call me

Please call it for me

I am waiting for your call




for a long long time.





Satellite Phone

#-1


猫の。
猫の泣き声に似ている。

郷里に居た頃の話だ。
余り評判の良くない女がいた。
囲われとか二号さんとか、兎も角そう言う類の女性が住んでいると云われる「家」があった。
子供は近づいてはいけないといわれていた。
文字通り取って喰われるとでも思っていたのだろうか。

何の折にかは忘れたか近所の悪童ばかりが集まって、その件の女を見に行こうということになった。
当然のことながら自分も居た。
どういう経緯かは忘れた。
美人であったとか、あわよくばという童貞ならでは都合のいい期待があったのやも知れぬ。
その家からは昼日中から酒の匂いがしていたり、夜中に三味や琴を鳴らしたりする事もあった。
突然その風雅な音が切れると、猫が唸る声がしたと云った者が居た。

一体どれほどのもので押しかけたかは忘れた。
精々四、五人だったのかもしれない。
そのときは女は見えなかった。
残念だと帰ろうとしたとき。



猫の。




猫の鳴き声がした。



女の家の座敷からであった。
猫でも飼っているのかと思った。

故意なのかそれとも事故か、おもてに面している座敷の障子が細く開いていた。
見えたのは四足。
白い脚が二つ、黒い脚が二つ。
互いに割り合いながら絡み合っている。
真っ赤な紅絹の上で繰り広げられる脚相撲はとても淫らで、それを見ていた悪童どもは全員黙った。
黙って生唾を飲み込んで股間を硬くしていたに違いない。
自分も恐らくそうだった。

猫の声がした。
座敷の中で、紅絹の上で、白い方が劣勢になるとひときわ強く鳴いていた。

脚相撲はじりじりと一進一退。
ひとたび白い方が優勢になって上へ圧し掛かる。
紅絹の上、足の指を踏張りながら、僅かな隙間からその背中が、乱れた島田が歪んで見えた。

二寸は開いていないその隙間で赤と白と黒が交じり合う。
決して混ざり合うことなく、上になり下になり、縦になり横になり。

猫の声がした。
座敷の中で。

あぁん、なぁん。
甘えた声で、猫が鳴く。












     *










世界は雑音で満ちている。
耳障りだ。
要らない。

襖を開け閉めする音。
隣とを隔つ薄い壁はものの役には立たぬ。
外も煩い。
車が風を切る。
人語が幾千も交じり合う喧騒。

思えば自分の中にも音がある。
心拍、その脈動、骨の活動音、呼吸。

それから声か。
煩いと思う。



美しいものはほんの一握りだ。
だけれど雑多で煩雑なものに阻まれ、それらは姿を潜めている。



猫の、鳴き声がする。
あぁん、なぁんと腹の上で鳴いている。

そんな大袈裟で過剰なサービスは冷める。
少し黙ってくれ。

部屋に入るまではとても楽しいことが待っているように感じる。
けれども、服を脱いで蒲団に潜って女が服を脱いだら途端に興味が薄れる。
基本的に移り気なのかもしれない。
ひとつ処に立っていられない。

あちらこちら、ひらりひらり。
春の庭先を舞う、ちょうちょのように。

人を変えてもすることは同じ。
子供のこさえ方は知っていてもお前は女の愛し方を知らないのだ、
言うやいなや灰皿を投げつけた女がいたなと思い出す。

そうだその通りかも知れぬ。

「ねぇえぇ、さかもとさァん」

部屋は薄暗く、足元に置いてある赤橙のランプが部屋を照らしている。
シャッタースピードを遅らせ、視界の揺らぎをつよくする。
結った女の髪は乱れていた。
肌蹴た着物は用を成さない。
腕に巻きつき揺すられる腰のあたりで折り重なる。

「鳴ってますよォ」

女の白い腹が見える。
その中で自分の弱点が絞られている。
温かくぬめってとろりと熔けた坩堝の中で、
硬く天を仰ぐこうぶつを飲み込んで、女はゆっくり腰を振る。
芯を溶かすように、なきながら。

「電話ァ」


煩い。

電子音の風情の無さ。
同じ雑音でも大風に揺れる風鈴の音の激しさは許せるのに、
機械で合成されたその音に苛立ちを感じるのは何故だろう。
人が作ったモノを同じ人が厭うとはおかしなことだ。
おおよそ人は神にはなれぬ。
人の所業は許せずとも、神の所業は諦めという名で以って許せざるを得ぬ。
いや許されてないのだ、我々が。

神は万物を作った。
人もそうだ。

じゃぁ女は神様か。
その腹の中で人を作る。
男は種を撒き散らすだけ。





「あっはっは、ほっちょき」




軽快なメロディが鳴る。
電話の音は社からに相違ない。
残念ながら今は出られない。取り込み中だ。

女は苦しそうだ。
白い腹が蛇のように動く。
もう駄目ェと仕事を放棄しようとしたから、一つ強く腰を突いた。
まだまだぜよと笑ってやったら、少し仰向いてこすり付けた。
繋がりを見せるように大きく仰け反り、わざと拡げて見せた。
べたりとした粘液が一瞬で冷え、蝸牛の這い跡のように汚らしく指にあとを残す。

電話が切れた。
たいした用事ではないのだろう。
この世に自分でなければならないことなど何一つ無い。
代わりは利くし自分が消えても世界は回る。
だから電話になどでなくても構わない。
此処で一本の電話に出たところで何も代わりはしない。

飽くほどに女を抱きながら、その欲の深さと対象への興味が失速する速度に辟易とする。
つまらない。
服を着ている間はとても楽しいと思う。
けれども、その後がいけない。
身体中を嘗め回しても、散々から触って、触られ、口で絞られても、
反射というのか生理的な反応か、勃ちはするが興味は失せる。

身体の熱は上がるが心は冷めていく。
その速度が恐ろしく早い。
いや、最近とみに早くなった。

飽いているのだ。

代替の利かないものを無理やりに代償させようというのだからお粗末なことだ。
身代わりにもならない女を抱いてどうなる。
我ながら酷い。
けれども自虐的な自己弁護などする気にはなれない。
自分には女が要る。
内側に溜まり蓄積するものを吐き出すには女が要る。
自分で搾り出すにも体温が欲しい。
ぬるま湯のシャワーでは事足りぬ。
女の汗の匂いや、髪の匂い、或いはその肌に纏う白粉やそれらすべて混じった体臭。
出来るだけ濃く匂って欲しい。
かすかな馨りに燃え立つ心を眩ませるように。
血迷う心を惑わすように、より強く、より鮮明に。

自分には要る。
女が要る。



 どうしても、要るのだ。







また電話が鳴り始めた。
気にする女の尻を叩いた。
何で音消さないのォと甘えて言う。
忘れていたのだと下から突く。
電話のメロディは切れた。
猫は鳴く。


明滅する携帯電話の不在着信のあったことを知らせるランプ。
目障りだというほどに点滅する。
さかもとさぁん、女は髪を振り乱す。
長い黒髪が白い肌の上に蛇のように這う。
薄暗い天井に、薄い壁に、蛇に飲まれる影が躍った。


「もう、あん、またァ」



今夜三度目の電話、先ほどとはメロディが違う。


きた。



手を伸ばし鳴り続ける電話を散り上げて、サブモニタを確認した。
音を消さない理由などとても愚かしい理由だ。
愚かで、一途で、最も美しいと信じ、唾棄すべき恥ずべき感情だ。

待っているからだ。



たった一本の電話を。








きた。

ようやくきた。





坂本はやおら上半身を起こすと、腰を振る一夜限りの恋人気取りの女の首を左手で掴んだ。
同時に右手で携帯電話のフラップをあけ、通話ボタンを押す。
女の目を見あげる。
動くなと首を掴む手にかすかに力を込めた。






「なんじゃぁ」




火種が、投げ込まれた。
冷えていた心に、再び火がつく。
ちりちりと小さな種火は炎となる。
じりじりと熱を発しながら燃え広がり、飛び火する。



「頭か」



じんと脳髄が痺れる。
低音のノイズ交じりの声。



「あしじゃ」


じわりと熱を帯びる。
身体と心の温度差が埋められ、更に熱せられる。
女の中で膨張する楔が硬度を増し、暴発するのを待っている。


「どがぁしたぁ、陸奥」


女の首に手を掛けたまま、其の侭蒲団の上に突き飛ばす。
脚を大きく拡げさせて、脚を高く上げろという。

「今えぇか」

此の声はいい。
とてもいい。

「おぉ、なんじゃ」


右手で受話器を持ちながら、自分が跨ぐ女を見た。
喉元に突きつけた左手をゆっくり離した。


「スケジュールの確認じゃ」

左手は其の侭、女の枕元にあったものを取った。

「新契約先の事前会議が明後日、覚えちゅうか」
「あぁ、覚えちゅう」

繋がりあい脚を開くことで剥き出しになった場所をまさぐった。
指で、ではない。硬質のプラスチックの玩具の先端で。
道具を使うのは初めてではないし、普段は使いたいとも思わぬが、今日は少々忙しい。


「その件で雑誌社から取材がある。広報とあしが対応してもえぇがおんしも居った方がえいろう」
「ワシらも有名になったもんじゃのぉ」

玩具の先端を女の翳りの奥に潜り込ませた。女のぬめりが器具越しに伝わった。
確かにそこにあるのに実態が無く触れられぬようだ。
さかもとさん、それオプションですよぉと女は笑う。

「別口で経済誌と女性誌からの取材も。受けるか」

内容は、と問いながら陸奥の声が少し掠れたのを聞いた。
あぁ多分、今気がついた。
送話口から漏れて聞こえたに違いない。

「若き貿易会社社長がうんたらかんたら」

せめて何をしているのか位聞いてくれてもいいだろう。
まぁえいろー、暢気に答えたと同時に左手にあるスイッチを入れる。
女が啼いた。


「と、り引先から昼食会議のお誘いが二件、これは今日。時差があるきにあと22時間後」

わざとらしい咳払い。
上擦った声。
気がついただろう。
なにをしてるか。

電話の向こう側が、見えただろう。

女は腰を高く上げながら脚を突っ張り乍ら悦楽から逃げようとした。
被さるように腰をもう一度深く突き入れる。
振動と女が絞り上げる内側の柔らかくしなやかな力に眩暈。
受話口に、息が落ちた。
喉から、思わず漏れた。


「戻りは、いつ頃じゃ」

受話口から陸奥の声。

なんて優しげな声。
面とむかってはいつも突っぱねたような物の言い方をするのに、今日は随分優しげだ。
自分に優しくする必要がどこにあるのか。
男に手加減などしてはいけない。
そうずっと、教えているのに。


「あと一時間後にターミナルに着く。艦から一番近い星への便の予約を頼むちや」

女がよがるから左手の玩具を強く圧したり引いたり。
奥から満ちるように収縮を始め、声は引き絞られ息すらつかせぬ。

さぁ、もっと声をあげてくれ。

此処からどれくらい離れていると思っているんだ。
あのこに、聞こえないではないか。


「分かった、端末にチケットのコードを送る」


声に被さるコンピュータのキーボードを叩く音。
冷静なキーパンチの音を聞きながら、間もなく終わる此の会話を惜しんだ。

「ほいから」

艦の時間は今どのくらいだろう。
陸奥は仕事終わりなのか、それとも出勤したばかりなのか。
向こう側では紙がめくれる音がして、ちくと待てという声。

「あとはメールで済む。至急回答が必要なのはもう無いちや」

そうか、それだけか。
数件のアポイントメント、帰還時刻、その確認、なァ他にはなにかないのか。



「陸奥」



沈黙の続く回線の向こうにいる女を夢想した。

難しい顔をしてるか。
それとも此方の情景を想像して呆れているか。
嫉妬してくれとは言わない。
だが少しだけ不機嫌に、或いは気分を害してくれたらいい。




「いつも済まんの」



急に、虚しくなった。
何をと問われても、何もかもと言うしかない。
玩具の電源を落として放り投げた。
女が何か言ってる。



 黙れ、声が聞こえない。



「のぉ、今、何をしゆうがよ」

陸奥は相変わらず黙っている。
正確には何か言おうとしたけれども溜息と舌打ちに変わり、仕事中じゃと短く答えた。
毒舌家だが働き者、他人の三倍よく働く。
妥協を許さず、自分に厳しく、今日も多分居残って仕事をしているのだ。
他の音が聞こえない。



「おんしの顔をもう一週間も見とらんのぉ、さすがに恋しゅうなったぜよ」



その小さな背中を思う。
ペンを握る手を思う。
疲れたと、顔を覆い、項垂れる首を思う。
別の女の体温を感じながら、声を聞く。
まやかしだろうが、自分を欺いているとせせら笑われようが、
それを慰めにしたとて、罰は当たるまい。


ふんと陸奥は吐き捨てた。






「女に跨りながら言う台詞ではないの」



血が沸く。
冷めかけてた血が沸点まで達し恍惚に針を刺す。
それは嫉妬、それとも呆れているのか。
取り乱してくれたっていいのに、僅かな動揺を口にしてくれれば気が済むのに。
冷たい言葉、惑わぬ言葉、虚しさに快楽だけが反比例する。




火はついた。
お前がつけた。
関心が無ければ、そんなことは言わぬだろう。

呆れろ、怒れ、腹を立てろ。
激昂、逆上、目を剥き、憤然たる声で罵りたまえ。


「陸奥、愛しちゅうぞ」


沈黙は不快感の所為か。
それとも苛立ちか。
向こう側に要る女はふぅとひとつ柔らかな溜息を吐いた。


「おんしの隣に居る人を、心を込めて抱きや」


ごく静かに言った。
感情をするりと剥がした、無機質な、いや。
世界の浄不浄を其の儘飲み干す様な。

いつもそうだ。
お前は最後には何もかも飲み込んでしまう。

どうして飲み込める。

咀嚼もせず嚥下して咳き込みもせずじっと我慢できる。
呑み込める大きさなのか。
それとも息すら止めて通り過ぎるのを待っているだけなのか。


目を瞑る。
沈黙する陸奥の顔を思い描く。
どうしてだろうか。
先ほどまで目蓋に描いた姿は消えうせて、項垂れた長い髪の毛がその表情を隠す。

嗚呼、髪を撫でてやらなければ。
頼むから許しておくれと額づかなければ。

はやく、はやく、はやく。



「すぐ戻るきに、ゆるしとうせ」



許すも許さぬも無い。
陸奥は数秒の沈黙のあと、じゃぁ、艦でのと柔らかく言った。
おぉと返事をした。

可愛げはない。
嫉妬もはっきりとは見せぬ。
ただ、気持ちを掻き回す。
掻き回して憂鬱にさせる。
そう仕向けたのは自分なのに、間違った方向へと苛立ちが向く。


「クソ女」


携帯のフラップを閉じ、後ろへ放り投げる。

 さぁて。

女は息も絶え絶えで、金銭以上の演技をしてくれた。
あぁなんといい女だろう。後で謝礼を弾まねば


「かえらにゃァいかんのォ」
「えぇ、あぁもう」


甘く言った女の顔を今宵初めてきちんと見た。
八重歯の或る田舎くささの抜けぬ娘だった。
寒村から身売りをしてきたのか、色白の肌にそばかすが見えた。




 おまえたち娼達はやさしい。




騙していることを気づかせない。
騙されていることを教えない。
愛したかたを知らない男を今も大事に包んでくれている。

「おまさんが達ってからやき、せめて気持ちようなりや」

すまんのう、と髪を撫でた。


「坂本さん、はやくおかえりなさいよ」


女は優しく笑う。
さまざまなものを飲み込みながら、まやかしのかねことの愛にそれらをくるんで。

分かっているのだ。
代わりにはならぬということを。
嗚呼、それでも満たされぬ温度だけは娼たちが与えてくれる。


私が欲しいもの。

たった一つの嘆息。
嫉妬混じりの厭味、不愉快な声、激昂する頬の赤み。

一本の電話。

それを待ってた。






あなたからの、コール。
名を呼ぶ声。
何処にいても繋がりあえるという、根拠の薄い安堵。


衛星回線を通した声。
遠い場所にいる、声を頼りに。


手を離されはしないだろうかと、時々手繰って確かめる。
細い糸の強度を、その色を確かめるように。














end


WRITE / 2008 .9 .26
坂本が文中で言っているのは着衣泳法(笑)が好きと言うわけではないということを先にお断りしておきます。
というか、着衣泳法はそれでも好きだと思いますがというかこないだ見た映画で非常に萌えたので書きますがそう言う意味ではないですよ。
フラップ閉じて携帯ぶん投げる辰馬と「女に跨りながら言う台詞ではないの」が書きたかっただけ

あとお断りしますが此の坂本すごく変態ですね。
悪い坂本はすごく好きですがこれ変態ですよね?
でもその変態なのがいいといわれたので坂本変態で通します。

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