夢追い人(ゆめおいびと)
六代文江様

 


 海賊でも堂々と立ち寄れるほど、小さな小さな港町。
 ここはそんな町のはずれにある、うらぶれた宿屋だ。
 窓から差し込むほのかな月明かりと、
 サンジが燻らせている煙草の火のみが唯一の明かりだった。
 広がる紫煙が、薄闇をちっぽけな空間に変えている。
 サンジは隣で横になっている女のむき出しの肩に、シーツを掛けた。
 冗談と受け流してもらえる程度の誘いに乗ってきた、彼女。
 Ms.オールサンデーと名乗って出会い、
 ニコ=ロビンとして仲間になった彼女の事は、
 ほとんど何も知らない。
 考古学者で、特技は暗殺で、裏稼業に詳しくて・・・けれどそれは一つとして
 サンジの知りたい“ニコ=ロビン”の本質とは違うと感じている。

 “知りたい”?
 “違う”?
 俺は何考えてるんだ?

 いつもは頭を冴えさせてくれるヤニが、どうにも上手く働いていないようだ。
 思考回路が散漫で、いやになるくらいもどかしい。
 とりあえず指を焼きかけている煙草をすりつぶす。

 ロビンちゃんは好奇心で。
 俺はレディとのスキンシップの一環として。
 そう思って体を繋いだはずなのに。
 求めるまま、求められるまま貪りあったはずなのに。
 なぜか。
 満たされない。

 こんな気分になったのは、何も初めてではない。
 オレンジと満面の笑顔がよく似合う彼女。
 彼女がアホ剣士に視線を向けるたびに、感じてきた空虚なキモチ。
 それは、決して届かない想いゆえ。
 だが今は違う、はずなのに・・・。

 無性に自虐的な思考に走りそうになる心を自覚しながら、サンジは新しい煙草に手
を伸ばした。
 と、その手が細い指に包まれる。
 いつの間に目を覚ましていたのか、ロビンが横になったままサンジに手を重ねたの
だ。

「おはよう、と言って良い時間なのかしら。」
「いや、まだ寝むってて大丈夫ですよ。」
「ではなぜあなたは起きていたの?」

 ロビンの『起きていた』という言い回しに気付かないサンジは、
 軽く肩を竦めて煙草から手を離した。
 じっとこちらを見つめているのは黒曜石よりなお深い、漆黒。
 闇に溶けるはずなのに、その瞳は暗い暗い輝きを魅せつけている。
 無意識のうちに、サンジは顔を歪めた。
 このままでは、自分のすべてを晒してしまうだろう。
 そんな確信が、あった。

「なぜかしらね?」

 再度の問い。
 ゆっくりと紡がれた言葉に、今度は抗う気すらも起きなかった。

「考えてたんだ。ロビンちゃんって、なんなんだろうってね。」

 スッと細められた黒曜石は、ロビンの中で何を意味しているのか。

「抱いて抱かれて・・・それだけで全部分かるなんて、思っちゃいない。
 でもさ、知りたいって思っちゃったんだよね、ロビンちゃんの事を。」
「好奇心?」
「それもある。」

 即答したサンジの顔は妙に子供じみていて、薄明かりの中ロビンの顔に柔らかい笑
みが浮かぶ。

「でもそれだけじゃないんだよね、これが。全部知りたいし、真実も知りたい。」

 ふうっとため息を吐いて、サンジは横になったままのロビンの髪に口づけるよう囁
いた。

「ねぇ・・・これって恋しちゃったって事なのかな?」

 柔らかな笑みを浮かべたまま、ロビンはサンジの首を掻き抱いた。
 ロビンの視界いっぱいに広がる、黄金。
 妬ましいほど眩しいそれに顔を埋め、ロビンは喉を鳴らして笑う。

「ふふ・・・それは私に聞く事じゃあ、ないんじゃないかしら。」
「そうだよね。でも何となく、聞いてみたくなったんだ。」
「聞くだけならどうぞ。でも答えは・・・。」
「分かってる。『答えは自分で出す事』でしょう。」
「正解よ。」

 閉じられた唇と唇がすれ違う。
 キスというのもはばかられるような、掠めただけの口づけ。

「今晩私が頷いたわけ、知りたい?」
「是非とも。」

 唐突にかけられた言葉に驚きながらも、サンジは即答した。
 そんなサンジを慈しむように見やってから、ロビンは窓を眺める。
 ぼんやりと投げかけてくる月光は、いつも冷たそうで温かそうで、
 だが触れると何も感じられなかった。

「私はあなたに同じ“匂い”を感じたのよね。」
「どんなヤツ?」
「・・・なにかを必死で追いかけている、そんな“匂い”よ。」
「・・・ルフィやゾロだってそうじゃないかな。」
「あの子とは別。それに剣士さんもね。あなただって分かっているでしょう?」
「じゃあボクとロビンちゃんは一緒って事?」
「質問に質問で答えるのは、あまり誉められた事ではないわね。」
「それは失礼。失礼ついでにっと・・・。」

 サンジはロビンに軽く会釈をした後、新しい煙草に火をつけた。
 ただその煙草を吸う事はなく、灰皿に凭(もたれ)れかけさせる。

「吸わないなら、つけなければいいのに。無駄使いはよくないわよ?」
「無駄じゃないよ。この匂いがあると落ち着くんだ。」

 広がる紫煙。
 描かれる螺旋を壊さぬように、ロビンはゆっくりと息を吐いた。

「あなたは私と同じ。でも違うわ。」
「難しいね、ロビンちゃんの言う事は。」
「間違っているかしら?」
「逆。核心をつきすぎていて、とっても難しいんだ。」

 薄れゆく闇。
 濃くなる煙。

「霧がかかったようね。」
「うん、ロビンちゃんはこういうの嫌い?」
「いいえ。」
「じゃあ好き?」
「いいえ。」
「やっぱり難しいよ、ロビンちゃんの言う事は。」

 サンジはなんの含みもないような笑顔を見せ、ロビンの髪に顔をうづめる。
 絹糸のように艶やかで、癖がなく、つかみ所がない、綺麗な綺麗な、ロビンの黒
髪。

「それで、どこが同じでどこが違うのかな?」
「聞いてばかりね。」
「でも聞きたいから・・・ねぇ、教えてくれる?」
「・・・あなたも私も、夢追い人。ありもしない夢を追いかける、ね。」
「ありもしない、かねぇ?」
「さぁ、ある事の証明は簡単だけど、ない事の証明は難しいわ。」
「じゃあ違う所は、どこかな?」

 小首を傾げて聞くサンジに、ロビンはクスリと笑った。

「あなたが男で私が女であるという事。」
「え〜〜ここまできてそれはないでしょ。」
「でも真実よ。」
「そりゃまぁ、そうだけどさ。」

 ふてくされた感じになったサンジの首筋に、ロビンは腕を巻き付けた。
 かき乱される、ぼうとした空間で、ロビンの漆黒の瞳が煌めく。
 誘うように微かに開いた唇に、サンジは迷わず吸い付いた。
 浅く、深く、深く、深く・・・。
 口づけの合間に、黒髪を梳きながら華奢な肢体を下にする。
 芸術品と称しても遜色のない、華麗にして豪華な料理を作る器用な手が、
 ロビンの背を這い、乳房を辿る。
 漏れ出るはずの呼気は、ねっとりと絡み取られ、思うように口から出てくれない。


 気が狂うほど、もどかしい。


 その思いを知覚するだけの冷静さを持つ自分に苦笑しながらロビンが唇を離すと、
 サンジは拗ねたように口をとがらせた。

「ロビンちゃん、余裕だね。」
「そう?」
「そう。」
「そうかしら?」
「そんな所が余裕なんだよ。」

 カリッと鴇色の先端を甘噛みされ、体に痺れるような快感が走る。
 さすがに仰け反るようにシーツに頭を埋めたロビンの姿に、
 サンジは押さえようのない欲望を突き入れた。

「ん・・・。」

 何度目かの情事。
 もう互いの呼吸もリズムも分かっている。
 波を起こす。
 波に乗る。
 そして、流される・・・。

「んあ、もうダメみたい・・・。」
「俺も・・・いくよ?」

 問いに答えは返されることなく、ただ荒い音が満ちて、弾ける。

「・・・もう何回目だっけ。」
「さあ・・・でも頑張ったわね。」
「“頑張った”か〜。」

 終わった後の気怠さに身を任せつつ、サンジはロビンの横に転がった。

「子供扱いは、して欲しくないなぁ。」
「そんなつもりはないわ。」

 むぅっと唸るサンジに、ロビンは微笑を浮かべたまま背を向ける。
 そしてそのまま、上掛けをかぶるとひらりと片手を振った。

「じゃあ、私はもう眠るわね。」
「もう?」
「そう・・・お休みなさい。」
「・・・OK。お休み、ロビンちゃん。」

 心向くまま行きたくてたまらないのに、走り出せないもどかしさ。
 それは例えようもないほど重く、口では表せないほどの圧迫感を伴っている。
 己の行きたい所目指して、駆けてゆける時の愉悦。
 それは例えようもなく甘美で、口では表せないほどの陶酔感をもたらしてくれる。
 
 もどかしさ・愉悦・圧迫感・陶酔感・・・すべてがのしかかってる今の想いは、
 なんて言うんだろうな。
 
 自覚してしまった、この己の心。
 そして感じるこの想い。

 サンジは隣でしどけなく眠っているはずのロビンを、そっと抱き締めるように横に
なった。
 胸に在るのは、自分と同じ、幼い時からの夢追い人。
 今はこれで満足しよう
 今はこれで・・・。



END

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