baby moon1.55
距離
君との距離は縮まらない
それも判ってる。ちゃんと知ってる
どう足掻こうと どうにもならないって事くらい知ってる
でも それでも、スキって言ったら笑うかい?
俺のこと「ばかね」って笑ってくれる?
見てるだけで好いんだよ
手が届かなかろうが、距離が縮まらなかろうが
好いんだ。
それでも、見てるだけで、君が傍にいるだけで。



用意した口説き文句の一つも言えないまま、策なのか成り行きなのか分からぬそれに嵌まり込んだ。
見上げる目は只管に深く澄んで、抱きしめてもいいかと訊くとご自由にと笑われた。
この人は俺が触れてもいいの。
きっと違う。

タイを緩めて放って、それから彼女のシャツに手をかけた。
ベットが不恰好に歪んで、古いバネが悲鳴を上げてた。
シャツの釦を外しながら、目線をあわせると自分からスカートのファスナーをおろした。
それは許可なの、それとも命令なの。
いいよ、どんなことでも聞く。


何で俺を選んだの。聞かせて。

「あんた、さ。他に居るだろ。」

そうねと気も無く返事をして、下着だけになって『それが』といった。
俺にはまったく理解不可能で、けれど理不尽にも、いや、これはきっと欲望という名の本能で。
あんたを求めた。

あんたが女で、俺が雄だからだ。




予想通りの肌の感触。
予想通りの展開。
ただ違っていたのは、あんたが俺の名を呼んで逝くことだけ。

いつもはどんな顔してんだよ。
あの男の抱かれるときはどんな顔をしてるんだよ。
見せてみなよ、そっちが見たい。



予想通りにあんたのそれは俺のアレを締め付けて。
願うものが手に入ったからって
満足するような男じゃないこと知ってるくせに
そういうことをするんだね。


あんたは残酷だよ、俺以上に。


それが女のアクセサリーでもあるかのように、そうやって振舞う姿。

だからなによと果てた後の俺をそれを含んでいったい何しようってんだよ。
もう帰りなよ、あの男のところへさ。

俺にもう構わないで。













*

ひとっ風呂浴びて渇いたのどを潤すためにラウンジの戸を潜ると
しっ、とサンジが口先に指を立てて促した。
ゆっくりこっちを見て笑うと、指さした先に航海士が静かな寝息を立てて眠っている。
その方にはサンジが掛けてやったんだろう。上着が乗っかっていた。


バカがまた寝顔でも見て悦んでたのか。
それともこれからするのか知らないが。
しかし俺が入ってきたことに対していつもなら邪魔をするなとかあっちへ行けだの言うはずなのに。

そうではないらしい。
火のついていない煙草を銜えたまま、いつもの自分の定位置に座ってナミの寝顔を見ている。
傍には二つのグラスと甘い銘柄の酒が一つ。

小声でなにやってんだと聞くと、「可愛いよな」と、返事なのか独り言なのかそう返した。
寝てるときはなと鼻で笑い同意はした。
首を傾げ、角度を変えて、テーブルの上に流線を描く髪の毛を触って確かめた。


「見てるだけでイイヨ、幸せ。」


横からかっ攫われてるのを知りながらそういう。
でも惨めさとかそう言うモノには全く無縁の顔。


「笑ってる」


一々そんなこと迄報告しなくてもよかろうに。


「どんな夢見てるんだろうな。」


グラスに注がれたその液体をゆっくり舐めながら笑ってこっちを見た。
さぁなと、さほど興味はないと言った素振りをしながら少し辛口の酒を選ぼうとすると
まぁ座れとナミの横、つまりは俺の定位置を指す
これ余ってるからともう一つのグラスに注ぎ、
舐めたら舌を甘みで火傷しそうだと少し感じたが、気が引けてそれを注がれるまま一口。
案の定、だ。


「いい夢なら好いけどな。」


意味深な台詞を吐き指を噛む。
さっきから火の点いてない煙草を口に咥えたままぼんやりと眺めているだけだ。
吸えばいいじゃねぇか。そんな顔をするくらいなら。

時々ナミはうんとか言いながら身じろぎをし、今にも起きだしそうだ。
風邪を引くなぁと肩を揺すろうかとも思った。
でも気持ちよさそうに眠っているその顔を見てるともうちょっとだけという気持ちがわかる。
男の気も知らねぇでかわいい顔して眠って。


「辛い夢なら起こしてやりてぇな。」


しばらく俺たちはいつもみたいに騒ぐこともしないで無言だった。
黙ったまま距離を推し量るでもなくただ其処にいた。

サンジは煙草に火を点けないまま、俺は黙ったまま。

不意に床に上着が落ちた。
橙色の髪の毛が揺れてこちらを照準の合わないまま見ている。


「おはようお姫様。」


いつの間にか立ち上がって落ちた上着を拾い上げる。
あぁごめんねとナミは前後を察したようだった。
もう遅いよ、早く寝たら、そう促しテーブルの上に散らばる本やペンを纏めて差し出す。
まだちょっと寝惚けた頭でうんと頷きお休みとこちらに向けて今夜の別れの挨拶を。


遺された俺はどうしようかと一時逡巡した。
再びサンジはさっきまでナミが暖めていた場所の隣に腰掛けた。
付き合うかと聞かれたので応じた。
誘われたのはこれがはじめて。


斜向かいに座った男は漸く煙草に火を点け一息深く吸い込んだ。
美味そうにそれをやりながらまだ壜の底に残っているそれを見て、視線でグラスを持てという。
苦いような甘いようなその酒は俺の口には合わなかったがそれでも無いよりましというもの。
傾けながら注がれる先を見た。




「お前考えたこと無いか。」


灰皿を引き寄せ灰を落としながら此方をちらりとも見ないでもう一口。


「あの人の過去。」


興味は無いと言ったことをまだ根に持っているのか。それはお門違いだ。
知っていようが知ら無かろうが結果は同じだ。
今に至る道程を知ったからといって何になる。



「泥棒やってたんだってよ。」

知ってるよ、何度こいつに絡まれても好い気はしない。寧ろ苛立つだけだ。
全部を知っているような気にかってになってろ。説教される覚えは無い。


「8年のうちに何があったんだろうな。」


それを知ってどうするんだ。
それを知ってなにをするというのか。
意図の掴めぬ話は混乱を招く。



こういうのはきっとさ、下衆の勘ぐりって言うんだろうけど、そう前置き。
あれだけ可愛いんだ。
きっとその8年の内にはきっとそう言うこともあったんだろうなって考えたりしないか。



皆まで言うなと静止したかったがそれをなぜ自分でも止めたのかその理由が見当たらない。
そういうのもこの男の顔が妙に真剣で、いつもみたいに鼻の下伸ばしていないことや俺に対して見せたその顔。

カンパリを嘗めながら変に遠くを見て、苦しそうな顔。


真意を判じながらもそう言う事って、と空とぼけた。
察しの悪い男だなと目を伏せ指に挟んだままの煙草が恨めしかった。

ここから逃げられないのは俺だけではないんだろう。
言いたいことの一つも言えないまま黙ったまま。
今から言う話の予測はすぐにつきそうなもんだ。



言葉に詰まる。


言いたいことはよくわかった。
女を逆手に取られたこと、武器でもあれば弱点でもある。
お前が言いたいのはその傷のことか。それをどうしようというのか。
例えばそれをいたわったとしても俺たちの距離に歪みが出るだけだ。
考えまいとするのは考えることと同じことだ。
一瞬でも意識したら終わりだ。俺が堕ちたこの罠の様に。

で?どうしたよ、事も無げに言って見せるのは弱い自分を隠すため。
お前以上に動揺しているのを悟られたくないため。
お前なんかには絶対に見せたくない。


余裕だなと煙草を斜に咥えて哂った。
テーブル上に投げ出された箱はもう空だ。





俺と出会うまで一人でそう言うことに只ひたすら耐えてきたのかと思うとちょっとな。
夜眠れなくなる。


そんなこと、
バカだろ。俺。
あぁ。

出会ってもネェのにな。





出会っていなかった頃、あいつは誰とどこで何をしていたのか。
嫉妬するべきはそこではない。

そうそんなことに嫉妬したってどうにもならないことくらい知ってる。
巻き戻ったりしないんだ。
一秒前にすら。






俺が船のバカ共と楽しくやってる時に
彼女は同じ空の下で泣いてたのかも知れないと思うと
時々おかしくなりそうなんだ。




矛盾だらけの独白。
それを俺に聞かせてどうするつもりだ。
言うならあいつにいいなよ。
馬鹿だって笑うからこんな男の気もしらねぇできっと今頃ベットに潜っていい夢見てる。
俺たちにお前たちが分からぬようにお前たちも俺たちの事なんてきっと解りはしないんだろうよ。




「8年って言う距離がもどかしいようなそう言う気がするんだ。
 取り返しなんてつかないんだけどよ」




「で、お前は何がしたいんだよ。」


「そりゃぁもう色々。」
笑いながら頼むから流せよと抜きかかった柄を押し止められた。


「本当は、」

俺に向かって煙草の箱をテーブルの上に滑らせた。
それを受け取りながら、差し出された火を吸い込む。
銜えたまま杯に廻る毒で眩暈。




「俺はお前になりてぇよ」



笑いながら言ったその顔はけれど苦そうな色が消せていない。

「触って確かめて、好きだよっていってさ、キスしたり。」


でもまぁそれは今は俺の役目じゃ無いんだけど、

ちらりと此方を見る。
そうだ、お前の役目じゃねぇよ。
勝った気で居られるのはこいつが弱気な内だけ。
掻っ攫われそうになりながらもギリギリで踏みとどまるのはきっと運がいい所為。


そして、こいつが俺よりもあの女を理解している所為だ。
癪に障る話だよ。



「俺に靡く様なんか、見せて欲しくないんだよ。」


それは、どういう意味だ。
指しゃぶって遠巻きに。



そう言うモノ超越して、もう、見てるだけでいんだよ。



端から諦めてるような奴には譲ったりしねぇよ。
放すつもりも毛頭ないけど、そんな弱気な奴にはやらネェよ。




「報われネェ話だなぁオィ。」


いえてるよ、そう言いながら笑った顔は幸せそうだった。
そんな顔で、何言ってるんだ。
それはお前にとっちゃ苦しいだけだろ。
俺に言うそれは牽制ではないんだな。ただの諦め悪い管巻きで。







「なんで、俺に言うんだ。」
「お前にだから言ったんだ。」





この世の中でもっとも憎い物を見る赤い目。
俺にだけというその意味は重々承知している。
奪い合ってもいいと、煙草を消した。
差し向かう男はまだそれを銜えたままだ。



沈黙は耳に痛い。
時を刻む音が跫音のように響く。


けれど、



憮然としたまま視線は俺の傍を通り過ぎた。
サンジは立ち上がり、俺の背中を通ってキッチンのドアに手をかけた。


「好き、だけじゃどうにもならネェもんがあるんだよ。」

グラスはそのままで良いと、背中が言う。
待てと呼び止めようとしたが口実を探した。
例えば上着。
例えば煙草の箱。

上着は既に腕に持って、煙草は空っぽだ。





今夜は戻るなと言い棄てた。








俺では駄目なのだ。
きっとあの人には俺では駄目なのだ。
何故駄目なのか、そんなことは神のみぞ知るってところで。

俺では駄目なんだ。
見ていることくらいしかできない、したくない。



では、俺でないと駄目な物は何だ。
俺でなければならない物。
見あたらぬ儘目を閉じても良いだろうか、
それとも誰か俺に見せてくれる。

俺では駄目なのだ。
君がいいと言ったって

end


なーんか微妙な話になってしまいましたね。反省反省。
うーんなんつーか、こういう話思いついてしまったので
もう書くしかない。
そんなことを考えたり思ったり。
だんだんとウチのサンジとナミの構造が確立してきた
遅いね、うんゴメン。
気持ちだけではどうにもならないカンジが書きたかったの
馬鹿切ない話書きたかったけど、そうならなかったという不発弾。
あぁまた今後の課題が。

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