完全版
彼は誰時 其の向こう側
闇の中に漂う別の男の薫
どこからか流れる其の匂い 視線
すぐ傍にいるよう
いつまでも残って
いつまでも捕えられて

ひとすぢの河を挟んで お前は此方を見て
そう 嗤っている
此方を見ながら そう、嗤っている
彼は誰時 薄闇の帷 闇色の海
其の向こう側
風のない夜だった。
這い出た薄闇の中から見た外は暗く、誰もいないはずの甲板。
闇に同化しそうなその姿とは対照的に痛んだ金髪が明るく。
吐き出された煙が宙を漂い、停滞してけぶっている。
階段に座って投げ出した足許には灰皿と未だ封も切ってない新品の煙草の箱。
それから安物のラム。

空を見上げているようだった。
けれど星は見えない。
私はその人が時折見せる孤独を装う姿が好きで。
自分の吐いた煙に目を顰めているその傍に座った。

「寝ないの?」

寝るよと、此方を見ないで云って、短くなった煙草を足許の灰皿でもみ消した。
素っ気ない態度は似つかわしくなくて、その目を覗き込む。
さっきまで見上げた顔は俯き、空になった箱を握りつぶした。

「眠れないの?」

それはあんたデショと、笑う。
新の一箱の封を切った。
珍しく自分で巻かないらしく、
詰まったその箱の縁をとんとんと叩いて一本取り出す。
些細な仕草だ、いつもと変わらぬ道程だ。
誰もいない、二人きりの時は言葉を交わすことも少ない。
傍にいることが心地良い。
それは多分私だけだと云うこともよく分かっている。
恐らく。


「こういうのさ、反則デショ。」


ちょっとむっとした顔で目を合わせた後、頭の天辺から爪先まで視線を一巡させた。

 俺、アンタに何度も好きだって、物凄い好きだって言ってるでしょ。

一語一句諭すような喋り方。
銜え煙草の不明瞭な発音でも、それは聞き取れた。
其の火種から立ち上る煙は私たちの周囲を囲む。
誰にも見られないように、覆い隠すヴェール。


なのに、あんたいつもツレねェし。
おまけにあいつのモンと来てる。


左側に座った私には彼の目が見えない。
結ばれた口唇が解かれるのを待つ。
ゆっくりと喋る低い声が、誘う官能。
脅かされているというのに、責められているというのに。

興奮した。


「あいつのモンって。」


もっと言ってみて。
もっと言ってみて。
正体不明のその嫉妬にもならない戯言を聞かせて。
私は怯える筈なのに、
優しげに話す此の声が怒りに充ち満ちて行く課程を見たかった。

そう、それが侮り。


「誤魔化す気?」


誤魔化してなんていない。
だって本当のことだから。
あなたが此処にいるのを知ってきたのよ。

嫉妬して欲しくて。
誰に?
彼に?
彼奴に?



「アイツの匂いがする、身体でさ。」

私は今し方別の男の残り香がする儘此処へ来た。
まだ体の中には残っているだろう、その残滓を洗い流す為。
きっと未だ中に残っているだろう。
そして私の身体にはその唾液と汗が染み込んでいる。

何を思ってそれを見抜いたのか。
有り体の言葉では見分けがつかないのよ。
あなたの言葉、そう、それで云ってみて。



そうやってからかって楽しい?
俺が空回りしてるのがそんなに楽しいかな?




そんな事思って

「無いって云うなよ。」


睨んだ眼光は強く、雄の眼。
鋭く、強く、ぎらぎらとして。
哮る心。
それが目に見える。

 本能が畏れた。
 初めて怖いと思った。
 この人を、初めて男だと思った。



「判ってる?」


彼の身体から昇る麗しき獣の匂い。
きっとそれはそう雄の匂い。
私の体を火照らす物。
太古から流れる血が喚起。
奥底で眠る、情欲は溢れ。


俺は基本的に無理強いって嫌いなんだよ。




距離を詰めてるわけでもないのに、その気配に圧倒される。
此方を見ているわけでもないのに、その強い視線を感じた。


策はなく無謀だと思う。
けれど、其の先をもっと見たい。
この男が興る姿、普段は隠している其の膚一枚下の血の匂い、熱さ。
触れてもいないのに立ち上ってくる掌の体温。

 そして、淫らな目。



痛いだろ、そんなのイヤなんだよ。


声は相変わらず優しい儘で、それが却って私の恐怖を煽った。
曇る視界。
不明瞭な発音、口許が見えないくらいの煙。
彼は誰時の闇と、煙草の煙。
二重に掛けられた帷が私たちを世界から切り離す。

迎えは、誰も来ない。
そう逃げるのは自分。







「でも、そう言うリビドー無視して出来るときもあるって、憶えときな。」




銜えた煙草を床に吐いた。
両手が私の手を塞ぎ、すぐ傍の階段の欄干に身体ごと押しつけた。
停滞した煙が霧のように、視界を奪う。
呼吸を奪う。
その口唇が、私を奪う。

湿った唇、煙草の匂い。
乾いた口の中、入ってくるざらついた舌。
すぐに絡め取られて強く吸われた。
脳髄が痺れる音。





此の男はキスが巧い。
湿らされたそこを滑る、柔らかい口唇が動く様。
深く貪り、浅く啄み。
目を開けたときに見える右目。
完全には閉じられていないその眼。
情事の狭間を連想させる。


背中に当たる階段の欄干。
身体を明け渡してと言うように入り込むその闇。
逃がさないと閉じこめようとする腕。




その布の下はすぐ膚、そこをまさぐられた掌の熱さ。
先刻迄別の男の手によって触られて逝かされた。

開放された裾から這う手。
水仕事の所為でかさついていて、でも、あの男とは全く違う男の手だ。
膝小僧から上へ、腿へ、膝裏をまさぐって。
口唇を同じ物で縫われていて、思考に自由が利かない。
体は自由なはずなのに。



押さえられていたはずの手首の拘束は解かれていて、それにも気がつかなかった。





目の前の霧。
向こう側が見えない。
見えるのは覆い被さろうとする闇だけ。


迎えは来ない。
私が逃げるしかない。


この夜の闇のような鈍色の海の映る瞳から、どうやって逃げればいいの教えて。
体温の上昇で、裾から匂う香りは私の物ではない。
煙の匂い、薄いワンピースの裾から染み出る、自分の身体から立ち上る別の男の匂い。


混ざり合う事のない異質な匂いだ。






捲り上げられた裾は無様。
その下に潜り込んだ彼の手を隠す。

「なんだ、上、着けてネェのな」

そりゃまぁそうだよねと肩胛骨の下、その窪みに指が居る。
身体の脇を撫でて乳房の側まで来たときもう声は出なかった。
布越しに解る美しい手の造形。
鷲掴みにされた片乳房が歪んでいる。

吸い手の居ない煙草は大人しく一筋の流煙を上げて居る。
其の向こうに見えるドアー。
先端を摘まれ捏ねられ、嬌げる声を封じられ。
逃げ場を失い籠もった熱。体内を循環して益々上昇して。


耳を咬んで、
髪の毛を食んで、
首を咬んで。
強く吸うこともしない。
只、擽るようにその膚の上で遊んでいる儘だ。



それが焦れったくて、けれど後ろめたさ。
爆ぜる熾き火がちらついては、煽られた。



手の甲、筋の浮く右手は脚の奥、行き止まり。
口唇を離して目を開けたら、嗤った。

下着の隙間から長い指が入り込み、
閉じられているはずの其処は彼の手によって、
厭、恐らく私の情欲で既にこじ開けられた後だった。

「もう、指、挿れられそうだね」

ゆっくりと話す低い声が落ちて響く。
引っ掻く指先はその入り口で戸惑い、直ぐにずぶりという不愉快な音を立ててはいる。
同時に溢れた私の中の水は恐らく彼の袖口までも濡らした。

凄ェと喉が鳴った。



下着が濡れたのが判る。
その下のスカートを通り越して床に滲み、
流線を描いて階段を一段、それは堕ちた。

それがなんなのかくらいは判ったけれど、
それだと認識するまで時間が掛かった。
どくどくという心臓の音が直ぐ頭の血管に直結しているかのように鳴って。
今まで逝かされたことのない私の身体は酷く火照る。


「彼奴に‘ナカ’で逝かされたことネェの?」


脚が震える。
その声に震える。
その事実に震えた。


息を吐きながら、未だ中に入ってる指を俯いたまま引きずり出してた。
体は言うことを聞かなくてそれでも足許を一歩も踏み違えることもなくそこから這い出し、
逃がすまいと腕は伸びた。
けれど私の指先を甘く掴んだだけで逃がした。

一筋の流煙。

踏み越え辿り着いた向こうのドアー。
振り返ると先刻吐いた煙草を拾いそれを銜えてこっちを見ていた。

まるで、この先の運命を知っているかのように。



嗤っていた。





その顔は見えぬ。
只、茫洋とした輪郭だ。
辿り着いたドアを後ろ手で閉め完全なる闇へと逃れた。

未だ、背中に張り付く視線は強く。
激しく疼く熱と共に私の身体に痕を残して。

next


なんか、表小説が書きたい。
ウソナミゾロとか。
なんかこう、ラブラブなウソナミゾロ。
本気だよ!!本気なんだから!!
えぇっとこれは、アキラさんに贈らせていただいた物が
なんだかアレだったので急遽全編通して書いてみようと思い立って
こんな形になったブツ

サナゾ3Pが本当は書きたかった。
でもね、オネェちゃんにも限界という物があってねぇ・・・・・・・・
「完全版」後篇は近日公開!!
って言うか早く書かなきゃ・・・・・・・・
inserted by FC2 system