グッナイベイビー よいゆめを









遠くに在りて

-そ し て か な し く う た ふ も の-

















よく眠っている。






考えすぎて飽和してしまうのを悟らせぬ此の女がいつも不憫だ。
もっと、簡単に投げ捨ててしまえばいいのにと。

だから抱いた。

他の事など考えなくてもいいようにと、もうやめてと乞われても。
何度も怖いと、自分の名すら呼べずに喘ぐのを見ても。
終いには声などでなくて、突っ込んだアレを絞れるだけ絞って、
体中を痙攣させているのを見て漸く手を離せた。

いつもは此方が先に寝入るのに、始末を終えるか終えぬかで寝入った陸奥を見て、
難儀な女だと背を抱いて寝た。



今は腕の中には居ない。
夜中に目を覚ましてしまい、
小用ついでに外の様子が何かおかしくて障子を開けたら雪が降っていた。



雪には、どうにも堪えられぬほどの憧れがある。



少々惜しかったが寝間には戻らず、窓辺に腰を据えた。
憧れは胸を焦がして寒いのも気にならず、じっと眺めた。







静かだ。






どうして雪の日はこんなに静かなのだろう。

家鳴りもしない。
人の声も無い。


誰も彼もが、いや世界中が眠っているようだ。



障子を隔てた部屋でも、眠っているひとがいる。
どうかこのまま静かに更けよと、ちらりちらりと降る雪に祈る。










連れてきたのは正しかったのか、間違っていたのか、正直わからない。
陸奥は黙ったままだった。
いい想い出は無いと聞いている。

それはそうだろう。




幼い頃に追い出された地など、見たくも無い筈だ。
陸奥の口から郷里のことは聞いたことは無い。
姉が、彼女の母から聞いたことを教えてもらった程度である。
だから、憶測する事しかできない。



此の宿の事は商売仲間から聞いた。
善い宿を知らないかと尋ねたら、あぁじゃぁと教えられた。



 偶然だ。



だが、この世に偶然などあるのだろうか。
まるで導かれたようだと、思ったのも事実。






偶然に焼け残った屋敷。
偶然に移築された嘗ての生家。
偶然に知らされた此の家の事を。

もういいでしょうと見得ざる手に引かれた様だ。
信じては、いないけれど。








雪が、静かに降っている。
万物に平等に、ただ静かに。


暖かいところだと聞いていたが、雪が降るのだなと硝子戸の向こうをじっと見る。
遠くまで見えるのは雪明りというらしい。
雨と成分の変わらぬのに、どうしてこうも違うのだろう。

静かだ。




郷里には余り雪は降らない。



降るところもあるが、自分の住む場所には余り降らなかった。
だから膝が埋まるほどの雪を見たのは、確か郷里を出て戦に出てからである。
喜んだのは自分と南国育ちの者だけで、
何故こんなモノに喜ぶのかと北国の出の者は首を傾げていた。

空から落ちる白い欠片が、綺麗だと思った。
あの頃の事は思い出したくも無い事ばかりだが、旧い仲間と雪だけは別だ。

不思議なものだと思う。








陸奥は何も言わなかった。
海の上で降る雪を見ても、ただ黙って灰色の空を睨んだ。

空を睨んだのか、
或いはその雪に纏わる何かを睨んだのか、知る由も無かったが。





 生まれた場所を離れて、遠くへ行く。

 自分の意思であろうが無かろうが、産土から切り離された自分。







 故郷というものはなんだろう。





足の埋まるほどの雪は確かに嬉しかったが、冷える朝には辟易した。
暑いのには強いが寒いのにはからきしで、
恥ずかしながらも郷里を懐かしく思ったことが無いわけではない。







 郷里、というものはなんだろう。






どう例えて善いかわからない。
ただ、そこに、誰しもが当たり前のようにあるものだと。
自分が、最期の最後に帰ることの出来る場所。
そういう、場所。
或いは。


待つ、誰か。



彼女にはもう無い。






無くなった瞬間を、自分は見た。
その孤独は埋まらぬのではないかと、崩れるような顔を見た。
なにをどうしても遣れぬと泣き続けた背を撫で続けるしか脳の無い自分が歯痒かった。




 故郷。

自分が捨ててもそこにあるもの。
変わらないでいて欲しいと願う心。

しかし故郷に捨てられた者には、戻る事さえできぬ場所。









自分には父が居る、姉が居る。
捨てて行った自分を怨みもせず、もう一度抱擁してくれた。
自分も、戻る時には不安もあったがどこか期待していた。

あそこまで辿り着けば、なんとかなる。
此の苦しい道程も、あそこで終わりなのだと。
其処まで辿り着けば、ゆっくりと眠れると。
誰かに守られて、目を閉じられると。



じっと黙って待っていてくれる誰かが其処には居るのだという確信。
そして其処ならすべての荷を降ろしてゆけると、
新しい荷を背負う為に少し休めるという途方も無い安堵感。

郷里というのは地面ではない。
暫くお休みと言ってくれる誰か。
だから、あの娘を待つのは自分でもいいのではと思った。



甘い事だ。
誰よりもあの娘に負担をかけているのは自分なのに。




少なくとも自分は、陸奥の所へ戻ろうと無意識に思うときがある。
何万キロと離れた星へ出かけて戻るときにも、帰るのだと言う意識が働く。
地球へ無断で遊びに行って戻るときにも、
帰ったら怒られるなぁと思う時には必ずあの女の顔が浮かぶ。

いつから。

いや、意識などしたことがない。
無意識の内だ。







願わくば、あれもそう思ってくれればいい。
きっと、吐き捨てるように言うだろう。
馬鹿も休み休み言えと。
すぐに居らんようになる故郷などもう要らぬと。




袂に入れた、潰れた煙草に火をつける。
寒い、暗い夜はいやだ。
女々しく埒も無い事を考える。








今日が雪でよかった。
うるさい、雨音ではなく。









静かに降れ。
どうか、あのひとが眠れるように。













世界を覆い、寝かしつけよ。








その柔らかな、冷たいはなびらで。



















end


write / 2008.2.1
拍手で出してた「遠くに在りて」のおまけのお話です
なんか雪の降った日に一気に書き上げた覚えがあります
本編の時間軸より前にはなるんですが、こんなことを思っていてくれたらいいのに…
でも、まぁこんなクレバーなの坂本じゃないと思いつつ
もっと懐の深くて温かそうな坂本が書きたい…。
精進します。

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