私は書簡箱を一つ持っている。
「そ れ か ら」
ラ ヴ ・ レ タ ー
−長崎との往復書簡−
「陸奥、そろそろ出るんじゃぁないなが」
はい、と陸奥は答えて文机の硯を片付け始めた。
畳んだ書状を一つ一つ確かめるようにして整える。
「すまんの、一人で行かせて」
「いえ、かまんですき」
辰馬が久方ぶりに帰郷すると言う手紙は着日一日前のことであった。
子供じゃぁあるまいし、一人で帰って来いとも思えど今更そう言っても始らぬ。
陸奥は夕刻到着するという船に乗る弟を迎えに家を出る。
じゃぁ行ってきますと残暑の厳しい昼日中、そのまま行こうとするので日傘を持たせた。
道中暑いきにしっかり水分を取りやと水筒も持たせた。
姉上様、遠足じゃぁ無いですき、陸奥は困ったような顔をしたが、とは言え途中で行き倒れになられても困る。
「気ィつけての」
行きも俥を遣いやえぇのにと、草履を履く陸奥に乙女は恨み言を言った。
時間もあることですきと手に小さな包みを携え陸奥は首を振る。
「辰馬にちくと休んでいかんかと言われてもしゃんしゃん歩きやと尻を叩きや」
陸奥は苦笑という体で笑ったがあながち冗談ではない。
あの弟なら言う筈だ。
それじゃぁ行ってきますとまだ日のじりじりと照る道へ出た。
乙女はそれを見送る。
長く不在だった弟が帰ってくることは確かに嬉しいが、思わず笑ったのは他の理由。
遠く長崎から届けられる手紙。
今彼女が歩く道を通って届けられた。
手紙が来ない日は通りを眺め、郵便屋が来る音がすれば表へ出た。
そ知らぬふりをして。
「陸奥はもう出たがか」
奥から出てきた父に乙女は頷いた。
一緒に行けばよかったかのうなどと呟く父に、野暮なことをと笑った。
冗談であったらしくあぁ野暮だ野暮と笑った。
「あがな手紙を寄越されちゃァ行くしかないよのォ」
逃げ水立つ道に小さな背中が見えた。
足早に歩くその影を見ながら、乙女は言った。
「まるでラブレターじゃったの」
「おォ、陸奥。ほんまに迎えに来てくれたがか」
桟橋から此方へ向かってくる頭ひとつ大きな男は、
大きな荷を持ちながら片手を上げて駆け寄った。
おんしが来いいうたが、むすりとした顔を見せた陸奥は、
それでも彼の荷を一つ持ってやろうと手を伸ばす。
「で手土産代わりの話、詳しゅう聞かせてもらえるがか」
色気の無いことを、と開口一番そう云った陸奥に辰馬は苦い顔をして見せた。
帰路は俥を使えと乙女に言われているから、発着場へと歩く。
「長の別れ、再会を惜しむ言葉くらい言えんがか」
なん、一月前にもおうたが、陸奥は鼻でせせら笑った。
その間三日と空けず手紙を寄越したのだから、再会など幾許の感激があるのか。
辰馬は不服のようだった。
「ワシは一日千秋の思いやった」
にことり笑ったが陸奥は信じておらぬ。
「嘘をつきや」
「嘘じゃなァないちや」
発着場への道すがら、辰馬は急に思い出したかのように陸奥が持った荷と自分の手の荷物を交換した。
「これ土産」
風雅な風呂敷包みである。
開けてみとうせ、そう言うから陸奥は歩きながら器用に包みを解く。割合に軽いものだった。
飴色の木箱である。
飾りなどは殆ど無いが、脂を何度も塗って艶を出してあり手に馴染む。
蓋には縁を一周する程度の小さな彫があるが、よくよく見ないと分からない。
「書簡箱じゃ」
綺麗ろう、と云った。
華美なものを好むこの男にしては少々地味すぎるような品の選び方だが、
これは随分実用的ではないか。
おおきにと一言言って陸奥は風呂敷の端を縛りなおす。
落とさぬようにしっかりと胸に抱えた。
荷を担ぎながら並んで歩く。
相変わらず残暑は厳しい。
日向に出ると、南国特有のむっとした暑さが頬を撫でた。
辰馬は一瞬立ち止まり、太陽の眩しさに目を眇めた。
どがぁした、陸奥は振り返る。
「陸奥」
手を目の上に翳し、陸奥を見る。
きらきらと蜂蜜色の髪の毛が、黄金色に光った。
思わず笑う。
神々しい色だ、秋になれば田を埋め尽くす実りの色と同じ。
風の匂い、湿った風、太陽と空の色。
「ただいま」
陸奥は怪訝そうな顔をしたが、少し考えて口をひらく。
「おかえり」
辰馬からはその表情は見えない。
太陽が眩しくて、笑っているのか怒っているのか、それすらも分からない。
end
WRITE / 2008 .11.7
ということでこのシリーズ終了です!
あぁ、すごく楽しかった!
また長崎妄想編はすると思います。
もっと綿密に妄想しないと!
↑気に入ってくださったら
押していただけると嬉しい