Anew
りょう様


     風に煽られる髪を押さえて眩しそうに太陽を見上げる様。
     恋に憧れを持っているその姿を、心底愛おしいと思った。
     その気持ちだけを彼の傍に残す。
            嘘つき
     …疲れたわ。
     お願い。少し、眠らせてちょうだい。



互いに傷付くのを承知で抱き合うのは、
理屈では到底説明できないこと。
それを受け入れるのが大人だと云いたげに微笑む彼女が
空虚感だけを俺に伝える。
愛されたがっているのは俺じゃなくて
彼女の方じゃないかと思うのは俺のエゴか?
自分を哀れな男だと認められないプライドか?
それとも…。


腕の中で強ばる体。
再び這わせ始めた手で胸の隆起を辿る。
「嘘じゃ…ないわ。」
吐息と紙一重の溜息が俺を傷付けたくないと
可哀想なのは俺の方だと云っている。
嘘を吐くなら、もっと巧く。
そんな駆け引きめいた言葉は自嘲に似合いすぎる。
抜け殻も残り香も玩具も偽物も今は欲しくない。
だから彼女の体温を手放して
立ち上がって
「同情してくれてんの?」
笑みを浮かべて可哀想な男を演じて
「悪りィけど、そんな柔じゃねぇんだ。」
自分を哀れんでなどいないから演じられるんだと訴えて
2・3歩後退って、俺は部屋を出た。


     偽ることに疑問すら持たなかった魂が
     自分というものを見出して私に迫る。
     自分というものを見出して…私から去っていく。



幸か不幸か日々船を襲うトラブルが俺を彼女から引き離す。
それは軌道修正を促すみたいに頭をクリアにさせた。
いつ伝えたい感情を見失った?
俺がしてきたのは2人だけの部屋に鍵を掛けて
その鍵を遠くに投げ捨てるような行為。
最初は傍にいられるだけでいいと思った。
高処にあると思っていたものが実は深処にあると知って
今度は手を伸ばした。
それから何回か抱き合って
全部わかったようなつもりになって
クソゴムが鍵をこじ開けて
彼女はそこから立ち去った。
俺はやり方を間違えた。
彼女も。
それならもう一度やり直せばいい。
諦めの悪さなら、自信がある。



深夜。
唐突と云っていいほどのタイミング。
ラウンジの明かりが点くのを見て俺は見張り台を降りた。
扉を開ければ頬杖を付いて何かを見ている背中があった。
本を捲る音。
「眠れない?」
「そんなことないわ。」
初めて彼女を抱き締めた夜の台詞を繰り返して
感情を辿る。
彼女もあの時と同じ。顔も向けずに応えた。
振り出しに戻る、だ。
それも好都合とばかりに質問を投げ掛けた。
「どうして俺がナミさんに踏み込めないか、わかる?」
ナミさんには惚れた男がいるからなんて優等生な答えは駄目だよ
と、からかうような俺の言葉に
俺の方を向いた彼女が黙っていればいいんでしょう?と微笑んだ。

「変わってほしくないんだ。」
これ以上何も失わずに
何にも満たされずに
今のままでいてほしい。
それが俺が決めたナミさんへの想い。
「だから、貴女とは違う。」
「どう違うのかしら?」
「俺は、貴女が変わるのを見たいんだ。」
だから、何もくれなくていいから。
せめて其処に触れさせて。
受け入れる前に結論を出さないでくれ。
それじゃ本当のことなんか何もわからない。


     咲いた花を誇るようなその笑み。
     容赦のない未来への希望。
     伸ばした指先で私の何に触れようというの?

     私は女だった。
     あなたと出会うずっと前から。
     流されやすい、女だった。
     だからその言葉がこんなにも耐え難い。


耳に掛かる湿った息に理性を引き裂かれそうになって
思わず抱き締める腕に力を込める。
「ずっとこのままでいるつもりかしら?」
「…いいんだ。」
「嘘つきね。」
俺の脚の間に彼女の腿が滑り込み、欲望が躰中を舐め回す。
急ぐつもりはなかった。
だから服を脱ぎ始めた彼女をタイを弛めながらただ見つめた。
そのくせ、その手がこっちに向くと焦ってシャツを剥ぐ俺がいる。
微笑みに拗ねて見せて、その仕返しに抱き上げテ−ブルに座らせた。
身を逸らすように両手を後ろに付く誘いに笑みで逆らえば
彼女の両脚が腰を抱き込み俺の躰を引き寄せる。
少しでも長くこの先を想像していたくて落としたキスは
流れを留めてはくれない。
俺が彼女の肌を味わえば、その肌が俺を愛撫する。
張りのある腿に挟まれ促されて、ゆっくりと迫る躰。
白のテ−ブルクロスに広がる黒髪。
背筋を射抜くような圧迫感。
もっと深く俺を飲み込もうと掲げられていく脚。
浮き沈みを繰り返す躰と嬌声。
疾走感。
呼吸を止める一瞬。
俺と彼女は確かに何かを共有していた。


荒く上下する彼女の胸に上半身を預けて自分の息を整える。
躰中の緊張を奪っていくような静寂。
耳元で掠れ気味な囁きは、それよりも静かだった。
「期待されても…何も変わらないかもしれないわ。それでも?」
期待…。その言葉に彼女を縛る鎖の一端を初めて知る。
「待つ気なんて更々ないよ。」
躰を起こし彼女を見下ろして本心をいつもの軽口で包む。
「俺が変えてあげっからさ。」
それは自分の背中を押す決意表明ってヤツだ。
「仕様がない子ね…。」
そう云って彼女は俺の頬を撫でて
床に落ちていた抜け殻を身にまとった。


     それは互いの妥協点?
     …いいえ。
     少なくとも私は。



朝。
太陽が自己主張をしながらやってくる。
朝日があからさまにしている夜の痕跡を思い出して
俺は慌ててテ−ブルクロスを剥ぎ取った。
丸めて背中に隠すのと同時に扉が開く。
挨拶もそこそこ。
ナミさんは彼女を意地悪く見つめながら俺に声を掛けてきた。
「それ、どうしたの?」
全部わかっているという口調。
確信犯の笑み。
俺の歪んだ半笑い。
「私が汚しちゃったのよ。」
傍観者の微笑みから出たあまりにもそのままの答え。
赤面する俺とナミさんを交互に見つめて、
彼女は本当に可笑しそうに、綺麗に笑った。

end

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