物質の臨界点以下の圧力と
液体の飽和蒸気圧が等しくなる温度
沸点に達した物質はいたるところで気化が生じ
物質の質量はその分だけ減少する
目に見えぬ
きたいに変化する
沸 点
灯りは点いていないほうが善い。
出来たら蒲団に入ってくる前までに消して。
初めは後ろから触れて欲しい。
髪を掬い上げて首から。
服を脱がすのはゆっくりじゃなくても善い。
剥がすように急いで。
抗う腕を強く押さえつけても善い。
その重みが心を軽くする。
辰馬とのセックスはいやではない。
他の男とのそれを知らぬからはっきりとは判らないが、
映画などでよくある暴行に近い種類の事はされた覚えが無いし、
厭だと言えば引いてくれる。
灯りは消してくれと言えば消してくれるし、
もう知らぬと背を向けて寝ればすまんすまんと朝まででも髪を梳いてくれる。
厭になるのは自分自身。
強い衝動が底知れず湧き上がる自分自身。
帯を解かれても往生際悪く、厭だ厭だと嘘をつく。
私の嘘を判っているのか、それとも此れは女の使う常套句なのか、
それともその際を知っているのか。
辰馬は容易に服を脱がせ、後ろから首を吸い、散々口唇を蹂躙した。
耳朶に触れ、乳房を捏ね、服と肌の隙間を探るように手を這わせる。
髪を梳き、膝を伝い内腿を探る。
名を呼び、脚を開きとうせとごく近くで言う。
掠れた声が背中からいずれかに到達して疼きへ。
私は目を閉じているから判らない。
暗いから開けていてもいい筈なのだが、いつも目を閉じたまま耐える。
一向に脚を開かぬ私に焦れる事も無く、
辰馬は意固地じゃのと微かに笑いながら膝頭に手を掛ける。
背中は蒲団の上に預けたまま、更に固く目を閉じる。
何をしているか、何を見ているか想像もつかぬ。
割られた内腿の間に辰馬の頭があるというのは分かる。
融けちゅうと微かに笑ったがそれも止んだ。
舌は別の事に使われている。
足の指が痙攣する。
柔らかな舌の先端を固くして、身体の奥の奥に隠している小さな釦を舐る。
痛みは無い。代わりにどうして善いか判らぬ波が次々と押し寄せる。
声を上げてはならぬと奥歯を、手の甲を噛む。
耐えられないほどではない。
いつもそう思う。
けれども、時折来る大波が手の甲の痛みよりも強い時、
声が上げられないから別の場所へと波が寄る。
腰が浮きそうになる。
けれども爪先に力を入れて堪える。
シーツを擦る音が粘膜を舐る音に紛れた。
尻の下が冷たい。
何か水っぽいものが垂れている。
辰馬の指がその粘液を絡め取り、クレヴァスを伝う。
何か冷たく硬い物が先にひらいた場所へゆっくりと入り込む。
強い動きもしないそれに、緩やかな進入を容易く許す。
同時にそれよりは柔らかく長いものがさらにその下、閉じたままの孔の淵に触れる。
身体の出口をやさしゅう擦る。
まだそこは慣れぬ。
やめてくれと言おうにも舌が回らぬ。
無理強いはしないが止めろと言わなければ続ける不文律。
想像もつかぬといったのは、嘘。
本当は知っている。
何を見ているか。
何を弄っているのか。
どこに触れているか。
舌が、親指が、中指が。
どこに触れてどこを深く追うのか。
それらは自分では触れたことも無ければ、変化の知りようも無い場所。
抗議を示そうと辰馬の頭を押さえつけた。
怖かった。
知らぬ場所を触れられることが。
自分の身体の見たことの無いものを勝手に見られることが。
怖い。
もう何度も同じことをされている筈なのにどうして慣れてくれないのか。
辰馬は尋ねぬ。
責めもしない。
だから恐ろしい。
視界の無い世界で彼が此の身体をどう思っているのか。
何より、そんな小さな場所をそんな刺激だけで容易く気が触れそうになる自分が。
こめかみが脈打ち、焼切れそうで。
こわい、こわい、こわい。
いやだ、いやだ、いやだ。
二つの言葉は理性。
だがそれらは突き上げる本能に容易く掻き消される。
腹の奥がむずかゆい。
恐らくそこには手が届かない。
もしも手が届いたら。
きっと死んでしまうんだ。
思わず手に力が入って悦楽の始点を離そうと強く押した。
同時に辰馬の指が一旦離れ、人差し指と中指とがすぐに深く内側を抉った。
強い衝撃から逃げるように思わず脚が蒲団を蹴る。
辰馬の舌の動きが止まる。
陸奥、と名を呼ばれた問いかけ。
息が上がる。
ただ、蒲団に背を預けていただけなのに。
辰馬は、いつもこうやって私の身体を馴らす。
無理やりにしたりはしない。
私を前後不覚にして体中の力を奪い取ってから突っ込んでくる。
脚も立たないし、腕を上げる事すら億劫で、
訳もわからないまま、被さるその重みを受け取るしか能がない。
「後ろからがえぇ」
辰馬から逃げるように身体を捻りうつ伏せる。
身体の芯が熱い。
じくじくと疼く。
辰馬はいつもの調子で何故と尋ねた。
理由。
辰馬ははいつも顔を見たがる。
その度に厭だというように顔を伏せたり、手で覆ったりする。
しかしそれをどうするわけでもなくこっちを向きやという。
そういうときの私は声を嬌げて半分方狂乱の域にある。
辰馬と深いところで繋がっているのに怖くて逃げ出したいのに、
開いた脚の真ん中の、その更に奥がもっと突き上げて貰えと唆す。
でもそんな事は言えないと出来ないと判っているのに。
浅ましい欲望の虜になる己を見られたくない。
だからどうやったとて顔の見えぬ遣り様でと乞うた。
それに。
「早よう」
本当は後ろからなど厭だ。
痛みは無い。
けれども普段と違う場所を圧される所為なのか、普段よりも扇情的なのか、声が抑えきれぬ。
それに辰馬に触れられない。
怖いと逃げ出したいと思い、腰が引けるとその腰を掴んで更に衝く。
触れているのは繋ぎ目とその掌だけ。
本当にあの男が私を抱いているのだろうかなどと、愚かな疑問が孤独な背を撫でる。
だからこれまでに一度したきりだ。
以前これをいやがった後、辰馬はすまんすまんといいながらも、堪えとうせとそのままで最期まで貫き通した。
終わった後、自らの背中に辰馬の身体が被さって、安堵のような重みが衾のように覆う。
いつもより早よう往ってしもうたと、無理やりみたいで気持ちがよう無かったろうと謝りながら。
強制された快楽なのだと言われて何故か心が軽くなったのを小賢しく覚えた。
空白の時間。
脚に辰馬の着物と脛が触れている。
ふぅむと息を吐きながら顔の横に左手を着かれる。
右手はどこへ行った。
背骨を数えるように指が触れている。
産毛を撫でるかの如き穏やかなのに、そこを震源として身体のあちこちが震え始める。
温かく湿った口唇と舌がごく軽く、時折強く、皮膚を吸う。
たったそれだけで浮き上がりそうになる身体。
辰馬の重みで蒲団から浮かぬだけで内側で小さな火花が絶え間なく爆ぜた。
嗚呼、と叫ぶように声が出る。
多分外まで聞こえた。
三交代制の艦内の一番出勤している人間が少ない時間。
此処は人通りも少ないが誰しもが行き交う事のできる共有スペース。
いけないと思いながら上がった声は本能が理性を上回った証拠。
それを示すようにあの強い波が欲しいと体中が戦慄く。
「辰、はよう」
自分の髪を掴む。
痛みで正気を保とうとするけれどいつも無駄に終わる。
辰馬はああいかんと云いながら掴んだ髪を放す様に指を解く。
髪は彼の指に絡まり引き攣れる頭皮のわずかな痛みさえ快楽へと名を変える。
自分はどうしてしまったのかと思うたび、景色が滲む。
「いやじゃ」
きっぱりと言うと尾てい骨にくちづけ腰骨に触りながら、薄い肋骨の皮膚の上まで来る。
器用に裏返されて乳房の先端を口に含まれた。
温かいと思ったのは一瞬で、すぐに冷えた。
「こん格好はいやじゃき」
さっきとおんなじ格好だ。
ただ今は脚の間に頭は無く、辰馬の膝が内腿に触れた。
顔を手で隠しながら上に乗る辰馬から目を逸らす。
辰馬は愉快そうに笑いながら蒲団に背を預けた自分の頭上に手を伸ばす。
何かを噛み切る音。
あぁ、くるのだ。
「ワシはこれが一等好きぜよ」
笑ったような声でそう言う。
神妙な声など数えるほどしか聞いたことがない。
なのにどういうわけか閨の中では笑っているようなのに水っぽい声をしている。
此方を向きや、とそう酩酊寸前の頭に響く。
艶やかで、時折低く、掠れる。
不意に切り替わるその声が苦手だ。
普段触れぬ場所に蒲団が触れる。
他人の肌が触れる。
知らぬような男の声が、触れる。
口唇に、辰馬が重なる。
熔けた繋ぎ目を辰馬の指が探している。
口の中にはもう辰馬の舌が居る。
舌の上に乗る他人の舌。
どうしていいか判らぬから差し出すだけの稚拙な動作。
どうこうしろと指図された事もない。
ただ、目を閉じて息を止めているだけ。
一瞬、舌が離れる。
遅れて、指が離れる。
圧し込まれ息を呑む外圧、異物を吐こうとする内圧。
噛み締めた奥歯、異常に閉じた目のうちには見えぬ火の川が流れた。
拒むように辰馬の肩に指が喰い込む。
力の加減が利かない。
「なぁんでおんしゃぁ後ろからがえぇ?」
口唇に息が掛かる。
生温かい息。
すぐそこに居る。
十センチと離れるところに二つの眼がある。
多分何もかも見えている。
浅く息をする。
わずかに目を開ける。
バスルームの灯りが漏れている。
部屋の隅は闇に熔けている。
けれども。
目の前に着かれている辰馬の腕がはっきりと見えた。
浮き出る血管の影までも。
だから、たぶん、全部。
「なぁんで」
辰馬の右手が顎を持ち上げる。
薄く開いたままの目で今宵初めて辰馬を見た。
愉快そうに上がった口角。
何故というように傾げられた首。
うっすらと汗をかいた額。
どこか熱っぽく潤んだ眼。
大きなてのひらが私の前髪を撫で上げた。
「辰、頼むきに」
理由など判らない。
判りたくない。
これは強制された強い快楽だと。
あしの、意思でないような気がするきに、と。
そういえたらどんなにいいだろう。
だけれど、もうそんな嘘さえ吐けない。
あァもう判る。
判ってしまった。
これは。
誰のものでもなく。
間違いなく。
自分のものだと。
言い訳ばかりを並べた自分を恥じた。
それを黙って許した目の前の男に赦しを乞おうと腕を伸ばす。
胸の上に男の重みを感じたとき、身体の奥から情火が噴き上げようと鎌首を持ち上げる。
辰馬の息が一瞬乱れる。
微かにクソ女という声が聞こえた。
「後にしとおせ」
左手が、脚を抱える。
息を止めた。
end
WRITE / 2008 .1.18
融点と対になっているお話です
同時刻のお話を視点を変えて書くというまぁ王道ですね
しかし何故か陸奥側が異常に長くなってしまったのですけれども…
陸奥は最中きっと色々考えすぎているのだと思います
そこを超えさせてやりたいなぁと辰馬は思いつつ、まだ上手くいかないというようなね
二人で精進すればいいよ。
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