『目を閉じておいでよ』
とうこ様

 





瞳はいつも前を捉えていた。
伸びていく影の先。
長い長い影法師は、濃く深く。
耳を覆うはしゃぎ声はどこか遠い所で賑わっている。
メシの支度は?と問われる声。
ああ、もうできてると答える口。
銜えているタバコの先のほころんでいく灰が、
けだるい海風にさらわれては
溶けるように散った。
残り少なくなったそれを海へと投げ捨てる。

どこまでも続いている眼前の海原。

一人きりでいるのは
こんなにも痛いのだと、
離れたところに立つ人の肩をなでる指先を見つけるたびに
胸の内に刺さる棘がその力を増していくような気がした。

妬いてんだろ?と
その場に立ち尽くす俺にかけられる殴ってやりたいほど無邪気な一言。
そんなことを言ってのけるのはかつて同じ気持ちを持っていた船長。
てめぇだってそうだったろうが、と返してやると、
もう昔の話だ、と涼しい顔で答えた。
お前みたいに未練たらしくないんだ、俺は。
未練、という言葉に、
もう行き着く場所はどこにもないことを感じる。
あそこに割り込む隙間なんてないだろう?

長い影法師の先端に、
たたずむ二つの影。
ただ戯れの会話。
そこに潜むは濃厚な縺れあう舌。
自らは気付かない。

切り離された輪の外からは、
それがこんなにもはっきりと見えるのに。

歩けば数歩の距離。
でもそこは踏みいることのできない場所。
色鮮やかな陽炎。

けれど、それも
もうそろそろ離れていかなければならないと、
己の中で警鐘の鐘が鳴る。

留まり続けてなじみすぎるは自分の卑小さを見つめ続けること。
出会いの遅さを呪い、
違った中身を望む愚かさを目の当たりにしていくのに、
もう疲れ果てていた。

傍らに立つ船長の麦藁帽子が低く動いた。
ヤツの目にはもう俺のような暗い炎は灯っていない。
火花散る一瞬の出会いに、
ヤツの心は暗い吹き溜まりから解き放たれた。
彼女はもうヤツのそばにいなくても、
強烈な閃光は光彩を褪せることなくその心に焼き付けたのだろう。
おだやかな笑い顔がヤツの顔を包む。

俺もそこに行き着けるだろうか、と
寂しくなった口をまぎらわせるタバコに火をつけようとした。

ポケットに入っているはずのマッチを探ろうと、
視線を脇にずらした。
前方から注意がそれた。

そのとき、

背中にふと視線を感じる。

それがなんなのか
見てみようとすこしだけ振り返った。

なぜだか
周りに気付かれないように、
ゆっくりとマッチを探すフリをして、
指先にはとっくに固い箱の角があたっているのに、
隠れていはずの左目で、
肩越しにその視線の主を覗き見る。

気取れらないように、
ひっそりと、

そんな目に映ったのは
壁に凭れて立っている
濃くなっていく夕影に塗られたオンナの人。

隠れていたつもりが、
目が合った。


彼女は俺に気が付いて、
真っ黒な瞳を逆さまな三日月のように細めて、

けれどなぜだか
悲しそうに笑った。

俺はその視線を放すことができず、
メシにしようかとその場をごまかしたまま、
体ごと振り返ってキッチンへ向かった。

彼女の視線は
俺が動いた位置から反れることはなかった。





「ご苦労様。」
習慣になっている見張り番への差し入れを持って、
俺は長い梯子を昇りきった。
持っていく相手が野郎なら面倒くさいことだろうけれど、
相手がオンナの人なら話は別だ。
足取りだって軽くなるってもんだ。
「あら、もうそんな時間なの?」
薄暗いランタンの光に照らされて座っている彼女の隣に、
夜食が入ったバスケットを置く。
反対側には分厚い本が3冊ほど置いてあった。
「寒くねぇ?」
「ええ、大丈夫よ。」
読みかけのなにが書いてあるんだかさっぱりわかんねぇ本を閉じて、
彼女は俺の方を向く。
「いつもありがとう。」
やわらかくて仄かな光が、
闇に溶けるような彼女の黒髪をつややかに彩る。
真っ黒な大きな瞳に、
一つ灯る炎がゆるく光っていた。
「目、悪くなんねぇの?」
閉じる前に覗き見た細かい文字。
彼女はおもしろそうに俺の顔を見て微笑む。
「慣れてるからどうってことないの。」
ああ、そんなもんなの、と返した俺を見てまた微笑んだ。
「今日の差し入れは何?」
「ああ、ごめん。ごめん。」
俺は彼女の隣に置いたバスケットをごそごそと手探りする。
立ったまま手を突っ込んでる俺がおかしかったのか、
彼女はやはり笑ったままだった。
「座ったら?」
ゆっくりと体をずらして俺が座れるくらいの空間を空け、
どうぞ、とそこを指差す。
「たまには二人で夜食を食べるのもいいじゃない。」
アナタがつくったものなんだしね、
と膝を抱えたままの姿勢で促す。

立ったままごそごそやってる動作が急に気恥ずかしくなって、
俺は言われるままにその場所に腰を下ろした。
「んじゃ、失礼します、っと。」
腰を下ろしたときにぶつかった体が
妙に近すぎてびくりと震えた。
気付かれないようにと、
笑ってごまかす。

「まずは飲み物でも、お姫様。」
小瓶のワインの栓を抜き、
バスケットに入れてきた小さめのグラスに注いだ。
野郎のときはラッパ飲み推奨。
オンナの人にはそんなことはさせねぇ。
「見張りにお酒の差し入れって、
 いつも思うけど、変よね。」
グラスを手渡されて彼女が笑う。
「あったまるし、気分も良くなる程度ならいいんじゃないの。」
まぁ、そんな真剣に見張らなくっても
別になにか起こるって事の方が稀なんだし。
一体見張りがなんの役をなしているのか最近かなり不明瞭。
まぁ、どうでもいいことだけど。

彼女は手渡されたグラスに、
うすい唇をつけた。
夜の闇を吸い込んだようなその色は
決しておいしそうとは形容しがたかったけれど、
深い鈍色はするりと彼女の喉に流れた。
「ジュースみたい。」
甘口のそれは彼女の好みではなかったかもしれない。
「まぁ、気分転換の一口ってところね。」
「あんまりうまいの出しちゃったら、足りなくなっちまうからね。」
「計算上手なのね、コックさん。」
彼女は笑ってもう一口それを飲んだ。

彼女に夜食のサンドウィッチを手渡して、
空いたグラスに手酌でワインを注ぐ。
くいと飲み干したそれは、
彼女の言葉どおりお酒というよりジュースに近くて、
強い果実の芳香を残していた。

「はい。」

差し出されたのは半分のサンドウィッチ。
おいしいわよと噛り付きながら。
味見したからどんなものかはわかっている。
それでも口にしたその味は
一人で作っていたときよりもずっとずっとうまかった。

「うまいね、これ。」
「自分で作ったんでしょう?」
彼女はふふふと笑う。
俺の顔を見て。

屈託のない笑顔はとても無防備。
いつもそこにたたずんでいたのに気付かなかった。

「なぁ、ロビンちゃん。」
何?とその黒い切れ長の瞳がこちらを向く。
「何か聞きたい?」
さっきからずっと微笑んでるその顔。
なんの勘ぐりもなければただ嬉しいと感じることができそうな笑み。
けれど俺には素直にそう受け取ることができない。
「いつも誰を見てんの?」

背中に刺さる直線。
感じたのはつい最近。

振り返った時に勘違いしなかったのは、
隣に俺以外のヤツがいたから。

そこから俺は彼女の視線の先を探した。
食事のテーブルにつくまでの短い時。
食事中の会話の端をかすめる瞬間。
それぞれが自分の時間に戻り始めるドアを開ける仕草の傍ら。

彼女に気付かれないように。
隠れている左目でそれを。

「聞かなくっても知っているんでしょう?」

彼女はこっちを向いたまま、
なんでもないことのように言う。
「うん。」
答える俺も、
日常事を話すように。
「俺じゃなかったから、わかった。」
そう、答えた。


彼女がこの船に乗り込むきっかけをつくったのはアイツだったという。
そこにどんな会話が成されたかなんて俺には知る由もなかったけれど、
アイツのことだ。
きっと突拍子もないことを言ったに違いない。

いつもストレートに人の胸を突き刺すヤツの台詞。
彼女はそれに

堕ちたのだ。


「ヤツが好き?」


俺の問いに
微笑んでいたはずの彼女の顔が翳った。

「ええ、そうね。
 そうだったのかもしれない。」

一瞬の閃光は眩すぎて俺の目をくらませる。
すでに過去を指し示す彼女の言葉は、
とても不思議な気がした。

「もう、過去形?」

キミの目はあんなにヤツの姿を追っているのに?

「ええ、過去形。」

正面にさざめく波間を眺めて、
キミの目にはなにも映ってはいないのだろうか。

ぼんやりと眺める先に
あるのはただの暗い海。

「あんな人に会ったのは初めて。
 全部を捨てようとしたアタシを拾ったときに恋に落ちて、
 この船に乗ろうと思った時にこれを捨てたわ。」

キミが縋っているように投げかける視線はそのなごり、
そんなふうには見えないんだけど。

「どうして?
 好きならそれでいいんじゃねぇの?」

「あの人はなにも曲げないでしょう?
 アタシもそうだってだけのこと。」

短い言葉ではわかりそうにない。
でも、
彼女は言葉を切ろうとしている。

「そんなもんなの?」

「後を追っていくほど、
 アタシが費やした時間は短くないってことだけ。」

彼女は選んだ。
きっとあの瞬間に彼女の前には二つの道が示されて、
その二つの道にはおおきな隔たりがあって、
彼女はその一つを選んだ。

「そんなのさみしくねぇ?」

「馬鹿ね。」

まっすぐ前だけを見る瞳の色は深い海の底のよう。
光さえ届きそうにない深淵に留まる事を選んだ決意が

いっそ悲しいほど。



「さみしいから見てしまうんだわ。」




微笑をかたどるような逆さまな三日月。





ああ、

そういうことだったんだ。



「アナタならそれがわかるんでしょうね。」



決定的とはこのこと。

きっと彼女の目には、
俺の顔に映る逆さまな三日月が描かれていた。


彼女は自分の意思で拒絶した。
俺は拒絶できずにまだここにいる。

境遇はまったく別次元。

でも、
焦がれる想いはどうしようもなく似ている。


「痛い事言うね、ロビンちゃん。」

馬鹿馬鹿しいことだと思っていた。
どうしようもない心の乱流を
ねめつけるような視線を送るだけで振りきろうとしていた自分が。
彼女のような強さがあったらなぁと思った。
でも、
そんな彼女も結局はそこから動くことができない。

弱虫な俺達はお互いの顔を見やり、
ふふふと笑いあった。

「そうなんだよ、目は正直なんだよなぁ。」

まいったよ、と頭をかく俺の姿に、
彼女のやわらかな笑みが注がれる。

「いっそ閉じたらどうなるんだろうね。」

追いすがる視線の先から解き放たれれば、
そこにいるのは一体誰なんだろう。

そんな気持ちがふと俺の中に湧いた。

「閉じてみればいいじゃない。」

「ロビンちゃんこそ。」


いつしか俺達の間に漂っていたのは、
確信犯的な悪戯心。

瞳を閉じたときに感じるのは、
きっと
お互いの体から発される上昇した体温。

互いが欲しがって、
手に入れることができなかったモノ。

「目、閉じてみる?」


今そうしたなら、
きっと俺にはキミしかわかんないと思うんだけど。


キミが嫌じゃなけりゃ、
そうしてほしいんだけど。


傷を舐めあうような行為と取られても仕方ない。
でも、
それとはすこし違うような気がするんだ。

埋まらないピースを
埋まったような錯覚に陥ってみたい。
ちょっとくらいは馬鹿ねって、
包んでくれるその腕に溺れてみたいと思っちゃってるんだ。

キミがヤツのことを想ってるならそれでいい。
俺があの人を想ってるままでいいなら。

それはどこまでも続く平行線なのかもしれない。
交わらずにまっすぐに伸びるだけの。

でも、
きっとかすめるように寄り添う。




今はこんな程度。
始まりからパーフェクトなもんなんて
めったにお目にかかれるもんじゃないよね。

俺達はきっとそれを知ってると思うんだ。
遠回りしてるぶんだけね。



ゆっくりと目を閉じようとしてるその顔に、
恐る恐る指を伸ばした。
指先に彼女の頬が触れる。

踏み出した一歩ははるかに大きいのかも。

ありのままの自分でいいことに安堵して、
彼女の形のいい顎をなでた。

「どうするの、これから。」

まだしっかりと閉じられないその瞳に、

俺はささやく。



「ねぇ、

 早く目を閉じなよ。」






そうしなきゃ、



まだ始まってもいないんだ。









end


読んだ瞬間すげぇと思いました。
思わず声があがる私・・・・
サンジが物凄くカッコイイしさぁ、
ロビンの位置も最高だし

とうこさん、こっち側に洗脳してよかった
心底思いました・・・・・・
ごちそうさまです
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