HAPPY LIFE
presented by ぷーちゃん

第五話
2000年2月
会議中のミホークにロビンが近づき耳打ちをする。珍しい光景であった。
その直後に、ミホークは部屋を出て、それっきり会議には戻ってこなかった。

「それで、いったいどうなっているんだ!」
「現地でも混乱中のようでして、詳しい情報がつかめません。」
「誰か、シドニーで動けるやつはいないのか!」
「探してみます。」
「飛行機のチケットを!」
「かしこまりました。」

普段、感情を露わにしないミホークが、物にまで当り散らし、そして、憔悴しきっていた。
今回の合宿は日本水泳連合の主催ではなく、一部のクラブチームが希望者を募って開催したもので、参加人数も思いのほか少なかった。そして、現地でプールへ向かう途中のマイクロバスが事故にあったのだという。事故の規模も、生きているのか死んでしまったのかさえもわからなかった。

夜に成田を発ち、早朝ブリスベンで乗り換え、9時前にはシドニーへと到着した。
血相を変えたミホークが、病棟内を走りぬけ、その後をロビンが追う。
病室では、ゾロがベッドに横たわっていた。

「ゾロ・・・・」
「おやじ・・・どうしたんだよ・・・」
「生きてた・・・」
「なんだよ、それ・・・」
ミホークが両目頭を親指と人差し指で押さえながら、ゾロに背を向けた。

「ゾロ君、大丈夫?」
「わかんねぇ・・・だって、みんな英語だしさぁ。痛ぇには痛ぇよ。」

ゾロは、ストレッチャーで運ばれ、レントゲンや諸検査を受けに行ってる。
医師の診断は大腿骨骨折。全治3ヶ月で、50日程度の入院を要するとのことだった。
「私のせいだ・・・」
「社長のせいでは・・・」
「いや、私が行けといったのだ。ゾロはここに来る予定ではなかった・・・」
「これは、事故ですわ。」
「ゾロになんと言ったらいいんだ・・・・」

翌日に手術を行うと告げられ、手術の説明、同意書へのサイン等を済ませて部屋に戻った時、発熱していたゾロはすでに眠っていた。
腕につながれた点滴の管が、痛々しかった。

ロビンがホテルへチェックインするように勧めたが、ロビンだけをホテルへ向かわせ、ミホークは折りたたみ椅子に座ったまま朝を迎えた。 
「おはよう。」
「目が覚めたか。」
「おやじ・・・俺、もう泳げないって?」
「いや、泳げなくは無い。だが・・・」
「オリンピックは無理か。」
「ゾロ、すまない。すまなかった・・・」
「なんでおやじが謝るの?おやじのせいじゃないよ。」
親子の会話は紡がれない。
長年交わした僅かな会話すら、そのほとんどが水泳に関するものだったのだ。
水泳に関する話題が禁忌となった今、この親子に共通の話題はなかった。

シドニーでの入院中は、毎日ミホークが病院にいた。
手術の成功が告げられるが、全身麻酔だったゾロは目を覚まさない。
翌日も、麻酔の影響か、発熱のせいか、朦朧としたままだった。

ロビンが今後の治療についての情報を集め始め、
かってなく長い時間を共にする父と子は、少しづつ会話を始める。
「俺、水泳辞めたら、することないなぁ・・・」
「辞める必要はない。シドニーは無理でもまだ若いんだ。次がある。」
「おやじは、俺が泳いでいた方がいい?」
「・・・・いや。お前が好きにすればいい。」

「会社、行かなくていいのか?」
「そうだな・・・まぁ、いいだろう。」
「ふぅ〜ん。いいんだ。」

「俺がいて、迷惑だったろ?」
「そんなことはない。」
「でもおやじ、独身だったしさぁ。突然俺が来て、困っただろ?」
「どうだかなぁ・・・
 子供と接したことがなかったから、お前をどう扱っていいのかは困った。」
「・・・・・」
「だが、感謝している。」
「感謝?」
「私は、あれに何もしてやれなかった。あれがいなくなってから、随分探したんだが」
「シャンクスに聞いた。」
「あぁ・・・だから、お前を残していってくれたことに感謝している。」
「そうなんだ。」
「お前は、あれの分も、思う存分やりたいことをして生きてくれればいい。」
ミホークは、ゾロに不自由な思いをさせないために。ゾロのために働いてきたと言っても過言ではなかった。ゾロは、ようやく父の愛情を理解しようとしていた。

父と子の溝が埋まっていく。
愛情を上手く表現できない父と、甘えられない子供。それでも、そこにはお互いを想う気持ちがあったことを確認できたのだ。

ロビンが探してきた病院はカリフォルニアのスポーツリハビリでは著名な医師のいるところだった。
既に日本からはシドニーへもマスコミが数社取材に来ていて、「オリンピック出場直前の悲劇」といった、お涙頂戴的な記事を日本で掲載していたこともあり、今、日本に戻るよりも、カリフォルニアのほうがいいだろうという判断の元、ゾロは残りの入院期間と、リハビリをカリフォルニアで過ごすこととなった。

カリフォルニアには、数年ぶりに「子守」と称してシャンクスが付き添った。
「だからさぁ、俺は出かけたくなんかないっての!」
「ばっかだなぁ!!リハビリだよ、リハビリ!」
「シャンクスが行きたいだけだろ!」
「社会勉強だって〜〜の!」
車椅子のゾロを、シャンクスはあちこち連れまわす。

ようやく松葉杖で歩けるようになった頃、ゾロがそろそろ帰国すると言っても、
「せっかく歩けるようになったんだから、踊りに行こうぜ!」
などと、気楽なことを行っている。
しまいには、「俺は学生なんだ!留年したら、シャンクスのせいだからな!」とゾロがぶちきれ、ようやく帰国したのは、5月の中旬を過ぎていた。

まだ、本格的に泳ぐのは当分無理だったが、水泳はリハビリにもいいと医師から言われていたこともあり、ゾロはクラブへ顔を出した。
だが、クラブでは既にシドニーへ向かっての真剣勝負の真っ最中で、ゾロがリハビリしながら泳ぐ雰囲気など、当然のことながら微塵もない。ゾロが怪我をする前はあれほど熱心に指導をしてくれたコーチたちも、よそよそしく、ゾロはそこに自分の居場所のないことを知った。
唯一、スポーツトレーナだった、コウシロウが、もしもリハビリで泳ぎたいのならと、小さなスイミングクラブを紹介してくれ、結局ゾロはそこへ通うことにした。

通うといっても、以前のように練習時間があるわけでもなく、コーチがいるわけでもない。
ただ、開放されているコースを、泳ぐだけだった。

夕方、早い時間は隣のコースで子供たちのスイミングスクールが。
6時をすぎると、会社帰りらしいサラリーマンが泳ぎにきていた。スクールのコーチたちは、流石に水泳の世界にいるだけあって、ゾロの名前を知っていた。
ゾロが若くて珍しいこともあり、(高校生が毎日泳ぎに来ているのは、そこではかなり珍しかった・・・)コンパなどにも誘われた。
学校でも、以前は授業が終われば速攻でクラブへと向かっていたので、級友と話す時間も必要も無かったゾロだが、徐々に友人ができ、請われるままに、数人の女の子と付き合ったりした。

自己記録である、世界新は、シドニーでも破られることはなかった。
相変わらず、ゾロは世界記録保持者のままだったが、もともとマイナー競技の水泳で、オリンピックにも出場しなかった選手の名前は、世間から徐々に忘れられていった。






2001年夏
高体連には所属したままのゾロは自己記録には届かないものの、水泳部からの参加で、都大会・関東大会等で、日本選手権クラスのタイムを記録しはじめ、古巣であるスポーツクラブから声がかかる。
ゾロは答えが出せないままだった。

「なぁ、シャンクス・・・話があんだけど?」
「珍しいな。お前から呼出とは。」
「時間とれる?」
「おれの時給は高いぞ!」
「なんだよ、金とんのかよ!」
「当たり前だろ!それがおれの仕事だ!」
「わかったよ。今からそっち行くからな!」
「迷子になんなよ!」
「うるせぇ、車だ!」
「おっ、相変わらず、お坊ちゃまだねぇ〜〜」

運転手に送られ、当然ゾロは時間通りにシャンクスの住まい兼事務所に着いた。
「相変わらず、汚ねぇなぁ〜〜」
「いいんだよ。ここには人は来ないの!それで、話ってなんだよ。」
「俺さぁ、また戻ってこないかって、クラブから言われてるんだよ。」
「お前、最近調子いいもんな。」
「どう思う?」
「どう思うって・・・」
「クラブチームに戻って、また泳ぐだけの毎日が始まって、その先になにがあると思う?」
「そうだなぁ・・・お前の年なら、アテネが目指せるだろう。」
「例えばアテネを目指して、それで金メダルをとれたとして・・」
「おっ、言うネェvv目指せ金メダル!」
「その先には何があると思う?」
「その先ネェ・・・難しい質問だな。」
「俺、別に金メダルが欲しくて泳いでるわけじゃないと思うんだ。」
「まぁ、そうだなぁ・・・世界記録保持者だからなぁ・・・
 一番って言えば、今の時点でも世界一だからなぁ・・・」
「俺が欲しいのは、世界一とか、そういうんじゃないと思う。」
「じゃぁ、なんなんだよ。」
「それがわかんないから、訊いてるんだろ!」
「それは俺にもわかんねぇよ。お前のことだからな。お前が決めるしかない。」
「そう・・だよな・・」
「まだ若いんだ。あせらなくてもじっくり考えてみろって!」
「うん。」

結局ゾロはクラブチームへは戻らなかった。
コーチから、ミホークにも再三連絡が入ったが、ミホークも「息子のことだから。」と、ゾロへは何も言わないままだったが、高校から呼び出しを受けた時は、一目散に学校へと向かった。

「どうされました?」
「ふむ・・・」
「何か、ゾロ君に問題でもあったのですか?」
「進学しないそうだ。」
「えっ?」
ゾロの通う高校は、生徒の7割以上が付属の大学へと進む。残りの3割の生徒も、付属の大学へ行かないというだけで、進学することに例外はない。
そんな中で、ゾロは担任に「就職したい。」と告げたのだと言う。

「どう思う?」
「そうですねぇ・・・・」
21世紀をむかえ、一流企業が簡単に倒産し、年功序列は崩れ、世の中は個人の能力主義だのと言われてはいるものの、未だ学歴社会が無くなったわけではない。現に、ミホークの会社とて、高卒者の採用は、女子事務員に数えるほどだ。大学を出ていても、就職がままならぬ世の中で、高卒で就職できるところは知れている。

「ゾロ君の好きにさせてあげたらいいじゃないですか。」
「しかし・・・大学くらいは出ていないと・・・」
「心配ですの?」
「当たり前だ。」
「そのために、働いてこられたのでしょ?」
「・・・・」
「ゾロ君一人くらい、一生働かなくても食べていけそうですわ。」
「だが・・・」
「ゾロ君は、今のままで、どこに出しても恥ずかしくない、いい子ですわ。」

帰宅したミホークがゾロを呼ぶ。
俺もおやじに話があったんだと、ゾロが言う。
「先生から、進学しないと聞いたが。」
「あぁ。」
「水泳に専念するのか?」
「違う。水泳は・・・泳ぎはするけど、もう速さを競う世界にはいかない。」
「では何をしたい。」
「俺、ひとりで暮らしてみたいんだ。」
「何だと?」
「俺、自分の力で、生きてみたい。
 自分でも何がしたいのかはわからないけど、とにかく、ひとりでやってみたいんだ。」
「そうか。」
「だから、この家を出て、働く。」
「そうか。」
「高校卒業するまでは、悪いけどここに置いてくれ。」
「別に悪くはない。お前の家だ。」
「いままで・・・ありがとう。」
「馬鹿者。」

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