HAPPY LIFE
presented by ぷーちゃん

第七話

ゾロが仕事を終えて家に戻ると、まだサンジが部屋にいた。
「なんだよ。帰んなかったのか?」
「いや、帰った。」
確かに、洋服も違う。
「じゃぁ、なんでここにいんだよ!」
「昨日の質問の答えを聞いてない!」
「???」
「お前、なんで泳いでたんだ?」
「ちょっと待て、お前帰ったんなら、どうやってここに入った?鍵開けてったのか?」
「いや、鍵は持ってる。」
「あぁ!?」
「そうだ!最初に言っておく。今日から俺のことは、大家様と呼べ!」
「お前何言ってんだ?」
「だから、大家様だ。俺がここの大家だ!」

話が見えない上に、わけがわからなくなったゾロが、取りあえずビールでも飲もうと冷蔵庫に向かうと、台所の狭い調理台の上に炊飯器が、ガスコンロ(マッチで火をつけるタイプ)の上には鍋が。開いた冷蔵庫の中にはサラダが入っていた。
「お前んち、何にもなかったからな!皿もスプーンも持参したぜv今夜はカレーだ。
 遠慮なく喰え!」
サンジは勝手に台所に立ち、コンロにライターで火をつけ、鍋を温め始める。
ゾロはというと、飯が喰えるのはありがたいが、相変わらず、わけはわからないままだった。

「お前、ここの大家なのか?」
「そうだ!」
「貧乏だって言ってなかったか?」
「言った。」
「・・・・・」
「今も貧乏とは言ってない。」


サンジが中学3年の時、母に何度目かの男ができた。
その頃サンジは、新聞配達の他に、事情を知る近所の印刷所で製本等のアルバイトをしていた。
学用品を買って、質素に食べれる位の収入を得てはいたが、家賃・光熱費を負担できるような金額ではなかった。

母には自分が邪魔だということが、痛いほどにわかった。
だから、サンジは自分から、「大丈夫だから、行っていいよ。」と母に告げたのだ。
置いていかれ、捨てられる前に、送り出したほうがいい。
本当は、そうは言っても、全然大丈夫なんかじゃない。未成年どころか、義務教育も終了していないのだ。大丈夫なはずなど微塵もないのだ。
「お前を置いて行かない」と言ってほしいと・・・思ってた。
だが、サンジの母は、その言葉を待っていたかのように出て行った。

途方に暮れたサンジに声を掛けてくれたのは、印刷所の社長だった。
「サンジ、もしよかったら、ここに住むか?」
「えっ・・・」
「狭いけどな・・・お前がいいなら、ここに住め。風呂と飯は俺んちに来い。」
「でも・・・」
「嫌か?」
「嫌じゃないです!嫌じゃなくて・・ベン・・・」
「男が泣くな。食費と家賃、ちゃんと給料から引くからな。」
「はいっ!!」
その日、サンジは人の胸の中で初めて思い切り泣いた。泣いても泣いても涙が溢れて、ベンが呆れるくらいに泣いた。

サンジ中3の冬、
ベンは、本来なら福祉施設に入所するはずのサンジの保護者となった。

学校から帰ると、ベンの印刷所で働き、印刷所の4畳半の休憩室がサンジの部屋となった。ベンは、近所の2DKの決して広いとはいえないアパートで、新妻のマキノと暮らしていて、サンジが風呂に入っている間にマキノさんが夕飯を作ってくれた。
ようやくサンジに訪れた幸せな時間だった。

中学を卒業し、「他で働いてもいいんだぞ。」というベンの勧めもあったが、中卒で就職できるところは、皆無に等しく。そのままサンジは印刷所の正社員となり、秋口を迎える頃に、敷金を貯めて一人暮らしを始めた。

春が来て、生活も落ち着き、ベンとマキノさんの勧めもあって、サンジは夜間高校に通い始めた。
幼い頃から、サンジにとって、学校はいつも楽しいところだった。
目立つ金髪碧眼に、貧しさが相まって、いじめられることも多かった。人に打ち解けることのない少年だった。
忙しいサンジは、友達と遊ぶ時間もなく、「あの子と遊んではいけません。」という親も多かったが・・・それでも、給食が食べれて、新しいことを学べて。
家にいるよりは数段楽しかった。

夜間高校では、小・中学の時にあった偏見が一転して、その金髪碧眼ゆえに、女の子に誘われ、父親位の年齢の人に「偉い!」と褒められ・・・
それでも・・・彼らがサンジに関わるのは、同情だとか物珍しさだとか・・・
そんな心根が見えてしまい、表面的に付き合うことはあっても
サンジが本音で話をできるような人間は皆無だった。

相変わらず、ベンとマキノさんは、食事に来るように誘ってくれたが、学校が終わってからでは、夕飯には遅い。マキノさんの指導もあって、自炊も板についた。
そんなささやかな幸せを甘受するサンジのもとに、母が戻ってきた。

美しかった母は・・・美しいことだけが取柄だった母は、僅か1年半の間に、別人のようになっていた。
結局、息子を捨ててまで一緒になった男とは半年ももたなかったらしく、再び春を売る仕事を始め、アルコールに依存して・・・

サンジの元に現れた時には、重い肝硬変を患っていた。
痩せて、目が大きいだけに窪んだ眼窩が一層目立ち、黄疸が現れ・・・
具合が悪いと診察に行ったら、即刻入院を申し渡された。

いくら生活が落ち着いたとはいえ、サンジに入院費まで払う余裕は無い。
母は、健康保険にすら加入していない。いっそ、サンジのもとに現れなければ、生活保護を受けることもできたのに、
未成年とはいえ、就職しているサンジに収入があるばかりにそれすらも受けられない。
見かねた福祉委員の人が、健康保険の手続きだけはしてくれたが、サンジは高校を辞めて、夜もバイトを始めた。

「サンジ・・・こんな時に力になってやれなくて、すまない。」
ベンが頭を下げる。
「何言ってんだよ!俺がどんだけ世話になったと思ってんだよ!」
零細企業が次々と倒産する中で、ベンの印刷所も、かろうじて生き延びているという状態だった。少し前までは、休みも返上して機械を動かしていたというのに・・・・

忙しい合間を縫って、サンジは母の見舞いに行く。
「あんただけが頼りだよ・・」と、母からは考えられないような言葉を発する。
それでいて、あれが食べたい、これが欲しい、大部屋は気詰まりだ・・・と、
サンジの状況を考えることもなく、わがままを言う。どんなに疲れ果て、自分が食うや食わずでも・・・サンジは母の要望にできるだけ応えた。
親は子供を捨てられても、子供は親を捨てられないのだ。

そんな生活を続けることも、体力の限界となるころ、母の生涯も終わった。死期を悟ったのだろうか、亡くなる前に「私が死んだら・・・」と、実家の連絡先を告げたが、未だ会ったことのない祖父母にサンジが連絡を入れても、祖父母は葬式にも来なかった。

荼毘にふされる煙を見ながら、サンジは考える。
母は、幸せだったのだろうか・・・と。
幼い頃から、自分さえいなければ、母は幸せになれると、そう言われ続け、そう思ってきた。
今になって、あんただけが頼りだよと言われ、息子に看取られ、
母は、幸せに死ねたのだろうか・・・
その日から、サンジは煙草を吸い始めた。


「今は金持ちなのか?」
「まぁな・・・働かなくても食ってけるよ。」
「宝くじでも当ったのか?」
「だから、大家だって言ってんだろうが!人の話を聞きやがれ!」
「あぁ・・」
「知らねぇ爺ぃが死んで、遺産相続したってわけよv」
「知らねぇって、自分のじいちゃんだろ?」
「いんや、知らねぇ爺ぃ。」
ゾロの頭は再び混乱する。
サンジが簡単に説明をしてくれた。

「いいか、俺はな、幼い頃から新聞配達をはじめとして、その辺の餓鬼なんか目じゃネェくらいに、勤勉に働いていたわけだ!それでだな、それをつぶさに見てきた、近所の知らねぇ爺ぃがだな、その爺ぃってのは、身寄りがなかったらしいんだが、自分が死んで、どうせ国のものになっちまう財産なら、この勤勉で立派なサンジ君に相続しようと思ったらしくてな。爺ぃが死んだ後、弁護士がやってきて、遺産相続したってわけだ。」
「奇特な爺さんだな。」
「いや、見る人は見ているんだと俺は思ったね。」
「それで、ここの家賃で食ってけんのか?」
「食えるわけねぇだろうが!駅前に雑居ビルもあんだよ!
 ちなみに俺はそこに住んでいる。」
「だから、毎日プラプラ泳いでんのか。」
「ぷらぷらじゃねぇよ。充電期間だ!」
「はぁ?」
「これからの人生、どうやって生きたいのか、ゆっくり考えろって、言われたんだ。」
「ふ〜ん。そうかよ。」

「なぁ、カレー美味い?」
「あぁ。」
「そうだろ〜〜俺、カレーだけは自信あんだよ。」
そのカレーは、家政婦が作ったのとも、店で食べるのとも違う。これが本当のカレーなのかもしれないな・・・とゾロは思っていた。

気がつくと、2人で缶ビールを半ダースは飲んでいて、ゾロがヤバイ!と思ったときには、時既に遅しだった。
「だからよ〜〜お前はなに考えて泳いでたんだ?って聞いてんだろ!」
「あぁ・・・」
「ちゃんと説明しろよ。」
「よくわかんねぇなぁ・・」
「駄目だ!お前は俺に説明する義務がある!」
「何でだよ!」
「教えてやろう。」
「・・・」

「いいか、よく聞け!あの頃、俺はなぁ、俺なりに大変だったんだよ。」
「あぁ。」
「それで、そのすご〜〜く大変な時に学校に行ったら、今日は水泳の応援に行きますっていわれてだなぁ。」
「なんでだ?」
「席が埋まらないからに決まってんだろ!
 地元だから、席埋めんのに狩りだされたんだよ!」
「そんなことするのか。」
「てめぇが呑気に泳いでる背後には、そういう他人様のご好意があんだよ!」
「頼んでねぇし・・・」
「それでだなぁ、俺は泳げなかったわけ。」
「知ってる。」
「水泳なんて、全然興味ないの。」
「あぁ・・」
「そこで、お前が泳いでるの見ちまったんだよ!」
「それで?」
「それでってなぁ!バタフライなんか、見たことねぇんだよ。
 だいたい、バタフライという言葉すら、俺は知らなかったね。」
「そうなのか。」
「んで、お前、予選ダントツで1位だったろ?」
「どの大会だよ・・・」
「世界新だした時だって言ってんだろうが!」
「あぁ。」
「息するときにさぁ、上半身が、こう、ぐわぁって水面に上がるだろ?
 なんだよこの泳ぎ、格好いいなぁ・・って思ってさ。」
「そうか?」
「そうなんだよ!それで、決勝の時は、スタンバイからずっとお前のこと見てたんだよ。
 お前さぁ、周りとか全然見てなくて、余裕綽々っての?違うな。
 なんか、遠いところ見ちゃってよ。そこだけ空気が違うんだよな。冷えてんだよ。」
「・・・・」
「すっげぇ綺麗な泳ぎでさぁ・・・まっすぐに進んでいって・・・
 お前が1位で入って、2位のやつとか、飛び上がってガッツポーズしてんのに、
 お前掲示板見て、ノーリアクションでプールから出てさ・・・」
「あぁ。」
「覚えてんのかよ?その後、コーチみたいな奴がお前に話し掛けたら頷いて、
 場内に『世界新記録が出ました』とかアナウンスされて、俺、感動して泣いたんだぜ?
 わかる?お前の知らないところで、お前の泳ぎ見て、俺は泣いてたわけ!」
「そうか。」
「そうかじゃねぇだろうが!俺さ、ずっと不思議だったんだよ。普通さ、嬉しいだろ?
 1位なだけでも嬉しいだろ?世界新だぞ!
 なぁ、嬉しくなかったの?お前さぁ、あの時何考えて泳いでたの?
 俺さぁ、感動して泣いたんだから、それ位聞いてもいいだろ?なぁ、教えろよ!」
「何って言われてもなぁ・・・」
「考えろ!じゃぁ、今考えろ!俺は、お前じゃないぞ!
 お前じゃなくて、お前の泳ぎみたいに、まっすぐに強く綺麗に生きて行こうって、
 あの時思ったんだよ。だから、何を思って泳いでいたのか教えろ!」

ゾロは一人でしゃべり続けるサンジの話を聞いて、
あの時、自分はどんな気持ちで泳いでいたのだろう・・・・
昨夜同様、遠い記憶を辿りながら、ゾロが考えている最中に、サンジは今夜も壁に凭れて、眠ってしまった。

たった1回しか自分の泳ぎを見ていない人物が、それを憶えていて、感動したと言ってくれている。あの時の自分は、いや、今の自分ですら、そんなことは思ってもみなかった。
自分は何のために泳いでいたのだろう・・・・

2日連続でサンジを布団に寝せるのは、なんとなくむかついた。
勝手に人の家に来て、勝手に眠ってるんだ。そう思って、ゾロは一人布団に入り、サンジには毛布を1枚かけてやった。
それでも寝付けなくて、結局「風邪ひいて文句でも言われたら煩せぇからな・・」などと独り言を言って、結局サンジを布団に寝かせ、自分は今日も、毛布を被って寝た。

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