或る快援隊隊士の微睡


季節など、覚えていない。
熱せられた戦場を走りながら、追い追われた。
青い空を見た覚えがない。
赤黒く塗りつぶされた空だ。
炎に舐められ、燻された空。
人も物も消し炭になる。

辺りに立ち篭める熱気と血と火薬、それから亡者の匂い。
腕を足をもがれたもの、身体半分を持っていかれながらもまだ息をしているもの。
はらわたをぶちまけたままさまよう者もいた。

生きているものと、死んでいるものと、死んでゆくもの。
境界がとても曖昧な世界。

劈く砲撃音で聴覚は麻痺し、
噴出す血潮と眩い閃光で視覚は捩れ、
ものが焼けた匂いで嗅覚は用をなさず、
剣を持つ手は強く握りすぎた為に指すら動かせず、
再起を目指し逃げ延びようとしている最中の食事は二日前に終えたきりで、舌の上には鈍鉄の味しかしない。

不思議なことに全く疲れを感じない。
五感が麻痺している所為なのか、それとも死んでいることに気がついていない亡霊なのか。
今見ている光景の現実感の無さ、恐怖は疾の昔に限界点を突破している。

死ぬかもしれないと思うことと恐怖は別物になり、肉体と精神が切り離され、
覚醒し続ける異様なまでの緊張感が不思議なまでの昂揚を齎していた。


嗚呼、声がする。
懐かしい、声だ。
















「俊輔、人数を確認。装備を各自点検させろ、報告急げ」

歩き回りながら兵の顔を一つ一つ確認する。
怪我の箇所、怪我をしていても一人で歩けるもの、介助が必要なもの、歩けなくなっている者。
数は随分減ったが、分かれた者たちがけれども生きていることを信じている。
その可能性は百万に一つとしたとて、だ。

「聞多、兵糧の貯えは」

義勇軍の中では古参の、けれども歳若い井上を捕まえる。
ありますと答えた顔には泥と煤。
それから血がこびりついた汚れがあった。

「よし、皆に交代で食事を取らせろ。温かいものが取れれば皆に、だ」

せめて白湯でも飲めれば気分も違う。
今からのことを考えねば、僅かな兵を見回した男は嘗て数百人の兵士を見渡したことを思い出したがすぐに忘れた。
記憶することに労を払ってはやれぬ。
考えなければならぬ事が山ほど在る。今はそちらへ集中し、余力を尽くさねばならぬ。

総督、装備を確認させていた伊藤が足早に此方へ向かってきた。
報告を聞きながら諸隊の被害と温存戦力を頭の中に叩き込む。わかったと頷いて歩き始めた背に伊藤が声を掛けた。

「どちらへ」
「俺ァは」

燻された空気に喉がひりつく。
軽い咳払いで声を整えた。


「少し見回ってくる、」









兵たちの中を歩き回りながら声を掛けた。
諸隊が崩れ寄せ集めになってしまったがそれでもまだ再起の望みは零ではない。
また兵を募り鬼兵隊を再編成する。
ここで退くのは敗北に在らず。
そう説きながら兵一人一人を見て回る。
拝むように頷く者もいれば、感極まって泣き出す者もあった。

そうだ、敗北ではない。
我々は敗者ではない。

まだ。


その時、手元の刀を抜いて僅かな溜息を吐く年若い兵が居た。
まだ少年ほどの年恰好ではあるが列記とした兵の一人。
鉢鉄に刻まれた刀傷、血と泥と煤に汚れた姿は歴戦の兵士そのものだ。

「どうした、若いの」
「総督」

「総督」に声を掛けられ思い切り驚き、立ち上がり敬礼しようとしたがそれを手で制した。
見上げた顔は疲弊はしていたがまだ少年のようである。


「折れたか」


名すら尋かず手の中にある剣を検分する。
刃は一寸残して束のみが残るだけの酷い有様だった。
屑鉄にするほかない。

戦場で剣が折れることなど珍しくはない。
折れ曲がり刃はこぼれ時にはまっぷたつに折れる。
だが目の前にいる少年兵は酷く落胆していた。

「折れて、しまいました」

刀を魂だという侍は数多いる。
この少年もその口なのやも知れぬ。
刀が侍の命ならば後生大事に蔵にでも入れておけばいい。
三百余年の泰平の世に初めて起こった最初の、そして最後になるであろう乱世。
うねりの中で何を拠り処にするかは各人自由だ。
だが、少なくとも今すべきことは折れた刀への感傷に浸り落胆することではない。

戦場では命の重さなど皆同じだ。
途轍もなく軽い。
若かろうが年寄りだろうが強かろうが弱かろうがお構い無しだ。
叱咤して少年の心を折るのは簡単だ。
しかし、その折れた刀と共に別のものを折らせては成るまい。

「これを遣ろう」

手に持っていた太刀を渡した。
少年は驚いた顔をして此方を見上げた。

「なに、その辺の仏から剥いだのさ」

刀は血で曇れば切れ味が落ちる。
斬れなくなれば折れ曲がるのは必至。
火気以外にも必要な武器の補充は頭の痛い問題だ。
死体から剥ぐなど言語道断という輩もいるが、そういう連中には刀が折れたら素手で戦ってもらうしかない。
死ぬか生きるかの狭間で道理を説くほどばかばかしいものはない。

少年は目の前に突き出された太刀を受け取りあぐねていた。
死者の持ち物を剥ぎ取る行為への倫理に背くことへの嫌悪なのか、
顔を上げたまま折れた刀を握ったままだ。


「獲物がなけりゃ戦えねぇ」


不満か、そう問うたが手を出し損ねている。
頑固な、年若さ故の潔癖性か。生来のものなのか。
それとも「総督」という名への極度の緊張か。たぶん、それらすべて遠因で原因なのだろう。
なんともなしに悟り、よしと頷く。

「ならばこれと交換だ」

腰に佩いていた太刀を目の前に差した。
少年はさらにぎょっとした顔をする。

「頂けません」

畏れ多いとでもいうのか、声が一層高くなる。

「なに、これも同じさ」

そう皮肉めかした。

オレのもひん曲がっちまったからな、そう片頬だけで笑う。
嘘ではない。どれほど、斬ったろうか。
はじめに帯びていた刀はとうに折れた。
雨を泥を、血の河を。
鉄火場を

「それに、身軽なのはいいが、丸腰じゃ駆けられねぇだろ」

駆けるとは、少年は顔を上げる。
緊張がようやく解けたのか少し身を乗り出すようにこちらを向いた。

「斥候に走ってくれねぇか」

兵を見渡したところ負傷しているものが多かった。
介助に回る者も皆が傷を負っている。だが、足手まといだと捨て置くことは志気に関わる。
それはできぬ。

「脚に怪我を負ってねぇのがお前だけなんだ」

斥候には危険がともなう。
身軽に動き偵察し其れを報告に戻る体力が必要になる。
少なくなった兵を少しでもつれて鬼兵隊再興を叶えたい。
その為にはなんとしても切り抜けるための「道」が必要だった。

「こっから先には大きな河がある。恐らく半分以上のものは渡れはしまい。
山伝いに逃げる方法もあるにはあるが、様子が全くわからねェ。一か八かで行くには無謀すぎる」



地図を託しながらやってくれるか、少年はそう尋ねられた。
この戦場に在りながらも酷く落ち着いた声音であった。
余りに危険なことを頼まれているのに、栄誉だとおもった。
それほどまでに、誉れ高い直々の依頼だった。


「はい」


では受け取れ、地図と佩いていた刀をそのまま受け取った。
ずしりと重く、細かな細工が目に付いた。

「これはまた随分と、堂に入った刀ですね」

鯉口から小尻に連なる美しい波濤図が描かれている。
小柄もそれに倣い色漆で塗られていた。

「立派な拵えだからな、斬れねぇかも知れねぇぜ」

なまくらかもなァ、低い声がぶれることなく震えた。
食事を済ませたら征け、頼んだと肩を二度叩かれた。
はいと返事をしながら背を見送る。



「そうだ」


陣羽織の裾が翻る。
鉢鉄を結わえ付けた鉢巻の裾は血で汚れていた。



「お前、名はなんと言うんだ」





起立して名を告げた。
また片頬だけで微笑み、名を唱える。



「必ず還れ」



鋭い声。



「生き延びろ」










俺は走った。
走って走って、敵に見つからぬよう河伝いに山脈の様子を探りながら「道」を探した。
だが敵は残党狩りに余念がなかった。
そう、「残党狩り」だ。
散り散りになった鬼兵隊は分派されたもう一つの中隊は残らず討たれていた。
執拗な残党狩りに息を詰めながら命辛々の偵察を終え、戻ってみたら部隊はほぼ全滅していた。
半日前まで休んでいた連中が皆殺しだ。
辺りに立ち篭める熱気と血と火薬、それから亡者の匂い。

探そうにももう何もないのだ。

五体が揃わぬ遺骸が少なくない。
斯くも此処は地獄か。いや、ちがう。
地獄は罪人達が泣き叫びながら鬼達から責め苦を追う。
だがこれは人が作り出した現実だ。
誰もいない、誰も。
その場に生きている人間は、たったひとりだった。
自分ひとりだった。

必ず還れ、そう言った人も。


今はもう、ない。




そこからは憶えていない。
佩いた刀は途中で折れた。
見た目だけだけのなまくらだった。
残党狩りから逃げて逃げて逃げて、食う為に乞食行紛いの詐欺を働いて。
ショバ代とばかりに地回りのやくざに殴られて。

あの人に会った。


アレは春だったか。
あの日は、春だっただろうか。


オレは、いくつ夜を越えただろう。
いくつ季節をめくっただろう。
ざわざわと風が吹く。
声がする。
遠く。

懐かしい。

懐かしい、声だ。


















「中島」










ブラウン管のテレビのスウィッチを急に切ったように、まどろみから不意に連れ戻された。
此処は何処だとすぐには判断できず、暫く自分を覗き込んだ人間の顔を睨んだ。


「なんじゃぁ、恐い顔をしよって」


覗き込んでいたのはいつも何時も目が据わってる仏頂面だ。
おめぇほどじゃねぇよと笑えば、地顔じゃとむすりと言った。
「地顔はもっと可愛いげあるぜ」
あくびを噛殺せば、おんしのそういうところはいかんとさらにむすりとした。可愛いことを言いやがる。


「珍しい、居眠りとはのぉ」

気候のせいだよ、そううそぶいた。

ほんのわずかなまどろみだ。
うららかな秋の陽気に似合わぬ夢を見た。
拭い切れぬ残像のような。
太陽を直視した時にできる黒い靄のように、いつまで経っても視界にちらつく。


荷の水切りの後、積み込む筈の荷が届いていないというので港で半日足止めを喰っている。
荷の到着はあともう半日掛かるというので、丁度いい休憩とばかりに交代で陸を満喫してこいとのお達しだ。
陸奥は早々に食事を済ませ、時間は残っていたが交代するべく艦に戻った。
自他共に認めるワーカホリック、こんな降って沸いた時こそ休めばいいのにと中島は思う。
けれども口には出さない。
休むのが苦手な人間だって居るのだ。
特にこの友人は。

「釣りか」

陸奥は釣れたか、とバケツををのぞき込んだが中には何も入っていない。
釣れない釣り人は哲学者というが、中島の釣りの腕前は聞いたことがなかった。

「交代か」

眠そうに中島は言う。
陸奥は懐から時計を出す。
まだ十五分は悠にある。

「あぁ、おまんは」

飯は食ったかと尋ねられて食ったと答える。
おれもだと竿を上げた。
餌は取られ、竿はぴくりとも動かない。

「荷はまだ届かねぇのか」

もひとつ竿を放り投げた。

「一時間ほど前に出発しちゅう、けんど出航は更に半日遅れじゃな」

通関、ほれに特梱もまだやき、舌打ちが聞こえた。
出航が遅れればこれより先の航行予定並びに納期の調整が必要だ。

「ありがてぇような、ありがたくねぇような」

陸奥はこれよりその調整をすると言う。
通関のための書類を揃え、出航手配、到着予定港への着日延期連絡。
最短出発のための準備をするのだろう。
多分、一人で。

「さて」

小さな折りたたみの腰掛けから立ち上がりうんと一つ伸びをした。
バケツの中の水を棄て、竿を引き上げる。

「手伝うか」

時間はあるのだから休めと言っても聞かぬだろう。
そう言うよりも仕事を手伝って遣った方が負担が少なくて済むというものだ。

「えぇんか釣りは」

あぁ、中島は短く答える。
折りたたみの腰掛けとバケツを手に持ち、艦へのタラップに向かった。
陸奥はその隣に並びながら、休んでおってもえぇがにと口では言う。
だが頭ではオレに割り振る仕事を考えている、そんな顔だ。

「何か急ぎがあるんじゃねぇのか」

そう言うとあれこれと一つ一つ指を折って仕事を数え始めた。
納入先への連絡、着港延期の依頼、それから。
全部させる気じゃないだろうなと尋ねれば、流石にと笑う。
艦を昇り執務室へ向かう途中、通信室の階へ寄った。
先の荷について各星への連絡を頼むと言う。

嵐の前に、そう思って自動販売機でコーヒーを買う。
カップに口をつけながら通信室前にある掲示板へ目を遣った。
保安条例に基づく規則で、配布される手配書が掲示されている。
「ピンと来たら」と言う文句と共にずらりと並んでいる顔の一つを見つめる。
遠目から写したのか描線が甘く、ピントが狂っているようなぼやけた写真だった。
一見したところ凶悪人物には到底見えない。
正直に言えば優男、線の細い美丈夫で青白く暗い顔をした青年だ。怜悧な、という表現が似合う。

中島はその写真を見て一度目を伏せた。
湯気を立てる紙カップに映る自分を見る。
年月を、考えた。



片目を何処へ遣ったのか、顔の半分を包帯で覆っている。
あのときよりも、もう少し歳を取られたか、今は幾つにお成りだろうか。
当時は酷く大人びて我々を率いて下さっていた。


「必ず還れ」


命令に背いて申し訳ありません。
命令を全う出来ず申し訳ありません。
おめおめと生き残ってコーヒーなどを飲んでおります。
もう二度とお会いすることはないと思っておりました。


私のことなどお忘れでしょう。
お目通りも叶わぬでしょう。

けれども自分は心より喜んでいるのです。
総督、私は生き延びました。
生き延びて、貴方のお姿を拝見できました。


総督。


中島はもう一度顔を上げる。



 「必ず還れ、生き延びろ」




季節も分からぬ戦場。

命令された言葉の誉れだけで、命を懸けて走った。

全うできなかった。けれども生き延びた。

此の命は、貰った様なものだ。
他の者の命で自分の命を贖いながらも、生きていることを今も享受して。
あの時斥候へ出なければ此処には居なかっただろう。

絡まりあった偶然なのか、引き寄せた命なのか。



「生き延びる」と言うのは、此れ等を全てすべて背負えということでしょうか。
今は戦場に無い此の身、別たれた道を横目で追い。


そして貴方も、そう思って居られるのか。







ピントの甘い写真はぼやけたまま、答えが在ろう筈も無い。
中島は青白い青年の顔に呟く。









「ご無事で何より」

end


WRITE/ 2009.12.28
妄想快援隊三部作、終了〜。
追想→沈黙→微眠と言う流れお三部作です。自分だけが楽しくてスイマセン。
陸奥の大親友中島作太郎君が奇兵隊にいたのは史実です。
もうそれだけで妄想しました。
あー楽しかったァァァァァ。

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