級レストラン。
流石に普段着というわけにも行くまい。

自室をひっくり返しながらどうしたものかと思案した。
そういえばとふと思い出して、床の下に仕舞い込んでいた古い行李を引っ張り出す。

思い返したとき何か引っかかった。
たしか、たしか。


擦り切れた真田紐で結ばれたその古い行李は、
此の艦を買う遥か前から郷里から持ってきた荷物が入っている。

普段は全く使わないが捨てるに忍びないものやらが入っている。
確か、確か。

中身を掻きまわしながら記憶を捲る。
一番奥に黄ばんだ畳紙が見えた。
やっぱりそうだ。
ずるりと引き抜く。

紐を解きながら畳紙を披く。


「こがなものがあったがやった」


古代紫の綸子が蛍光灯に光っている。
雪環の紋様が浮き上がる。
最後に畳まれて一度もひらかれた事の無いことを示すように、
仕付け糸が生地の上に浮いている。

さらりとその生地を撫でる。
冷たく柔らかな絹の感触が指の腹を擽った。

何年前だったか。
坂本がいきなりコレを遣ると置いていった。
いつか何処かの呉服屋に掛けてあったものだと記憶していた。

素人目にも高価なことが判った。

どこの女に貢ごうとして失敗したのか知らないが他の人間に押し付けるなど無礼千万、
と思ったのだが、いやにしつこく言うので貰っておいた。
着物一枚部屋にあったとて邪魔になる訳でもない。

しかし、こんな高価なものを送ろうとして袖にされるなど気の毒な事だ。




「陸奥さん、お待たせしました」




秘書が両手に着物やら帯やらを持って部屋の扉を開けた。
手伝いなのか後ろに二人引き連れて。


「あら、陸奥さん、素敵なのがあるじゃないですか」


荷物をよいしょと置いて手元の綸子を覗き込む。
仕付け糸を指摘され、促されるままに糸切鋏でそれを切る。
羽織ってくださいと願われ言われるがままに羽織る。

「あら、裄も身幅もぴったり」

いつの間にかセットされた姿見を見れば、下した手首に沿うように袖が揺れた。

「陸奥さん背があんまり無いからお端折り余計に取らないとと思ってたんですがそれ丁度良いですね」

サイズぴったりと衿を試しに合わせて見ながらきゃぁきゃぁと言う女衆三人はにこりとした。
じゃぁ丁度良い帯が、衿をつけなくちゃと、草履、お化粧、髪も結わなきゃ。
慌しく支度が始められる。


「さぁ、陸奥さんお顔から」


化粧を施されながらちらりと先ほど脱いだ着物を見た。
何故誂えた様なサイズなのかと考える。




 アレは、誰の為のもの。




「おんしに似合うと思ったがやか」


嘘だと思った。
容易く嘘を吐けるから。
だって、私には、必要がないと。
似合うはずがないと思っていたから。



「よそ見しない」



ハイと鏡の中の自分を見た。
そういえば、アレを着てデートしろとも言っていた。
随分前の話だ。
いったいどのくらい昔。

赤やピンクは好きじゃない。

昔から臍曲がりであった。
女なのに男のような格好をしていた。

だから、アレを手渡された時どういう顔をして良いか判らなかった。
自分の為のものではないと思おうとしていた、その所為。
万が一にも。
あれは純粋な好意で、私はそれを無碍にしたのだろうか。



そうであるなら。

もしもそうなら。




「アレ」

はい、と陸奥の顔に粉をはたきながらなんでしょうと問う。
鏡に映る背後で、紅絹の襦袢に半襟を急いで縫い付ける姿が見える。
同時に先ほどの綸子に合わせる帯を吟味している様子が映る。

「似合うかの」

一度も袖を通した事の無いさらの着物。
長い間眠っていた純粋な好意を汲む日


「えぇ、きっと」

眉墨をブラシに取りながらふふと笑った。
世辞ではないと言う様に。


「いい人からの贈り物ですか」


後ろから声が掛かる。

いい人、か。
さぁ、どうだろう。
あの男は自分にとって一体何なのか。
そしてあの男がどういう意図で贈ってくれたのかは判らない。
ただの気紛れかも知れぬ。


陸奥は答えまいと思った。



代わりに微かに笑った。
だが三人の女はそれに応える様に微笑み返す。
多分、それは女の勘。

「羨ましいこと」






end


WRITE / 2008 .1 .5

サテライトフォンVの序章というカンジでしょうか?
意図と思惑が噛みあわない二人なのでした。
残念坂本。

しかし女の支度する姿というのは結構私は好きだったりします
完成品を見るより、その過程が艶っぽい
おしゃれは女の武装ですからね。
同様の理由で男のスーツ姿も大好きです
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