わが天性はいかに嘆かわしきものか
わが罪はいかに深く汚点(しみ)を残したるか
悪しきものは、わが邪(よこしま)なりし魂を束縛せしめ
奴隷の鎖をしかとつなぎたり
死すべき者の耳をして傾けしめ
死すべき者の心をして喜ばしめ
福音のラッパの響きのごとく
魅せられるがごとき声なりき
今頃、彼はこのメイジスト派の賛美歌を歌っている頃だろう。
自分はメイジストの牧師でもないのに、彼はここから遠く離れた地で、
メイジスト派の人々の為にこの賛美歌を歌っていることだろう。
この教会に来て初めての1人の夜をナミは過ごす。
独りぼっちの夜。
窓の外は雪。
ゆっくりと降るボタンの形をした雪。
ナミは古びたソファのいつもはゾロが座っている位置に座って時を過ごす。
独りぼっちの夜。
今まで何度となく過ごしてきたはずの独りぼっちの夜。
ナミは生地が薄くなって久しいクッションを引き寄せギュっと抱きしめる。
怖くなんかない。淋しくなんかない。
言い聞かせるようにそう心の中で呟き、そのクッションに顔を埋める。
―――1人っきりの夜は・・・こんなに静かだったろうか・・・?
『ルカの福音〜ナミのある一日〜』
開拓民の神への信仰は強い。その信仰は単純だが確固たる思いであり、屈服しない強い意志の源でもあった。荒野での困難な生活、厳しい労働に安らぎを与えるものは常に信仰であり、神であり、教会であり、そして牧師であった。
開拓民達は難事を切り抜けるための強さと道しるべを常に神と牧師に求めた。
教義とか信条とかは二の次で、難しいことはそこら辺にうちやって、慰めになるような言葉、自分たちを活気づける要素だけを信仰の中から吸収していった。
それはまるで人々が大草原の汚れない空気を吸い込み、呼吸をしているのと同じくらい自然な営みであった・・・。
西部の開拓民は入植したその日から夕べの祈りを欠かさず・・・。
朝晩の聖書の朗読を怠るものなど1人もいなかったのだ・・・。
―――必然的に西部の牧師は常に忙しい。
人々が牧師の存在を熱望したにもかかわらず、西部における牧師の数は非常に少なかったからだ。牧師だけではない。教会ですら建っている所など稀だ。
<イーストタウン>のように町に教会があり、ましてや専任の牧師が常駐してることなど皆無だ。
長老派、メイジスト、ルーテル派、バプテスト派、一神論者、米国聖公会・・・。
色々な宗派の人々が西部の開拓民の中にはいたが、人々は宗派にこだわることなく牧師を熱望している状況だった。
日々の礼拝は勿論、洗礼、結婚式、葬儀を執り行う聖職を授けられた牧師を見つけることは開拓民達の差し迫った日常の問題でもあったのだ。
そんな中でゾロがあの教会で週に一回だけの礼拝を悠然と仕事にできるわけもない。今日はこの町で葬儀、明日はあの村で結婚式と、ゾロはとにかく毎日、忙しく慌しい生活を送っている。
今日もゾロは町から遠く離れた地域にある、急ごしらえでできた砂金掘り達の村へ泊りがけで行っている。
砂金堀り達の村は村というより、みずぼらしいキャンプに近い。
砂金を求めて西部中を旅している彼らが、牧師に実際会えるチャンスは生涯数えるほどしかない。きっと村の人々は一張羅の服を着こんでゾロを出迎え、彼に話しかけるのもためらうほど緊張し、何か不都合なことはないかと気を配り、丁寧の上にも丁寧を重ね彼の来訪を心から感謝していることだろう。
西部において牧師とはある意味「神」に最も近い人間なので、存在するだけで尊敬を集めるものなのだ。
きっとゾロは今頃、「やめてくれ!」と自分の対する慇懃な態度を改めるように、怒鳴っているかもしれない。
ナミはそれを簡単に想像できたので思わず1人で笑った。
彼女は今、教会で独り、留守番をしている最中だ。
ゾロは出かける前にナミに「ロビンのところにでも行け。」と命じたのだが、子ども扱いされていると感じたナミはその提案を頑なに拒否した。
たった一晩の留守番などどうってことない。
何年1人で西部を旅してきたと思っているのだ。
1人で留守番をするというナミの答えに、口をへの字に曲げて不満の態度を表したゾロだったが、言い争う時間もなかったので「何かあったらすぐ町に行けよ。」と何度も念を押してから馬で出かけていった。そんな彼の背中にナミは「イーッ」っと舌をだして見送った。
「邪魔者が居なくなってせいせいしたわ!」
ナミはゾロの姿が見えなくなるまで見送り、それから勝ち誇ったようにそう言いながら、意気揚々と教会の中に入っていった。
まず、彼がいてはできないことをする。
2階に上がり、自分の衣類の入っているチェストから下着を引っ張り出す。先日洗ったものだが、実はまだ乾ききっていない。それでもゾロの目につく所に下着をかけておくわけにもいかないので、そのままチェストの中にしまいこんでいたのだ。
ナミはそれを手にし階下に降りた。『アニー・ローリー』を鼻歌で歌いながら、暖炉の前に乾ききってない何枚かの下着を置いていく。西部の女は下着をつけないと思い込んでいる南部や東部の人も多いが、そんなことはない。まぁ、中には小麦粉会社の広告のついた袋で作った下着もあるけど、それは生活の知恵というもので、西部ではどこの家の物干し縄にもそんな賑やかな下着は干されているものだ。
下着を堂々と乾かしている間に今度は新たに洗濯だ。
ナミは今自分が着てるドレス以外の服を全部今日中に洗うつもりだった。
西部には都会のように給湯設備や絞り機はない。
大量に湯を沸かし、軟石鹸をたくさん使って、洗濯板と固いブラシで擦ったり、たたいたりして染み込んだ汚れを人力で落とすしかないのだ。
これが想像以上の重労働。
ナミはその作業に3時間を費やした。それから3時間かけて綺麗になったドレス類を縄に干し、それでも足りない分は塀や潅木の上に広げて乾かすことにした。
雪が降ってないのがラッキーだった。ナミは作業を終えると、まだ雪を降らす気配のない空を見上げてから満足げに、額に浮かんだ汗を拭った。
その後、食堂に戻りソファに座って、山のようにあった繕い物を片っ端から片付けた。もうどうしても使えそうにないハギレは後でパッチワークに使うことにする。こみいった星型の模様か、花びらの模様か、それとも幾何学模様にしようか・・・。それでカンザスにある英国貴族出身の優雅な開拓民たちの家のテーブルを飾っているのと同じようなテーブルセンターでも作ったら、この教会も少しは素敵に見えるかしら?
そんなことを思いながらナミは次に子供達の為に使っているたった2冊しかない教科書、『マッガーフィーズ・リーディング』をとりだした。破れた箇所をのりを使って慎重に修理する。これから何年先もお世話になる教科書だ。大切に扱わなくては予備はなかなか手に入らない。
それから授業で使う石板の枠に赤いフェルトでカバーをつけてやった。これで少しはこの古臭い、何年も使いまわされてきた石板も可愛らしく見えることだろう。その後、その石板に糸で鉛筆を結びつける。明後日の授業でこれを見せれば子供達は喜んでくれるに違いない。
その光景を頭に思い浮かべながら石板を片付けていると、もう夕暮れがせまっていることに気づく。
あらあら・・・ナミは少しため息をつく。結局日常の雑多な仕事に追われたいつもの一日を送ったのだ。
この間、ロビンの店で買った無漂白のモスリンの生地を青味がかかった素敵な灰色に染めることも、キャラコのボンネットの上にエレガントなフリルを飾ってやることもできなかった。
「しょうがないわね・・・。」
ナミはそう独り言を言い、天日に干しているドレスを回収する為に外にでた。
空は夕暮れのオレンジに染まっており、遠くの山脈の上には一番星が輝いている。
かなり寒くなってきた。日が暮れる頃には雪が降ってくるだろう。
ナミは山のようになったドレスを手に一回身震いをしてから慌てて教会へ戻った。
乾いた下着と交換するかのように半乾きのドレス類を暖炉の前に並べる。
さて夕食をどうしようかと思うと、何となく作る気がしなくなった。
食べてくれる人がいないとこうもやる気がなくなるものか・・・。残っていたパンを暖炉の火であぶって・・・昨日作ったかぼちゃのスプレッドが残っていたはずだ。あれを塗ってそれにベーコンのニ切れでも添えれば空腹はとりあえず満たされるだろう。
ナミは早速簡単な夕食を用意し、簡単にそれを食べた。
その頃にはすっかり日も暮れ、外は真っ暗に・・・そしてとても静かになっていた。
町から離れているこの教会の中は、一人ぼっちだと驚くほど音がしない。
聞こえてくる音といえば、自分の呼吸する音、自分が歩く時についてくる衣擦れの音、時々爆ぜる暖炉の薪の音、古い教会の壁が軋む音。
そして、外からは雪を巻き上げる風の音、微かに聞こえるコヨーテの遠吠え・・・。
それだけしか聞こえてこない。
「・・・・・・・・・・・。」
ナミは汚れた皿を流しの中に置いた後、しばらくそのまま突っ立ってその1枚きりの皿をじっと眺めていた。
どれくらいそうしていたのだろう・・・。
何かとりとめもないこと・・・今頃ゾロは何をしてるんだろう・・・なんてことを考えていたナミはハッとなって慌てて皿を洗った。
1枚きりの皿は簡単に綺麗になった。
「・・・・・・・。」
やることなんてもう終わりだ。ナミはそこら辺に広げていたドレスを回収し始めた。皺だらけのモスリンやキャラコやギンガムのドレスはアイロンをあてないと着る事も出来ないのだが、今からそれをするのも億劫なので明日の仕事にする。時間はあるのになぜかする気が起きない。
昼間にあったやる気はどこへやらだ・・・。
夜になると急に心細くなってきた。
この教会には今自分しかいない。
ゾロがいない。
いつも彼が座っている古びたソファは今は主をなくし、ひっそりと佇んでいる。
ナミは腕にかけていたドレスをテーブルの上に置くと、そっとソファに近寄り、ちょこんとそこに座ってみた。
彼がいつも座っている左端に寄ってみる。
「・・・・・・・・・・・・・・。」
今頃、彼は何をしているんだろう・・・。礼拝をずっとひっきりなしにしているんだろうか?貧しい砂金掘り達の心ばかりのご馳走を食べてる頃だろうか・・・。
―――あの歌を・・・・。
あの賛美歌を歌っている頃かもしれない・・・。
メイジストでもない彼が・・・・メイジストの砂金堀達の為に・・・。
あの自分には少し痛みを伴なうであろう賛美歌を・・・
それでもあの低い抑揚の効いた声で歌っているのだろうか・・・。
わが天性はいかに嘆かわしきものか
わが罪はいかに深く汚点(しみ)を残したるか
悪しきものは、わが邪(よこしま)なりし魂を束縛せしめ
奴隷の鎖をしかとつなぎたり
死すべき者の耳をして傾けしめ
死すべき者の心をして喜ばしめ
福音のラッパの響きのごとく
魅せられるがごとき声なりき
―――独りぼっちの夜。
今まで何度となく過ごしてきたはずの独りぼっちの夜。
ナミは生地が薄くなって久しいクッションを引き寄せギュっと抱きしめる。
怖くなんかない。淋しくなんかない。
言い聞かせるようにそう心の中で呟き、そのクッションに顔を埋める。
―――1人っきりの夜は・・・こんなに静かだったろうか・・・?
ナミはしばらくしてソファから勢い良く立ち上がると、暖炉の前に行き、黒く積み重なった薪に足で灰をかぶせて炎を消した。それから壁のフックにかけてある自分のガンベルトをとり、さっさと2階へとあがる。
小走りで自分の部屋に入り、ドサッと音がするほど勢い良くベッドの上に座り込む。
身体がバウンドするのを気にすることなく、ホルスターからビズリーをとりだし、弾が装填されていることを確認する。続けてライトニングもみる。
確認した銃をチェストの上に置き、ナミは手っ取り早く夜着に着替えた。
髪を梳かすことも、寝る前の聖書の朗読も、簡単なお祈りさえもせずにベッドの中に潜り込む。
頭まですっぽりと布団を被り、しばらくそのままでいる。
コヨーテが啼いている。冷たい北風が彼らの声をここまで運んでくる。
身体がビクッとなるのをとめることができない。
階下にゾロがいない・・・。
ゾロはいないのだ!
助けてと叫んでも、怖いと喚いても、その悲鳴が届かない程遠くの地に彼はいるのだ。
「・・・・・・・・・。」
ナミは固く目を閉じ、ギュッと唇をかみ締めた。
情けない!たった一晩の彼の不在をこんなに心淋しく思うなんて・・・!
ナミは今までの事を無理矢理思い出していた。
男装して荒野を疾走し、男相手に何度もケンカをし、賞金稼ぎの真似事もしてきた。
1人の夜しか知らなかったじゃない!!
ナミは呪文のようにそう心の中で呟き、
何度も寝返りをうち、コヨーテの遠吠えに耳を塞いだ。
眠れない夜はとても長く感じられた。
*
明るさに反応して目が覚めた。
目が覚めたということは眠っていたということだ。
いつの間に眠っていたのだろう・・・・。ナミはまだ重い目蓋を手でこすり、ゆっくりとした動作で上半身を起こした。
窓を見ると、雪はやんでいて明るい日差しが差し込んでいる。
光になれない目をしばたかせてからナミは布団からのろのろとはいずりでた。
ひどく寝坊したような気がするが、ゾロがいないのでそれもわからない・・・。
ゾロが・・・・。
そうだ!
ナミはいきなりしゃんとなった。ベッドの上に座り背筋をのばす。
今日はゾロが帰ってくる!帰ってくる!
何だか、ベッドの上でのんびりしてるのが勿体無い。
ナミは慌ててベッドから飛び降りた。チェストの蓋を開けると中は空っぽだった。
そうだ!昨日着ていた服以外、全部洗ったのだ。ナミはピシャリと額を一度打ってから床に脱ぎ捨てられている昨日のドレスを見た。張り切って洗濯をしたせいで裾がひどく汚れている。これを再び着る気にはなれない。ナミは慌てて部屋を飛び出した。
夜着のままで階下に降り、食堂に入ると、テーブルの上にはドレスの山があった。
ナミは唸ってから「よし!」と覚悟を決めると、そのまままずアイロンをすることにした。
ゾロの不在は町や村の皆が知っている。牧師不在の教会にこんな朝からやってくる人もいないだろう。ナミは無作法にも夜着のままでその作業を始めた。
やる気のでたナミの手は俄然早かった。あっという間にアイロンをあて、皺くちゃだった布を次々に小奇麗なドレスに変えていく。
そしてそのまま一番お気に入りのキャラコのドレスに着替えた。
勿論、食堂でだ。一応辺りを気にしながら、夜着を脱ぎ、下着も換える。礼拝堂に近い場所で一瞬だけでも裸になった事実を十字をきって神に謝罪してから、ナミは素早くドレスの袖に腕を通し、その上からパリッとのりのきいたモスリンのエプロンをかけた。
ゾロがいたら考えられない行為だ。
ナミはクスクス恥ずかしそうに笑いながら、アイロンのかかったドレスと、乾ききった下着をもって2階へあがった。
綺麗になった衣類をたたみ満足げにチェストの中にしまいこむと、早速階下へ戻る。
朝ごはん・・・どうしよう?
あぁそんなことをしてる時間が勿体無い!頭の中で素敵な計画が持ち上がった。
今日は手の込んだご馳走を作ることにしよう!泊りがけの仕事から帰ってくる彼の為に、ご馳走を作って出迎えよう!
ナミは食堂の中を熊の様にうろうろ歩き回りながら、素早くメニューを考え始めた。
まずは白パンを焼こう!いつもは<バラティエ>で貰ってくるが、今日はここでパンを焼くのだ。食パン型が教会にはないから後で<バラティエ>に行って型を貸してもらってこなくてはならない。パン種を入れた生パンを丁寧に布で包んで、暖炉の前の暖かい所において置けば、夜までにはいい軽さに膨らむだろう。あぁこの作業は今からすぐにしないと夕食には間に合わないわ!あと蒸して作るボストン・ブラウンパンも作ろう。2種類のパンがテーブルに並ぶなんて何て贅沢だろう!
ケーキも焼くのも忘れてはいけない。
彼は甘いものはあまり好きではないみたいだけど、3段重ねのクリーム・レヤー・ケーキなんてものを作りさえしなければ、食後のデザートで食べてくれるかもしれない。そうだ卵白でふわふわに焼いたエンジェル・ケーキはどうだろう?それとも濃いチョコレート色したデビルズ・フッド・ケーキ・・・いや、教会での食事で「デビルズ」は駄目か・・・。やっぱりデザートはエンジェル・ケーキにしよう。本当なら桃を使ったパイを作りたいところけど乾燥果物は一晩水につけてもどさないと使えない。今日の夕食には間に合わない。残念。
その代わり、パンにつけるスプレッドは3種類は用意しよう。なすのバター、かぼちゃのバター、林檎バター・・・。これだけあれば食も進むだろう。あと肉もどこからか手に入れないと・・・。豚肉か鶏肉・・・。どっちかが手に入れば、茹でたり、焼いたり、揚げたりできるのだけど・・・。サンジ君にウィンクを1つサービスすれば、肉は何とかなるだろうか?
ウズラ豆とササゲ豆は納屋の麻袋の中にまだあったはずだ。インゲンもあるがゾロはあまり好きではないらしい。インゲンが嫌いだなんてカウボーイと同じだ。全くへんな牧師!
ナミはそう考えながらフックにかけてある赤いコートを手にした。それを羽織って勝手口から外へ出る。
一晩で雪がかなり積もっている。
町まで馬で行こうか、歩いていこうか・・・。
帰りには荷物がたくさんになるかもしれない。よし馬だ。
ナミは早歩きで馬小屋へ向かった。
<バラティエ>の前まで馬で乗りつけ、雪の大地に降り立つ。店の前にあるヒッチングポスト(馬をつなぐ為の杭)に馬をつなげようとして気づく。
杭の頭に手を置き、それを左右に揺らすとが頼りなげに動く。どうも根元が度重なる雪のせいで腐っているらしい。これではポストにならない。
ナミは肩をすくめてから、足早に階段を上り、<バラティエ>のスィングドアを開けた。
「ヒッチングポスト、いかれてるわよ。」
開口一番そう言って、カウンターの中に居たサンジをじろりと睨む。
「店に来る客来る客、全員に同じこと言われてるんですよ・・・。」
サンジは珍しく、ナミに向かってうんざりした口調で答えた。カーペンターのゲンは忙しいので、きっとサンジに杭打ちくらい自分でしろと言ったに違いない。
ナミは苦笑した。サンジはため息をついてから場の空気を換えるようにニッコリ笑うとカウンターに近づいてきたナミに声をかける。
「パン、もうすぐですから。今日は奴も帰ってくるからいつもの量でいいですよね?」
「ううん、今日はパンいいの。その代わり食パン型貸してくれない?うちで焼きたいの、パン」
ナミは首を左右に振りながら答える。サンジは少し驚いたような顔になったが、すぐに頷くと「お安い御用」と言って、厨房へ消えた。すぐに戻ってきた彼の手にはしっかりした食パン型があった。
ナミはそれを受け取ると、礼を言い、すぐに店を出て行った。
「・・・うちねぇ・・・。」
スィングドアの向こうに消えるナミを見送ったサンジは、微かに笑いながらポツリと呟いた。
ナミはその後、ロビンの店に向かった。
店に入り、まずケーキの為の卵をカウンターの上に探す。
3ダースで25セント。少し高いけど、思い切って買おう。「いらっしゃい。」と店の奥から顔をだしたロビンに向かって卵を欲しい旨を伝え、持ってきたバスケットをロビンに差し出す。
ロビンは手早くその卵を小さなバスケットに入れ替えてくれた。
「昨日はどうだった?1人で淋しくなかった?今日は戻ってくるのよね。嬉しい?」
ロビンはいつものように軽く笑いながら意味深な口調で聞いてくる。東部から取り寄せられたメープル糖の瓶や、ニューヨークから来たばかりのチーズを物色していたナミはそれを聞くと、頬を少し赤くしてから慌てて「全然ッ!うっ・・・嬉しくなんかないわよ!」とムキになって答えた。
会う人、会う人にゾロの事を聞かれる。そんなに町の人間は彼が恋しいのか。
自分は決してそうじゃない!
ナミは怒った様にそこら辺においてあった、リネンのナプキンを用もないのに摘み上げた。
ロビンはそれを見ると益す益す愉快そうに笑う。「他には?」と商売上手の彼女はすぐに聞いてくる。ナミはナプキンを元に戻してからひとしきり店内を見渡した。
西部では一番人気の乾燥桃や乾燥林檎、床には真っ白な上等な粉と、ショートと呼ばれるふすま混じりの2級品の粉が置いてある。その他、ニューオリンズから来た糖蜜、酢、塩漬けにされた豚肉もあった。
ケーキを作るのに必要な砂糖は3種類もある。よく精製された真っ白のもの、薄茶のもの、濃い茶のものだ。勿論20ポンドで1ドルもする高級品は雪のように真っ白い砂糖だ。
ナミは散々考えて、上等の粉と真っ白の砂糖を買った。
その後、カウンターの後ろの棚に並べられているいつも買うモカのコーヒー豆を必要な量オーダーする。紅茶の大きな缶や、日本茶などもあるが流石にそこまでは手が出ない。
その後、ベーキングパウダーの代わりに使うクリーム・オブ・タルタルとバターも必要な分を分けてもらってやっと買い物が終わった。
両手に一杯の紙袋を抱え、ロビンの店を出る。
さぁ!これで教会に帰って、豪華な晩餐の準備ができる!
ナミは馬の背に荷物を慎重に括りつけ、卵の入ったバスケットは片手で抱え持ってから鞍に跨った。
雪を蹴散らしながらも、できるだけゆっくりと馬を走らせる。
教会までの道のりが半分になったときになってそれに気づく。
そうだ!肉!
肉を手に入れることを忘れていた!
「やだ!私ったら・・・!」
ナミは思わず馬を止め、そう言って天を仰いだ。これではメインデッシュがないじゃない!
「ナミッ!」
その時、後ろから声をかけられた。驚いて振り返ると馬に乗ったルフィがいた。馬の足元には雪に4本の足を半分以上埋めているラブーンがいて、ゆっくりと尻尾を振っている。
「よぉ!」
いつものようにルフィはニシシと笑い片手を上げる。その上げた手の先には毛が抜かれ、しめられたニワトリがぶら下がっていた。ラブーンが必死になってそれの足に食いつこうとジャンプを繰り返す。その度にルフィは手を上にあげるものだから、憐れな裸のニワトリはブンブンと振り回されるはめになった。ナミは一瞬ギョッとなったが、すぐに聞いた。
「何、ルフィ、そのニワトリどうしたの?」
「今日お袋の誕生日でさぁ、ご馳走作るってんでしめたんだ。幸福のおすそわけってやつだ。ゾロ、今日は戻ってくるんだろ?」
ルフィはそう笑いながら答えると、ナミの隣まで馬を歩かせ、その裸のニワトリをポンとナミに手渡した。ラブーンが残念そうに「ク〜ン」と一声鳴く。
ナミはラブーンに「ごめんね。」と言ってやってから、ルフィまでゾロのことを口にするのが可笑しくて笑った。ルフィはそんなナミに気づかず進言する。
「フライドチキンが一番だ。」
自分の好物を言ってルフィは笑う。ナミも引き続き笑った。ラブーンには気の毒だが、ありがたく頂く事にする。
「ありがとう!ちょうど肉が欲しかったところなの。」
ナミは素直に礼を言い、ルフィとラブーンと別れ、教会へ戻った。
馬を馬小屋にいれた後、一杯になった荷物を抱え食堂へ向かう。
勝手口を肩で押し開け、手にした食材をテーブルの上に広げる。
ナミはそれを見て満足そうに一度頷いてから、腕まくりをした。
さぁ!これから準備だ!ナミは気合をいれて料理にとりかかった。
白パンは思ったとおり嵩高くふっくらと焼きあがった。見た目にも柔らかい白いパンは型に入れられたままの状態でテーブルの上で湯気を出してカットされるのを待っている。
フライドチキンはこんがりと狐色に揚がったし、スプレッドも3種類用意できた。
豆も5時間煮て柔らかくなっており、蒸しパンもこれ以上ないくらいうまくできあがり、卵白を贅沢に使って、白い砂糖で仕上げたエンジェル・ケーキも美しく焼きあがった。
テーブルの上はまるでクリスマスの晩餐のように豪華さだ。
なのに・・・主役はまだ帰ってきていない・・・。ナミはまだ教会で一人ぼっちだ。
所狭しと並べられたご馳走の前に座ってナミはじっとゾロの帰りを待っていた。
夜8時・・・。外はもう真っ暗だ。風が出てきて吹雪いてきているのがわかる。
逆算してピッタリにご馳走を作ったのに、この吹雪のせいできっとシオの足は遅くなっているのだろう・・・。
「・・・・・・・・・・・・。」
ナミはじっとテーブルの前で座り込んでいた。目の前には誰も座っていない椅子。
「早く帰ってこないと、冷めちゃうわよ〜」
何度目かの独り言を言い、白パンの柔らかい頂上を人差し指でわざと押してみる。弾力のあるそのパンは一度凹みができたが、すぐにフワリと元に戻った。
「・・・・・・・・・。」
ナミはそれを見るクスリと笑った。そしてすぐに真顔になる。
雪の降る音が聞こえてくる。
1人ぼっちの教会では、あの天からの小さな白い贈りものが舞い降りる一つ一つの音さえ聞こえてくるようだ。
その音が好きだ。
冬がまだ続く事を教えてくれるから・・・。
まだ春には遠い事を証明してくれるから・・・。
雪の音が聞こえなくなった時・・・・・。
それがここから出て行く合図だ。
―――そしたら自分はもうこの椅子には座れない・・・。
教会の前に広がる荒野の雪が溶け、小さな花が咲くのと引き換えに、自分はここから姿を消す。
そしてその後、何年かしたら・・・・。
何年かしたら・・・
自分の知らない女の子がここにこうやって座っているのかもしれない。
彼の心を癒すような柔らかいハートと、愛らしい表情をもった素敵な女の子だ。
きっと自分とは違い髪の長い女の子だ。きっと自分とは違い銃など触ったことのない普通の女の子だ。きっと自分とは違い優しくて素直な女の子だ。
きっと毎日、2人でこの食卓を囲んで笑いあうのだろう・・・。
こんな風にたまにはご馳走を並べて・・・。
自分は・・・その頃には何をしてるのだろうか?
南部の小さな家のポーチに置かれた壊れかけのロッキングチェアに疲れた身体を沈み込ませ、暖かい微風に身をまかせながら・・・・それでも・・・それでも・・・
―――あの牧師の事を考えているのかもしれない・・・。
「・・・・・・・・・・・。」
涙が・・・ふいに零れ落ちた。
テーブルの上に透明な水溜りが小さく浮き上がる。
「・・・・・やだ。」
ナミは零れ落ちた涙を見て慌てた。何でこんな事で泣いているのだ。手の甲で涙をゴシゴシと拭う。
何だか気持ちがむしゃくしゃする。それもこれも全部遅れ気味のゾロのせいだ。
せっかくなけなしの金をはたいて上等の材料で食事を作ったのに・・・!
暖かいパンを初めて焼いたのに・・・!
手の込んだ料理を時間をかけてせっかく作って待っているのに・・・!
こんなに・・・こんなに淋しいのに、すぐ帰ってくれないなんて・・・!
ナミは涙の理由を自分で誤魔化すように、戻ってきた牧師に開口一番投げつける文句の台詞を頭の中で考え始めた。
「あんたのせいでご馳走がだいなしよ!」
にしようか、それとも、
「のろのろしてるから折角の暖かい食事が冷めちゃうのよ!」
がいいだろうか?
「あんたはどうせ昨日、めいいっぱいご馳走にありついてるんだから、私が1人で食べるわ。」
なんてのはどうだろう?よし、この3つともまとめて言ってやろう!
と思った時、風の音に混じって足音が微かに聞こえてきた。雪を踏みしめて歩く独特の足音。
「!!」
ナミは思わず立ち上がる。その瞬間、勝手口のドアが開いた。
吹雪を背にしょって、雪でコートをましろに染めたゾロが入ってくる。ドアはすぐに閉められ、彼と一緒に入り込んできた雪はすぐに溶けて消えた。
ゾロは砂金掘りの人々から給料代わりに貰ったのであろう野菜がたくさんはいっている麻袋をどんと床に置くと、肩に積もった雪を払ってからステットソンの帽子をとった。
ナミを見ると優しく笑いこう言った。
「ただいま。ナミ。」
ナミは胸が一杯になった。さっきまで考えていた罵詈雑言がどこかに行ってしまう。
しどろもどろになりながら何て答えていいか迷った挙句、満面の笑みを零しながら答える。
「お帰りなさい!・・・・ゾロ。」
幸いな事に暖かい心のこもった料理はまだ湯気がたっている。
ご馳走に驚いたゾロと、得意な顔をするナミは食前の祈りを捧げた後、少し遅めの夕食をとった。
時間をかけてゆっくりと・・・。
いつもより笑い、いつもより話をし、いつもよりゆっくりとした時間を共有する。
食後にコーヒーを彼が淹れ、ナミ自慢のエンジェルケーキをデザートに食べる。
あのソファに並んで座りながら・・・・。
―――時間をかけて、ゆっくりと・・・。
ナミのある一日はこうして更けていく。
春には遠い、まだ寒さの厳しい冬の一日。
三月にはいっていただいたいいものがコレv
以前gospel according to LUKEさま ててこさんちに或るお話を(むりやり)献上したのですが
それはウチにはupはしてません。見たい方はててこさんちへどうぞv
コラボレーション企画的様相です。あぁ楽しかったv
もうこの企画はアタシだけが楽しいのでホントにルカの愛読者様たちには本当に申し訳ないですよ。
牧師さんのお話が好きで好きで滅多にしない外交を続けた甲斐がありました。
こんなものを頂戴できるとはね!あぁ楽しいvこのお話実はリンクして下すってます。もうそれだけで胸が一杯。
しかし、独りになったことを想像してちょっとだけぐしゅんとなってるナミさんが可愛い〜!
未だ春の来ない西部の或る一日。
祈るように、今日がゆっくりと過ぎるのを待っている。
今日が終わるたびに、少しずつ春に近付くと言うのに未だそれを実感できて無い。
もう少し時間がある、未だそう信じてる
帰る日を想像して、自分が居なくなったあとのこの街を想像する。
なんだか優しい話なのに、少し胸がきゅぅとなります。
こんなステキなお話どうもありがとうございますv
ごちになります!
Please close this window