Tryst

りょうさま
cut/森アキラ様
あぁ。
     私は泣いているのね。
     私の中にあったのはこんな透明の液体だけ。
     それさえも溢れ出して
     すべて洗い流されて、終わり。   

     わかってるのよ。
     これはあの時の夢。
     いつものこと…。


 軽く息を吐いて、目を開けてみる。
 緩やかな覚醒を促してくれたのは
 溺れるように眠る私の共犯者。
 背後から回した私の腕を抱え込む、彼の体温。

 背中と私の胸の間にできた僅かな隙間。
 それを埋めようと身動ぐ仕草に応えて肌を合わせる。

 規則正しく刻まれる呼吸を体で聞いて
 汗で微かに湿った金色の髪に顔を埋めて
 そうして私は夢の続きを見るように
 あの子を思い浮かべた。





頬杖を付いて見渡す、深夜のラウンジ。
捲る度に漂う古紙の香りを楽しみながら
独りでいるなんて久しぶり。
静けさを珍しいことと思う場所にいる。
そんな状況に自嘲を込めて
本の上に伏して目を閉じた。

その時に感じた気配。
扉の開く音。
彼…ではない。
もっと無遠慮な。

徐々に近付いてきた足音が隣で止まって。
椅子に腰掛けたかと思えば、
どうやら私を覗き込んでいるらしい。
辺りを覆い始めた生温かい空気。
それが風を起こして髪を摘んだ。

パラパラと幾筋も頬に落ちて、
落ちきればまた摘まれ落とされて。
その繰り返し。
放っておいてくれなさそうなその行動に顔を上げると
部屋の空気を変えた主がやっと気付いたかと笑う。

「冷蔵庫に御用?それとも私にかしら?」

告げ口なんてしないからお好きにどうぞという私の言葉に
興を殺がれたのか不貞腐れたような顔。
そして悪びれることもなく話を変えた。

「なぁ。お前、1人でいんの好きなのか?」
「…いいえ。」
「じゃぁ、俺もここにいる。」

両腕をテ−ブルに投げ出して
私を見上げながら告げられた有無も言わせない主張。
もしも彼なら、許可を求めるような台詞だったはず。
もしも彼なら…。
そう…彼なら。


カレが静かに座っていたのは
本を1ペ−ジ捲る間にも満たない時間。
麦藁帽子を弄び始めたかと思えば、また被ってみたり。
ガタガタと椅子を揺らしてみたり。
仕舞にはテ−ブルで頬を歪めさせて私を見上げる始末。
かまって欲しいのが余りにも判りやすくて
しばらく意地悪を続けたけれど、もう限界。

「何か御用?」

含み笑いに覗き込む目を逸らさないままの答え。



「触ってもいいか?」



髪に。
ではないことはすぐにわかった。
前触れというステップを知らないカレに
目的を問うのは意味のないこと。
どんなに理不尽なことでも
それを越えた純粋さで矛盾を埋めてしまうだろうから。

「どうしても?」
「どうしても、だ。」
「船長命令?」
「そう言えばいいのか?」

その容赦のない言い方が私の罪を軽くしてくれる。

「どうぞ。船長さん。」

真一文字に結ばれた口元が真剣で。
差し伸べられた手を取るように
私は麦藁帽子と何かを脱いだ少年を誘った。


服を剥ぐいくつかの手を
胡座をかいたまま神妙に見つめる顔。

「どうかして?」
「よくないコトなのか?」
「そうね。きっとよくないことだわ。
  冷蔵庫をこっそり漁るのと同じ。」

してはいけないこと。
すぐにばれてしまうこと。
満たすためという理由以前に問題があること。

「そっか。」

判ったのか?
判っていないのか?
できるなら今は判らないままで。
そう願いながら最後の1枚を脱いで
カレを手で招いた。

膝を付いて私に迫るその瞳に澱みはない。
存外に血生臭い傷だらけの体に強く引き寄せられて
倒れ込んだ腕の中で私は笑った。
こんなに乱暴な子だとは思わなかったと抗議して
カレの肩の辺りに軽く歯を立てる。
驚いたように引き離される体。
次の瞬間、目を合わせる間もなく唇を奪われる。
痛み混じりの快楽を味わうには幼すぎ。
それなのに、その痛みを挑発と取れるのは何故?








大人しくしてて頂戴









体を掠める小さな不安がカレを床に組み敷かせる。
降る髪に片目を閉じて
私の口付けを受け取りながら咲かせた手の下で藻掻く体。

「大人しくしててちょうだい。」

能力を使えば私の戒めなどないも同然なのに
追いすがる唇を残して抵抗は消えた。

荒く息を吐いて宙を睨む表情が
私を濡らしていく。
それを指で確認して体を沈めた。
そのままカレの上に覆い被さって
耳に掛かる熱に合わせて息をする。
3度目の深い呼吸の後、囁かれた言葉。

「ロビン。手ェ…離せ。」

その声は重なる体の感触を
他の誰かにすり替えることすら許してくれなかった。

残酷な子。

あるはずのないものを掴み取ろうと
私の中を掻き回す傲慢さ。
其処には何もないと気付かれるのを夢想して
私は震える。

いいえ…。
そうじゃない。

何があっても揺るがないと信じられているカレに
触れてみたいと望んだのは私自身。

触れて判ったのは単純なこと。
懸命に奥歯を噛み締め見上げる様に
力任せに二の腕を掴まれる痛みに
掴みきれないその存在に
人並みに怯え、動揺するということを知った。
昇り詰めれば消えてしまうはずの感情に
消えなかった過去に
少しの後悔に
人並みに望み、想えるということを知った。

ただ…それだけだった。




情事とも呼べないその出来事を隠すつもりはない。
話すつもりも。
そんな私のやり方を知っていて
彼はその朝にラウンジで何があったかを語り始めた。

見張りのはずのあいつがラウンジで寝ていた。
てっきり食料を根こそぎやられたかと思ったが
何も食べられた形跡がない。
起こしても食べ物を強請られるだけだと思って
放っておいた。
彼は、そう楽しげに話した。

それから数秒の間。
表情は真顔と歪んだ笑みを
目は私と窓の外の暗闇を行き来する。



「あいつ…貴女の名前、呼びやがってさ。」

寝言で食べ物以外の言葉を聞いたのは初めてだと笑う。
乾いた笑いの後の沈黙を煙草の煙で埋めて
落ち着いた様子を装うのは彼なりの処世術。
それでも私の視線に
彼の神経が過敏になっていくのがわかった。

「冴えない顔ね。」
「貴女の所為だよ。」

テ−ブルの端に両手を付いて
前髪を揺らして項垂れて
口止めくらいしてよと喉の奥で笑う。

「嫉妬ってさ、空回りすんのが相場だろ?
 それなのに何か引っ掛かんだ。」

引っ掛かるのは相手があの子だったから。
私と同じ。
あの子の中に自分の可能性を見出して
引きずられる容易さを知っているから。
不可侵であって欲しいと思っているから。
だから、私がしたことを抜け駆けだと思っても仕方がない。

「大丈夫よ。あの子はあの子のままだから。」
「そんなこたぁ、どうでもいいんだ。」

観念的な答えをいちばん求めているはずの彼が
抜け駆けではなく裏切りがツライとでも言いたげに
乱暴に煙草をもみ消した。

熱を帯びたままの静寂。

それを逃げるように冷やそうとする癖。

「どうすりゃ、満足?」

溜息まじりなんて、どこでそんな術を学んだのか。
ぎこちない笑みも上出来すぎる。
だから、着地点を。

「あなたは、どうすれば満足なのかしら?」

互いに決断を相手に押しつけ責任逃れ。
真正面で向き合わなければならないものを
遠くに追いやって
私たちは今欲しいものに手を伸ばした。





 光源を見つめられるほど回復していない私には
 まだこれくらいの明るさが心地いい。
 夜明け前の蒼黒い光の中
 再び目を開けて彼に絡む腕をそっと解いた。
 指先で辿るのは自分が付けた爪痕。
 ついでに知らない傷跡も。
 
 許して。許して。許して。
 そして、耐えて。
 それが優しさだと、強さだと思っている愚かさ。
 知っていて越えられない不器用さ。

 好奇心を前面に出してくるあの子よりも
 ある意味純真で
 与えることを息をするより簡単にこなす。
 そんな彼にお零れをもらって私は眠る。
 
 触れてはいけない傷口は確かにある。
 けれど。
 共犯者を試すような真似はやめましょう。
 だから。
 狡い男でいて。
 狡い女でいさせてちょうだい。

 もう少しだけ…。

 繰り返される逢い引きが
 いつか私とあなたの関係を正当化してくれるまで。

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