HAPPY LIFE
presented by ぷーちゃん

第六話
2002年春
ゾロは、ほとんど埼玉と千葉に近い東京の、小さなスポーツクラブでスイミングスクールのコーチの職を手にした。コウシロウの紹介だった。
月曜日が休館日。残り1日はローテーションで3ヶ月ごとに休む日が替わる。早番の日は9時から6時、遅番の日は1時から10時までの勤務で、手取りは20万だった。
駅から徒歩5分のスポーツクラブから更に歩いて15分の、築30年、風呂無し4畳半、家賃36000円の羊荘101号室がゾロの新居だった。

様子を見に来たロビンがため息をもらし、シャンクスが「若者の出発には丁度いい!」と笑った。

ゾロとしては、いったい一人での生活にいくら金がかかるのかわからなかったので、不動産屋で一番安い家賃のところを選んだのだ。眠れる場所があればそれでいいと思っていた。
後に、銭湯代を考えると風呂付のアパートの家賃と大差ないことに気がつくが、その頃にはオーナーの好意で、仕事の後、スポーツクラブに併設されている風呂に入っていいことになっていた。

「ゾロちゃぁ〜〜んvvゾロちゃんのクラス、今月も予約待ちなのよぉ〜〜vvすごい人気なの!もう1コマ増やしてもいぃいぃ???」
「別に構わないですけど・・・」
気のいいオカマのオーナーは、何くれとなくゾロに目を掛けてくれる。
「変なおばさんに誘われちゃだめよぉぅvv」と言いつつ、自分がゾロを誘うのだ。

地元に密着した(要するに場末の)スポーツクラブには、昼間は老人か中年女性、午後から幼稚園児に始まる一連の小学生・中学生のスイミングスクール。夜間は、疲れ気味のサラリーマンがほとんどで、要するに、若いOLとか、それを目当てにする若い男性はもっ と都心のおしゃれなスポーツクラブに通うのだった。

就職するにあたり、ゾロはジュラキュールの名を使わずに、旧姓のロロノアを使用していた。その珍しい名字のせいで、ミホークの会社との関係を取りざたされるのを嫌ったのだ。
そのせいか、高卒で、自活する貧乏な頑張り屋サンと思われ、いつの頃からか、下町気質のおばちゃんたちは、時々ゾロにお弁当を作ってきてくれたり、何くれとなく世話をやいてくれていた。

これが、自分のやりたいことなのか?と、自問することは多かったが、自分がいままで、いかに恵まれた生活をしていたのかということだけは、わかってきた。

誘われるままに、何人かの女と付き合った。一夜限りの女もいたし、デートを強請る女、家まで押しかけてくる女もいたが、どの女も、ゾロにとっては面倒なだけだった。
父が母を愛したように・・・この女が自分の前から消えたら、手を尽くして探し出すのかと言われたら、どの女も探す気にはなれなかった。


2002年冬
中学生クラスの指導を終えて、フロントへ戻ろうとするところで、金髪の男に呼び止められた。
「ねぇ、あんたさぁ・・・バタフライの選手じゃない?」
「・・・・・」
「悪ぃ・・・名前覚えてないんだけどさぁ・・高校選手権で世界新だしたでしょ。」
「・・・・・」
「あん時サァ、俺見に行ってたんだよね。すっげぇ綺麗な泳ぎだったよ。」
「あぁ・・ありがとう。」
「ねぇ、泳いでみてくんねぇ?」
「・・・見せもんじゃねぇ。」
「なんだよ、けち。」

翌週、ゾロの担当する成人クラスに金髪男が現れた。
金髪男は、おばちゃん達とも顔見知りらしく、「久しぶり!」とか、「なによサンちゃん、泳げなかったの?」などと、すっかりおばちゃんの輪に溶け込んでいた。

「ロロノアコーチ、俺にはバタフライ教えてくださ〜い。」
「バタフライは上級コースだ。」
「だって、ここしか空いてなかったんだもん。」
「あら、私たちはいいから、サンちゃんに教えてあげてv」早速。おばちゃんを味方につけている。
「まずは、お手本を見せてくださぁ〜い!」
目的はやっぱりそれかよ・・とゾロは舌打ちをした。

スイミングスクールのコーチと言うのは、実は意外と泳がないものなのだ。水に入って、生徒の泳ぎをみながら、腕はこうまわせとか、脚の動きをチェックしたりはする。小学生クラスのコーチだと、軽く泳いで見せたりはするが、せいぜい15mがいいところで、息継ぎのタイミングや、飛び込みのフォームを見せれば、それで終わる。コーチが25m泳ぐ必要性がないのだ。

ゾロが飛び込み台に上がるのを見て、プールの中の視線がゾロに集まる。
覚悟を決めて飛び込んだゾロが再び浮上したのは20m地点くらいで、バタフライは2掻きで終わった。
全ての視線が息を詰める中で、金髪男が
「ロロノアコーチ、それじゃぁ、わかりませ〜〜ん」と叫んだ。
プールの中から、金髪男を一瞥したゾロが、今度は、そのまま折り返す。
僅か10秒・・・その力強くて美しい姿に、全員が目を奪われ、ゾロが泳ぎ終わる
と、拍手が湧き上がった。

「ロロノアコーチ、凄いんですね。」
「やっぱりコーチなだけあるよねぇ・・・」
皆がそれぞれに感想を述べる。泳いで見せろといった本人だけが、無言のままだった。
興奮冷めやらぬおばちゃん達を促して、クラスを始める。
実は金髪男はかなづちだった・・・・

「お前、なに考えてんだ?」
「生徒に向かってお前っていうな!サンジだ!」
「じゃぁ、サンジさん、泳げないのにいきなりバタフライは無理です。まずはビート板もってバタ足から初めてください。」
「なによ、サンちゃん泳げないの?彼女にもてないわよ!」
「だから習いにきてんですよぉ〜〜」
いつになく和やかな雰囲気でクラスは終わり、更衣室へ向かうサンジがすれ違いざまに
「ありがとう。ずっと見たかったんだ・・・」と呟いた。

正会員には、スクール以外にもフリーで泳ぐためのコースが常時用意されているのをいいことに、サンジはしょっちゅうプールに顔を出した。
運動神経がいいのか、教えたことはすぐに身につけ、めきめきと泳げるようになる。何故今まで泳げなかったのかが、不思議なくらいだった。
何故か、サンジはゾロに懐いていて、飯を食いに行こうとか、飲みに行こうとか、誘うたびに断られていた。
ゾロはと言えば・・・用事があったわけではないのだが、第一印象が悪かったのと、特にサンジと過ごす必要もないと思っていたため、断り続けていたのだが、あまりにもサンジがしつこいのと、スクールを重ねる度に、そう悪い奴ではないらしいということが、わかってきたらしく・・・

「コーチー!今日飲みにいかネェ?」
「いいぞ。」
「ウソ・・・」
「あらサンジくん、よかったわねぇ〜〜ようやく想いが叶ったじゃないv」
「ウソってなんだよ、てめぇで誘っておいて。」
「いや、OKしてもらえると思わなかったから。」
「諦めずに口説いてみるものねvv」
などと、外野にからかわれながらスクールを終えた。

「仕度するから、1時間くらい待ってろよ。」とゾロにいわれ、サンジは喫茶室でゾロを待っていた。
ゾロとゆっくり話してみたいとは思っていたものの、いざ、その時が来ると、いったい何から話していいのかが思い浮かばない。
どこの店にいったらいいのかも、考えなくてはならない。サンジの頭が、忙しくあれこれと考えているところに、いかにも風呂上りといった様相でゾロが現れた。

「よう!待たせたな!」
「なんだよ、てめぇ人を待たせて風呂なんか入ってたのかよ!」
「しょうがねぇだろ!家に風呂がねぇんだよ!」
「今時、そんな家あるのかよ〜〜だっせぇとこ住んでんなぁ・・・」
「寝れりゃぁいいんだよ。」
「お前、もしかして貧乏?」
「・・・・・そうだな。金はないぞ。」
「よっし!じゃぁ、居酒屋だな!」

そうして、サンジお薦めの安くて美味いという居酒屋へ行き、初めは何を話していいのか戸惑って、スイミングクラブの話とか、世間話などをしていたサンジが、酒が入るとともに、ゾロを質問攻めにする。
「なぁ、お前さぁ、なんであんなところで働いてんの?」
「なんでだろうな。」
「だって、世界新出したんだろ?」
「あぁ。」
「もっと他にいいところあんじゃねぇの?」
「そうかもしれねぇな。」
「だいたいさぁ、お前、なんでオリンピック出なかったの?」
「・・・・・」
「世界新なのにさぁ・・・俺、お前が出ると思って、オリンピック見てたんだぜ?」
「知らないのか?」
「何を?」
「怪我した。大腿骨骨折。」
「嘘・・悪りぃ・・・俺、新聞とかニュースとか見てなかったから・・・てっきり。」
「かまわない。別にたいしたことじゃない。」
「たいしたことだろ!そのために、泳いでたんだろ?」
「いや・・オリンピックにでたかったわけじゃない。」
「じゃぁ、なんで泳いでたんだ・・・あんなに速くて、綺麗だったのに・・・」
「なんでだろうな。自分でもわからねぇな。」

「俺んちさぁ・・・すげぇ貧乏だったんだよ。」
サンジが唐突に話を始める。
「ただの貧乏じゃねぇぞ!すげぇ貧乏なんだからな!」
まるで貧しかったことが自慢でもあるかのように・・・・


サンジの母は、美しくて、心の弱い人だった。
世間体だけを気にする地方の旧家で世間知らずなままに育った。
適齢期を向かえ、勧められるままに見合いをして、結婚したが、
彼女の想っていた結婚生活と現実には大きな隔たりがあった。

夫の帰宅は遅く、箸の挙げ下ろしにまで目を光らせる、姑との息詰まる毎日。
家事が不得手だったこともあり、あれができない、これもできないと、始終小言を言われ続け、夫に訴えても、「かあさんの言うことが聞けないのか!」
と、
夫は嫁姑の問題には、無関心。いや、無関心と言うよりも、実母が大事ということであろうか・・・・

そんな毎日を2年ほど過ごした後、サンジの母は、一度だけの過ちを犯した。
彼女にとって、数少ない、親友とも言える友人の夫と寝てしまったのだ・・・・
幸せそうに暮らす親友がうらやましかった。
何故、自分だけが・・・と、親友を妬む気持ちがあった。
たった一度の過ちの代償は、彼女の人生を変えることになる。
「あと1年子供ができなかったら、里に返すところだったよ。」
と姑に言われ、彼女自身、夫の子供なのかどうかすらわからないまま、どうすることもできずにサンジを産んだのだ。

サンジが産まれた後の病室は、まさに修羅場というべきものだった。
金髪で青い目の子供が生まれてしまったのだから・・・・
「この子は、自分の子として認めることはできない。」と、産後1時間も経たない妻に一言言い残し、姑も夫も2度と彼女の前には現れなかった。
弁護士が来て、離婚が成立するまでは、サンジの出生届を出すことは許さないと言われた。
3月に生まれたサンジの戸籍上の誕生日は4月2日となり、本来の学年よりも1年ほど、遅れることとなる。

頼みの綱となる実家は、「そんなふしだら娘を持った憶えはない。」と・・・入院費用と、僅かな現金を渡して、サンジの母に実家に戻ることを禁じた。

住むところも無く、産後1週間で乳飲み子を抱え、世間の荒波に放り出されたサンジの母の苦労は、語る余地もない。
サンジが物心つくころには、定められたかのように、春を売る仕事へとその身を窶していった。

そんな美しいだけが取柄の母の口癖は、「あんたさえいなかったら。」だった。
あんたのせいで、あたしの人生はこんなになった。
あんたさえいなければ、もっと幸せに暮らせた。
あんたさえいなければ・・・・
依存心の強い女性だった。
庇護してくれる人間が側にいなければ、生きていけない女性だった。

母が仕事の時は、外で待っているように言われる。雨が降っても、どんなに寒くても。
見かねて、近所の人が家にいれてくれることもしばしばで、それすら、母は、「みっともない!」とサンジを叱った。

母が帰ってこない夜は、もっと多かった。食事を与えることもなく、
連絡をすることもなく・・・・
サンジは、小学校に入る前から、炊飯器の使い方を覚えた。
母のいない夜は、帰りを待って、待って、待って・・・
我慢できなくなるころに、ごはんに醤油をかけて食べた。


「どれ位貧乏だったか聞きたいだろ?」
「いや、別に・・・」
「聞け!話してやるから!」
ゾロに比べれば、サンジのほうが酒に弱く、絡み酒だとゾロが今更気付いても、もう手遅れのようだった。
サンジが話すままに、適当に相槌を打つ。

「いいか!給食費が払えないのは、いっつもだ!」
「あぁ。」
「ノートとか買えないから、できるだけちっちゃな字で書くんだよ。」
「あぁ。」
「小学校の頃から、頼み込んで新聞配達してたな。この脚力はそのお陰だ。」
「そうか。」
「おかずがないから、ご飯に醤油かけて食ってた。」
「俺は、卵かけてたぞ。」
「なんだよ、金持ちだったのか!?」
「そうかもな。」
「卵ご飯なんて、ごちそうだったぞ!」
「美味いよな。」
「美味い!」

ゾロは一人でしゃべり続けるサンジに、なんとなく相槌をうちながら、話を聞いて。遠い記憶を辿りながら、それでも返事をしようとゾロが考えている最中に、サンジはテーブルに突っ伏して眠ってしまった。

揺すっても微動だにしないサンジを起こすことをゾロは諦めて、支払いを済ませ、とんだ荷物を背負いながら、外に出た。
家はどこだ?と尋ねても、返事は返って来ない。仕方無しに、ゾロはサンジを自宅へと連れ帰り、1枚しかない布団にサンジを寝かせた。
ゾロは金髪男の寝顔を見ながら、壁に凭れて缶ビールを飲み、そして、毛布を被って眠った。

翌朝、壁に凭れた侭の姿勢でゾロが目覚めても、サンジは夢の中だった。
「おい、おい!」
「う゛〜〜」
「俺は仕事に行くからな!」
「水くれ・・・」
コップに水を汲んで、枕元へ持っていってやる。
「鍵、ドアノブの釦押して閉めたら、かかるから、ちゃんと鍵かけてけよ!」
「う゛〜〜」




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