「真西に沈む」





温かい日差しなのに風は冷たい。
三月も末の末。あと数日で四月だというのに、近藤勲は襟巻きに首を竦めた。
右手には白い壁がだらだらと続く。左には竹林。
此の辺りは人通りも疎らでである。先週ならもっと人も居たであろう。

こんなに寒いから桜は未だなく、雪柳がそこかしこに咲いている。
道に小さな花を撒き散らしている。
その名の通り雪に似ていた。
遅かりし蝋梅は甘い匂い。
空は青い。風は冷たい。

右手にだらだらと続いていた壁が途切れて門が見えた。
元の字が判別がつかぬほど年季の入った寺の名が入った門扉を見上げる。
相変わらず広い境内だ。
門の敷居を跨ぎざくざくと砂利を踏みながら、目的の場所へと向かう。
道すがら老婆とすれ違った。
ごめんくださいませ、折れ曲がった背を更に畳むようにして通り過ぎ、近藤も一礼する。

此処に来るのは、二度目だ。
納骨の時に一度。
場違いかと思ったが、参列者は自分を含めても数名だった。
雨がしょぼしょぼと降る日であった。
じわりと滲み込んだ冷たい雨で、骨まで冷えるような日だった。
読経も雨音でよく聞き取れなかった。
とても、とても寒い日だった。

彼岸を幾つも過ぎてから来たのは躊躇いが在った所為だと、自分でもなんとなく判っている。
だが来た。
袂には数珠と線香を忍ばせ、ふらりと屯所を出た。
出掛けに数名の隊士とすれ違ったがお気をつけてと言われただけだ。
なんでもない日だから誰も気にも留めない。

道すがら花を求め、バスも使わずゆっくり歩いた。
一時間以上も歩いたというのにその門が見えたとき、もう着いてしまったと反射的に感じてしまった。
思わずの自嘲。

償うとか悔恨であるとか、そういった感情ではない。
此の場に来たことは、自己満足の一つだ。
それを肯定するのは、それの何が悪いかという一種の開き直りかもしれない。
かもしれない、じゃなくてその通りだろうが、あの男なら言うかな、近藤はよく知る男の顔を思い浮かべた。

境内は静かで小山一つ墓所であるそこは閑としていた。
休日でもなければ彼岸はとうに過ぎ、春だというのに冷たい風が吹く。

ざくざくと砂利を踏む。

幾つもの卒塔婆を遣り過ごし墓石を眺め歩く。
人影はなく数日前に活けられたであろう花が冷たい風に凍えていた。
散り行くは枯葉、花はない。足下に在るは石畳。
奥へ奥へと進む内に途端に古いものに替わった。
新しい玉砂利のしてある道から、苔生し角の取れた石が並んでいる。
未だ更に奥。


そろそろ。
此の辺りだと記憶を頼りに区画を探す。
大きな銀杏の木の角を曲がった辺り。
墓石の名が見えた。やはりここだった。

砂利を踏みながら歩く。次第に線香の匂いが鼻を打つ。
先客かと近藤は顔を上げた。
目的の墓所に、誰かが屈みこむように手を合わせていた。
男だ。その骨格に見覚えがある。



近藤勲は息を止めた。
心拍数が上がり、じわりと掌に汗をかき冷えた。
玉砂利が足元で軋む。

目下の男は背後の気配に気がついたのか、ゆっくりと立ち上がって近藤の方を見た。
刀は差さず袴に羽織と学者然とした出で立ちだ。
男は近藤の花を見て柔らかにはにかみ、こんにちわと会釈した。


面影などという生易しいものではない。
髪を総髪にして括っているけれども、生き写し。
骨格が同じだからだろうか。
声もとてもよく似ていた。

兄弟がいるということは知っていた。血が同じというだけで、こんなに似ているものか。
彼の兄という人は穏やかでにこやかに尋ねた。


「弟とお知り合いですか」


問いかけにはいと頷くと男は酷く丁寧に礼を言い、どうぞと墓石の前から避け近藤を墓石の前にと勧めた。
恐縮しながら買ってきた仏花には少々不似合いな大輪の百合を活けた。
強い風から逃げるように燐寸を擦ったが巧く点かぬ。
煙草呑みならばライターを持っているだろうが、生憎遣らない。
男は何かを察したように近藤の不器用な手が燐寸を擦る周りを掌で覆った。
身体で風を避けるようにして、ちらと近藤を見上げた。

「どうぞ」

忝い、近藤は不似合いな武家言葉で礼を言い、漸く線香に火を点けた。
襟巻きを外して手を合わせる。
少なからず動揺しながら。

近藤が立ち上がり礼を言った。いいえと男は柔らかく笑う。
今し方活けた花の包み紙を手の中で持て余し慌てて畳む最中、男は道場の方ですかと尋ねた。
近藤は首を振り、以前とても世話になったと告げる。
弟さんは博識でいらしたからというと、まるで彼は自分を褒められたかのように喜んだ。

写し身のような姿のまま、ゆっくりと話す。
よく出来た「弟」のことを懐かしげに同じ声で。

「お参りに来てくださって喜んでいると思います」


声が。


滲んだ景色はあの朝焼けを思い出させた。
塗りつぶされた夜、眼も眩む朝焼け、赤と群青。
燻る煙と朝の匂い。

懐かしいというには未だ記憶は新しすぎた、だが聞きたかった。
その声を、聞いていたかった。
話してくれ、もっと。
そう言いたいのに、声が、出ない。

「あの」

近藤は思わず顔を上げた。

「どうか、されましたか」


世界が滲む。
心配そうな懐かしい顔がある。
けれども、彼は彼ではない。

「花粉症でして」

「それはいけない、お大事に」
男は笑った。
近藤も笑った。
他愛もないことだ。
取るに足らぬ、他愛もない。


近藤はそれでは此れにて、とその場を辞した。
男はお大事にと言いながら見送る。

「もし、御仁」

男は呼び止める。
近藤は振り返る。

「お名前を聞いていなかった」

遠くから、冷たい春風が来る。
木立が騒ぐ、竹林に降った笹の葉が擦れた。
未だ咲かない桜の蕾が凍えている。
男はじっとこちらを見ている。


「私、いや俺は」


しとしとと降る雨の冷たさ、悴む手足。
感覚を失いながら、人々が見守る墓の空洞を見つめた。
冷たく暗いその中に小さな箱が納められる。
石蓋の閉じられた音は此の世界と隔世を距てる扉。
此方からは行けるが向こうから来ることはない。

償うとか悔恨であるとか、そんな言葉で片が付くなら泣き喚いてみせる。
生涯消化しきれることではないし薄らぐこともない。
そして此れはそう言う全ての事象の始まりでもなければ、終わりでもない。
只の事象の羅列に意味を付けたがるのは感傷というより他無い。


「近藤と、いいます」

男は静かに近藤を見た。
嘗て酷薄そうと称された薄い口唇は聡明な学者の様でもあり、
総髪にした髪は初めて自分をまみえた時の姿を思い出させた。
鋭い眼をした青年は熱っぽく国を憂う心を語りながら、
時に強くはない酒に酔うこともあった。
それすらも他愛も無いことだ。
全ては過ぎ去りし日のこと。



 あなたは彼ではない。



近藤は最敬礼して背を向け歩き始める。
男は壁に沿って走る石畳の沿路まで見送った。
もう此処でと見送りを固辞して会釈した近藤に男も頭を下げた。

「今日は、どうもありがとうございました」




近藤は目礼した後、歩き始める。
冷たい風が吹く。
もう春だというのに。

ゆっくりと翳り始めた太陽、春分を終えたからほぼ真西に沈みゆく。
その何十万何十億土も離れた向こうの世界、そちらには極楽浄土があるという。
吾等に縁は在るまいと、屹と視線を上げて大股に歩く。
三月も末の末。
冷たい風が竹林を揺らす。
近藤勲は襟巻きに首を竦めた。






「近藤局長」









鋭い声が聞こえた。
凛と尖って芯のある声。
近藤は振り返る。
今し方居た筈の男の姿は見えなかった。



「い」









近藤勲はその名を飲み込む。




またその名を呼ばうこともあるだろうか。
此方からはその扉を開けるのだから、きっとまた見えることもあるだろう。。
行くべきところは、きっと同じ。
東の空を振り返る。
目を凝らせば淡く細い月が網膜に滲んだ。

今日の夜は燗をつけよう。
花見には未だ早い。

今年は君とは見られなかったか。

冷たい風の所為で鼻の奥がつんとした。
寒ィと洟を啜り上げる。
乾ききった風が目に滲みる。

まだ寒いから桜は咲かない。
雪柳がその名の通り、雪にも似た白い花を降らせた。
空は青い。
遅かりし蝋梅。

それに替わるように咲く、桜を待ちわびる。
季節よ、捲れ。
春を待つ。







end


WRITE / 2009.4.3
春分の日が宗教的意味合いがそんなに濃い日とは知りませんでしたよ。
鴨フェア、2009春(笑)
すっげぇ突発で書きたくなったんで、2時間くらいで。

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