代償行為
ぷーちゃん

いつもどおりの夕飯、いつもどおりに後片付けをして、
いつもどおりに明日の仕込み。
するべきことを終えた後の一服が心地よく今日の疲れを癒してくれる。
癒してくれるはずなのに・・・・

キッチンのドアが開いて、入ってきたのはロビンちゃん。
小脇に分厚い本を抱えて。
「コックさん、悪いんだけどポットにコーヒーを頂ける?」
そう言って微笑んだ。

なんで??なんでだよ・・・ロビンちゃん・・・
「カップじゃなくて?」
「えぇ。見張りだから。」
あぁ、やっぱり。
「レディの夜更かしはお肌に悪いよ。見張りなら、俺がするから。」
声は上擦っていないだろうか・・・
「それじゃぁ、コックさんの寝る間がないわ。」
「それなら、あの寝ぐされ腹巻にやらせますから。」
一瞬ロビンちゃんの顔が翳った。
そして、艶やかに微笑み・・・
「剣士さんは、お忙しいみたいよ。」そう言った。

ロビンちゃん、きついよ・・・今のは効いたぜ・・・
無言で背を向け、湯を沸かす。
咥えた煙草の灰が落ちそうだ。
そうか・・・貴女も知っているんだ。



その声に気がついたのはいつの頃だろう。
知っていたけど、聞きたくなかった。
聞きたくないのに、神経が耳に集中する。
薄い壁板を挟んだ、見えない世界。
どんな物音も、衣擦れも、吐息さえもが聞こえるようにと・・・

その声は、決まって王女様が見張りの夜に。
だから、そんな夜は強めの酒を呷ってから。
なるべくキッチンで時間を稼いでから。
もういいだろうと、ハンモックに身体を横たえて。
そうして、俺は耳を研ぐ。
どんな音さえ逃がさぬようにと・・・
塞ぎたいのに塞げない。
聞きたくないのに・・・・
ようやくその責め苦から、逃れられたと思っていたのに。




ケトルが蒸気を上げる。ロビンちゃんは少し濃い目のドリップで。
「見張りはやっぱりマストの上かしら?」
「剣士が忙しいって言うんなら、敵襲中だし、今更見張りも必要ないでしょう。」
「強がりなのねv」
「他にあいつの忙しい理由が?」
「それとも、寂しい?」
「なんで俺が・・・」

漆黒の瞳が俺を見据える。
知ってるくせにと。判っているくせにと。
あぁそうだ・・・貴女は何もかもお見通しだ・・・
貴女は背筋がゾクゾクする位に美しいけど。
綺麗な花には刺がある。
その言葉は、貴女のために。

「敵襲中なら、やっぱりここで頂くわ。」
コーヒーは、ポットからカップへ。

「全く、少しは気を使えっていっても無理なんでしょうけどね・・・
他にも若い男が乗ってるっていうのに。」
「あら、他に若い女はいないのね?」
「そんなこと言ってないですよぉ!!」
こうやって、笑い話にできるなら・・・
分け入る隙も無いほどの、2人の愛の営みを、
それでも捨てきれぬ想いを隠し、
振り向いてもらえぬ(いや、眼中にも入っていない)惨めさを、
やりきれないほどの切なさを、
全て、笑って終わらせられるなら・・・・・

「いつも、美味しいわね。」
カップに口付け、その舌先までが見えそうなほど、
紅く塗れた唇が、扇情的に揺れ動く。
上目遣いに投げかけられるその視線の先の俺。

蛇に睨まれた蛙。
動けない。息を吐くことすら・・・

突然咲いた白い腕。腕に繋がる指先が、ゆっくりと前髪をかき上げて。
隠したはずの左目を晒す。
見たくない。見たくないんだ。
この現実を、認識したくない・・・・

「慰めてあげましょうか?」
「ロビンちゃん・・・なにそれ・・・」
「いいえ、慰めて欲しいの。」
さらさらと、前髪を落としていく指先。
あぁ、これで何も見なくてすむから。
そして、あの声も聞かなくてすむ。

立ち上がって、近づいて。
その次頬に触れたのは、ちゃんと肩から生えている腕。
その指は、陶器のように冷たくて。
俺の頬だけが、脈打つように熱くて。

伏せられた長い睫毛に見惚れていたら、
唇の触れ合う1秒前に睫毛が揺れる。
あぁ、そして、その濃紺に縁取られる黒曜石の瞳に射抜かれて。
「私じゃ駄目かしら?」

駄目な理由は思いつけない。
貴女で駄目なはずがない。
すでに重なり合ってしまった唇の感触に・・・
その唇を寄せたのは、俺なのか、貴女なのか。
それさえも判らない。
これは違うと思いながらも、流されていくこの俺を。
俺自身すら、非難できない。

現実から目を背け、耳を塞いで。
手に入らないから、諦めるのか。
手に入るもので妥協するのかと・・・

妥協も時には必要だ。
その妥協さえ、俺の運命。

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