envy

体温の上昇で芳る君の馨り
風に渡ってここまで来て
君のアイデンティティ
それから人に移すんだ
どんなヤツに?
そいつには不似合いだ
よしなよ
風に渡ってここまで来る
それは羨望の薫り
口唇の端がぴりぴりする。もうむしろ痛いくらい。
吸いすぎだ。
解ってる、完全な中毒患者。
でも、吸わないと苛々する。

「末期だね、オレも。」

誰に言うでもなく呟く。
朝一番の初めの一口が旨いんだ。
その後は惰性。
赤ん坊のおしゃぶりと同じ。
それくらいの意味。
愛用の灰皿、寝酒用にと隠して置いたビンテージ。
グラスは一つ。
誰を誘うわけでもない。
一人が好いときもある。
煙は宙を舞い、そのあたりに留まったかと思うと掻き消えていく。


満月。


自分の足元には淡い影。

足音。静かな波の音は其れを澄んで聞かせる。
木製の床を叩く踵の音。

「おいしそうね、一本頂戴。」

「ナミさん?」

今、シャワーを浴びてきたばかりなのか、髪が生乾きだ。
妙に艶っぽい。
木綿のシャツを着て、カフスを止めていない。
はたはたとスカートの裾がはためいている。
風にたゆたう髪からは、いい匂い。
一日の終わりに限ってイイ事がありやがるなぁと、
気づかせないように笑った。

「どうぞ。」

胸ポケットから一本差しだした。同時にマッチをだす。

「お点けいたしましょう。」

ありがとうと煙草をくわえた。
手でマッチの火が消えないように覆う。
燐の燃える匂い。嗅ぎ慣れた、あの。
強い風が吹いている甲板ではなかなか点かない。
ようやく点いたがすぐに風で吹き消されてしまった。

「風が強いから、点かないわよ。」

煙草をくわえたまま、こちらに顔を上げた。

「移して。」

キスされるのを待つ女みたいにこっちを見てる。
違うのは目を閉じないことだけ。
何を緊張することがあるのか知らないが、勝手に脈は速くなった。
たかだか煙草の火を移すだけじゃないか。
言い聞かせながら、まっさらの煙草の先頭に火をつけた。
何かが燃える匂い。じりじり焦げる音。

「点いたわ。」

いつまでこうしてるつもりなの?
煙を吐き出して、笑う。
「吸えるンすね、知らなかった。」
秘密よ、そういって極上の笑顔で口止め。

煙は宙に一片。
天上の月がそれで翳った。
細く頼りなく火種から昇る煙。

「久しぶりに吸うとくらくらする。」

船の手摺を持って、二三歩後ろにステップを踏むように蹌踉めいた。
危ないなぁと、その腰を掴んで引き寄せた。
こんなに傍にいたことがあるだろうか。
こういうのはあの船長か、居眠り剣豪の役割。

今、片腕の中にいる女。

そんなこと一切気にしないで、全く別の話をしようとする彼女。
「夜はさすがに冷えるわね。」
そうですね、と言ったものの、腕の中からはなれない。
こんな事慣れてるはずだったのに、上がっているのが解ったらお笑いぐさだ。

「どうぞ」
袖から腕を抜いてその肩に上着を預けた。

「少し飲んだら」
と自分のために持ってきた其れを差し出す。
グラスは一つしかないけど構うまい。
栓を切って、注ぐ。
蕩々とその液体はその中に呑み込まれ、表面は静かに波打った。
差し出し、様子を見る。
「シェリー?」


グラスを受け取ったから、その匂いを見てるのかと思ったらそうではないらしい。

「匂い。」

独り言のようだった。
「このジャケット煙草の匂いね。」
「そりゃ四六時中やってますから。」
彼女は目を閉じた。

「あたしサンジ君の匂い好きよ。」

思わず不整脈。

「俺もナミさんの匂い好きですよ。」
これくらい返せないと、勝者にはなれまい。
バカねぇと、あの、愛すべき馬鹿者達を見るときの顔でオレを見ている。
ねぇ、オレもその一人なの?

「あたしの大事な人が、同じ匂いだったの。」
それだけ。
意味はないのよ、誤解なんかしないでと言外に言ってる。
判ってる、それくらい。

「お母さん?」
少し距離を取るため、手摺に腰掛ける。
視線はその伏せられた眼の睫に注がれた。

「ヘビースモーカーでね、家中その匂いだった。」
煙を吐いた。それから、アルコールを一嘗め。
「サンジ君の傍通ると、煙草の匂いがどうしてもするじゃない。
 ちょっとどきっとするよね、昔に還ったみたいで。」
何だ、ちょっと残念。
弱みにつけ込もうと思ったのに、可愛い顔して笑うからそんな気失せた。
もう一口。
手の中の煙草の火種はもう指に近づいて、灰が静かな波に散る。

なんだか抱きしめてあげたかった。
いつもはちっとも見せない寂しげな目を見たからか。
それとも、弱々しく震える声を聞いたから。

どっちにしたって同情だ。

そんなもの露程も欲しちゃいないだろうと思って、やめた。

「ナミさんさえよろしければ、一晩中でも抱いて寝てあげるのに。」
新しく火をつけた煙草を噛んで笑った。
誰も来るなよと祈りつつ、誰か邪魔してくれと願いつつ。


「あんまり優しいと誤解するわ。」
意地悪な顔。
かわいいひと。
「誰もいないし、ちょっとだけ。」
何がちょっとだけだ。
これは嘘だから、嵌っちゃ駄目だ。
でも両手をひろげた。それから待った。
期待?
勿論した。
「ちがうちがう、あたしの身体がよ。」

丁寧に礼を言われて、上着を突っ返された。
灰皿に押しつけた煙草からはまだ一筋の煙が昇っている。

「おやすみ」

背を向けて今日最後の挨拶を。

さっきまで彼女の肩を温めていた上着に袖を通した。
微かに香る匂い。

「好いね、色っぽくて。」


きっと今頃その辺でうたたねる男に肩でも抱かれているんだろう。
そいつにも、この匂いを残すのか。

「羨ましいこって。」

慰めて欲しいのはこっちのほうだ。

まだ、体温がどこ彼処に残っている。
グラスの底に残るシェリー。
袖の中の体温。
掌の中の感触。
それから移り香。


夜に向かうにつれて、煙草は段々と不味くなる。
今日の最期の一口を吸い込んで、
波に揺らぐ月に向かい、まだ長い煙草を投げ捨てた。





羨望の薫りを身に纏って。

                                       
end


香水と煙草の話。書きたかったんです。
移り香の話。
ちょっと色っぽくないですか、
色恋に縁の無さそうな人に、明らかに誰かの香水の匂いが残ってたりして。
ああ、今まで、イイコトしてたんだなとか、サンジ君は思ってるんですな。
ところで、これあたし書くの5回目です。
何故かって言うと、
走り書きで一回、通しで一回、推敲して一回、HP用に一回、データ飛んだのでもう一回
最初の形とどめてないよ、サンナミ。(ところでこれほんとにサンナミ?)
サンジが呪ってるとしか思えん仕打ち
ところで後から思いついた
おまけもあります。


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