凍みて さざめく 屑星よ

希み 託せぬ 流れ星









 見えねども 凍みる星





足の裏に触れる廊下の冷たい感触が季節の変わり目を教えた。
秋から冬になろうと言う季節である。
此の間まで暑くて夜中は寝られなかったものだ。
今はもう蚊帳も仕舞われ、敷かれた蒲団の冷たさに思わず足を縮ませてしまう。

寒くて寝られない季節になるのだなと、
羽織も着ないで寝間を抜け出したことを少々後悔した。

庭に近い廊下を歩く。

最近入れ替えた硝子戸の向こうに夜の庭がある。
今宵は満月が美しい。
青白い月光が万物を平等に照らしている。
ぼんやりと遠くまで見える世界。
唯一動かぬ月の影。


みしり。
床板が軋む。


いかんいかんと更に慎重に歩みを進める。



恐らくこれが最初で最後の機会であろう。
そう、辰馬は思った。

家中が寝静まっている。

父はもうずいぶん早くに寝間に入った。
手伝いの婆さんはとうに帰った。
姉上は長崎へ出張している。

恐らく起きているのは自分だけ。



これが恐らく最後の機会だと、もう一度自分に言い聞かせた。
だから決して失敗は許されない。
ここは戦場である。
取るか取られるかの、孤独な戦場。








離れの座敷は此の季節紅葉が美しい。
一面を赤い絨毯にするように、葉がひらひらと舞い落ちる。
庭からはその絨毯を踏まねば進入できぬ。
けれども僅かな物音すら許されぬ。

また離れには小さいが池がある。
池の周りに敷き詰められた大小の砂利で、石車に乗って足を滑らせることなど愚の骨頂。
だから少々危険でも母屋を通り、廊下を抜け離れへ行くのが一番である。

此の間冬の前に隙間風などを防ごうと建具には手入れが入った。
障子、襖の開け閉めには手間も掛からず音も無い。
無論離れもである。

問題は廊下の軋みだけである。
出来るだけ端を歩き、音を立てぬように抜足差足。
体幹は剣術で鍛えられ、体重移動などお手の物である。

こがなところで役に立つとは、と幾ばくかの情けなさと同時に感謝もした。

「待っちょれよ」










「陸奥」










夜這いは文化である。

古くは平安時代の貴族の通い婚に基づくれっきとした風習文化で在り、これは民俗学上通常の儀礼である。
若衆の性教育を年上の女性が教え、その技能を体得した若衆が未経験の娘たちを訓練する。
そう言ういわばサイクルがもともと此の国には存在しているのである。
性技は子供をなす為のものだけではない。
一対一の男と女の真剣勝負である。
お互い相手の事を知り知られ、より深くまで理解しあうことの出来るコミュニケーションの一つ。
だからコレは別に、おかしなことでもなければ、自分の欲望が先走るような浅ましいものではないのである。
そう、古来から続くわが国の民俗の殉教者とでも呼ぶべき行為なのである。





然て、理論武装は完璧である。







そう言うわけで、離れの襖の前に膝を着きじっと耳を済ませた。
敵は眠っているとは言えど、小さな物音で目覚められては敵わない。
すわ泥棒かと身構えられて大声を出されれば、完全に面目を失うばかりか、
それを知った姉に着の身着のまま家を叩き出されるのがオチである。

襖の向こうで眠っている筈の人間の呼吸を読む。
相手の呼吸に合わせて自分も呼吸をする。
そうすると同調するのか不思議なことに気配を気取られることが無いのである。
これは夜襲にも使える手である。
本当に情けない。

まァただ、此の一連の行動は確かに闇に乗じて攻撃を仕掛けるのであるから、
夜襲と呼んでも差し支えはなさそうであるが。







相手の呼吸を読むと言うこと。

此れはかつての剣術の師から教わった。
剣を持つ相手に対峙するときは、相手の呼吸を読めという。
相対する者は敵ではない。
鏡に映った自分なのだ。
同じように呼吸をし、鏡に映るもう一人の自分に向かうのだと教わった。

こんなところで使うとは本当に碌でもない弟子であるが、
ただ、此れで失敗したことが無いので驚きである。



耳を済ませる。
細い息。




吸う、吐く、吸う、吐く。



カウントを合わせる様に自分も呼吸をする。
同時にゆっくりと襖に手を掛けて、呼吸の速度でゆっくりとあける。








障子に映った紅葉の影が美しい。
秋風に揺れる枝が微かに揺れている。
部屋の中は青白く、月明かりが目を助けた。
闇に慣れた目、部屋の真ん中に黒く盛る蒲団の中に目指すものがある。



呼吸を合わせたままゆっくりと腰を上げながら、足を進める。
じりりと畳の目を読みながら、身体が完全に部屋の中に入ったところでもう一度膝を着き襖を閉める。
焦ってはならぬ。
襖が音も立てずに蝋を引いた敷居の上を滑った。
隙間無く閉まった襖に背を向け、ごく小さなモーションで目標物を再度確認する。


四つ這のまま足と手の爪先に力をこめた。
猫が歩くように、重心をゆっくりと移動しながら距離を縮める。
八畳間の真ん中、こちらへ背を向けて眠る目標にはもうすぐだ。

焦るな焦るな。

影だったものが人の形に見えてきた。




黒い塊の中に、人の部分が一つずつ浮かび上がる。
やわらかい稜線を描く肩、
縺れた長い髪、
その中に埋もれる小さな耳。

指先が蒲団に触れた。
呼吸は完全に同化している。
口の中に溜まった唾液をさていつ呑み込もうか。

「陸奥」

ちょうど外を向くように顔を背けている。
そんな風にしていては接吻できぬではないか。
仕方がない娘じゃというように、顔を跨いだ向こう側の枕元に右手を着く。
閉じられたまぶたを縁取る睫の影。
ちいさな鼻。

薄く開けられた口唇は、
夜の冷気が入り込まぬように、塞いでやろう。

縺れて顔に掛かる髪の毛を指ですくう。
それがなにやら難しかったのか、陸奥が身を捩り仰向けになる。

嗚呼、なんと巧く事が運ぶ事よ。



これで容易く、くちづけられる。








どれほど待っただろう。
此のかわいげない、けれどもいじらしい娘の心を開くのに自分がどれほど待ったか。
早くしないと自分以外の者がふとした拍子に気がつくやもしれぬ。
先に手折られては叶わぬ。

そう、自分が見つけたのだ。

気が強くて、可愛げが無くて、大の男を殴りつけて。
けれどもいじらしくて、人のために自分を殺して、一人では泣けなくて。
芯が強すぎて、折れることが出来なくて、
誰かに強い力で押してもらわなくては、力も抜けぬような不器用さ。

圧すのは必ず自分でありたい。
此の娘が見せる涙は、すべて自分が受けてやりたい。


悲しみでも、喜びでも、あるいは、悦楽でも。








心中で名を呼ぶ。
きっと此の距離なら伝わるだろうと信じながら。
身を屈めるように、距離を縮める。





自分の影が覆う。
口唇が近づく。

息が、口唇から漏れる。
確かに、それを己の口唇で感じた。
じゃぁ次は、熱を貰う。

女との関係の始まりには必ずくちづけが欲しい。

言葉が発せられる器官を互いに塞ぐ。
愛の言葉を呑みこみながら、それより容易く伝わる方法があるのだと自覚するために。

今夜は少々趣は違う。
だが、自分の口唇にのせられた此の心を受け取り給えと、辰馬は目を閉じた。
触れぬか触れるかの間際に、微かに陸奥の口唇が動いた。
その気配。
夜の闇、月の影。ざわと木々が泳ぐ風。


辰馬の動きを止めさせたのは、微かにあいた口唇からもれた微かな声。
此の距離でなければきっと聞き漏らしていただろう。
ぴたりと動きを止め、なんだと耳を澄ます。

目を開け再び夜に目を凝らす。



「か、」
















「あさ、ま」


























遠くから強い秋風が足音を立てながら此方へ向かう。
障子の桟を叩き、木々の枝を揺らし、我が心を弄った。

月影だけは揺れずそこに在り続けて、陸奥の上に掛かる自分の影も微動だにせぬ。
動揺しているのは内側で、布団の上に着いた手は歯痒く握り締めることも出来ず自らの重みを支え続ける。

かあさま。

そう、童子が言うような呼びかけを。
今は亡きご母堂を、彼女は確か母上と呼んでいた筈。

子供の頃の夢でも見ているのか。
そう思えども。
どういうわけか陸奥は眉根にしわを寄せた。
苦しいような顔をして、息を吸い込もうとするのに巧く飲み込めぬような。
口唇の微かな戦慄き。

そして。







「あにうえ、さま」








開いた口唇からは確りとした声は漏れることはなかった。
閉じられた目からみるみる透明なしずくが清水のように湧き出して、一筋涙がこぼれた。
頬を伝い、まるで流星のように闇に消えた。

短く息を吸い込むような。
そう涙の前触れが、すぐそこにある。


蒲団の下で陸奥の手が動く。
何かを掴もうとした温かく白い手が、何も無い闇へと高く伸びる。

誰を追い、何を求め。

そこには何も無いのだ。
もう、そこには。


気がついたときにはその手を取り、強く握った。
空を虚しく掴もうとするその手を
やわらかくて小さな、女の手を。



「陸奥」



名を呼んでやる。
出来るだけ小さく。


お前がきっと、そう優しく呼ばれていたように。



とうゝゝと湧き出る涙が枕を濡らす。
左手だけでは、お前の涙を拭ってはやれない。

答えないことに苛立ちと寂しさを覚えながら、
握り締める手の力と、声を。
強く強く、とどけとどけと祈りながら。






「陸奥」





「辰」







うっすらと目を開けて陸奥は不思議そうな顔で此方を見た。
ここはどこだろうと言うように、部屋の中を見渡す。
だがいつもと同じ離れだと分かったのに、
把握できぬ事態に心もとなく夢の狭間に居た頭を巡らせる。

「なんでおんしがここに」

何故か握られた手を見ておやという顔をしたから、
おんしが掴んだちやというように笑えばすまんといった。
いつもならにべも無く離しやと振り払う筈なのに、指は弱弱しく握り返した。

 何かを確かめるように。




「声が、聞こえたが」


まさか正直に話すわけにもいかぬ。
そう嘘吹いた。



「あぁ、すまん。おこしたがか」


身を起こそうとしたがいやいいと制す。
何故手を握っていたのか分かっていないようで、首を傾げながら手を離す。
名残惜しかったが、その手を放した。

離れた手で眦を拭う。
たぶん無意識に。


「あしは何か言うちょったか」

さぁ、わからん、首を振る。
ほがに大きな声やったかと問われたが、笑って誤魔化した。
月を観に外に居たと言えば、ああ今夜は満月ながと影が濃く映る障子を見た。




「まぁなんとものうて、よかったちや」



ゆっくり寝やと肩まで蒲団を掛けてやる。
陸奥はそれ以上聞かなかった。
おやすみと言い、背中でありがとうという声を聞く。
振り返ったときにはもう彼女の目蓋は閉じられていた。

寝返りを打ち背を向けたのを見てから、襖を閉めた。















足の裏に触れる畳の冷たい感触が季節の変わり目を教えた。
あの夏はとうに過ぎ去り、秋は深くなり次の季節へ。
家族を、郷里を失った陸奥は最後に母を失った。

そう、あれは夏の終わり。
もう随分前のような気もするけれど、そうまだ二月も経ってはいない。

自分の愚かさを恥じながら、少々ばつの悪い思いをしながら冷えた足の爪先で脛を掻いた。

これから冬が来る。また季節を捲る。
寒くて寝られない季節になるのだなと、腕を組んで袖に手を入れた。

庭に近い廊下を歩く。

最近入れ替えた硝子戸の向こうに夜の庭がある。
今宵は満月が美しい。
星が見えぬ空。

月光の光で見えぬ星たち。
皆こぞって燃え尽きたのだろうか。
夜の闇を滑るように、見る者もいない幕間に。
あの娘の頬を伝った、幾粒もの涙のように。




みしり。
床板が軋む。




クソ、溜息交じりに出た罵倒の言葉は心弱く、小賢しい己が欲望を恥じた。
あがなおなごを抱けるか。




此の手が包んだ手のなんと小さかったことよ。

握り返した力の心細さよ。

絞るように涙をこぼしたあんな娘を。






木枯らしが木々を揺らす。

青白い月光が万物を平等に照らしている。
ぼんやりと遠くまで見える世界。
唯一動かぬ月の影に、見送られた。


辰馬はひそかに祈る。

凍みてさざめく屑星が、今宵はもう燃え尽きぬように。
希の託せぬ流星が今宵あらわれぬようにと。

end


WRITE / 2008 . 4. 18
これ思いついたの去年の夏も終わり頃です
だから時期が秋なんです
書きたいものが多すぎて色々後回ししてたら桜も散ったぜコノヤロー

と言うよりも夏に銀魂に本格的に嵌って(コミックスは当事一巻を死ぬ気で手に入れたけど)
坂陸奥に嵌ったのはちょうど秋ごろで、その頃思いついた話は悉く秋です、秋。
だから安達が原とか永訣の朝とか芋を焼く話とかはその頃一連に妄想した話ですよ。
話中の時期が冬な奴はそれよりちょっと遅い。

なので私の中のイメージの坂陸奥は秋です、秋
うら寂しいような季節

なんか私の中の坂陸奥の辰馬は陸奥との関係の進展を進めるにあたり、
タイミングを逃し続けておよそ10年近くプラトニックの関係を続けてしまうと言う妄想をしているんですが、
これはその栄えある第一回目みたいな(笑)
きっと初めは若い娘が一つ屋根の下なんだし、まァちょっと可愛いし、と言うカンジかなぁと。
んでだんだんだんだん深く惹かれていくうちに、逆に手を出しそびれて今に至るみたいな

男は本気になると臆病になり、女は本気になると大胆になるらしいですよ。
坂陸奥はその典型で。
ちなみにあぁこりゃいかんということで此の頃から坂本は女遊びに精を出し、
此のあとに続くのが芋を焼く話に繋がります。

あと冗談っぽくっ書いちゃいますが、
夜這いの一件は大学で習ったり本で読んだりしたことなので嘘ではない筈です。
お前どんな学校行ってたんだよぉォォォと言うツッコミはナシでお願いします☆
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