「油断」   position postscript -temptation- 
引いた境界線 靴で蹴散らした 踏み込んだのは どちら側へ
正直に言ってみて アタシは笑ったりしない
困ったような顔をしないで アタシは笑ったりしない
誰もいないのよ
アタシはあなたの顔 見えないし
ネェ 言ってみて アタシ 笑ったりしないから

前触れもなく目覚めた。

此処は何処だと、見慣れた天井。
もう一度目を閉じる。
眠るためではなく、事実を確認するため。
目が急に覚めたのは左腕が痺れたからだと気が付いた。
こちらに背を向けて、膝を額にくっつけるよう眠る女の背中。
その頭が自分の腕に乗っかっている。




溜め息を一つ。




ずいぶんと簡単だった。
踏み越えては為らぬ線は所々切れ切れで、容易く侵入を許した。

簡単だった。
面白くない。



闇に目が慣れた頃、サイドテーブルの腕時計を取った。
まだ四時半だ。
部屋は妙に薄明るく、細くあけられたカーテンから覗く空はまだ夜を色濃く残してはいた。
遠くの空には色褪せた月が覗いている。

カーテンが揺れる。
どこか窓が開いているらしい。


まだ寝息を立てる女の頭から腕をスライドさせる。
ふと掌に触れた熱。
うん、と寝言なのかわらった気がした。


固まった肩を解しながらベットから降りる。
未だぼんやりする頭を少し揺さぶって、バスルームへの途についた。





幸い、熱いシャワーは目覚まし代わりに丁度良いい。
昨日の葉巻の匂い、それから女の匂い、肌の上に乗ったそれらを洗い流すと
まるで夕べのことは夢のようにしか思えなかった。
陳腐な物言いだが、春の夜の幻のようだ。

得やすい物は失いやすいと言うではないか。

面白くない。




ハンガーからバスタオルを引き掴み、湿った足でフローリングの床を踏む。
堅くて冷たいその感触は、今朝の心中を嘲笑っているようだ。

部屋の中は蒼く縁取られていて、その中に充満する情事の後特有の匂い。
窓を開けるといつしか夜は逃げ、空は青く滲んでいた。
鼻の奥が痛くなるような朝の匂いが目に滲みる。
それを忌々しく思って、カーテンを慎重に閉める。
まだ部屋の中は已然、夜の儘。



相変わらずの姿勢の儘眠る女の隣に滑り込む。
背を向け微かな身じろぎも見せず、眠っている。
彎曲した背中はうっすらと骨が透けて、項に零れる髪の毛が酷く艶めかしかった。









昨日の夜の、声を思い出す。







押し殺したように喉の奥でその声は留められていて、アルコールの所為なのか頬が赤く染まっている。
その身体を貫いたそれに怯えながら、必死に腕と言わず背といわず引っ掻く。
腹の下で苦痛を訴える女の顔をもっとよく見たくて、繋がったそこをそのままに膝の上に抱き起こす。
涙で濡れた顔は、今己が何処にいるのかも解らぬと言う顔をして力無く俺の肩に額をつけた。



  一丁前に頚を噛みやがって。



深く捻り込むと、歯軋りの音。


もっと啼いてくれ。
もっと見せて見ろ。
何故だか目を開けた儘口唇を奪った。

息苦しそうな顔が緩んで、ゆっくりと舌を受け入れる。
そのままゆっくりと揺さぶってやると緩んだ口唇から声が漏れた。

酷く、位違いの。




女の声だ。









今は黒髪が邪魔して顔なんかちらとも見えぬ。
白い背中にぴったりと腹をつけて、片手枕で覗き込み、髪の毛を上げた。



「よう」


「お、おはようございます。」



その黒い瞳は開いていた。
気まずそうに、俯きながらこちらを見ようともせず挨拶を馬鹿丁寧に返す。

「いつから起きてた。」
「先刻、寒くて。」

心細く少し掠れた声。

「スモーカーさんがベットから出ていったときに。」

馬鹿に可愛いことを言いやがる。
普段はそんな素振り一つ見せない癖に、やっぱり女は死ぬまで女だ。


「シャワー使って好いぞ。」
「ハイ」
片手枕の儘シーツの縁を捲ろうとすると、その手は強情な迄にしっかりとそれを掴んだまま。
「おい、ベットからでねぇとシャワー浴びにいけネェだろ。」
「そ、そうですね。」


そうはいうものの、なかなか出ていこうとはしない。
「オイ、いけよ。」

「じゃぁ、むこう向いてもらえますか?恥ずかしいので」


散々昨日見せた男に「恥ずかしい」か。
ハイハイと、背を向ける。
軽い跫音と、衣擦れの音。

先制。



「服は着てくるなよ。」
「え。」


急にしんと静かになったような気がする。
ベットから数歩隔てたバスルームにはたしぎが居るというのに、湿度が下がったような気さえする。
突如訪れた静寂に、寝不足も堪えて少しうつらうつらと目蓋が降りる。

冷たい空気の流れを感じながら、隣が寂しい。
先刻までたしぎがいた場所は微かにその熱が残っているようで。
枕に残った匂い。

まだ、傍にいるようだ。
この手の中にいるようだ。








遠くの方で己を呼ぶ声がする。
気が付くとほんの一瞬眠っていたようだ。
バスルームの扉から頭だけを出して己の名を呼んでいた。

「す、スモーカーさん。あの、タオル取ってもらえませんか?」
「そのまま出てくりゃぁいい。拭いてやるよ。」


欠伸をしながら別段の意図もなく言う。

「えぇえぇぇ。」
「冗談だ。」


何を朝っぱらから頓狂な声をあげてるんだと、微かに靄がかった頭を起こし、そのままベットから出る。



「スッスモーカーさん!!!!」

何度も何度も連呼するな、と引き出しの中から新しいタオルを出して渡そうと歩み寄った。

「見えてます。」

白熱灯の明かりが届く範囲に寄ると急にたしぎは回れ右をした。



「散々見ただろ、昨日」
「みっ見てませんよ、はしたない。」

はしたないか、久しぶりに聞く台詞だ。


「お前も見せろ。」



まだ水滴したたる腕を掴もうと身を乗り出すと、ひらりと身を翻し鍵まで掛けた。
ドア越しに何か叫んでいたけれど聞かないことにした。
まだ出勤時間には間がある。
リミットは4時間。




明かりが消えた室内に、不自然なほど窓から透ける朝の薄明かりが無遠慮に訪れていた。
肌寒さを感じながら、ベットにまた潜った。
それを確認したのか、バスルームのドアが開いた。
すぐに白熱灯の明かりは消えて、ここから出て行った時と同じように軽い跫音が戻ってくる。


 此処に来い


視線だけ投げて、隣を指す。
先刻渡したバスタオルをご丁寧にその胴に巻き付けて。

すぐにそんなモノ剥いでやるよ。

「冷てぇから、取れ。」

誰の視線を気にすることがあるのか、少し迷ってから毛布を被ってそれを下に落とす。
賢明だ。

昨日の酒はもう抜けきっている。
流石に、話すことが思いつかない。
こんな夜は幾度も別の誰かと過ごしたことはあるのに。


 油断していたんだろう、きっと。



「昨日、言ったこと。憶えてらっしゃいますか。」

直に立ち上る匂い。
残り香なんて掻き消すほどに、強く。

「どれだ。全部憶えてるが。」



気の抜けたような声だか、うなりをあげてうつむく。
黒髪が揺れる。

「か、肝心なところだけ、憶えておいて下さい。」

肝心な所ねぇ。

「顔、あげろ。」


色白の頬が赤く染まって、薔薇色だ。
思わず眼を細めた。

「戯言では、決してないので。」

それに気が付いたのかどうかは解らない。
見上げた目があまりに強く、
俺はそれから逃れたくって業と腕の力を強めて抱き竦めた。



「なんで、黙ってた。」


たしぎの旋毛に顎を乗せ、腕の中で息を苦しそうにする声を聞く。


「あんまりのめり込むと、自分の居場所が分からなくなります。」


いつもよりゆっくりと喋る。
直接内側に響くような音。


「でも、見失っても好いと、思ったんです。」




  確かに俺は油断していた。
  変えられる物など何一つ無いと思っていた。
  甘いな。
  甘かった。



いつかの女が言っていた言葉を、今更思い出す。


「相手を変えない恋なんて、恋ではないわ。」




そうだな。
俺はその意味が其の時は分からなかったんだ。
今更。





「シーツ、汚しちゃいましたね。」

気にするなと、汗が引いて冷えた身体をすり寄せる。
それに身体を硬くしたまま、たしぎは身じろぎ一つせず腕の中に確かにいるのだ。

「少し寝ろ。」
はいと頷き、一つ小さな欠伸をした。








油断してたな。
女は生まれてから死ぬまで女だって事を忘れてた。
プライドを保つ為に自制心をフル稼働させている自分が滑稽だった。
「後何時間」
なんて考えている時点でもう手遅れだ。


いつかあの女が言っていた。



“心のバランスが取れなくなるから、心を奪われるというのよ、スモーカー君。”





油断してただけだ。
そうに違いない。
けれど、奪われた物は二度と還ってこなくてもいいと。
我ながら馬鹿なことを思ってその額に口唇を押し当てた。


目を覚ましてくれるなと、願いながら。

end


裏2222踏まれたsivaさんに捧げます。
「position」の明くる朝が、リクエストでした。
確かにあそこで止められたらうーんってかんじですね、と今読み返して思う・・・
きっと皆様そう思ってらっしゃったんでしょうな。その声の代表ですね、sivaさん
いかがでしょう、久々のスモたしなのでリハビリ積めば良かったと後悔。
ちょっと力不足と時間不足が・・・貰っていただけますか??
初めての夜の次の朝、女の子に取っちゃ一大事だと思うんですが
いかがでしょう。一度でもご経験のある方・・・
甘酸っぱい感想求ム(笑)
*
positionシリーズはこれにて終了・・・長かったね。
アタシにしてはあっと言うまでしたが待たされる方の身にもなってみろですか???
反省
でも、この場面って大佐の部屋なんですね。しかも大佐、一言も好きだの嫌いだの言ってないし・・・・

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