ひるもよるも、それからあしたも









テネシーワルツ







他人の部屋というものはその人の匂いがする。
ただの箱の中にもその人の影が見える。


艦の辰馬の部屋を思い出す。

脱ぎっぱなしのコートは軽薄な赤色。
脱いだらすぐにコートハンガーに引っ掛ければいいのに、シノワの衝立に引っ掛けてある。
作りかけの帆船模型が棚の上にある。
手先が器用なのだ。
天井には古い機械を模したモビールのような物がぶら下がって空調の風に揺れている。


艦の部屋とこの部屋はどこかしらリンクしている。


ここも乱雑な部屋である。

陸に上がったときだけに使う部屋には小さなテーブルとソファ。
床に直に敷いたマットレス。
家具などはそれだけ、食事はほとんど外食だから冷蔵庫には水とアルコールしか入っていない。
広々としたただの箱の中、今は一人で眠っている。
隣は蛻の殻。






開けた窓からは煙草のけむり。
それから鼻歌、なんて歌だろう。
テネシーワルツ。
まだ冷たい春風が一緒に流れ込む。

風に揺らめくカーテン、開け放たれた窓からはターミナルが見えた。
二十四時間眠らず龍脈を経由して巨大なエネルギーを吐き出す此の国の進歩の象徴。
青味がかった光を放つ塔、空を夜なのに明るくする。

星が見えない。

白夜のように、夜でも明るい街。
遠くで電車が走る、車が風を切る音がする。




宙は真っ暗だ。



あそこはよく眠れる。
光は人工物。

眠る時にスウィッチをひとたび切れば、真っ暗な密度の濃い闇がすぐそこに迫る。
空恐ろしく、死にも似ていた。
覆いかぶさる濃い闇に息を詰まらせて、溺れるように眠りに落ちるのだ。



眠くない。
今日は夕方一眠りしたから。



昨日の夜、快援隊の旗艦より総員下艦した。
休暇兼、定期メンテナンスの寄港である。
一週間置きに四隻の艦を続け様にドックへ入れて、内外をチェックしてまた宙へ旅立つ。

その間はつかの間の休暇である。
既にメンテナンスが終了した艦の一部は順次稼動を始めたが、
旗艦が最後で今日ドックへ入ったので今週一週間は完全な休暇になる。

辰馬はそれまで酷い船酔いだったが陸に着くなり鉄砲玉のように飛び出した。
こちらは所用をすべて片付け、ドックへ入れるまでを見届けた。

江戸には部屋は借りていない。
こういうときは一週間丸々ホテル暮らしである。
そのほうが煩わしい荷物も増えぬし、身軽でいい。
それに年にひと月も使わぬ部屋など借りて遊ばせておくほうが不経済である。

さて束の間自由、そう思った矢先電話が鳴った。



辰馬である。


休暇中じゃと切ろうとしたとき、すまん財布を忘れたと持ってきとうせと言う情けない声。
何の準備もしないで飛び出すからだと呆れもしたが、電話を取って代わられたりょう殿の、
うちツケはお断りしているんですよぉと言う声。

財布の無い辰馬など何の魅力も無いと言わんばかりである。

まったくその通りよと思いながら、腹も立つ。




結局ホテルより先に迎えにいく羽目になった。
何しろ辰馬の財布は艦の中である。
自分の財布から支払い領収書を切って貰い、そのまま辰馬に請求書と書いて渡してやれば、
部屋にある筈じゃとそのまま拉致られた。

いったい此の数時間の内にどれほど呑んだのかというほど酒臭く、
タクシーに相乗りしている間中、その顔を窓から出してやりたい気分であった。
実際こっちへ擦り寄ろうとするから、足蹴にして逆のドア側へと押しやっていたのであるが。

辰馬の借りているマンションの前に着き支払を済ませて車から降りた。
千鳥足一歩手前という体で、よろよろとオートロックのセキュリティボードに部屋のキーに差し込む。
財布は忘れても鍵は忘れなかったのかと聞けば、鍵はいっつもベルトに付けちゅうと笑った。
じゃぁ財布も首から提げておけ。












部屋に入るなり倒れこんだ辰馬の襟首を掴んでベッドの上に放り投げてやったら、
そのまま腕を取られて引っ張り込まれた。
ひと月ぶりじゃと上に乗り、上着を煩わしそうに脱ぎながら笑ったからたぶん確信犯。
冗談はやめやといったのにそのままなし崩し。
目が覚めたらもう昼近くで触れられて起こされ、
陸に上がったときくらい太陽の光を享受しろと、陽の高いうちから勤しんだ。


今日は一度も服を着ていない。


午後の太陽は白かった。
黄昏の夕日は橙色。
宵にかけて濃い赤へと変わっていった。



また青白い夜が始まっている。




春の夜風に乗る匂い。
煙が目にしみる。



「辰」

「ん」

辰馬はシャツも羽織らずズボンの前を開けたまま、咥え煙草のままベランダから顔をのぞかせた。

「よう眠れたがか」

掃出窓の桟に手を掛け笑って云った。
昨日から断続的な眠りばかりで、ゆっくり眠れた気がしない。
ただ妙にすっきりしている自分が恨めしい。

すっきりしているけど体中がだるくて腰が痛いのは誤魔化しようも無いが。
腕を立てて身を起こそうとして痛みに顔を歪めた。


「やりすぎたかえ」


辰馬は愉快そうに笑いながら脱ぎ散らかされた、
いや正確には奴が剥ぎ取った着物一式を屈んで拾った。


「やりすぎじゃ」


起き上がるのも億劫で、
昨晩からあわせて三度身体を重ねた男からそれを受け取ろうと手を伸ばす。


「よがり狂うちょったおなごが何をゆうがよ」


着物の山の中から下着を探し当てへらへらと笑う。
返せともぎとり脚を通す。


「逝くに達かれんきに、よがるしかぇいろう」


甚だ下品だとも思いながら悪態を吐いた。


「達かれんかったがか」


私が支度をするのを眺めながら自分も新しいシャツを着た。
どういう自信が或るのか、おや意外と云う顔。
着替えの手を止め、被さるように覗き込む。
ほやったら今度は達かせちゃるきに、悪童が悪戯を思いついた顔で笑う。


「阿呆、擦り切れるちや」

鼻で笑って遣れば、擦り切れるまでやりたいのぉ、と顔を近づけ笑った。
たぶん本心。


「きょう晩は何べんでも達かせちゃる」

着物を着ようとした手を解こうとするからもう止せと云わんばかりに振り払えど、
また身体を押し付けてマットレスの上に倒された。
もう抵抗する気力も無い。




「ほがなところへ行くより飯を食いにいくぜよ」




ぎゅうと腹が鳴る。
本能の恐ろしさ。
今は性欲よりもそっちを満たしたい。


「腹が減った」




色気が無いのォといいながら、辰馬が大きな声で笑った。





end


WRITE / 2008 .3 .1
日常的な一コマが、書きたかったんだけど…。
なんだこれ?

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