「此の夜の終わり」







身体が怠い。




付け込む様な真似をしてしまった。
目が覚めたとき、隣に誰もいない寝床にはもう慣れた筈だったのに。











更に自らの所業を呪った。

姿を見たとき、心臓が止まるかと思った。

勝手に現れて勝手に消えて、男など海の泡のように儚い。







あの夜、何が何でも引き止めておけばよかったとニュースを見てぞっとした。
店を出た時刻と辻斬りの時刻がぴったり重なって、まさかまさかと思いながら、
怖いねぇなんていう客の声が随分遠くで聞こえた。

数日後にあの人のペット、いや相棒なのか変な生き物が窓の外から覗いていたのを見た。
ちらりと見れば、じっと此方を見ていた。
首を振るでもなくただ見つめ返した。
数秒の沈黙の後、あの生き物は大きな白い背中を見せて立ち去った。
追って訳も聞くことすらしなかった。




あ、何かあったんだ、と思うより前に。


あぁ、あの人死んじゃったんだわと、悟るような気持ちになった。



置いていかれたんだって、はっきり判った。

何かを失くすのはもう沢山だと思う。
だけれど何かをまったく背負わず生きることなど不可能だ。

だから私はそのなくなったものを埋める努力をする。
たぶん須らく女はそうじゃないかと思う。
失ったなら、その穴を埋める何かを見つけようとする。
恋人、趣味、仕事。何でもいいのだ。

あるいはそれを見て見ぬ振りも出来る。




あの人は綺麗。
融通が利かなくて、冗談も通じなくて。


そう、目がとても綺麗。
白いところが、子供のように青みがかっている。




いつでも後ろを見ながら、重い何かを引き摺るようにして。
重いとも言わず黙って耐えている。
それがまるで美徳であるように。

私は違う。
この店は亡くなった夫の夢を叶えるためのもの。
なんて、態とらしい虚栄。

死んだ人間はもう夢など見られぬことは無論知っている。
だから、私が此の店を続けたとてあの人の夢を叶えた事にはならないのだということも。
夢半ばに死んだという事実は覆らない。

でも、嘘ではないんだ。

此の仕事は自分を愛してくれた男への綺麗事と、生計の一つである事が表裏一体の事実なだけ。




あの人。



何か大事なものを手から取りこぼした様な、縋る様な目をしていた。
だから黙っていい女を演じた。

あの人がそう、縋りつきたくなるように。
酷い女だと思う。


久しぶりに男の人に抱かれた。
あちこちに手で、口唇で触れられて、温かくて気持ちが良かった。
苦しそうな顔も、悦びにうち震えた肩も、身体の中に埋められたアレも。
乱暴なくちづけも。





背中が痛い。

脚が痛い。

膝が痛い。

喉が痛い。





激情家だ。
普段はそんなものの欠片さえ見せないくせに。








蒲団に圧し付けられて、何度も圧された。

 着痩せするらしくて意外と重いとぼんやり喘ぎながら冷静だった。

脚を広げられて、何度も押し篭められた。

 役者みたいに綺麗な顔立ちなのに、くちづけは怖いほど乱暴だった。

膝を着いて後ろから、何度も押し込まれた。

 互いに服を脱がしながら、着物の上から触られただけで後はどうでもよくなった。

その度に声を上げたから、今日は声が出ない。







あの人は夜明け前に出て行った。
静かな衣擦れの音をさせて、暗い部屋を手探りに着物を着て。
胸の、袈裟懸けにやられた未だに腫れ上がった疵が引き攣れて痛むのか、
そこを庇うようにして。



雨はもう止んでいた。



部屋を出ようとしたとき、何かを忘れたのか戻ってきた。
私は寝た振りをした。
膝を着き、髪を梳く。


美容院には、長い事行っていない。
それが少し恥ずかしかった。
男の癖に、緑の黒髪というほどに美しい髪の持ち主に触れられるのが。
意外にも大きな手が、頬を耳を掠めて毛先まで辿った。



愛していますとでも、言って貰えたら良かった。
逆上せるなと毒づいてやったのに。
あなたを嵌めたと、正直に言えたのに。







私はあの人の居場所を知らない。
私も教えてとは言わなかったし、向こうも教えはしないだろう。
そうしなかったのは無論用心の為でもあるだろうし、なにより私は知りたくはない。

知らなければ答えようがないから。
或いはもしあの人が万が一にも逮捕された時、あるいは私が詰問されたとき。


ええ、他の誰になんと言われてもいい。
けれどもあの人に疑われるなど、以ての外だ。







これが、今生の別れになるかも知れない。








一度は諦めた。
嗚呼、前もそうだったと。
本当に、泡のようだと、思った。


その報せは私の所にはきっと届かないのだろうと、
無遠慮に流れるニュース速報のテロップを見ながらぼんやりと思ったのだ。





嗚呼、まただわ。

ああ、そう。

帰ってこないんだわと。












「死ぬときは黙って消えて」
「惚れた男を二度失うのはごめんだわ」





「死ぬときは教えて」
「覚悟をするから」





どちらを言おうか迷った。
だけど言わなかった。
言えばもう二度とここへは来ないような気がしたから。







背中が寒い。
行かないでと、言えばよかった。







だけど、そんなことはいえない。
言ったらきっと困った顔をして、また必ず戻ると嘘をつくに決まっているから。
かといって連れて行ってなどと逆上せた少女のような真似もできない。
だから黙って知らない振りをする。
またおいでよと、今生の別れには余りに似つかわぬ言葉で、別れた夜のように。






夜明けはまだ来ない。
あと一時間は眠れる。

大丈夫、独りで寝るのは慣れているから。
蒲団を何も身に着けていない肩まで引き上げ、目を閉じた。









今頃。








あの人は、朝靄の中を歩いている。
夜の明け切らぬ、孤独な道を。

重いものを引き摺りながら。
よのあけきらぬ、孤独の道を。











end


WRITE / 2008 .3 .1

多分昔だったらこんな女が嫌いだったなぁと思う今日この頃。
男を立てる女なんてアレだ、好きじゃァ無かったんだよ。

だけど今はこんな女が大好きだぁぁぁぁぁぁ!

もう桂幾が好きで好きで好きで。
よそ様のを読み漁って読み漁って読み漁って。
読み耽って読み耽って読み耽って。

それでも足りなくて自分でも書いちゃったと言う代物。
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