永遠
とうこ様




路地裏を子供の足音が駆けていく。
入り組んだそこに迷い込まないように注意していたはずだったのに、
気が付けばその只中。
現在地さえ皆目見当が付かない。
くすんだ煉瓦の迷宮。
どこまで続くのかもわからない細くうねったほころんだ小道。
おうとつのあるそこを飛び跳ねていく影を眺めながら、
まぁ、いいか、と慣れた調子で歩を進める。
いつものことだ。

細い小道を駆けていく少年達。
鍛冶場の多いこの街の少年の多くが
自分のものであろう刀を持っているのが目についた。
チャンバラごっこにしては性質が悪いな、と思いつつ、
自分だってそんなもんだったはずだと考え直す。

『俺が世界一の剣士になるんだー!!』
『俺だっての!!』

遠くの方をかすめる喧騒。
にぎやかな声音。
耳を澄ますとそれはすぐに遠くへと飛び去って行く。

ふっと胸にわく懐かしさ。
きっと自分もああだったのだろう、と
幼い日々が胸をよぎる。

それでも決定的にそこから離れてしまった今の自分。
踏み出した一歩の代償は、
ただ懐かしいと形容できない現在を作り上げてしまった。
自分と同じ頃に刀をとった友人達は
今頃どうしているのだろうか。







たしかあの頃は
誰もが世界一と夢見ていたはずなのに。












*****************






穴の開いたように頭上にぽっかりと浮かぶ満月。
上空は強い風が吹いているらしく、
煙のような雲が夜空を横切っては溶けるように消え去る。
煌々と輝く月光に照らされてすぎていく雲のせいで、
まるで月が暗い海を突き進む光のように見えた。

なだらかな丘の上に位置する道場の扉を深夜叩いた。
かたりと開いた扉の向こうに、
いつものように優しい目をした師範の姿があった。
「どうしたんだ、ゾロ。
 こんな夜更けに。」
疑問口調で聞いてくる割には、
なんだか悟ったような微笑。
この人はいまだに強いのかはっきりしない。
「先生、俺今夜出発する。」
以前にも何度かこう言った事があったが、
その度に止められていた。
まだ早い、と。
自分にとってはもう遅いくらいに感じられていたのに、
彼はすこしも許してはくれなかった。
「また、突然に・・・。」
彼は冷えた夜風に心なしか身を震わせ、
中に入るかい、と手招きした。
それにかぶりを振り、急ぐからと理由を述べて拒んだ。
彼が招き入れるあたたかい部屋に入り込んでしまったら、
またダメだと言われるんじゃないかと思っていた。
今回はそう言われても出て行くつもりではあったけど。

そうかい、と残念そうな顔をして、
彼は、
「気を付けて行くんだよ」
と微笑みながらそういった。
止めはしなかった。
刀だけは大切にしてください、と一言だけをそえて。

あっけない別れだった。


村を離れて、
とりあえず知らない場所を突き進み、
広い海を目指した。
とりたてて目的は持っていない。
今の自分にはただ歩を進めることしかできなかった。





古ぼけた港町にさしかかり、
食欲だけを満たしてその日の宿を探す。
目に見えて多くもない持ち合わせも段々と減ってゆき、
これからどう食い繋いでいこうかと思案していた。
腰にさした三刀の刀がひどく重く感じる。

人通りの少ない商店の切れ間で
かつんと鞘の先が固いものに当たった。
何かと思って振り向いた。

同じように振り向いた大きな体躯の男が立っている。
「なんだ?小僧。」
どうやら当たったのは奴のさしていた刀の鞘。
頭上を覆う大きな影がねめつけるような瞳で自分を見ている。
「小僧のくせに大層なモノ、持ってんじゃねぇか。」
すこしばかり凄みをきかせたその声色に
ああ、コイツはわざとやったんだ、と直感する。
剣士ならこんなヘマはしねぇ。
不相応に見えるこれを狙っているのだと。
男の手が伸びる。
脇にさしている刀に向けて。

「触るんじゃねぇ。」

ぱん、とその手をはらった。
その行動が思いもよらなかったのか、
男は目を丸くして嘲笑を浮かべる。
「なんだ、この餓鬼。」
中年にもさしかかろうとしている男の目には
自分は十分すぎるほど子供に見えるのだろう。
その子供に勢いよくはねつけられて、
男の眉間にはきつく皴が刻み込まれる。
「餓鬼のくせに一人前の剣士のつもりか。」
「餓鬼のモノ、取り上げようとしてるお前に言われたくねぇ。」
放った一言に男の口元が奇妙にゆがんだ。
相手にするのは馬鹿馬鹿しいときびすをかえそうとして、
男の長い腕にそれを阻まれる。
「小僧、生意気言ってんじゃねぇぞ。」
奴の目はぎらぎらしながらこちらを睨みつけていた。



こういうことは正直初めてだった。
ほんのすこし前まで住んでいた村は小さく、
顔見知りだけでその世界は埋まっていた。
喧嘩っぱやい自分に刃を向ける人間なんて限られていて、
それも手の内を知っているような奴らばかりで、
稽古以外の真剣な切りあいなんて

いつかは訪れると思ってはいたけれど、
今こうしてそれは目の前に立ちはだかっている。


刀の柄に手を伸ばした。


「気にいらねぇんなら、抜けよ。おっさん。」



男の顔色が真っ赤に染まった。
その腕が刀のほうに向けられるのが視界に映った。


言葉とは裏腹に、
拍動が耳障りなほど響いている。
緊張、とでもいうのだろうか。
奥歯に妙な負荷がかかっている。

恐怖、ではない。
目の前の男の緩慢な動きにそんなものは感じていないと思う。
切りあえばきっと簡単に決着がつくのだろう。
自分が負ける気はまったくない。

それでも漂うこの高揚感と、
得体の知れない感情。
ざわざわと昇ってくるような悪寒。

それは今までに体験したことがないもの。


すらりと抜かれた白刃。
鈍い日光がそれをぎらりと輝かせる。
相対している奴が抜刀する。

上背があるのにその威勢を誇るかのように
上段に構えるヤツに対し、
平正眼の位置に刀を取る。
切っ先をヤツの眉間に。

上段に対する正眼の構えは
ちょっと剣の道をかじった人間には当たり前のことだ。
かまうことなく間合いをつめようとするヤツは
きっとまったくの素人だ。

それでも

なんだろう、
これは

畏怖にも似たこの感情は。


予測した方に事は運ぶ。
闇雲に振り下ろされる剣激をかいくぐった瞬間、

男の咆哮がこだました。




スローモーションかと思えるような静謐な世界。
胸に詰まった息を吐き出す一瞬でさえ
止まってしまったかのように。

刃先で流す、とか
峰打ちだとか
自分には選択する余裕があったはずなのではないのかと思う。



けれど視界は


鮮烈な紅で染まる。



耳をつんざくヤツの叫びは
自分以外の人間にははっきりとひびいたようだ。
呆然と立ち尽くしていたら、
周囲に徐々に人の輪が出来はじめていた。

冷えていく頭に
手首を押さえてのたうちまわっているヤツの姿が映った。
思考はやっと正常に。
ぬるりとした感触が不快で見てみると、
握っていた柄の部分にまでべったりと塗りつけられた返り血。
きっと他の場所にも飛んでいる。

ヤツが必死になって押さえている手首から上にあるはずの部分は
数歩離れた場所にごろりと転がっていた。


血濡れた刀をしまいこんで、
できつつある輪から離れた。
声をかけられるのを恐れた。
走りぬけた。

はじかれたように。



鼓動はまだ大きく打っている。
どくん、どくんと波打ち、
耳の奥が火照ったように熱い。

駆けるだけ駆けて、
見たこともない大きな建物の影に辿り着く。
壁に凭れかかって、
ずるりとその場にしゃがみこんだ。

これは、
一体なんなのだろう。

間違いなく
今自分は勝利を手にしているのだというのに。
竹で出来たおもちゃのような刀ではなく、
剣士として高みを目指す自分の
記念すべき勝利であるのに。

敗走したかのような消失感。

嬉しさなどは微塵も感じていない。
襲ってくるのは
圧倒的な混乱。

フラッシュバックするかのように
鮮血をまとうヤツの手首が
放った閃光の上に舞い踊る。
したたと振りまかれた紅。
当たり前のように振っていた刀は
本来こういう使い方をするものなのだと、
今ようやく悟ることができたのだ。





そう、
踏み越えた。

もう戻る事はない場所へ。








**********************







無邪気に走り去っていく子供達の後姿を眺めて、
ふと大きな隔たりに気付く。

夢を追っていくのはきっと当然。
けれどその前にそびえる壁に気付いて、
走る事をやめるのもきっと仕方のなかったことなのだろう。


あどけなく語った未来。
それだけでよかった幼い日々。
脳裏に浮かぶ友達の笑顔は
今もなお褪せることなくこの胸の奥に。

この顔を見たら
彼らはなんと思うのだろう。
人を切り続けてきたこの両腕を
久しぶりだと握ってくれるのだろうか。
恐れのない微笑みは
彼らの顔に浮かぶのだろうか。

選んだのは自分。
後悔することはない。

続いていく高みに行き着いてみせると決心した。



けれど、

夢を語ったあの頃。
たわいない話を夜更けまでしていた。

たくさん語ったはずなのに、





今はそれがどういう気持ちだったのか、




輪郭ははかなく滲んでいる。


振りぬいた刀の数だけ。




それでも歩き続けていくのは
きっと剣の魔性にとりつかれちまったのだろう、と


自分で自分を慰める行為に吹き出しそうになった。



ガラじゃねぇな、こんなのは。









駆けていく少年達の姿は
どこか遠くで楽しげな風を吹かせて

あっという間に消えた。


end



とうこさんちでフリーになっていたのでかっさらってきました
一目惚れでした。
って言うか 堪りません
まともに今でも感想書けません。
子供の夢がそれが現実味を帯びたとき
途端に生々しく血を流して
嗚呼。
ごちそうさまでした。

inserted by FC2 system