蜜の味
白玉様



−1−



女に不自由したことなど無かった。
今も昔も。
そして多分これからも。

でも何時も飢えている。
理由は簡単だ。
たったひとつ。


一番欲シイモノガ、手ニ入ラナイカラ。


多くを望んでいる訳ではないのに、
どうして手に入らねェんだ?

この渇きが癒される、
そんな日が何時か訪れるのだろうか。



ジャヤに着いた。

空島の情報を求めて、ルフィとゾロはモックタウンに向かった。
愛しの姫君は、お目付け役で同伴。
ロビンちゃんも何時の間にか消えている。
残ったのは長ッ鼻とトナカイだけ。
野郎だけでどうにも面白くねェ。

ゴーイング・メリー号の修理はアイツ等に任せて、
晩メシのカモメガラスープの仕込みに入る。
元は悪くないんだが、いい加減痛みの激しいこの船は、
ウソップの村の麗しい少女に貰ったものだという。
長ッ鼻の野郎から何度となく繰り返されるその話を
少々妬ましく聞いていた。

俺の知らない時間を、ナミさんと共有してたんだぜ?

そう思うだけで、ゾワゾワと立ちのぼる感情がある。

もっと知りてェんだよ、ナミさんのこと。
ココヤシ村でお姉さまから聞いた話だけじゃ足りねェよ。
だってアレは他の奴等も聞いてる。
そんなのじゃ駄目だ。
俺だけが知っているナミさんの秘密、
そんなものが在れば良いのに。
ふたりだけの秘密、良い響きだろ?



メイン・ディシュが待てなくて、
摘み喰いするのは悪い癖だ。

解ってるけど止められねェ。


街から戻ったルフィとゾロはやけにボロボロだった。
まあ何時ものことだ。
ナミさんが無事ならそれで良い。
何があったか知らねェが、随分と荒れている。
勿論そんなナミさんも素敵だ。

帰ってきたロビンちゃんに声を掛ける。
食事か風呂かと訊ねたら、擦れ違い様に
「おやつは戴けるのかしら」
と微笑まれた。
「オレンジケーキでしたら直ぐにご用意出来ますが」
誘われてる様な気もするが、
取敢えずは素知らぬ振り。

「惚けないで。解ってるんでしょう?」
拙い。
レディの誘いは断れねェんだ。
「それではディナーの後で」
「そうね、期待しているわ」
どうして我慢できねェんだろうな。
ナミさんに気づかれないかと心配するくれェなら、
最初から止めときゃ良いのにな。
でも俺オトコノコだし。
ロビンちゃん美人だし。
…男心だって複雑だ。



「早過ぎたかしら」
ノックと共に現れた彼女は、相変わらずの
正体の知れない微笑みをみせた。
「少し待っていただけますか」
椅子をすすめて、ブランマンジェをサーヴする。
「本当にデザートも出るのね」
「ええ勿論。オレンジケーキは昼間にルフィの奴が
全部喰っちまったんで、替わりにこれを」
白い柔らかな固形に、オレンジソースとミントの緑が
見た目にも美しい自信作。
本当はナミさんに一番に差し上げたいけれど、
今日はイレギュラーな夜だから。

「美味しそう」
「飲み物は如何いたしましょう」
「お薦めは?」
「ティーソーダですかね」
「じゃあそれをいただくわ」
濃目に淹れた紅茶にカシスで香りづけしたものに、
炭酸水を注いで、白ワインを少々。
「アルコールはOK?」
「この位じゃ酔わないわよ?」
「大丈夫。俺に酔わせて差し上げますよ」
「フフ…可笑しいコね」

明日の朝メシの準備を終えて、向いに座る。
「如何ですか」
白い塊が形の良い唇に吸い込まれ、
滑らかな頸が静かに動く。
「とても美味しいわ。貴方、自分で試してないの」
「味見程度に」
「そう」

スプーンを握ったまま立ち上がった彼女は、
俺の膝のあいだに割って入った。
深く開いた衿刳りから零れそうな胸のふくらみが、
大胆に晒されている。
微妙な位置に膝頭が押し当てられて、
凄ェ刺激的。

「どうぞ召し上がれ」
悪戯な光を帯びた瞳が間近にあった。
さし出された欠片を口に含む。
甘いヴァニラとオレンジの香りがひろがる。
先刻まで彼女の唇に触れていた金属を
じっくりと味わった。
様子を窺いながら躰を引寄せ、
そのまま細い指に舌を這わす。
ゆっくりと、嬲る様に。
「気が早いこと」

スプーンがプレートに触れる硬い音が響いた。




  −2−






膝のうえに跨る様に座った彼女の手が、
ネクタイを緩めて、引き抜く。
その仕草はとても自然で優美だ。
シャツの裾を引張り出されて、
釦をすべて外されたところで、流石に我にかえった。

「おネエさま、俺の出番は?」
情けねェ。
「あら、ご免なさい」
余裕の微笑みとともに、そう答える。

「酔わせて、呉れるのだったわね?」
耳元で囁く声は、少し意地悪気。
年上の余裕なのか、経験値の差なのか。
どちらにせよ勝ち目は無さそうだ。

「一寸待って呉れ」
まだ手にしたままだった煙草を揉み消す。
これで両手が自由。
「何時も吸ってるのね」
「そうですね」
「舌が鈍るわよ」
オーナーゼフにもよく云われてたな。
ジジィ元気にしてっかな。
「よく云われます。でも俺の流儀だから」
止めねェよ。これだけは。

「ママが恋しいの?」
そんな風に云われたことは無かった。
「ははは、そうかも」
母親の記憶なんて殆ど無い。
恋しいのか恋しくないのか、其れすらも解らぬ程。
「じゃあ、ママン…」
深い胸の谷間に顔を埋める。
なんだか甘酸っぱい馨りがした。


お互いの欲望を伝えあった口づけのあと。
脚のあいだに彼女の黒髪があった。

柔らかな舌に包み込まれる。

熱い。

初めてじゃネェが、こんなのは初めてだ。
情けねェ声を漏らさない様に、我慢するのが精一杯。
余裕のカケラもねェ。

濡れた音と、時折漏れるくぐもった吐息。
「悪ィ、もう我慢できねッ…」
其れでも彼女は離して呉れなくて、
吐き出された欲望は口内を侵した。

「うわ」

「初めて、だったの?」
彼女は髪を掻き揚げながら、上目づかいに見た。
「…其処迄は流石に」
見栄を張っても仕方が無いので、正直に申告する。
「其れはご馳走さま」
初モノをいただくと寿命が延びるって云うしね、と笑った。

「私のことも酔わせてくださる?」
「此処までしていただいたら、サービスしますよ」
此の侭では引き下がれねェ。


…そうは答えたものの、結局、酔わされたのは俺のほう。
予想通り、お姉さまには勝てなかった。


煙草に火をつける。
まったくこんなんじゃァ、情けねェよ。

「サンジ…くん?」
「その呼び方はちょっと勘弁してください」
そう呼んで良いのはナミさんだけ。
俺がナミさんのことだけ「さん」付けで呼んでいる所為なのか、
それともほかに何か理由があるのか解らないが、
ナミさんは俺を「サンジくん」と呼ぶ。

ほかの奴等のことは呼び捨てなのに。

ルフィだってゾロだって、チョッパーは兎も角、ウソップでさえも。
俺はナミさんに仲間だと認めて貰えてないんだろうかと
落ち込んだこともあった。
今はそうは思わねェけど。
少し距離を置かれている様で淋しい気もするが、
自分だけが違う扱いを受けているとも思えるので、少し嬉しい。
出来れば腕の中で「サンジ」と呼んで貰いてェけど。
あの可愛い唇で、そう呼んで貰えたら、どんな気分だろうな。

「余程大事なのね、あの娘のことが」
「そりゃあ、当然」
思わず正直な気持ちが口をついて出る。
こういう状況で失礼かとも思ったが、嘘はつけねエよな。
「羨ましいわ。そういう相手が居るのは仕合せなことよ」

「愛されて育った人間は、ひとを愛するのも上手ね。
 他人に対して惜しみない愛を与えることに疑問を抱かない」
「ルフィとか、ナミさんとか?」
太陽の如き船長と、母なる海の如きナミさんと。
「貴方もね」
「俺も?」
「私には愛された記憶が無い。
 利用したがる輩は沢山いたけれど、
 愛されたことなど一度も無かった」
淡々と語る口調に感情はこもらない。

「悪ィ…俺、何もしてやれねェ」
彼女の痛みが俺を焼いても、俺のすべてはナミさんに捧げてるから。
あとには何も残ってねェんだ。
「良いのよ、気にしなくて。
 誰にも、何も期待してないわ」
何もかも諦めることで、心の平静を保ってきたんだろうか。

たった独りで。

そんなのって淋し過ぎるんじゃねェの?
「なァ…少しでもお役に立てたかな」

これは恋じゃねェ。

でも胸が痛いのは何故だ?
俺にはナミさんだけ。ナミさんしか要らねェんだよ。
だから、こんな感情は困る。

これは恋じゃねェよ。

「そうね、ひと時の安らぎを貰ったわ。
 有難う。感謝してる」
彼女の唇は、懐かしくて切ない味がした。



「アイツはヤベェ女だよ。油断してると闇に獲り込まれる」
ふとゾロの言葉を思い出す。
畜生。なんで今まで気づかなかった?
クソ腹巻の野郎、ロビンちゃんと寝やがったな。
そう、何時だったかナミさんが瞼を腫らしていたあの朝だ。
ナミさんというものが有りながら、ふてェ野郎だ。
明日の朝、会ったら一番に殴ってやる。


「次、もあるのかしら」
「貴女がそう望むなら」
跪いて手をとり、滑らかな甲に口づける。

知ってしまった蜜の味。

甘くて、苦い。

拙い。
忘れられなくなりそうな予感。

「私次第、ってこと。…狡猾ね」
「小心者なだけですよ」
「そういうことにしておくわ」
彼女は笑い声と共に扉の向うに消えた。


そう、これは恋じゃねェんだよ。
恋な訳ねェだろ?






−了−





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