盾と銃弾

京の夏は暑い。

あちこちと居を移動する生活には慣れたがこの暑さだけには慣れない。
来島の郷は西国ではあるが、海に面している分、圧し掛かるような暑さは質が違うようで正直げんなりとする。
露出が多いから涼しいだろうと思うのは大間違いで、刺す様な太陽の熱線と湿った空気を直に感じてしまうため体感温度は他人よりも高い。
だが来島は汗を掻いていない。
酷く暑いし、足袋すらも脱ぎ捨てて素っ裸で川にでも飛び込んでやろうかと思うほどの暑さである。

暑い。

そう思いながらも汗を止めていられるのは同じ部屋に或る男が居る所為だと来島は思った。

彼がこの隠れ家に居ること自体珍しい。
いつもふらふらと無用心に出歩いて護衛を困らせる。勿論自分も困らせられる護衛の一人だ。

珍しく文机に座り、何かを綴っている。
この寓居は余り間口はない代わりに奥行きがある。
此の部屋は四畳半ととても小さいものの、中庭を借景として拡がりが在るから狭小さは感じさせない。
だが、事実来島は息苦しかった。

息を潜めるようにして燦々と刺す太陽を背にして、手を動かし続ける。
静かに、静かに。
人には、向き不向きがある。
変人で幼女趣味の社会不適合者は希代の謀略家であるし、盲目の狂人は類まれな人斬りだ。
変人には策を練らせ、狂人は剣を振るえばいい。

私。
私は、ガンマン。何処にいてもどんな体勢でも目標物を撃ち抜いてみせる。
二丁拳銃、自分の意思で引き金を引くのが私の仕事。



そう、この仕事は向いていない。
いましている仕事は、正直自分には向いていない仕事だ。
たっとえ臨時とはいえ、独り言ちながら手を動かす向こうを見ようとしたが目を伏せた。







寓居の主は文机に向かっていた。
此処に居ることだけでも珍しいのに、更に座して書面に向かうなど更に貴重だ。
いつもは気まぐれに三味をかき鳴らしたりしていることが多いのに、膝を揃えて筆を走らせている。
凝らした装いも何処へやったのか、薄墨の単に濃鼠の帯を締めている。
出自が細面の美男子が多い土地柄の所為なのか、漏れなく主も怜悧ともいえる表情の美男子。
俯くように手元を静かに見ているその横顔を、来島は開いた障子の陰から見た。
八つ時もとうに過ぎたと言うのに燦々と刺す日差しが彼女の剥きだしの脹脛を灼いた。

見蕩れる、殿方が真剣な顔をしているのはよいものだと来島は思う。
主の口数は多くはない。
更に今は手紙でも書いているのか、普段は微かな笑みで緩められている口元も今は閉じられている。
上背こそ余りないが、その居住まいの美しさが来島の目を奪っている。


「来島」

急に声を掛けられたから焦った。
はイっス、調子の外れ声の裏返った返事で姿勢を整える。
主は左に来島を仰ぎ、片方しかない目を一二度瞬きした。

「そっちに立つな」

暗い、余り広くはない座敷である。
日除けの為に立簾をしているから尚暗い。
更に来島の影である。

すんません、晋助様、来島は跳ねるようにお辞儀をした。
主は生憎の隻眼、此方をまるで向くようにしながら立つならこっちで役に立てと背後を差した。
涼しげな薄絹を張った団扇を手元の書架から抜く。
煽げということだろう。



以来、謂われるまま背後に座り手を左右に動かし続けている。



三十分は扇いでいるだろうか。
書状を書いているのか、時折手が止まる。また書き始める。
斜め後ろに位置を取りながら、来島は風の送り先を見た。
袂はゆれ、ひらひらと薄紙と黒髪がそよぐ。

所作の一つ一つが滑らかで優雅。
姿勢がとても奇麗だ。剣を振るう人だからだろうか。全くぶれない。
こういうのを上手く言う方法があった。

華がある、とでも言うのか。

墨染めにも似た衣服なのにも関わらず、振る舞いの美しさからか匂いたつような艶薫すら感じる。
顔があまり上げられない、木島は風を送りながら手前の畳ばかり見ていた。
正座した足の指が長くて白い。
それをじっと見た。

微かに翳り始めた夏の日差し、白く熱せられた光が黄味を帯びた。
油蝉の喧しい声の狭間に蜩の鳴き声が混じる。

「来島」


沈黙を保ったままだった主が静かに言う。
微かに振り返るようにして此方を見た。


「誰ぞに茶を頼んでくれねぇか」


あたしが淹れるっス、最上級の丁寧語を心掛け来島は立ち上がろうと腰を浮かせた。
よせ。
間髪入れずに止めたのは高杉その人であった。
お茶の淹れ方位知っている。
来島はそれでもと食い下がろうとしたが、高杉は煙草盆を引き寄せながら言う。

「おめぇは給仕に居るわけじゃねぇ」

河上が居れば他人に扇がせておいてよく言う、そう言うかもしれない。
だが木島はそんな軽口などは叩けない。
足のつま先まで血が巡る。
汗も掛けないほど緊張する。
言葉を探す。すぐには出てこないけれど。


私の仕事はガンマンだ。鉛弾を敵のどてっ腹に撃ち込むこと。
夏の昼下がりに、人を扇ぐ役ではない。


そう、ガンマン。



人には人の役目がある。
果たす責任、役割、仕事。
似合った役を振り当てられて、果たすために生きている。
私はガンマン、高杉晋助が為のガンマン。
自分の命を主に預け、自分の意思で、撃鉄をあげ、引き金を引く。
だからこれは、私の役目ではない。


ハイっす、木島は煽ぐ手と考えることを同時に止め、静かに団扇を畳に置いた。
立ち上がりくどへ茶汲みの役を振られた人間を捜しに行く。



それにな、木島、背中に声を振られた。来島は振り返る。
主は顔も上げずに言った。











「おめぇが淹れると、矢鱈熱いからな」







高杉は顔も上げずそれきり黙った。
冗談、の類だろうか。
笑っているのか、それは分からぬ。
来島は思わず素頓狂な声を上げるところだった。
息を一つ止めて飲み込んだあと、そんなに熱かっただろうかと記憶を反芻した。

くどには一人この家の細事を一切する男がいて、此れ々々のように茶を点てろと頼んだ。
愛想なく頷かれ手早く茶の支度をする様をまざまざと眺めながら、
やはり私の仕事ではなかったと単純に理解した。
出てきたのは見たことも無いような硝子の炉のような急須で、
上から水を注ぐとぽたりぽたりと萌えるような色の液体が滴り落ちた。
目にも涼しい冷茶を愉しむものとは分かったが、なるほど。
洒落者のあの人らしい。

「来島さん、暫く掛かりますよ」

言い置いてくどの奥にゆく。
何をするのかと尋ねれば風呂を立てると言った。

「そう言うご習慣ですよ」

そんな些細なことすら分からないのである。
茶を淹れろといわれれば急須にそのまま茶葉を入れて熱湯を注ぐだけだったろうし、
風呂にこの時分に入ることも知らない。
焚き付けくらいは出来るだろうが、両隣に住む老婆にも出来る仕事だ。

お役目か、来島はゆっくりと滴る茶の雫をみながら時分の両掌をじっと見た。
弾丸を込め、引き鉄を引くためだけに使われてきた両手。
キモノを縫うだとか、料理を作るだとか、そういったことに全く縁が無かった。
役に立てと団扇を渡され煽いだ。
私は他に何か出来ただろうか。

隣家でも夕餉の支度が始められたのか、何処からともなく醤油で炊かれた匂いがしてくる。
日はまだ少し高いが、次期暮れる。
手持ち無沙汰だが他には何も出来ず、来島は暮れ行く箱庭を眺めた。
夾竹桃の花が地面を覆う。
深緑の葉が茂りその姿は鋭さの欠片もない癖に、猛毒だという。
燻した煙すら害為すが、煎じれば薬にもなる。

毒の花ですら役に立つ。
私は役目を果たしているだろうか。

硝子の器に滴る萌ゆる色の露はゆっくり溜まる。
それを眺めて待っているだけだ。

どのくらい待っただろうか、来島さん、と声を掛けられた。
振り返れば一式揃った茶の支度は見事に整えられていた。
大袈裟なほどの茶道具をそろりと受け取り、盆を提げて戻ると既に筆机の上は仕舞われていた。
朱塗の文書箱の蓋は閉じられ、床に置き去りにした団扇は消えた。

「晋助さま」

姿は見えない。
湯を使うと言っていた。
まだ上がっていないのか。


奥から足音がした。
顔を上げる。
墨色の単をぞろりと着た探し人だ。
僧侶とは誰が言っただろうか。
訂正する。
赤く染め抜かれた萩が炎のように裾に絡まっている。
文様を見逃していたのは、彼の足ばかり見ていた所為だ。

濡れ髪が厭に艶めいていた。
手に提げた手拭で髪の雫をぬぐう。

「はいったか」

木島は頷いた。
湯上がりの主はそのまま切り子グラスに冷茶を注ぎ飲み干す。僅か一秒の出来事。
木島に盆を提げさせたまま高杉はその脇を通り過ぎた。

「どちらへ」

懐手で振り返る。

「涼みにだ」
「お供するっス」

提げていた盆を足許に置いた。
硝子の茶器が大きく揺れて高い悲鳴を上げる。

「大仰な」

「あたしの、お役目っスから」


きっぱりと言う。
高杉は屹とした目で顔を上げた来島を見た。


「その内、湯にもついてきそうだなァ」


皮肉を言ったが、来島は気がつかない。
肩だけで振り返った身体をそのまま進めた。
来島その背を追う。

茶を入れることも扇ぐことすらおぼつかない。
彼の生活習慣も知らない。
それでもいいんだ。だって私はガンマン。
銃を撃つこと。
無敵の盾となること。
自分の意志で、引鉄を引くこと。

それが私の仕事。









end


WRITE/ 2009.11.29
万またになる筈だったんですが、高杉とまた子ちゃんの話に。
軌道修正を何処で誤ったのか。

ところでお杉さんは何処まで新時代の文明に迎合してるんだろう…。
昔扇風機とかクーラーとかなかった時代にお客さんがおみえになったとき、
涼しいように煽いであげるのがおもてなしだったとか。
そのためお客さんを煽ぐ為だけのうちわが在ったんだそうな。
その団扇がなかなかみやびな団扇で、
なんかいいなーと思ってまた子ちゃんに煽がせたかっただけです。

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