相互いに持ち寄れど すべては埋まらぬ 愛しき狭間









「狭間の人々」



この辺りだと陸奥は辺りを見回す。
妾通りと言われるここは、女名ばかりの表札が並ぶ通りである。
通りを歩けば其処此処に、三味の音やら琴やら、雅な音がそろりと鳴り響く。

書き付けられた住所はこの辺り、と周りを見渡した。
といっても番地を知らせるような札などは無い。
おおよそで歩いている。
此の辺りを縄張りとしている郵便配達夫なりを捕まえればいいのだが、
生憎都合のいい偶然などは起こらぬのが世の常だ。

尋ねる人物は殿方であった。
しかも頭に「若い」が付く。
二人で会うというのに坂本が異論を唱えなかったのは、自分の知己であり、遣いを申し付けた本人だからである。
ちくと堅物やき、話も合うろうと言った。
写真は無いのかと聞いたらほれと防犯ポスターを指され、

「髪の長いほうの、色男じゃ」

そう嘯いた。
坂本の嘗ての盟友であり、今や指名手配犯。
桂小太郎、そのひとである。

たった一度、遠目で見た事がある。
坂本がステファン、いや今はエリザベスと言う名を貰っているらしいのだが、彼の元へ届けたときだ。
確かに見目麗しい「殿方」であった。
変装なのか墨染を着ていた。
有髪の僧形で、酷く穏やかに話したものであるから驚いた。

その口調や坂本との遣り取りで、彼を堅物と言ったのには納得できた。
凶悪な思想犯と言う罪状には似つかわぬ風体であり、酷く紳士的な振る舞いをする殿方であった。


随分込み入った場所である。
道々が大きな男が手を拡げてしまえば道幅に両の掌が届くほどの路地だ。

いくつも角を曲がりながら、在所を探す。
女屋敷が並ぶ中、少し奥まったところにある屋敷が見えた。
目指すは其処かと見れば表札は無いが番地は確かに此処である。
玄関はきれいに掃き清められていて、箒の痕までついている。

「御免下さい」

屋敷の中は静かだ。
いやこの辺り自体昼間はずいぶん静かなのである。
どうしても宵っ張りになるからであろうか。
先ほどまで耳を愉しませた三味の雅な音は、いまや風に乗りはるか遠くから聞こえるのみだ。

不在となれば出直さなければならぬが、手土産と渡された一升瓶を如何してくれようかと途方に呉れた。
重い。手土産ならばもっと軽いものでもよかろうと思うのだが、旨いからと持たされた。しかも二本も。

こんな重いものを持たせられるのは計算外だった。
普段なら宅急便で送れ、自分で行けと思うのだが、坂本は「仕事」でどうしても抜けられないのである。
何故、自分が坂本の遣いに出向いたのか。

私用をわざわざ言付かったのは件の仕事は私が増やしたからである。
完全な余計な仕事であり、私が穴を埋められぬ類のものだった。
予定のダブルブッキング。ミスの発端は些細な報告漏れだった。

相手方には謝罪して日にちと夜の宴を昼食会に変更して貰い、
幸いすぐに了承の返事を頂戴できたが、些細なミスで彼の自由時間を一日奪うことになった。
代われるものなら代わりもするが、それも叶わぬ。
それに出港の日程を動かすことは罷り成らぬ。
坂本の昼食会が終わればすぐに出港と言う慌しいタイムスケジュールだ。
私事だろうがなんだろうがその穴埋めをするのは当然である。
そう考えて、遣いを申し出たのが昨日の夜だ。

気にしなやと坂本は言ったが、性分である。
辰馬と共に会食に行く為、事前打ち合わせの為に同席していた同僚の中島などは、
そりゃぁ出来ぬ相談でしょうと笑っていた。そう、出来ぬ。

重い一升瓶を片手に提げながら、辰馬の顔を思い出す。
頑固な女だとか意固地な女だとか普段は散々言うくせに、
その時ばかりは諦めたような顔をして、書状とその書付をさらりと認めた。
預けられるままそれは今懐に在る。


「ごめんください」

先ほどより心持大きな声で呼ばうた。
下女なり或いは主にでも聞こえればいいかと思ったが、物音ひとつしない。
硝子戸の奥にある廊下は昼であると言うのに暗い。
不在だろうか。
坂本が今日尋ねることは伝えてあると言っていたが、玄関には呼び鈴の類も無い。

その時、家の奥から軽い足音がした。
御内儀はいらっしゃらないと言うし、堅物と聞いて居るから恋人の類では無いであろう。
いや、堅物だろうが軟派だろうが色恋は別物か。
そんな他愛も無い事に一瞬頭を廻らせたあと、格子の嵌った硝子戸がからりと開く。
現れた人物の形状に思わず驚いたが、それが誰かとわかった瞬間思わず尋ねた。

「息災か」

ぎょろりとした目をした白い張りぼて怪獣は、以前ステファンと言う名であった。
少なくともそう言う異名を貰っていた。
今はエリザベスと呼ばれています、喋れぬエリザベスはそう伝えると、どうぞと奥を示した。

質素な家だと思った。

家といえば嘗ての生家と坂本の実家を見て育った。
借家住まいをしていたこともあったが、あれはまた自分の中では別物である。
質素というには少々違うかも知れぬ。家具も余り無くがらんとしているのだ。
人気が無い、いや生活感がないというのか。
通された座敷は襖を閉めてあるので薄暗い。
座布団を勧められたがすぐに座ることもせず、明るい方へ、目が向いたのは自然のことやも知れない。

庭が酷く美しかった。

柔らかな色の柿の葉が落ち、黄金色の銀杏が地面を埋めていた。
ところどころ南天の未だ青い葉が覘いている。
陽が落ち始める少し前の、陰りを帯びた光にその庭はよく映えた。
風も無いのに銀杏の葉がまたひとつふたつと舞い落ちる。
銀杏の黄金色が眩しい。


「掃いてもきりがないのでな」


いつの間にかステファンは消えており、座敷の中に男の声がした。
声に振り返ると手配書で見た長髪の男がそこに居た。
今日は墨染めではなかった。


穏やかな、気配を持った男だった。
初めて見たときもそう思ったが、音もさせずに現れたのには驚いた。

男は至極静かな動作でそちらになさるかと尋ねた。
何のことかと尋ねる前に、手には座布団を持っていたので合点がいく。
頷く前に座布団を敷かれたので、そのまま会釈をして座る。

男も座った。

上も下も無い縁側で酷く気楽な対面になった。
見計らったようにエリザベスが盆に熱い茶を載せ茶菓と供に勧め、
その時、思い出したかのように坂本からの土産を手渡した。

酒である。

桂は風呂敷から現れたそれをみて微かに笑い礼を言うと、
エリザベス、と一言発してそれを持って下がらせた。
陸奥は、それからと前置きして懐から一通の書簡を取り出す。
万一会えねば持ち帰れと言われていた書簡である。
名代で申し訳ないと謝罪したが桂は笑って言った。

「なに、暑苦しいあの男よりニョショウの遣いがどれほど麗しいことか」

ニョショウが女性の意だと気がつくのに数秒掛かった。

随分古風な言い回しをする。
坂本がこんなことを言えばセクハラだと間髪入れずに思うところだが、
傍らに置かれた湯呑を涼しげに取った男は何の悪意や他意無くそれを一口啜った。
少なくともそう見えた。

面構えの差だろうか。

ヅラはむっつりやき気をつけんといかんと坂本は出掛けに言ったが、
見た目は酷く男前である。
以前から聞いていた人物評は、堅物、人の話を聞かぬ、人妻好き。
個人個人の趣味趣向はあろうが、少なくとも嫌悪感の沸きあがる相手でないことは確かだ。

桂は手紙を受け取ると表書を確かめて中身を拡げた。
伏せた目がゆっくりと動く。
庭の銀杏は風も無いのにふわりとまた一枚葉を落とした。
虫の声ももう形を潜めた秋の深い日である。
正直涼しいと言うよりも寒いが、風が無いので陽がさせば暖かい。


「陸奥殿は」

桂が不意に口を開いた。陸奥は彼に視線を投げる。
書面を目で追うのを止め、桂は柔らかな声で尋ねた。

「辰馬と添うてどのくらいになる」
「別に、連れおうてはおらんがやきど」

喩えさ、至極静かに言った。
声は笑みを含んでいなかった。
ただかすかに微笑んでいたように見えた。
陸奥は少し考え、

「十年には、ならんように思うがやき」

そう答えた。
正確なところは分からない。
もっと短いような気もするが、もっと長いような気もする。
あの男を知らぬ日々のことを、もうよく覚えていない。

「そうか、もうそんなになるか」

桂は微かに笑うとそう言ったきりまた黙った。
書状にまた目を落とし、終いまで読むとそれを折り畳み、庭を見た。
陸奥はすぐ後ろに現れた気配に振り返る。
エリザベスだ。盆の上にちろりを載せて現れた。
そのまま二人の間に膝を着き目礼してすぐに下がった。

「おもたせで申し訳ないが」

桂は猪口を一つ取って陸奥の前に差し出す。
受け取れという。
真面目そうな顔で早くと急かす。

「遣いの途中ですき」

杯を押し戻そうとするが桂は愉快そうに笑いながら、
もういちど手の中にゆっくりと押し付けた。

「毒見、さ」

真顔で冗談を言われた。
あながち冗談ではないのかもしれない。
顔が笑っては居ないし、堅物というからまだ読めぬ。
何しろ初対面だ。

ではと受け取る。一杯だけだ。
桂は笑ってちろりから酒を注いだ。

口唇に含ませ、舌がその味を覚えていた。
あぁ、懐かしい味だ。
桂は、陸奥が気がつく前に手酌で一口含んだ。

「辛いな」

そう笑う。

「俺達の郷は、甘い女酒が多くてな」

酒といえばコレしか飲みなれて居なかった陸奥には此の味が標準である。
今では仕事柄様々酒宴に呼ばれることもあり色々な味も覚えたが、
舌は原始の味を覚えている。
桂は旨いなと言った。そう云われたことに少し誇らしい気持ちになった。

「そうか、これが約束の品か」

声を立てて笑った。

何の約束かは聞かなかった。
私が辰馬と過ごしていた時間は、彼らの決別した長さでもある。
彼らが知らぬことを私は知り、私が知らぬことを彼らは知っている。
そして、私も彼らも知らぬこともあるだろう。
辰馬は誰にも、何も、語らない。
誰もそれを聞かぬ。


「肴がなくて済まないな」


隠れ家なので何も無いのだといった。
あるのは、んまい棒だけであるといった。
やるかと差し出されたが首を振る。

「酒があればかまんですろう、あしは飲み食いしながら飲むのはあまり好きやないき」
意外なという顔をし、胃を悪くするぞと嗜められた。

「酒の味がわからんようになるよりはえいろう」

潔く答えれば酒飲みの舌だなと笑った。
確かにと陸奥も思う。

空になった杯に酒が満たされる。
毒見が過ぎると異を唱えたが、致死量を知らねばと話を聞かない。
懐かしい味だと陸奥は思う。
桂はまた旨いといった。


ひらひらと銀杏が散った。
秋は終わり、冬が来る。

end


WRITE / 2008 . 12.26
椎名さんリクエストの
「桂さんと陸奥の世間話みたいなほのぼのとしたお話」
デス。

ほのぼのしてるかしら?
あと世間話はして無いですね。

妄想したのが秋の終わりだったのですけれども、
季節はもう年末も年末でお歳暮といったところでしょうか。
椎名さん、愉しんでいただけたでしょうか?
リクエストを果たしていないような気がする…。
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