野辺の花を 手向けたもう

けものの あわれな 死に様に

もう 一片の 魂も

残らず削れて ただ朽ちて

見上げる 空には 星もなく

地を這う 我等を 見送らじ






 の け も の み ち を く だ り ま せ





苦をや 厭わぬ 道程を

蛇蝎の如く 疎まれど

燎原の火に 焼かれども

真秀庭見える その日まで

世界を終える その日まで














の け も の み ち






けだものだ。

陸奥はその男に初めてまみえた時そう思った。
同時に首筋がちりちりするような、本能が発する危険信号を感じた。
触れれば火傷では済まされない。
鋭い爪で、研いだ牙で、ずたずたにされかねないと思った。

顔は青白く細面、まるで役者のようだ。
艶やかとも言える着流しに包まれた身体は細身で、華奢というほどではないが女形のよう。
だがそれから発せられる禍々しい気配は、隣の女の白粉の匂いなどものともせず此方へ漂う。


「赦し、か」


楊貴妃はその美しさを以って、人語を遣う花と謂われた。
では人語を使うけものは、一体なんと称されるのか。





京都。




花火といえば夏の祭の魂送だが、彼岸の秋に大玉を打ち上げる祭がある。
坂本は知り合いの近江商人からそれを聞いたらしく、珍しがって行きたいと言い出した。
言い出したら聞かぬのがこの男である。
駄々っ子なら力づくで言うことを聞かせることが出来るが、いい大人の我侭である。
同じように出来ぬのが歯痒い。

初めに言い出した近江商人の伝で一軒の茶屋を予約するのがこの何年かの慣わしである。
その茶屋からは花火が見える。
楼閣の一番上の座敷の一つを貸し切り、花火を肴に一夜を過ごす。

大抵は取引先を招待して盛大にするのだが、
今年はどういうわけか陸奥を連れてそこへ行った。

 お忍びである。

女の身で茶屋なぞにとも思ったが、まぁまぁと坂本に背を押される侭座敷へと案内される。
坂本は既に馴染みであるらしく、女将に目一杯の愛想を振りまかれ何事かを耳打ちされたあと心づけを渡していた。
善からぬ事でも企んではあるまいなと勘ぐりながら黙って座敷に上がる。

暫くの後、酒肴と女達が揃い花火を待つ。

上座には坂本が陣取りその両隣に若い芸伎が裾尾を拡げ座った。
陸奥は一応部下らしく坂本の斜、入口に近い下座に坐したが、その正面には窓がありそこから花火が見えるらしい。
未だ咲かぬ花より目の前の花じゃと、嬉しそうに杯を満たす坂本を横目で眺めながら、
陸奥は妙に静かな隣座敷の境襖をちらりと見た。

 随分静かである。

花街のど真ん中。
開け放たれたそこから酔漢たちの興の入った声と、太鼓持ちの鳴らす金物、三味の音。
辺りからは女達の嬌声が鈴の音のように聞こえる。
けれどもそこは随分と閑としたまま、衣擦れの音もしない。

「どうぞ」

不意に声を掛けられた。

艶やかな笑みを零す年増だが美しい芸者の一人が傍に座っていた。
衣紋を広く抜いた黒い艶のある生地は滑らかな体の線に沿い、島田に結ったうなじからは舶来の香水。
爪の先まで女である。
自分とは対極だと陸奥はその「女でござい」という匂い立つような姿を、羨望とは違う目で眺めた。

「これはどうも」

満たされた杯を煽るともう一献と促す。
酒には弱い方ではないが酌をされながら飲むのは余り無い。
それに女相手では仕事の遣り甲斐もないであろう。
あれの相手をしてやっとおせ、と既に「両手に花」の男を指して傾けられた銚子の口を手の甲で遮った。

「糸葉姐さんばっかりずるいですよう」
「坂本はん、こんな男前どこに隠してはったんですか」

それを見た妓達はそんなことを口々に言った。

坂本はあァまたかと黒眼鏡のままいつもの陽気な笑い方でアレは女じゃと陸奥を指差す。
陸奥は相変わらず男のような形である。
今日は亜麻色の紬に黒羽織。
帯だけは女物だがそれも細かな文様の細帯で、
一見すれば若衆を連れて歩いているようにも見えなくもない。

これがやりたいが為にこんな男の楽園へ連れてくるのではないだろうかと陸奥は上司を睨んだ。
そんな視線を物ともせず坂本は笑い続ける。

ほんま紅顔の美少年かと思ったですよう、
そうですのん、残念やわぁ、女達は勝手なことを言い陸奥の顔を代わる代わる見た。

男前なら此処に居るろー、坂本は両隣の女達を両腕で抱き寄せる。
きゃあ、やだあと、女達はやんわりと両手で坂本の胸を押しかえした。
あほう、陸奥は見慣れた光景だと目の前に置かれた膳に箸をつける。


「あら、男装の麗人なんて素敵じゃァありませんか」


ねぇ、と隣の女は陸奥に相槌を求めた。
女とわかりながらこうやって悩ましいほどの媚を滲ませるのはもう職業病だろうか。
それとも玄人の矜持か。
もし後者なら流石というべき姿である。

「こんおなごは男顔負けの仕事をするがぜよ」

女二人から手を離し酌を受けながら坂本は陸奥の隣の糸葉と呼ばれた女に水を遣る。

「ウチのブレインゆうやつじゃ」

ぶれいんってなんですの、と舌足らずの声が尋ねた。
坂本はここじゃここと自分のこめかみを指した。

「何をやらしたち陸奥の右に出るもんは居らんき」

人前で褒めるなと思いながら、膳の小鉢を摘んだ。
「肝は座っとるし、機転は利くし判断力は天下一品やか」
こんなときは大概碌でもないことを考えているのだ。

「褒めても何も出んぞ」

冷ややかに視線だけ投げるとさっきと変わらず両隣の女の手を握りながら戯れるバカが居た。
女連れで女遊びなど何が楽しいのか正直判らぬ。

「なぁん、今日はいつもおんしに迷惑ばっかりかけちゅうから、たまにはと思うてつれてきたがやき」

たまになら休みをくれ、と思わねど。
小うるさいお目付け役だの何だのと触れ回られるよりはましかと嘆息する。

「じゃがのう、ちいとばかり女らしさに欠けておってのう」

坂本はニヤニヤしながら困ったように懐に入れていた手を取り出し、
片割れの娘の手をやんわりと握る。

「おまさん方の爪の垢でも煎じて飲ませたいくらいじゃき」

くすくすと坂本の隣に居た娘達が笑った。

 そのはずだ。

女の癖に、と謂われても可笑しくない。
流石に今日は普段の麻やら綿の着物ではないが、
女は羽織らぬ長羽織、髪は高く結っただけである。

 色気などはとんと無い。

二本差でもしておれば、良くて女武芸者であろう。

糸葉と呼ばれた芸伎はふふとこぼれる笑みを袂で隠し、
言わしておきなさいなと謂わんばかりに空になった杯を陸奥に勧めた。
二度目の酌を有難く頂戴し煽る。
これしきでは酔わない。

坂本はそれきり娘たちとの戯れに興じ、三味を鳴らしたり歌などを吟じた。
銚子の酒が尽きかけたころ、不意に糸葉が声を上げた。


「そろそろ、のようですよ。坂本さま」


坂本はちょっとだけ首をあぁと振り、
それが合図だったかのように女達は申し合わせたように立ち上がった。

部屋にある行灯を一つ一つ消して周り、部屋の中は暗闇になる。
姿が見えぬ代わりに、長く裾を引いた三人の着物の衣擦れの音が川の瀬のように聞こえ、去った。


「花火を見るのに、か」


灯りはなくとも十五夜近い月が明るく、目が慣れれば十分に思えた。
だが坂本はそれには是とも非とも答えず、空になった杯を手酌で満たし煽る。


「いや」


どうしたわけか少し緊張した声。
やはり、何か思惑あっての事だったか。




「客が来た」





そのとき、するすると隣の部屋の襖が開く。
先ほど随分静かな座敷だと思った部屋である。
音もなく敷居を滑る襖は、まるで人外の力に引かれるかのようであった。
襖が総てするすると隠し戸に仕舞われ、二間続きの座敷に変わる。



部屋の中に、長い影が伸びている。

一つ、たった一つ。



下座に座っていた陸奥からはその男の顔が良く見えた。
男は窓の縁に腰掛け、立膝のままあがらぬ花火を待ち侘びるように手すりに頬杖をついていた。
ぼんやりとした赤い火の玉が陰の近くにある。
あれは煙管の火種だ、確認したと同時に葉煙草の匂いが蛇のように這う。





「よう、元気じゃったか」









けだものだ。

陸奥はその男を初めて見えた時そう思った。
同時に首筋がちりちりするような、本能が発する危険信号を感じた。
触れれば火傷では済まされない。
鋭い爪で、研いだ牙で、ずたずたにされかねないと思った。

月光の下の顔は青白く細面、まるで役者のようだ。
艶やかとも言える着流しに包まれた身体は細身で、華奢というほどではないが女形のよう。
しかし、その男の姿が役者然としているにも拘らず、おどろおどろしいと感じるのは、
顔面に痛々しい包帯が巻かれ左目をすっぽりと覆っている所為だろうか。
男の身から発せられる禍々しい気配は、女の白粉の残り香などものともせず此方へ漂う。



「花火が、好きじゃったの」



窓の外で大きな花火が開いた。
一つ、二つ。
どおん、どおん。
巨人が足を踏み鳴らすように、空が騒ぐ。




「そんな下らねぇ事ばかり覚えてるのかテメェは」
「下らん事じゃーないが」



花火など見もせず坂本は静かに言う。
手酌で朱色の杯を並々と満たし、飲みもせずその中に映る月を見た。



「此処に出入りしてるとは聞いてたがよ」



相対する男は坂本の方など見もせずに、
窓の広い桟に置いた煙草盆を煙管の首で引き寄せる。


「張ってたのか」
「ほりゃァお互い様ちや」


どおん。

また花火が上がる。
次々に導火線に火が点けられる。

どおん、どおん。

鼓膜を揺さぶる振動。
部屋に充満する圧倒的な空気に気圧され、どういうわけか微動だに出来ぬ陸奥の手を震わせた。



「おんしの顔を見に来たがじゃ」



坂本の横顔は月明かりと上がる花火に縁取られてはいたが、逆行でよく見えぬ。
ただ眼鏡の弦の奥に見えた目は極穏やかに見えた。
坂本は話がしたいのだと云った。


「話って何するんだよ」


そう聞くなり然も可笑しそうに喉の奥で、引き攣れたような声が鼓膜を引掻く。
耳障りだ。
擦りガラスを尖った目貫で擦るような、声。


「オレと、お前が」

外で歓声が起こる。

大玉が次々と打ち上げられているのだろう。
山の端に火の粉が雪のように降る絵を想像する。
小さな火の粉が燃え移る。
じりじり焦がす、きな臭い香りを嗅いだ気がした。

「何の話を、だ」



男は一つしかない目を細めた。
愚かなものを蔑むような、哀れと思うような。
恫喝とも取れるような声音。
だがその声に、坂本は顔を上げる。
穏やかな笑い顔。けれども一歩も引いてはいない。



「宇宙海賊春雨、というのを知っちゅうが。最近よお”この辺り”にも出ると聞きゆう」

 幾千の導火線。

「噂を聞いてのう」

 火の粉を吹く発火筒。

「ある革新の攘夷の一派が連中を抱きこむっちゅう話じゃ」

 耳を塞げ、聞いてはならぬ。

「おんしが知っちゅう相手なら、それに止めろとゆうてくれんか」




訥々と坂本は涼やかに言った。
まるで世間話でもするように、だ。

杯に映る月を飲み干す。




「喰われるぞ、ゆうての」





一つ目の男は笑った。
厭らしい笑い方だと陸奥は視線を動かさず遠くを見る。
物言わぬ岩のように、その遣り取りの背後を見まいと。



馬鹿は馬鹿でもアレとは違う馬鹿だな、
男は独り言のように漏らす。





 暗闇に。


 目が、慣れてきた。


 鼻につく凶暴な匂いにも。






「お前はなんだ」



 夜と月光。


 それから打上花火。


 まぶたの裏がちりちりと焼けるような、この煙にも。



「もう侍ですらねぇ」


じわり、毒煙。
葉煙草特有のきつい香りが緊張を彩り縁取る。
彼らの背景を、はっきりとさせ。
その輪郭を描くように。



「オレと口が利けるとでも思ってるのか」



初めて見た。
実物を初めて見た。
意外にも小柄な男なのだと思った。

防犯協力の為に各港で回る手配写真とは少し違って見える。
写真には何処か焦点のぶれた貧相な表情な男が映っていたことを覚えている。
噂で聞いていた人物像とは違うものだなと、そのときは気にも留めなかった。

だがこうしてあいまみえて対峙したとき、この男がその写真に映った同じ人物とは思えない。
写真には映らぬものが滲み出るとでも言うのか。

そういえば初めて桂小太郎を見たときにも同じように思った事を陸奥は回想する。
貴公子と言う名に違わず男前の顔つきであった。
本当に世間を騒がせているのかと思うほど穏やかな口調で、相対して話をした事を思い出す。



だが、この男は違う。
獰猛な気配を隠そうともしない。

物騒なまでのオーラ、圧倒的な空気を持つカリスマ。
坂本も時折、人を圧倒させる空気を纏うが性質は全く違う。




 高杉晋助。





陸奥は桂には感じなかった厭らしさをひしひしと感じた。
両者に共通するのはその名が既に一人歩きしているという事だけだろう。

坂本は何を考えているのか、胡坐を掻いたままの無防備な体制でじっとその男と対峙している。


「話は、それだけか」


男は詰らなさそうに煙管をふかす。
坂本は姿勢を変えず、黙っていた。


「さっさと言えよ。もう二度とお前の顔なんざぁ見たくねぇんだ」


これ一度きりにしようぜ、高杉は笑みを浮かべているはずなのに、
憎悪に近い視線は冷たい癖に総毛立つ産毛を焼く。
ちりちりとした痛みが首筋を這う。


「会うて顔が見たかっただけじゃき、それだけぜよ」


相対する坂本は至極穏やかである。
だが彼の眼からも鋭い眼光が見え隠れする。
普段は何重ものヴェールに隠してある、凶暴な貌だ。




「裏切り者が、俺と何を話す」



高杉の声は怒気を増す。
静かに、押し寄せる蝉時雨のごとく。



「裏切ったがや断じてないき」



坂本の声は相変わらずだ。
訥々と、内海の潮騒のごとく。






圧し合うような二人の狭間で陸奥は緩衝材にはなりきれず、
じっと思考を巡らせるしかできぬ。




相手は丸腰だ。
それは坂本も同じ事。

こういう場所は入口で腰の物は大小総て取り上げられる。
陸奥は隠していた懐の銃の所在を確かめる。
装填されている弾の数を数える。
男に向けるタイミングを計りながら、時機を読む。









「腹を切れって言ったよな、俺」




互いに声は穏やかだが高杉の声は攻撃的な鋭さ。
坂本の声はその鋭さをものともせず水のようにそれを受け入れる。
水は瑕などつかぬ、ただ飛沫を上げて受け流すだけ。


坂本に焦りなど見えない。
いや、そう見えるだけなのかも知れぬ。

こういう表情を見るのは二度目だ。
一度目は盗賊へ、二度目は嘗ての盟友へ。


自分だけが焦っている。
動く事は得策ではないと判っている。
だが、と陸奥は視線を固定したまま冷たい血を頭の中へ送り込もうとした。
最悪の事態を回避する義務、それが自分がここに居る意味だろう。



 何時抜く。

 今ではない。

 だが、いつ。


耳の奥で鼓動が打つ。
まどろっこしい遣り取りと、彼らが内側に燃やしている別の何かを見ることも出来ぬまま、
陸奥は膝の上に載せた右手の人差し指に力を込めた。
次に起こすモーションをイメージする。

懐に手を入れる。

撃鉄をあげよ。

狙いをつけて、引き金を引け。





「陸奥」




不意に坂本が陸奥に水を向けた。
目だけは男から離さず、至極穏やかな声である。

「ワシの頭を二挺拳銃が狙っちゅう」

両膝頭に肘を着き身を低くしていたが、組んでいた手を離した。
掌を開き、陸奥の前に差し出す。


「寄越し」


隣の部屋の男はにやにやと笑っている。

どうして判ったのだろう。微塵も動いていないはずだ。
武道の達人ともなればその気配や人間の気で相手の呼吸を読めるという。
その類だろうか。
それとも。



 同じように死線を潜った人間達だけが持つ第六感。



陸奥は否応なくそれに応じた。
右手ではなく左手で懐に眠っていたそれを取りだし、畳の上を滑らせる。
坂本は陸奥の銃を受け取ると、弾倉から弾丸を出してばらばらと畳に落とした。

男は何が楽しいのかその様子を見て笑った。

「一人で来る度胸もねぇ男が、よくそんな事が出来るな」

畳の上に弾丸が転がり、用を成さぬオブジェになった。

「こっちは武装解除をしてねぇんだぜ?」








「晋助様、撃ってもいいんスか」

暗がりから細い女の声がした。

甘い火薬の匂いが夜に漂う。
花火のものと混じるそれ。
懐かしい夏の日を思い出させるような、芳しい香りなどではない。


命を奪う匂い。



陸奥の死角直線上から声がする。
闇に身を潜めていた護衛にも気がつかないとは不覚である。
男の凄まじさに取り乱した自分をみっともないと感じ、心中で舌打ちした。

いやぁ、坂本は両手を上げて銃口二つで狙われたまま首を振る。
此処で撃てばパトロンを失うだけ、弾の入っていない銃の弾倉を元に戻し用を成さぬ鉄塊を左側に置く。

「ワシ等をやっても何もならんちや」

リスクが高すぎるろー、坂本は杯に満たして飲み干す。

早撃ち自慢のお嬢さん、一献どうかと暗がりにいる護衛に差し出しす様にゆっくりと腕を上げた。
しかしその女は動かず、沈黙を更に守った。







高杉は一瞬不興という顔をした。
護衛の女に一瞥を呉れて、煙管を指先で弄ぶ。

窓の手すりに肘を着き、一瞬外を見た。
次々と上がる花火が青白くその横顔を照らした。
色白と思われる顔が火花に照らされる。
貧弱そうな印象だが、単の女物の長着から覗く胸板はやはり男のものだった。

高杉は見上げていた花火からゆっくりと目蓋を伏せた。
仕切り直すように、鎌首を持ち上げる蛇のように首がうごく。



「俺も、噂は聞いてるぜ」



視線を感じた。
坂本から視線を外し、値踏みするように陸奥を見る。



「押しも推されぬ星間商社の社長の右腕。切れ者の”お嬢さん”」



爪先からじろり、脚の線を伝い。
輪郭を辿るように喉元から顎、陸奥の鼻先へと視線を上げた。


「男を凌ぐ知略と手腕。女だてらに政府の高官とも口が利けるという話じゃねぇか」


応える様にその行き着く場所を探し、一直線上で衝突する。


「お前の懐刀と聞いてる」




陸奥の衿の抜きの少なさ、その隙の無い合わせ目を見てにやりと笑い、
舌で酷薄そうな薄い口唇を微かに湿らせる。






「此処に置いてけ」






美しく口唇が歪む。
視線を坂本に戻し、心の底から愉快だというように喉の奥で笑う。

「俺に寄越しな」

餓鬼大将が玩具を取り上げるような口ぶり。
膝の上に乗せられた左手の、人差し指が無意識に此処に来いと横柄に命令する。


「達磨にして毎日可愛がってやるよ」


下品な物言いだ。
が、口を挟むほど愚かではない。
辰馬はその申し出がさも愉快だとでもいうように、いつもどおりあははと高く笑った。


「お前は人のもんばぁ欲しがる。欲しい欲しいと駄々を捏ねても手にゃ入らんよ」


高杉の顔が歪んだように見えた。
子供をあやす様に諭した坂本に明らかな敵意を持った。
憎悪ではなく敵意だと感じたのは恐らく気のせいではない。



「じゃぁ、お前は何が欲しくてここに来たんだ」



苛立ちの混じる声。
敵意、憎悪、反感。

攪拌されながらそれは一つになる。
向けられる感情が互いにそのどれか分かっているのだろうか。
それとも複雑すぎて、抱く感情の名さえ忘れている。
名をつけることが不可能とでも。


「赦しが欲しい、とでも言うのかよ」


坂本は黙っている。
肯定の証なのか、微かに口唇を薄く開けたが声は発さなかった。
陸奥はそれに焦れた。


「オレはもう何もいらねぇ」

身を乗り出すように高杉は顔を上げる。

「欲しいものはもうねぇ」


その身から噴き上げる炎のような感情の迸り。
口調は穏やかそのものなのに、それは極彩色の花火すら色褪せる。


「全てか無か」


おんしらしいのう、坂本はそれが見えているのかいないのか、
何か懐かしいものでも見るように穏やかに言う。
二人は同じような姿勢で居るにも拘らず全く正反対に見えた。

少なくとも陸奥にはそう見える。


「寄越すのか、よこさねぇのか」

焦れているのは陸奥だけではないらしい。
のらりくらりと身をかわしながら是も否も云わぬ男に苛立つのは高杉も同じらしい。
煙管の口金が煙草盆の縁を叩く。




「そいつは、御免蒙る」


辰馬はいやにきっぱりと、低い声で撥ね付ける。


「おんしの飼うちゅう其処の女子も、相当のじゃじゃ馬にかぁらんが」


計算高いのかそれとも完全な思いつきなのかは判らない。
判らぬ事の方が多いこの男の行動を理解しようとしてはならない。
成り行きを想定し、その瞬間最良の手を打てるよう何パターンものシュミレーションを一瞬で繰り返す。



「こんおなごはそれ以上やか」


辰馬は笑う。
真っ向勝負するというように。
どういうわけか酷く嬉しそうに、微かに顎で陸奥を示す。



「上に乗られたがしまい、昇くときに食いちぎられるぜよ」


声が変わる。
ベールが捲れる、夜の嵐。
その風で捲れるが如く、辰馬の凶暴さがうっすらと滲み出す。


「流石にアノときばかりは男子一番の弱みを預けておるし」


部屋の中に充填される火薬。
松明を持ち徒に振り回す子供は一人ではない。


「頭ン中はひとつの事しか考えられんきに」



悪意のような挑発で相手を撫でる。
その余波を受けたようにじわりとした悪寒が這い登る。
背中を這い登る。








 動 く な 









「お前のようなヘマはしねぇよ」


口唇から煙が漏れる。
呼気の流れと共に紫色の煙がゆっくりと夜の空に棚引く。


「なぁん、まだ指一本触れちょらん」



口角が上がる。
レンズ越しの眼は笑っていない。




「だからソイツが無事というわけか」



高杉はちらと目でそいつを勺ってふっと嘲笑う。
辰馬も笑った。



「ほうじゃの」



自分は、此の男が怖ろしい。
時折見せる見たことも無い貌をするとき、自分の知らぬ「場所」があるのだと思い知らされる。
自分が一番近いと信じながら、それを簡単に打崩す。

辰馬の腰にある筈のリボルバーを思い浮かべた。
きっと、笑みを浮かべながらあの銃を撃てる。
嘗ての盟友であろうとも、多分。
自分の決めた道を塞ぐものを排除する事に、躊躇いはない。

だが同時にそう自分にさせぬ為の策を弄じる。

冷酷なくせに甘い。
甘いくせに、非道だ。


どんな場所に二人が立っていたかは知らぬ。
同じだけの時間をそれぞれが過ごし、どういう気持ちで今ここに居るのか。

見知らぬ男達が火薬を敷き詰めた部屋の中で、
嘗ての同じ時間に立ち返り、息を詰めるように火花を散らす。




「気の強いのは嫌いじゃねぇが、まだ使わなきゃならんのでな」




暫しの沈黙。




陸奥は身を堅くする。
正座した足の親指に力を入れ微かに畳に立てる。


 抜く。


そう思った。




だが事態は動かなかった。
二人は示し合わせたように同時に笑った。




坂本は高く、気狂いのように。
高杉は低く、唸る獅子のように。




共鳴するかのごとく花火が立て続けに上がる。
鼓膜を、総毛立つ肌を、震わせるヴァイブレーション。

赤、白、橙、黄、緑、青、紫。

光はストロボのように一瞬一瞬、座敷を真昼のように照らす。
轟音、花火の光、笑い声、外で上がる歓声、火薬の匂い。
うねる波の如くそれらが一気呵成に押し寄せる。
息を継げぬほどの密度。
陽炎のように沸き立つそれらに歪む景色。




嗚呼、気持ちが悪い。




下降しそうになる視線を持ち上げる。
その元凶ともいえる男を見た。


そのとき。


 どぉん。


一際大きな音。
最期の冠菊が咲いた。
その音は遠くの山までこだました。
残響を残して、潮が引くような静けさが来る。



 終わり。



互いの威嚇のような笑い声も止んだ。
高杉はどういうわけか物憂げに眉を顰め、面倒そうに頭を掻く。


「何しに来たんだよ、お前」


辰馬はにこりと笑った。
いつもの顔で、此の状況下で。


「ゆうたじゃろ。顔を見に来たがじゃ、それだけぜよ」


そう言った辰馬をみて明らかな舌打ち。
めんどくせぇ野郎だと口の中で言ったのが読めた。
残響の残る星の少ない夜空を見上げ、火を落とした煙管の口を噛む。

「興が失せた」

するりと衣擦れの音。
立膝を下ろし腰を上げる。
右手を懐に入れ足を出口に向けた。

打ち殺してやろうと思ってたのによ、くすり、嘲うような声。
その嘲笑は誰に向けたものか、一房の前髪に目は隠れ表情は読めぬ。
男の袖が揺らぐ。



はた、はた。




蝶々の文様が、夜の座敷に羽ばたく。


「坂本」


ぴたり、部屋を出る間際足を止めた。
振り返る事はせず、呼びかける。



「今年の江戸の花火は見たか」



辰馬の目は男の背を追うこともせず、何処か遠くを見ていた。
祭りの後の空か。

暫くの後、見ておらんと首を振る。




「そうか、見なくて正解だ」





足音は静かに遠ざかり、唐紙の閉まる音がした。









外の声は再び騒がしくなった。

隣や、階下から三味の音が鳴り始める。
楼閣に明かりが灯り始め、また歌を吟ずる声や笑い声が風に乗った。

秋風が部屋の中をぐるりと巡り、火薬の香を洗うように部屋の窓から窓へと踊るように走り抜ける。
風は冷たい。
今頃になって噴き出た冷や汗がすぐに冷えた。
部屋の中の緊張はまだ続いている。

「おんし、此処にあいつ居る事を知っちょったがか」

睨んだ。
坂本は頭を掻き、言葉を選ぶ。
浅慮なのか思慮深いのか判らぬ。
一瞬奥歯を噛んだような顔をして口を閉じ、すぐに開いた。

「京都に居ると聞いちょったきに」

答えになっていない。
それ以上は言わない。

判れということか、陸奥は匙を投げたい気持ちを抑え溜息を飲み込む。
せめてあしにひと言ゆうて此処につれて来とおせ、舌打ち交じりに更に視線を強くする。

面倒事は常に事後報告。
それで後は何とかしてくれと拝む手、こういうやり方はフェアではない。

「寿命が縮まったぜよ」

しかし、此の男の常套手段である。
慣れたと言ってしまえばそれまでだが、これは性質が悪い。

早死にしたらおんしの所為じゃき、そういいながら漸く長い瞬きをする。
火の香で眼が乾く。


「言うたら来んじゃろ」
「当たり前じゃ」

ばつが悪そうに首を掻く姿は、確信犯のそれである。
それを証拠に目を合わせない。
一応は悪いと思っているが、謝らぬつもりだ。


噂は聞いていた。

商売柄だけなことではない。
攘夷戦争で何があったか。
戦場で何があったか。
潜伏する秘密裏な組織、終結の後の新政府の報復。
高杉一派の事も聞きはしていた。
だが辰馬との繋がりは薄々は気が付いていたがそれを敢えて問い質しはしなかった。

意味がない。


「一人で来ればいいがやないか」


辰馬が何をしたかは知らない。
何を見たかは知らない。

だが、戦場で見る物は同じだと片足を失ったエンジニアの老人は言った。

どこからか漏れてくる。
聞きたくないと思えども、耳に入るのが此の手の話。


「一人で来るのはいやじゃったし、かといって誰かと、とも思ったが思いつかぇかった」


臆したのか、とは聞かなかった。
あんな張り詰めた辰馬を見るのは久しぶりだ。
対抗し得る気迫を持ち合わせている筈である。
一歩も退いては居なかった。

なのに。


「他の奴を誘いとおせ」
「だめじゃ」

ぴしゃり。
声は小さかったが反論を許さぬ一声。


「あがなものを、誰に見せるわけにはいかんちや」



坂本、高杉、桂、そしてあの坂田という男。
辰馬は早々に抜け今は貿易商を生業にしているとは言え、それでもやはり繋がりというものは切れぬ。

攘夷派のテロ事件が新聞の一面を飾る日、辰馬は決まっていつもより陽気になる。
艦を抜け出す事もそれに前後する。
遊びに行っているばかりかと思えば、そうではないらしい。
今日のこととて、そうなのだろう。


だからと言って自分が態度を変えるわけではない。
恐らく、此の男自身もそうした自分の習性に気が付いている。
だがそれを悟られまいとしている。だからその望みを叶えるためにそうする。


「あしにならえぇがか」



辰馬はその質問には答えなかった。
身勝手な事だ。

万が一のことを考えなかったのだろうか。
多分考えていない。
ただのお人好しなのか、それとも希代の大悪党なのか。
それは未だに判別が付かぬ。




時々、此の男が怖ろしい。

時折見せる見たことも無い貌をするとき、自分の知らぬ「場所」があるのだと思い知らされる。
自分が一番近いと信じながら、それを簡単に打崩す。

冷酷なくせに甘い。
甘いくせに、非道。

自分の立場を忘れている。

何も持っていなかった頃の、自分の名しか持っていなかった頃とは違うと言う事を忘れている。

その肩に掛かっている何百の人の生活を忘れている。

恐らく、自分の命の在り処も。




「陸奥よ」



坂本は回転式銃のシリンダを弄びながら言う。
弾の入っていない銃。
青灰色の夜を照らす月明かりに銃身が鈍く光った。




「おんしがおれば冷静になれるかもしれんとも思ったがやか」


ぽつり。
項垂れたように、視線が畳の上をゆっくりと滑る。
さっきまであの男が居た場所までそれは届き、既に消えた姿の輪郭を辿った。
しかしそこにはもう跡形も無い。
目に染むような葉煙草の匂いすらない。


「勝手な、事を言う」


膝の上で揃えた自分の手を見ながら、奥歯を噛んだ。
百も承知じゃ、そう呟いた辰馬の声を聞いた。
辰馬には見えぬように左手で隠した右の拳を握る。

救いようがない、だから黙る。
辰馬も黙った。

外の世界は陽気な唄を風に載せる。
笑い声、手拍子、凍えそうなほどに涼しい風鈴が鳴った。


「花火、終わってしもうたのう」


辰馬はその音に顔を上げて不意にそう言った。
ひらりひらり、短冊は揺れ緩やかな風に翻弄された。
陸奥は夜空は見ず、見上げる辰馬の顔を見ようと視線を上げた。

表情は見えない。
見えなくて良かったと、自分の浅慮を恥じた。


世界はちぐはぐで、繋ぎ合わされた惨めったらしい継ぎ充てのようだ。
例えば誰かの差し金だとしても、見えざる手の導きにしろ、
いずれ一枚の絵になるのだろうそれは、間近で見れば見るほど醜悪である。



陸奥は冷え切った膳を横にずらした。
弾が幾つも転がっている。
一つ一つ拾い、数を数えて懐に仕舞った。
ひとつでも忘れていたら面倒な事になる。
仮にも「貿易商 坂本辰馬」の名に傷が付いてはならぬ。

「生きておってくれたらえいと思った」

陸奥は膝を着き、弾を拾い集めながら俯いたままその声を聞いた。
火薬の匂い、秋風、喉の奥が痛くなるような、煙の匂い。

















一つ目の鬼は、もとは人間という。
人ならざるモノになるために眼を一つ棄てるのだと。





「あれは、どこへ行く気ろうか」


独り言のように、細い声。
掌の中の硬い鉛が皮膚に喰い込む。

陸奥は消えた影を思い返す。
美男子であった。


そう、震えが来るほどの。



弾を拾い終えた陸奥の背に何かが寄りかかる。
首に腕が回り、両肩を大きな掌が交差するように掴んだ。
肩に重みがかかり、右の頬に髪の毛が触れた。







  神の声聞く一夜神主。

  自分で突いたか、誰に盗られたか。

  それとも自分でもいだのか。




  異形に成り果て、人を棄て。

  神になるのか、鬼になるのか。




  あの世もこの世も変わりなく。

  地獄というなら参りませ。








辰馬は黙っている。
陸奥は息もせず、その重みに耐える。





どこへと問われた。
答えは一つ。





「地獄じゃろう」




end


世間様で陸奥絡みといえば銀時君か高杉さんちの子なので
まぁ一度くらいは書いてみようかと思った次第です。
といいますか、これが私が初めて妄想した坂陸奥+高杉君だったんですけど…
消化不良が否めない。

と云うより、うっかりこの夏に坂陸奥に嵌まって、
一番盛り上がっているところに遅ればせながら紅桜編をDVDで購入したので
(レンタルまで待ちきれないと言う浅はかさ)その時に妄想が高まっちゃって…。

坂陸奥前提の高陸奥って判らんでもない…、うん。 判らんでもないが…坂本の方が燃える
万一高杉が粉掛けたら坂本が、あの坂本が烈火のごとく怒りそうだよね

ところで「のけものみち」ですが「野獣道」と「除け者道」を掛けてます。一応。

↑気に入ってくださったら
押していただけると嬉しい
inserted by FC2 system