あなた 宛て の てがみ
もう何年も 書いて いないや









ラヴ・レター






「何をしゆうが」

見て分かりやぁせんか、と辰馬は部屋に入ってきた人物の顔も見ずに言った。
気配と声で誰かは分かった。
その人物は用が無ければ己の部屋には進んで来ることは無い。
なんらかの用があるときだけである。
だから名を問わなかった。
辰馬にはどんな用があるかが分からぬだけである。

「手紙を書きゆう」

部屋の主は背を向けたまま姿勢正しく文机に向かい、筆を滑らせている。
既にその脇には書きあがった書簡が幾らか積み上げられているのが見えた。

陸奥は部屋の扉から一歩離れ、履物を脱いで辰馬の居る座敷に上がろうとした。
その矢先。

「すまんが」

一旦筆を止めて、辰馬がその動きを制した。

「茶を淹れて貰えやぁせんか」

辰馬は手元から目を離さず、
筆に墨を含ませたあとまた右手をするすると動かしている。

「あしはお茶汲みじゃぁないがで」

不満を口にした。
多少の棘を含ませた。
それに気がついたのか、ちらり、肩越しに此方を見た。

「ほやき厚意で、じゃ、頼む」

此処で断るというのも少々子供染みている。
麦茶でいいかと思いながらちいさな戸棚からグラスを一つ取ろうとした。

「冷煎茶を」

注文の多い男やき、舌打ちしかけたとき心が読めるのか、すまんすまんと小声で言った。
侘びといわんばかりに冷蔵庫に茶請けがあるぜよと付け加えた。
冷蔵庫の扉を開けると水とビール、焼酎しか入っていない庫内に『白桔庵』と書かれた小箱があった。
蓋を開けると甘夏の香りがした。
夏らしい水寄せである。

「もろうたがよ」

そう付け加えた。

陸奥は観念して薬缶に少しの湯を火にかけた。
先ほどの水寄せを器に二つ入れて盆に載せる。
同時に急須とグラスを二つ用意して氷を口まで入れる。
しゅんしゅんとすぐに湯は沸いた。
急須に湯を注ぎ入れて温めたあと、別の湯呑に湯を移し少し冷ます。
茶葉を急須に入れ少し冷めた湯呑の湯を再度注ぎ蓋を閉めた。三十秒。
霜の立つ氷の入ったグラス二つに、そのまま最後の一滴まで注ぎ淹れた。
からり、ぴしり、氷が融ける。

「辰」

もうちくと待てとひそりと言う。
陸奥は履物を脱いで座敷に上がった。
厚意で淹れた冷煎茶と茶請けを載せ、所望した主に盆を差し出し無言で勧めた。

大人しく言うことを聞いたのは、正しくは厚意ではない。
甘夏の水寄せは陸奥の好物なのである。

陸奥は辰馬の少し後ろに正座して、手ずから入れた茶を飲んだ。
きりりとした茶の香りがとても涼やかでいい。
一年間同じ気温湿度に保たれている艦内だが、
時折はこうやって地球の季節を愉しむのも悪くは無い。

「誰に手紙を書いちゅうがかぇ」

陸奥は辰馬の手元をそこからぼんやりと眺め尋ねた。
様々ぜよ、辰馬は手紙を一つ一つ改め表書きをしている。

「礼状に挨拶、ほいから友人と」

辰馬は盆を引き寄せグラスを手に取る。
一口飲んでそのまま盆に戻す。
美味いも不味いも言わなかった。

甘夏の水寄せは二つとも陸奥の手元にある。
一つ口に入れればとろりと融けて、瑞々しい甘夏の馨が舌の上に載った。
夏限定商品である。
今年は食べられないと思っていたのだが、こういう時は素直に感謝することにしている。

「ところで何用じゃ」

辰馬は表書きした封書を一つ一つ確かめながら積み上げる。
陸奥は水寄せのふたつめに手を伸ばしていたときであった。

「手紙を届けに来たがよ」

懐から二通の封書を辰馬の右側、硯の傍に滑らせた。
私信のようじゃったがと付け加えた。
受け取った封書の差出人を見て辰馬は少し嬉しそうな顔をする。

「はや寝るがかぇ」

いんにゃ、陸奥は冷茶を一口を飲んだ。
先ほど積み上げられた書簡を二つに分け、丁寧に縁を揃えた。
辰馬の手元で幾通のも手紙が軽やかに机を叩く音がした。

「オフィスに戻るがか」

ああ、茶托にグラスを置き頷く。

「すまんがこれを出しとおせ」

くるりと振り返った辰馬の手には葉書と書簡が分厚くあった。
陸奥はそれをそのまま受け取る。

「葉書は船便で、封書はすべてエアー扱いで頼むきに」

了解したと頷く。
辰馬は盆の上のを見ておやと首をかしげた。

「あり、ワシの水寄せは」

器の中は既に空で、陸奥の口だけが動いていた。
その問いに陸奥は冷蔵庫を指しただけである。
自分のだけか、クソ女、辰馬は筆を置きグラスを取った。
冷茶を所望されただけやき、そう応酬して陸奥は預かった書簡を懐に仕舞った。

さて、辰馬は長い腕を天井に伸ばして背を一気に反らせた。
書き物をしていたので肩が凝ったのか首を一緒に回し、
ワシは風呂へ入るがで、冷茶を飲みきったあと徐に立ち上がる。
座っていた陸奥の隣を通り過ぎたとき。

「馳走になった」

ひらりと軽薄な赤いコートが陸奥の頬の横で揺らめく。
下駄の歯がからんと音を立て、辰馬はそのまま部屋を出た。
船の共同風呂へ行くのだろう。

陸奥はやれやれと投げられたままのグラスを洗い、辰馬の部屋を出てオフィスへ戻った。
仕事は片付いているが、幾つか部下へのメモを付箋で残して今日は終いにすることにする。

郵便仕分けの箱に入れる前にざっと表書きの不備の有無を確認する。
葉書は兎も角、封書はメール便で届けるのだから住所が無くては困る。
数十通に上る書簡をさっと見たとき、最後の一通に目を留めた。
一瞬あたりを見渡し、誰にも見られぬように懐に仕舞う。
おつかれさんと居残っている部下数名に声を掛け、そのままオフィスを出た。

部屋に戻って懐に秘匿した一通の書簡を取り出す。
表書きは見慣れた字であり、己の名であった。
随分回りくどいことをする、そう思いながら封を開ける。
陸奥は見慣れた辰馬の字を目で追いながら、最後まで読みきったあと微かに笑った。

そういえば辰馬は昔から筆まめであったと思い出す。


「妙に字が綺麗なのが、腹が立つのぉ」


普段のちゃらんぽらんな言動とはちぐはぐの折り目正しい字は、
恐ろしく丁寧で読みやすい美しい手蹟である。
陸奥はデスクの引き出しの一番奥にある、書類箱の蓋を開けた。
その中には時間が経って黄ばんだ幾通もの手紙が堆積して溢れていた。
赤い紙縒りで縛った分厚い束を取り出す。差出人の殆どは同じ人物からのものである。

陸奥は今しがた届いた一通を丁寧に折りたたみ、一番上に置いて綴じ直した。
積み重なった封書の厚みを見ながら陸奥は微かに笑う。
何に対して笑ったかは自分でも分からない。
歳月の流れ、今しがた貰った手紙、旧い手紙を貰った日の事。
それらがふと頭を過ぎったのかもしれぬ。


「仕事にもこれくらいマメならえいがやけど」


苦笑とも悪態ともつかぬ独り言を陸奥は紡ぎ、ゆっくりと蓋を閉めた。

end


WRITE / 2008 .7 .20
わらしべ長者の初めの藁です
六月に無理やり誕生祝いをせしめたあと、
同じ月で会長がお誕生日だったので無理やり送りつけた代物。
そいだら裏に上がっている素敵な小説を頂戴したというわけですよ
わらしべ長者です
ちなみに、この往復書簡という元ネタはtaptapさんちで陸奥誕の日に書かれていた日記が発端なのです
そう言う意味でもわらしべ長者なのですよ。
ありがとう、ありがとうございます


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