歪み
なにもかも 一つ 残らず


初め。
遠目に映った女はとても美しかった。
長い睫毛に縁取られた目や、長く伸びた細い腕。
赤い口唇は、熟れかけた果実に似ていた。
身体からは甘い柑橘の匂いが立ち上る気がしたし、それが錯覚でないことも知っていた。
蠱惑的な笑みには毒が合って、でもそれは慣れてしまえばどうとでもなるくらいの量。
まだ致死量には達していない。

出会って、航海して、離れて、また巡り合って。

いつから。
単純な時間の経過ではなく、なんと表現して好いかは判らぬ。
けれど、ある時を境にくちづけをした。
微かに口唇をひらき、触れ合った。
ゆっくり舌先を動かし、俺の口唇を舐めた。

俺もそれに倣った。


甘いような匂いと、苦いような。
後者は恐らく毒がまわりはじめた所為だろう。
時間が経てば抜けていくだろうか。

柔らかい口唇が何度も動いて、言葉を発するように俺の内側へ。
囁いているのか、それともそれは上擦りか。



 すぐ傍で見るその顔は無数の歪みに溢れていた。


裸の瞳を縁取る睫毛は所々気紛れにカーヴしていたし、
うっすらと左目の下には薄い色のほくろがあった。
額の、髪の生え際には小さな疵があって髪をかき上げるときだけ姿を現した。

口唇の端には古い傷痕。
笑うと不格好にそれが浮き出る。

髪の毛からは微かに汗の匂いがした。
先刻まで炎天下、蜜柑畑の世話をしていたからだ。
どこから貰ってきたかわからぬ煙草の匂いがそこから来る。

不格好な嫉妬心を押さえて、続けたくちづけ。



 目を閉じた闇の中で探るが何処にも答えなんかは見当たらぬ。








*






外側から一歩入った。
俺は一頻り戸惑ったが慣れるのに時間はそうも掛からなかった。

裸の爪が俺の背中を引っ掻き。
白い歯は俺の肩に噛みつき。
滑らかな口唇で俺を擽った。





女は無数の歪みに充ちていた。



 例えば。

右耳の後ろには小さな赤い跡がある。
昔あけようとして失敗したピアスの跡だという。
アンタのと一緒だよと俺の左耳のピアスを指先で遊ぶ。
澄んだ、金属音があとに残った。



 例えば。

背骨の真ん中に淡い二つの痣がある。
昔ナイフで刺された跡だろうと笑う。
アンタの背中は綺麗ねと何度も手が往復した。



 例えば。

左腕の刺青の傍にはかつての名残が嘲笑う。




腕の下で悦びに撲たれる女は俺がそれを一々聞くのを怪しむだろう。
俺は何度も女を裏返したりしながら、無数に散らばり傷跡を残した場所を何度も嘗めた。
けれど女は俺がそうしている間は固く目を瞑り指先を痙攣させながら身体の奥を疼かせている。
気がついているか。
いや、どうだろう。


俺の目はそれら 一つ一つ見つけだす。

俺の手はそれら 一つ一つ確かめる。

俺の口はそれら 一つ一つ問い糺す。

お前はそれに答えて。

ただ俺の惨めな葛藤だけがそれを赦さず認めない。




俺はけものの様に何度も、執拗にその痕を嘗めとれないかと、そうするだけだ。






女は無数の歪みに充ちていた。
例えば腰骨の僅か下、俺が昨日つけた痕が残っている。
例えば内腿にはちいさな黒子がある。
必ずしも対称ではない。
それが歪み。


外から見ただけでは判らぬその内側に入り込まねば見えてこない。
少しずつ捩じれながら、その透き間に埋もれ僅かに呼吸し不完全さに安堵する。

黙りこくったまま居る俺に二つの大きな瞳が真っ直ぐに見つめた。
大写しにされた俺の姿だけは歪めることが出来ない。


なんでもネェ


そう言って、また挿し貫いて。
女は呻く。
足掻きながら固く目を閉じた。


俺の両腕はその歪んだ身体をきちんと抱けているか?
何処か零れてはいまいか。
何処か漏れてはいまいか。

傷痕も、何もかも。



一つ、残らず。

end


小川洋子氏が好きです。数はそんなに持ってないんだけど、好きなんですわ。
多分読んだら「あぁ好きそう・・・・・」と言われること間違いなし!と言うくらいあからさま。
そう言うわけでこんなのが書きたくなったのです。
しかし微妙に裏くさいな。どっかゾロ吉逝ってるしよう・・・・・・
お絵かきの息抜きのつもりだったんだけど、本気でてる?いやいや。(どっちなんだ。)

しかしコレ書いてるときに思わずジャガーの4巻読んじゃってテンションが上がったのがまずかった・・・・・・・・
ネットアイドルチムリー。

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