快援隊女性隊士生活向上委員会二拠ル社内バレンタイデンデー廃止案






   二月十二日




カリカリと書面をこするペンの音が小気味いい。
電話もならぬいい時間であった。

社員は半数以上が本日の業務は終了と退社した。
あとは夜番の者がいるのだが、人も少ないのでフロアに一人二人ぽつぽつと仕事をしている。

陸奥は自分のブースで積まれた書類に目を通す。

自分で終わりの決済印のを推すだけの高額支払指示書、
今度取引することになる先方の星の環境等の事前調査報告書、
或いは社内報に挨拶状、礼状がちらほら。


高額の取引指示書の内容確認は担当者に直接訊かねばなるまい。
事前調査報告書は寝間で読もう。
社内報は明日の昼食時にでも。
礼状はさすがに誰かに任せるわけにはいくまいと、
下書きをクリップでつけて字の巧い者に頼まねば。

さて、あとは。

未処理ボックスの中は明日以降にならねば処理できぬものばかりになった。
よしこれにて本日の業務は終了。


これよりは、就業時間外である。
机の引き出しからクリアファイルを取り出す。
組合から提出された先月快援隊に対して申し立てられた意見書である。
付箋が貼り付けられたそれは昨日目を通して自分の裁量でどうにかなるものであった。
後は坂本の意見を訊かねばなるまいと、立ち上がろうとしたときであった。





カンカンカンカン。




踏切の警鐘のような甲高い音。
遮断機が迫るかの如き逼迫さ。

何の音だと振り返りはしない。
音の主は分かっているんだ。

これは。
堅い廊下の床材を叩く下駄の音。駆けて来る二本足。
警鐘は一際一つ大きく鳴り、一旦ストップして代わりにがちゃりとドアのシリンダが回る音。
開け放した瞬間、開口一番呼び止められるだろう。
上げかけた腰を下ろす。


さぁこい。



「陸奥よ、バレンタインデー廃止いうんはまっことか」




ほらな。


*





「まっことぜよ」


藪から棒になどと言うまでもなくしれと返せば、
ああなんちゅうことぜよとよろめきながらすぐ傍の机に手を着いた。

しばしその様子を見守る。

此の芝居掛かった驚愕の姿は実に馬鹿馬鹿しいが、
無下に放って置くと更にやいのやいの言い長引くので、
出来るだけ相手をしてやるのが最適な手段である。

「どうりでワシにだぁれもチョコレートはどんなが好きかきいてくれんがそういう理由なが」

いや、おんしがモテんからちや、そう言ったが聞く耳は持たぬ。
坂本は益々、ああなんと楽しゅうないとさめざめと言いながら泣きまねをして見せた。
チョコレェトォォォォォォと恨みがましく呟く。

大の男が、菓子の一つや二つでと思いながら陸奥は嘆息した。


「何で禁止したがか!」


坂本は年に一度か在るか無いかの厳しい目つきで屹と陸奥を見つめ、
チョコレートの無い二月十四日の説明をと問いただす。

「いや、別に社内恋愛禁止がやないがで、貰えんのはおんしの所為ぜよ」

そうしれと答えた。

「だぁって義理チョコの一つもワシの手元には来ちゃぁせき」

知ったことか吐き捨てた。

正確にはバレンタインデーの禁止ではなく「社内バレンタインデー義理チョコレート廃止案」である。

先だっての女子部の会合によって可決された案件である。
一つは前年度までの義理チョコレートは経費で落としていたので、
無意味な出費であることがあげられる。
そして「何故好きでもないような男にやらねばならないのか」
「義理を当たり前にほしがるなど女を馬鹿にしている」などというまぁ、
よくあるジェンダー論なんかが繰り出されてきたので満場一致で経費削減にもなるしと決定された。

「ちゅうか、おんしゃぁ義理なんかもろうて嬉しいなが?」


嬉しい!と坂本は豪語した。
ゼロよりましなのか、それとも数で誰かと勝負しているのかは知らないが、
人気のバロメーターの一つやきと子供のような理屈を言う。

しかし欲しい欲しいと熱望されても無い袖は振れぬ。

「本命に一つ貰うたらえいろう」

りょう殿とか、と彼の熱を上げているホステス嬢のことを持ち出せば、
ほれとコレとは違う話やきと断固譲らぬ。


断固反対を訴え続ける坂本は、感謝の念がどうの、義理がどうのと言い始めた。
その姿勢に段々と苛立ち、今回此の案が可決に至った最大の原因、
去年の或る出来事が思い出された。



「じゃったら言わせて貰うがよ」



去年のバレンタインデーは経費を抑えるためにと皆で手作りしちゅう。
けんどながらおんしらぁ男性はなんと言おったか覚えちゅうがか。

『何だ、チョコレートを溶かして冷やし固めたばぁろう』

隊士が百名以上居り一人頭大抵ェ八十グラム。
凡そ一キロのチョコレートの塊を就業時間外に皆で一生懸命…
刻んで
溶かして
テンパリングして
固めて
飾り付けて
一つずつラッピングしたもんたちへのそれが労いの言葉なが?

当たり前のように貰っちゅうのはおんしらぁ殿方じゃーないがか。
ちなみにそのとき労いの言葉を掛けてくれたのは数名やか。
他はチョコレート嫌いやきなどと暴言を吐いた上、
ああ、そこ置いとけよなどとゆう扱いを受けちゅう。

別に御礼が欲しいわけじゃぁないきに。


「やけど!」


当たり前のように貰えると思い、
礼の一つもないとゆうのは義理を欠く行為、
ひいては礼節を重んじる士道にも反する行為じゃぁ無いにかぁらんか。
それ故、今年度の社内バレンタインデー義理チョコレート廃止案が満場一致で可決となったがよ。

あしらはおんしらぁに食わせて貰っちゅう者じゃぁないがで。
快援隊隊士は平等の待遇を約束されちゅう。
わが社はそれが理念でもあるはずやか。

な、が、に!
女ばかりに感謝の念を要求するような行いは如何なものかの。



「何か反論はあるがか、坂本社長?」


陸奥は腕を組みながらじろりと「殿方代表」の坂本を睨んだ。


直接そうと聞いたわけではない。
しかしながら委員会メンバーの過半数が似たようなことを言われたと聞いている。

憤慨するのは当然である。

義理チョコなどと言うものが蔓延して面倒なことこの上ないのだが、
確かに隊内では今までなんとなく世間のイベントに乗っかろうかなと言う気持ちと、
まぁついでに日頃の感謝も込めてもいいかな、と言うような気持ちではあった。
おそらく前者が大半を占めているのだが、それでも多少の真心は伴っているのだ。
確かに自己満足で無いとは言い難い。

評価をしろというわけではないが、ただそんなことを言われれば多少感情の縺れが生じてもおかしくは無い。
大変手前勝手では或る。
ただ呉れなかったら呉れなかったで文句を言うのも殿方なのである。

坂本は陸奥の声に神妙な顔をし、うんと一つ唸った。
しかし、と首を一つ振り、ききりと顔を上げる。



「陸奥よ。ワシ、去年貰っとりゃぁせん…」
「当日勝手に艦を抜け出すからじゃ」

やれやれと去年の今頃を思い出す。
りょう殿のチョコレートを貰いにいくので抜け出すのではないかと思っていたら案の定抜け出しおった。
翌朝のんきに帰ってきて自分の分が無いと知れると散々文句を垂れ、余りに煩かったので、
持って帰ってきた大量のチョコレートを口にありったけ詰め込んでやったことを思い出す。

無論坂本の分は陸奥が食べた。

「もしかして去年ワシのはおんしの手作りか」

昨年度のチョコレート製作は女子部全員で行ったため、広い意味ではそうかもしれぬ。
そう言ったら、しもうた、居りゃぁよかったと額をぺちんと叩いた。

坂本は、一つ二つ頷いて分かったととぼとぼと部屋を出た。
背中が煤けてうら寂しい。

「なんじゃ?いやに素直じゃの」

ドアに向かうその背に陸奥は問う。
駄々っ子のようにごねると思ったのだがいやにすぐに引き下がった。

「いや、おんしの言いたいこと、骨身に沁みたぜよ」

ドアノブに手を掛け首を振った。
ため息とともに、吐き出す。



「陸奥よ」


一瞬くるりと振り返り、







「覚えちょれよ」




と捨て台詞。
何を、と問う前に扉は閉じた。


















  二月十四日









「巧い事やったのぉ」

坂本の執務室に入るなり、陸奥は普段の無表情ながらも感心するように
デスクの前に立って思わず感嘆の声を上げた。

「なぁにが」

昼食後の一杯のお茶を飲みながら、
ようやく今日初めてデスクに着いて未処理箱の整頓をしている坂本はなんじゃァと顔を上げた。

「おんし、今日は社内中のおなごのハートを鷲掴みじゃ」
「あっはっは、モテモテじゃのォ」




今朝早くに坂本宛に大きなダンボールが二つ届いた。
届く居や否やそれを社長自ら台車に載せて各部署を坂本は練り歩きながら、

「女子にワシからのバレンタインのプレゼントじゃ」

そういいながら一人ずつにいつもありがとうと薄い箱を手渡した。
箱の中身は。


「ストール?」


或る織物産業の盛んな星の特産である、
ヤギのような生き物の毛から織った非常に薄くて暖かいストールである。

色も淡い色から濃い色まで自由に染められ、
多色多彩な色合いとその機能性で地球には未だ無い代物である。
輸出用にと商談を進めていた矢先であったのが星の巡りと言うものであろう。
一日で快援隊に直接届ける代わりに、
色は有り合わせでいいという約束で相当な値引きをしてもらい個人的に百枚購入した。
社の女性たちとスナックすまいるのホステス嬢たちへのお礼である。


「ほれ、毎年ワシらにおまんらおなご等呉れるがで今年はワシからじゃ」


友人の名は覚え切れぬくせに社員全員の名はどういう訳か覚えており、
特に女性に対してはそれはそれは顕著である。
しかしながらそこに居合わせた男性社員が、
でも女性から贈る日ではと口を挟んだところにすかさず笑ってこう言ったという。

「男がやっちゃぁいかんゆう決まりでもあるがか?」

言葉に詰まるのを見越したように
じゃぁえいろう、と各部署の各女性社員全員に一人ひとり手渡した。


「一説打ったらしいやないか」


坂本は或る部署ででも突然何故と訊かれたらしい。
バレンタイン浮かれるのもいいが、感謝の念を忘れちゃぁいかん、
そうその演説は始まったと言う。









「 毎年女子部の子らがワシら男に皆が心を砕いてチョコレートを送ってくれちょったがで、
 今年はワシからでもえぇかのと思うたがよ。

 恋人にしろ、同僚にしろ、何かして貰うたり感謝やありがとういう気持ちを受け取ったら、
 そん真心に互いにありがとうと言うべきじゃろ。
 遣って貰って当たり前じゃと思うたらいかんちや。
 有難いのぉとおもわんと、有難いと思うたらありがとうと言わんといかんちや
 大事な人たちへの気持ちも、同僚への気遣いも、
 みんなひっくるめて大きな優しい気持ちは皆、愛じゃろう

 愛いうのは心を受けると書く。
 ほやき今年は、ワシからの心を受け取ってくれるかのぉ

 皆、ありがとう」




此の噂、いや事実であるが、大演説は十時の休憩であったと訊く。
昼食時に一気に広まって、今や坂本の演説は各艦の噂で持ちきりである。
セクハラ三昧、仕事は放り出す、自由気侭なワンマン社長。
それが今や「愛の説法師坂本現る(笑)」と少々冗談めかした社内メールが飛び交っている。

と言うか陸奥は先ほどそれを給湯室にてフェミニストの急先鋒と言われる、
快援隊女子部の委員長から聞いたのである。
目から鱗でしたとバレンタインデー廃止に一番積極的だった彼女すら件のストールを肩から掛けていた。
触らせてもらうと本当に柔らかくて軽くて、なかなかいい品であることが分かった。





「幾らじゃ」




化繊ではない。
ウールとは肌触りがまるで違う。
坂本はモテモテじゃ〜と言いながらも一気にデスクに突っ伏して指を四本立てた。

「嘘を吐け」
「ホントはこれぐらい…」

手を拡げてみせる。
指一本幾らだ。

現時点の宇宙市場価格平均一万五千円の卸値が五十パーセント。
ただし直接卸し元ととなれば四十パーセント以下の筈。
色がまちまちだったと言うから値引きを十五パーセントと考えて。


「五十二くらいかえ?」
「えぇ線じゃ」

おそらくコレはポケットマネーである。
モテにゃぁ金がかかるのぉ、と笑ってやればまっことじゃと苦笑いで茶を飲んだ。

「男衆にゃぁ釘刺して、女衆には甘い飴、か」

そういえば食堂で女子部の面子から坂本社長にお礼をお伝えくださいと言付けられた事を思い出す。
さらに各テーブルから、女性はもちろんだが、男性までもがかっこよかったなぁなどと噂していた。
人の噂も七十五日。
少なくともあと二月は巡ってくれる。


「ところであしは何を覚えとりゃぁえェが?」

二日前、何故か覚えちょれと捨て台詞を言われたのだが、何の音沙汰も無い。
覚えていなくていいのならさっさと忘れたいものなのだが、一応本人に確認することにする。

忘れちょったと足元の紙袋からふわりと取り出したのは小さな小箱とストールである。
何故かストールは剥き出しで、目の前に立ってひらりと肩に掛けられた。

「コレは本命用やき」

確かに、先ほど触ったものより更に柔らかくて軽くて暖かい。
小箱はチョコレートらしい。
しかし本命を忘れちょったとは何事か。


「…意外とまとも…じゃのォ」
「あぁ?なんじゃ?なにをおんしゃぁ想像しちょったが」


坂本の考えることは時々予想がつかぬ。
今回のコレは少々まともすぎて気持ちが悪い。
むしろ貰ってちょっと嬉しい。

市場価格一万五千円のストールは少々普段使いには手が出ぬ。
どうせならワシの背中の毛で織ったストールじゃ!とか言われたほうがまだ坂本らしい気がするのだが。




「いや体中にチョコレート塗りたくってワシと食べとうせとでも言うかと思うたが」




ストールの端を持ったままの目の前の坂本にそう呟く。
一瞬真顔になった。





「じゃぁそれ来月やってみとうせ」
「断る」




end


WRITE / 2008 .2 .14

ハッピーバレンタインvv
何かに嵌った初年度は、必ずイベント物は残さずやろうと思います。


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