こちらはナバロンと言うお話の別EDver.です。
すべて書いてからなんとなく陸奥っぽくないと思いすべて書き直したという経緯があるのですが、
どっこいこれを捨て去るのも惜しいなァと思いつつ、拍手で出しちゃえと思ったという経緯があります。

と言うわけでこれを読んでからお読みくださるくださると大変嬉しい。






























ナ   バ   ロ   ン

another version





「艦長!アンタの頭の中はすっからかんだとは思ってたがよう」



坂本は振り返る。


「ソッチは随分繊細で慎重じゃァねぇか」




医師は黒眼鏡に隠れたその眼が笑っていないことに気が付いた。
にやりとしてやれば坂本は言葉も返さず鼻歌。

勝手にしらばくれてろ。
ワシの色の勘もまだ鈍っちゃぁない。

お前が女を「アレ」なんてぇと呼ぶのは一人しかおらんのじゃ。





「じゃぁな、本命によろしゅうな、まだ仕事中じゃろ」
「先生、誰の事をいいよんじゃ」



カマかけには引っかからねぇか、舌打ちしながらお大事にと言い捨てた。














「なんじゃぁお前ら、代わる代わる」

その日のさらに夜遅く、診察室で溜めていた社内メールを読んでいた医師を尋ねてきたのは件の女であった。
大事な話だというから残業していた助手を追い払った途端、椅子を勧める間もなく坂本の病気は何かと詰め寄った。

酷い殺気と恐ろしく冷徹な視線が気迫を伴い眼を射抜く。
小娘の癖になんちゅう眼じゃと苦笑しながら、知る必要があるかと突っぱねた。

「あしはアレの副官じゃ。それじゃぁいかんか」
「医者にゃぁ守秘義務いうもんがあるけぇな、いくらお前が身内同然というても教えられんよ」

というよりあんな病気を本人以外赤の他人が知るのは少々酷である。
さらにはこの潔癖な副官には特に知られたくは無いだろう。
自分が坂本なら、いや誰だろうと御免被るだろう。

きっぱりと断れば陸奥は諦念に似た表情で長い瞬きを一つした。


「命に、関わるがか」


ハイ?と思わず素っ頓狂な返事をした。


「アレはおかしい。皆はまだ気が付いちょらんき、手を打つなら早いほうがえぇ」

陸奥の顔は蒼白である。
表情は崩しては居らぬが時折口唇が言葉を紡げずに戦慄いた。


「先生、教えとうせ、あれは、頭は」


一歩踏み込み、白衣の襟を掴んで捻り上げる。
此の形の小さな娘のどこにそんな力があるのかというほどにきつく。



「死ぬんか」




一体どこでこんなに話が大きくなったのか、
そう尋ねれば陸奥は頼む頼むとだけ言って肩を震わせるばかり。


「おとなしゅう仕事して、休憩言うに絶対抜け出すと思うて跡を着けたら展望室へ行ってぼんやり星を眺めてため息ばぁつきゆう。
どうしたと言うたらあしの目を見て、おんしにゃぁ面倒ばあかけるのなんて寂しげにいうがよ」

寂しげにとはなるほど、普段のあの男からは聞かぬ様子。

「おかしい、絶対に。あがぁな殊勝な坂本気味が悪い」

あがぁな辰馬は絶対おかしいちや、喉を絞るように声を上げて俯き首を振る。
信じないと自分の仮説を必死に否定しながら。

「なんかあったがかと聞いたら妙に焦ってなんも無いいいよる」

医者のところ行ったあとからじゃ、こじゃんと薬をもろうてきてからじゃ、
そう言うと陸奥は白衣を掴んでいた手を離してだらりと腕を下げた。


「先生、教えとうせ。辰馬は」



こんな此の娘を見るのはじめてである。
いつもは凛として些細なことで眉ひとすじ動かしもせぬ此の娘が。
動転している。
必死というか、なんというか。


これは、まるっきり脈が無いというわけではないんだろう。



いやいいものを見せてもらった。

だが、陸奥にも頭にも悪いが噴出しそうなのを必死に堪える。

空転している。
完全に。


点眼二ヶ月、経口薬で半年もすれば完治しますとなど到底言えぬ。
どうしたもんかと頭を掻いた。

ばらしてもいいがそれは医師の義務と良心に反する。
あと頭の「男としての矜持」も保ってやりたい。
だがこの娘を説得できるほど自分は饒舌家ではない。



「陸奥、何度も言うが医者にゃぁ守秘義務言うもんがある。じゃけ無理じゃ」


もうこれで押し通すしかあるまい。
ただの風邪だとか腹痛とか、寄生虫とか、胃潰瘍とか何とか言っても信じてくれそうに無い。
胃潰瘍はかなり無理だな、ストレスとは無縁である。

誠意を見せろといったが妙なタイミングで見せてるんじゃねぇよ、あの馬鹿野郎。



「どうしてもか」


こりゃぁもう身から出た錆、出した本人がどうかすりゃぁえぇ。
というかパスさせてくれ。
老医師は済まんのと言いながらその小さな肩を叩いた。
陸奥は俯いたまま首を振り、無理を言うたは自分じゃと身を翻す。

ちらりと見えた眦に涙が光っていた。

それを見たときこりゃぁまずいと思ったのだがもう後の祭り。
勢いづいて飛び出した陸奥を追おうとしたが鼻先でドアが閉まる。
待てと叫んだがエレベーターホールにその背は消えた。



「まずいの」

この後予測出来得る事態を想像して独り言ちた。
なにがですかと助手の青年が奥から出てきて問い返したが、
有耶無耶な返事を半笑いで包み、身から出た錆じゃと頷いた。

「まぁえぇ薬になるじゃろ」




*











坂本は展望室から出たあと幾許かのショックを抱えて部屋に戻った。
半年間はとりあえずお預けかとさまざまなことに頭を悩ませた。
とりあえずショックなのは禁欲生活になるであろうこの半年間と、その後の事である。

生活を改めるのは相当な無理を自分に課すと思われる。
が、それはともかく口説き落とす云々である。

アレが簡単に陥落出来るならもうとうの昔にそうしている。
タイミングを逃したままここまで来たことは来たのだが、一筋縄で行かぬ相手というのも事実。
なにしろ郷里にいる時分から、女のところから戻った朝、いや昼に鉢合わせたり、
体に残った情交の痕を指摘されて、これでも巻けと襟巻きを渡されたことなど数え切れぬのだ。

今更お前が欲しいなんていっても鼻先で笑われるのがオチな気がする。

考えないではなかった。
郷里にいたときかなり早い段階で夜這い紛いな事をしたことが無いではない。
だが、どうにも踏み込めぬ臆病な己が止めとけと怖気づかせる。

切れた女とは二度とは会わぬ主義だ。
無論向こうも会いたがらないし、此方もばつが悪い。
だが、この仕事を続ける限りそうも行かぬ。

自分の何もかもを知る赤の他人が同じ場所に居て、
そいつとはもう切れているなんて状況自体がいたたまれぬ。
まだ身体を繋いだことも無い相手との切れた後の話など甚だ片腹痛いが、
切れた相手がそのままこの場所へ留まってくれると言う保証は無い。

惜しいんだ。

あれほど役に立つ人間とはもう二度と会えまい。
そして二度とは自分のものにはなるまい。

ただの女にするには惜しくて、それでも欲しくて、でもそれを自分は許さなくて。
目の届く場所へ居ればいいと思えども、時折欲望が心を後押しする。

半年の猶予か、突きつけられたタイムリミット。
遅かれ早かれどうするかをいずれは決めなくてはならぬ。

まぁ、そんときはそんときかと持ち前の楽観主義で開き直った。

所要時間はおよそ展望室から部屋に戻るおよそ五分間。

懺悔もしたし一仕事後のお楽しみと冷蔵庫のビールを出そうとしゃがみ込んだとき、
突然青い顔をした陸奥が部屋の扉を開けた。

普段から自室には鍵をかけていない。
機密情報などはこの部屋には無く、殆どは陸奥の頭の中にある。

盗られるものが無いから鍵は常に開けている。
と言うのは建前で、いつでも陸奥が夜這いしてきてもいいようにと思っているのだが実現したことは一度も無い。
矛盾だ。
常に最強の盾と矛を傍らに置き、それを見て見ぬ振りをする。
もう随分昔からそうしてきた。
だからおかしいなどと自分では思えぬ。

兎も角妙に青い顔をして部屋に入ってきた。
どがぁしたぁとビールを冷蔵庫から取り立ち上がり様に暢気に尋ねれば、
陸奥はかすかに口唇を戦慄かせた後、駆け寄るように距離を縮めて身体ごとぶつかってきた。

普段の怜悧冷徹な陸奥とは違う様子に戸惑いながらも、陸奥の身体を思わず両腕で受け取る。
ちょうど胸の真ん中、心臓の上に頬をつけたそこが酷く熱かった。
その重みは暴力的なまでに自分を動揺させながら、高揚と理性とが互いに縺れ合うような混乱を招く。
手に持っていたビールのアルミ缶を冷蔵庫の上に置きながら、震える肩に手を置く。

細くてまるで少年のようだ。
ただかれらと違うのは、女性が誰もが放つ狂おしい香りと柔らかな身体。
それに惑わされる自分が彼女らとは違う種類の人間、そう雄だと実感した。

「陸、」
「おんしが居らんようなったら、どうなる」

まるで。
千切れるような声が鼓膜を震わせた。
掴みかかられる、そう表現していい。
陸奥は自分の襟首を必死に掴んでいる。
手が真っ白になるまで強い力で、そうとでもしないと立っていられないと言うように。

「此の艦、こん大業を」

額を擦り付け、絞るような声。
肌の上に陸奥の吐息が掛かる。
時折、口唇がその動きに合わせて触れた。
焼印を押されるような、強く焦がれた感覚に麻痺しそうになる。

「なにより、あしをこんな宙の果てまで連れてきたおんしが居らんようになっ…」

陸奥は言葉に詰った。
同時に膝から下が無くなったかのように崩れる。
それを支えながら彼女を抱き留めたまま床に座した。
陸奥はそれを是とも否とも言わずなされすがまま腕の中に居続ける。






 なんじゃ、この強制イベント。






膝の中に陸奥が居て、
気丈な女は泣いていて、
泣いているから酷く体温が高くて、
きっと泣かせているのは自分で、
だけどそれは彼女の見当違いな心配で、
それでも自分のために泣いている姿が酷く狂おしい程嬉しくて。

このまま抱けたら随分と気持ちがいいだろうと、
下世話で最悪なそれでもまごう事無き本心が体の奥から突き上げた。



「先生はなんか言うちょったか」

口を吐いて出そうになる本心を唾液とともに飲み込んで、
出来るだけ理性的に問う。

「なんも、教えてはもらえんかった」

陸奥は小さく首を振りながら、歯痒さに手を震わせた。
ほうか、その戦慄きを酌みながら強張った背中を撫でた。














誠意というものはなんだろう。





自分の良心、心のまま、その真心。
脂下がるのは簡単だが、潮時なのかも知れぬ。

そう、潮時だ。


女は気持ちがいい。


それはたぶん男じゃないから。
自分ではない生き物を抱いて眠るあの心地よさ。

たぶんそれが一番なのだ。

駆け引きなどが全部済んだ後、一緒に蒲団に潜ったあと。
化粧が落ちてどこかぼんやりとした顔の女たちは、
皆あどけなくておだやかで凪いだ海に浮かぶ月のようだ。

肌を合わせたあとのあの一瞬の気安さ。
その表情に、何故か理由の無い安らぎを感じ、目を閉じる。

だがそれも刹那的と言われればその通りかも知れぬ。

だって自分が抱いていた女たちは代わりに過ぎぬ。
焦がれて止まぬ、けれども諦めざるのを得ぬものの代わり。

なんと失礼な話だ。

女は好きだ。
男ではないから。
気持ちもいいし、どんな娘だって可愛らしいと思うところはあるし。

だがアレは別格なのだ。
そう約束したから。

だがその約束を反古にさせて貰うべきなのやも知れぬ。
その是非を問い、拝み倒してでも。



「陸奥よ、ききとおせ。ワシ女遊びは今日を持って止めようと思うき」



心のままに。
あなたを思う、心のままに。



「ほがな事どうでもえぇちや」
「ちゃんとききや」


俯いたままの陸奥の顔を上げさせる。涙に濡れて洟も出ている。
お世辞にも美しいとはいえぬ。
だがどんなに着飾った女たちすら持たぬうつくしいものが、
すぐに、手の届く此処にある。

「女遊びは一切止める。ソープもランパブも鉄砲遊びも」

涙に濡れた睫毛がゆっくりと上下する。
何を言うのかと無言のうちに問う。
もう少し待て。

「愛の無いのんはもうやめじゃ」

懐から手拭を出して涙と洟を拭いてやれば、くさいと悪態を吐いた。
縺れた前髪を均し、緊張で冷たくなった手を握る。
なんと小さい手だろう。
この手に何を持たせるつもりか。

「ほやき、ワシのこの病気が完治したら」

心から想っています。
あなたのことを。
ずっと前から。
此の身を焦がして、悶えるほどに。



「完治するんか」
「あぁ、心配しなや」

陸奥の顔から疑いが消え、かすかな安堵が漏れる。
表情が緩み、ゆっくりした瞬きがよかったと声にならぬ声が口唇に乗る。

「何を動転しゆうがよ、天下の快援隊きっての才媛の陸奥殿がわしのことで」

頬についた涙の痕を指で辿り、
眦に溜まった小さな真珠のような涙を零れることの無いようにすくう。

「死なんよ、ほがな病気じゃないちや」
「ほんまか」

あぁ、大きく頷けば緊張し切った肩がゆっくりと下ろされため息が漏れる。
よかったと珍しいほどのか細い声がその喉から漏れた。

そのまま俯いた陸奥の背中と肩をゆっくりと撫でた。
彼女はされるがままに大人しい猫のようにそのやさしい手を享受した。



繋いだままの手が温かくて、
陸奥はそれを離そうともしなくて、
それが酷くうれしくて。

それ以上のこともいろんな女としたのに、
彼女の力で繋いでいる手が長い時間を隔てながらもずっと続いていくような気がして、
欲しいものはちゃんと此処に、ずっと傍にあったのだということに気がつけて。
身体など繋がなくとも今夜一夜だけでも隣で眠ってくれるだけで満たされると言うような、
柄にも無くそんな感傷的な気持ちがこみ上げる

くちづけのひとつでもしたいと思うのに、それすらも恐ろしい。
なんと臆病な。



「まぁたまには病気もしてみるもんじゃの、陸奥がこじゃんと心配してくれるき」


そんな今更と言うべきような恥ずかしいことを口に出せず、
辰馬はわざとらしく暢気な口調で言った。
陸奥はそれに阿呆とつぶやき、
それでもいつもの冷たげな口調ではなく早合点した自嘲と照れも相俟ってか柔らかな物言いであった。
互いに気恥ずかしいような空気を間に挟みながら、暫く抱き合ったあと、
辰馬は思い出したかのように顔を上げ陸奥の顔をじっと見た。


「あと、続きなんじゃがの」


今しかない、今しかない。
あいしています、こころから。



「それでその暁には」


そう正直にまだ口には出せぬ。
けれども心のままに、あなたを思う心のままに。









「ワシとしよう」







陸奥はきょとんとした顔で、辰馬を至近距離でじっと見つめる。
濃いレンズの奥の目は鋭くて、酷く実直で真面目そうまともそうに見えた。
何をじゃ、と首を傾げ、次の言葉を待つ。




















「セックスを」





















「は?」



「やき、愛のあるセックスをおんしとしたいちや」



思わず素っ頓狂な声で返事をした。
耳を疑う。
なんと言った、今なんと。

自分の情報処理能力がぴたりと静止したのが陸奥にははっきりと分かって、
その言葉の意味をすばやく検索及び推測した。
再処理をかけるコマンドを入力したにも拘らず、CPUは演算を停止させたまま。


「え」


ようやく演算が再起した。
陸奥は笑うとも起こるとも付かぬ表情、それは恐らく呆然という様子が一番近い、
そんな顔で辰馬を見つめた。
反応の鈍さに首を傾げた辰馬に、表情らしい表情も作れず陸奥は問い返す。


「おんしゃ、結局なんの病気じゃ」


死に至る病ではない。
すぅと辰馬の血の気が引き、しまりの無い顔が奇妙に歪んだ。
えぇっとぉ、と語尾を誤魔化しながら視線が泳ぐ。


「いやいややっぱり愛の或るものに勝るものはないちや。
 やっぱり数打っ取ったらとうとうあったりーと引いてしもうたちや。
 まぁでも一種の男の勲章みたいなもんかのう。
 暫く治療に専念せんといかんが、まぁ半年後には目出度く床入りできるぜよ。
 それまではキッスとデートで勘弁しとうせ」」

坂本はばつが悪いのかそれとも考えなしなのかまくし立てる。
いやぁ怖い怖い、饅頭怖いじゃ、あっはっはと陽気に笑う。



「そん薬」


陸奥は冷蔵庫の上に載った薬袋を指す。
内服薬と書かれた大量のカプセルと錠剤。


「まさかそっちの病気の薬か」

その病の元凶らしき辰馬の身体の一部を一瞥したあと、陸奥は顔を上げた。
そう、冷静に。
何を言われても即座に判断できるように。
冷たい血を持つ、艦内随一の烈女の貌で。



辰馬は確りと頷くと陸奥の細い方を両手で掴んだ。
胸のうちに滾る情熱を以って見詰めた。


「ほやき、陸奥。ワシとしよう、愛のあるセッ、」





























「それだけか」






















低くかすれた女の声が、地を這いながら微笑とともに囁く。



「は?」

















「言い遺すことは…それだけか」










ぺたぺたとスリッパの底が床を擦る。
点眼薬を一つ入れ忘れたと助手が言うので、
老医師自ら様子見がてら坂本の居室の或るフロアに上がった。
万が一にも色っぽい展開になっていたらどうしたもんだろうと思ったが、
まさかそんなことはあるまいと高を括ってエレベータを降りた瞬間、
何かが壁にぶつかるけたたましい音がした。
なんだと思って歩調を速めた瞬間角を曲がってきたのは先ほど別れた陸奥である。

まずいところに居合わせたと思ったが避けるにもそう出来ず、そのまますれ違う。
足音がストロボを焚く音のように聞こえた。
先生、恨むぜよと地獄の使者のような声がすれ違い様足元から這う。
じわりと脂汗が出た。

曲がり角を曲がって開け放されたドアの中を覗き苦笑いを零しながら、
誠意を見せたらどうなとは言うたがはわしじゃが、と前置いた。


「まさか正直に言うたんか」

坂本は床に背をつけ天井を仰ぎ見ながら目だけで夜更けの客を見た。
医師は屈みこみ坂本の眼の中を覗き込む。
少々焦点が合っていない。脳震盪でも起こしているのだろうか。
攻撃の凶器は恐らく隣に転がる分厚いファイルだろう。
バインダの中身が床に散乱している。


「愛のあるセックスをおんしとしたいというたちや」


胸ポケットからペンライトを取り出して両目に当てる。
焦点は合わぬが瞳孔の収縮もきちんとしている。
まぁ、もともと頑丈な男だから平気であろう。

「TPOゆうのを弁えたらどうじゃ」

まったく、そんなストレートが通じる相手でもあるまいに。
ここは変化球じゃ変化球、余り役に立たぬアドバイスを貰い坂本は愉快そうに言う。

「いや決心が鈍るといかんと思うて」

今更決心が必要なのかと聞いてやろうかと思ったが、
まぁ其の人の思うところは他人には慮れぬ。
脈は無いわけではないが、その脈を自分で消してりゃ世話は無い。

なんとなくこの二人の距離を思い知る。
乱れた振り子のように揺れ、決してぶつかることがない。
お互い上手く身をかわしながら、あいそわぬようにしているのやも知れぬ。

それが長さの秘訣かと厭味の一つでも言ってやろうかと思ったが、
力なく笑う坂本には少々酷かと思いとどまる。

早とちりとは言え涙するほどに心配させながら、それを利用しようともせぬ。
やれやれ、お前らの時間は一体いつから止まってる。


「難攻不落じゃのう」










「おぉ、お手上げぜよ」


end


WRITE / 2008 .4 .1
これ陸奥が気の毒すぎて正視できず、これだけ書いたんだけど没にしようと思ってたんですが、
でもこんなに書いたのにもったいなさ過ぎる!とか思ったんで拍手で出してみた。
どっちがよかったですかねぇ…。
当初upした分は陸奥があんまり心配してないんだよね〜。
こっちの陸奥は空転しすぎ。陸奥っぽくないなァと下げたんでした。
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