HAPPY LIFE
presented by ぷーちゃん

第九話


2003年4月
遅番だったゾロは10時に仕事を終え、いつものようにスイミングクラブの風呂に入って、帰宅する途中だった。
クラブから自宅までは、線路沿いをまっすぐ土手に向かって進む。
飲み屋街が途切れれば、その先は、地上げされそこなった空き地に、閉鎖され『売屋』の看板がかかる鉄工所、配送センターだの、駐車場だの、倉庫だの・・・といった、いわゆる人通りのない道を15分程歩く。
それは、ゾロにとってはコンビニが遠いということ以外では、何の問題もなかったのだが、女の悲鳴が聞こえれば、無視して通り過ぎるわけにもいかない。

「女一人に、何人がかりだ?」
ゾロは、決して喧嘩慣れしているわけでもなかったが、鍛えた身体と、三白眼とも思えるほどの凄みのある視線は(本人は無自覚だが・・・)それだけで、相手の戦意を喪失させたようだった。
場合によっては、2・3発殴って、殴られても仕方がないと思っていたのに、4・5人の男たちは、あっけなく捨て台詞を残して走り去っていった。

「ありがとう・・・」
そう言って、押し倒されていた女は立ち上がると、服についた泥を叩いた。
「大丈夫か?」
「うん。おかげさまで。」
薄暗がりの中で見る女は、薄手の上着を羽織っているものの、胸の開いたTシャツにミニスカート。こんな道を歩くのに、襲ってくださいと、言っているとしか思えないような格好だった。
「家まで送るか?」
「結構よ。」
そう言って、女は歩き出した。

折角親切に言ってやったのに、その冷たい言い草が、“あんたも信用できないわ”と言われたようで、ゾロはかちんときた。
一応助けてやったんだし、これ以上かかわる義理もないと、家へと向かう。

「ねぇ!」
先を歩く女が振り返る。
「あぁ?」
「ついてこないでよ!」
「なんで俺がてめぇについていかなきゃなんねぇんだよ!」
「ついてきてるじゃない!」
「俺んちがこっちなんだよ!」
疑惑の視線が向けられる。いったいなんで自分までが疑われなきゃなんないんだと、
苦虫を噛み潰した顔で、ゾロは無言で女を追い越した。

アパートの前まで来て、門を入ったときに(いや、これを門というのなら・・・)
後から、「ウソ・・・」と女の声がした。
「ここが、俺の部屋なんだよ。」出入り口に一番近い、1階1号室。
鍵をポケットから出しながら答えた。
「ごめんなさい。私、てっきり・・・」
素直な謝罪の言葉に、まぁ、さっき襲われそうになったばかりなんだ。自分が疑われるのは心外だが、女の気持ちもわからなくはないと、半ば切れそうな蛍光灯の下で見た女は、オレンジ色の髪に、薄茶色の大きな瞳。
「かまわねぇよ。ただ、こんな時間にそんな格好でうろうろしてたら、襲われても文句いえねぇぞ。」などと、説教臭いことを言ってしまった。

「ちょっと、待ってて!」
ヒールの高いサンダルが、カンカンと音をたてて外階段を上がっていく。
頭上の部屋のドアが開いたと思ったら、ビニール袋を持った女がまたカンカンと降りてきた。
「昨日、越してきたの。ナミです。」
普通、名字を言うんじゃないのか?などと思いながらも、
「ゾロだ。」と律儀に答える。
「挨拶しようと思ったんだけど・・・」
そういえば、今朝方、ドアを叩く音がしたのを無視して寝ていたのだ。
「今朝か・・・」
「そう。ノックしたけど、誰もいないみたいだったから・・・」
「わりぃ、寝てた。」
「そうなんだ。はい、これ!」
女は、白いビニール袋を手渡すと、
「今日はありがとうねvこれは、引越しご挨拶だからv」
そう言って、にっこりと笑い、またカンカンと部屋へ戻っていった。

部屋へ入ったゾロは、ビニール袋の中の、季節はずれなみかんを手に取った。
実家で、みかんを食べたことはほとんどなかったように思われた。
みかんを食べるのは、久しぶりで、甘くて酸っぱい味が、懐かしい気持ちを思い出させたような気がした。

・・・ なんであんなに若い女がこんなボロアパートに引っ越してきたんだ?
そんなことを思いながら、ゾロは眠ってしまった。

翌朝、再びゾロはドアを叩く音で目が覚める。
「ゾロ!ゾロ!いるんでしょ?起きてよ!」
なんなんだよ・・・一体誰だよ・・・と、廻らない頭でドアをあければ、蜜柑色の頭が見え、昨夜のことをゾロは思い出した。
「おはよう!」
「あぁ。」
「ねぇ、ゾロ、今日何してるの?」
「昼から仕事だ。」
「よかったvvちょっとつきあってくれない?」
寝起きのゾロの頭は、未だ混乱中だった。つきあってくれない?と疑問形をとりつつも、
有無を言わせない女の強気の口調に、思わず頷いた。
「よかったvこの辺のこと、全然わからないし、買い物もしたいしさv部屋にいるから、
 仕度できたら呼んでねv」
そう言って、ナミはカンカンと音を立てて、階段を上っていってしまった。

玄関口で一人取り残されたゾロは、横の台所で歯を磨き、顔を洗い、着替える頃になって、「なんで俺があの女につきあわなきゃなんねぇんだ?」と至極最もな疑問を頭に浮かべながらも、「うんって、言っちまったしな・・・」などと考えている。律儀な男だった。

階段の下から、声をかける。
「おい!仕度できたぞ!」
「は〜〜い!今、行く!」

そうして、その日の午前中は、一番近いコンビニだの、銭湯の場所とかを教え、駅の反対側の大手スーパーで、洗面器だのカラーボックスだの、あげくにガス台までを買ったナミの荷物持ちとして、ゾロは活躍した。
一旦、アパートに荷物を置いて、再び駅前へと向かい、ゾロの行きつけの定食屋で昼食を食べて別れた。別れ際に、ナミが「ゾロ、明日も仕事お昼から?」と聞くので「明日は休みだ。」と、またもや律儀にも答えるゾロだった。

仕事を終えて、帰宅する。今まで気にしたことなどなかったのに、201号室の明かりがついていて、なんとなくそれが嬉しいような暖かい気持ちになり、その直後、窓際に映るナミの影を見つけたゾロは、「カーテンぐらいつけやがれ!中が丸見えじゃねぇか・・・」と、不機嫌に思う。
自室に入って、買ってから1年間洗ったことのないカーテンをレールから乱暴に外して、階段を上がっていた。

「おい!」
「はい?誰?」時間は既に11時に近い。
「俺だ。」
「ゾロ?」
「そうだ。」
ナミがドアを開ける。
「おかえり。」
ナミの言葉の終わらぬうちに、埃だらけのカーテンを押し付ける。
「外から丸見えだ。カーテンぐらいつけろ。」
「あっ。ありがと・・・買い忘れたなぁ・・って思ってたんだ。
 ほら、あの、うち田舎だから、カーテンなんか要らなくてさ・・・」
「あぁ・・・」
「ゾロ、明日お休みでしょ?」
「あぁ。」
「カーテン買うから・・・明日も買い物つきあってくれるかな?」
「あぁ。わかった・・・」
何故だか、断ろうとは思わなかった。

部屋に戻って、コンビニ弁当を食べながら、自分のとってしまった行動がとてつもなく恥ずかしいことのように思えたりして、ゾロは短い髪を掻き毟ってみたりはしたけれど。
どうせすることもないんだし、買い物に付き合ってもいいだろう・・・と思い直す。
まだゾロは、相手が気になるということが、どういうことなのか全く自覚していなかった。

翌朝もナミがゾロを起こしに来た。寝惚けているゾロに、「今日は原宿と渋谷に行きたいから!」と告げていった。
原宿も渋谷も、行ったことはある。通った回数は数知れない。確か、怪我をした後に、何回か級友たちと飲みに行った気もする。気もするが、ゾロは電車で行ったことはない。

駅に向かう途中で、ナミは「東京って初めて来たんだvv」とか、「ここって意外と便利だよねv原宿も六本木も一本で行けて」とか「原宿って行ってみたかったの!」などとしゃべり、切符売り場で原宿駅を見つけられず戸惑うゾロに、「240円だよ。」などと世話を焼き、迷うことなく千代田線に乗った。(千代田線に原宿駅はないからな・・・)

平日の午前中、朝のラッシュほどではないが、座ることはできないくらいに混んでいる車内でしばらくナミは静かだった。ゾロは、なんで自分がここにいるのだろう?などと考えながら、自分の肩先にある、ナミの蜜柑色の髪を見ていた。

「お前、なんであんなボロアパートに越してきたんだ?」
「自分も住んでるくせに。」
「お前、女だろ。風呂も無いのに。」
「お金ないのよ。」
「・・・・」
「うちさ、瀬戸内の島で蜜柑農家しててさ。貧乏ってほどでもないけど、娘を東京の大学に行かせるお金なんか全然ないの。」
「蜜柑農家か・・・あの蜜柑美味かったぞ。」
「でしょ!自慢の蜜柑なんだからvそれで、本当は私も家を手伝ったほうがいいんだろうけど・・・手伝っても将来知れてるしね。勉強したかったし、外の世界も見てみたかったからさ。」
「同じだな。」
「えっ?何が?」
「俺も外に出てみたかったんだ。」
「ゾロも地方出身なの?どこ?」
「いや、家は東京にある。」
「なにそれ・・」
「俺の場合は、ひとりでやってみたかったってことだ。」
「ふ〜〜ん。」
そんなこと、家族以外に誰にも話したことなかったのに。なんとなく口をついて出てしまった言葉にゾロ自身驚いていた。

「大学行くのか?」
「うん。でもお金ないから、夜間ね。昼間は働くの。
 学校は来週からだけど、仕事は明日から。」
「偉いな。」
「偉くないよ。自分のしたいことするためだもん。ゾロだって働いてるじゃない。」
「そうだな・・・・」
そう答えながら、ゾロは自分のしたいことは何なのか・・・それを探す為に家を出たのに、未だ何も見つからないままに、1年が過ぎてしまっていることを思った。

明治神宮前に到着して、「竹下通りはどっち?」とナミに聞かれても、ゾロには答えようがなかった。そんなゾロをさっさと諦めたのか、バックからガイドブックを取り出したナミは、自力で迷うことも無く、行きたい店に向かい、あちこちゾロを連れまわした。

ゾロは買い物が苦手だった。もともと、必要なものは家政婦に言うと揃えてもらえたので、買い物に行く機会も少なかったし、たまに洋服を買うのにサイズがわからない
からと、ロビンに連れ出されるときも、車でデパートかショップに行き、その中で適当に選んで終わりだった。目的外のものを見たり、買わないものを見て廻る習慣など無い。
ところがナミは、いちいち店をのぞいては、「これ可愛いね〜〜」とか「種類が多すぎるぅ!!」などと言って、かといって、何を買うわけでもなく、店を見てまわる。
女物の洋服屋に入ったりするのは、恥ずかしくはあったが、そんなナミを見ているのは面白かった。

朝食も取っていないゾロが、腹が減ったと言うと、「じゃぁ、クレープ食べよう!」とナミが言った。
「クレープぅ!!!」
「そうよ、原宿って言ったらクレープでしょ?」
それは、いつの時代の話だと、ゾロの眉間に皺が寄る。
「ベルメールさんがそう言ってたもの!原宿に行ったら、クレープ食べなって。」
路上にでているクレープ屋の前でゾロは硬直する。甘ったるい匂いが充満していて、しかも立ち食いだ。いや、立ち食いに問題はないのだが・・・
「お前、喰いたきゃ喰え。俺は、嫌だ。」
「なんで〜〜ゾロのけち!」
「あんなもの、喰えるか!飯だぞ、飯!腹に溜まるもの喰う。」
定食屋に入ろうとするゾロに、それは嫌だというナミ。結局、小洒落たオープンテラスのあるレストランで、パスタランチを食べた。

「次は渋谷よ!」と張り切るナミと、明治通りを抜けて渋谷へ向かう。渋谷でもナミは何も買おうとしない。「カーテン買えよ。」とゾロが言うと、「ここは高いから駄目。」と言われる。結局、夕方になって地元へもどり、2980円のカーテンを買い、以前サンジと行った居酒屋に寄った。

ナミはサンジよりもよっぽど酒が強い。ゾロのペースに引けを取らずに飲んでも、顔色ひとつ変えない。明日からの就職先が、故郷の医者の知り合いの病院で受付をすることだの、大学は経済学部だの・・・ナミの話を聞いている時に、店にサンジが現れた。

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