生きること
飯を食うこと
最後まで、見届けること

或る快援隊隊士の追想





後悔なんてしない奴、いるだろうか。

おれは後悔していた。
絶望的なまでに、だ。

なんで戦なんか行ったんだろう。
なんで死ぬのが怖くないなんて思ったんだろう。
なんで人を斬れたんだろう。
なんであそこで一人取り残されちまったんだろう。



じゃぁ何処まで戻れば正しい場所へ辿りつけるだろうか。
でも誰かに、何年前の何時までが正しかったよと今更教えられてもどうすることも出来ない。
それでも、何か自分に「不思議な力」があって時間を戻せたとして、
また始めたところから新たに辿りつく場所が正しかったなど誰がジャッジするのだろう。


嗚呼、冗談じゃねェよ。



なんでこんなに虚しくて人生について考えているのに、
死ンじまいたいと思って泣きそうな位なのに、腹が減ってんだろう。





朝、塒にしているところから這い出た。
鼠の巣の方がまだマシな位の酷いところだ。
仮住まいと言えど行く先など見えない。
眠れない、腹が減る。
そういったものに気力を削がれると言うのだろうかね。
もう何もかもどうでもよくなっていたんだ。
あのころ自分が一体幾つぐらいだったかよく分かっていなかった。
戦に行っていたのはそう長いことでもなかったのに、随分長いこと戦っていたような気がしていたんだ。

おれは何処へ行きたいのか。

塒を出た後、街へ出た。
あの街の名はなんと言ったのだろうか。
どこかのご城下だったことは間違いがないよ。
人も沢山いたからね。

おれは物乞いをしていたのさ。
戦で腕を失った振りをして、襤褸坊主の形をしてね。
褒められた話ではないよ。
正直な話、当時は随分残党狩りに厳しくて、侍かと言うだけで連れて行かれていたんだよ。
何処へって。あんたが思っている通りのところだよ。

逃げ場すらないような気さえしたね。
夜盗に身を持ち崩したり、強盗をしたりさ、そう言う連中も数多いたよ。
おれはそうも刀が使えるほうでもなかった。
一対一でなら勝てる相手も居ただろうが、そこまで外道な真似は出来なかった。
だから、姿を変えてあちこちを転々とした。

志と言う言葉は美しくて尊いよ。
おれも昔は持っていた。
でも圧し折られた。圧し折られても未だ残っていた。
でもそれも浮世の辛さに、生きていくためそれが磨り減る。
それが分かるんだ。

物乞い坊主の真似事をしているとね、金を入れて呉れるものもいれば、米を入れてくれる人もいた。
それで、どのくらい凌いだんだろうなァ。
忘れたなァ、思い出したくもねェ。


あぁ、郷里に。
もちろん、帰ろうかとも思ったよ。

それは、出来なかった。
便りも出せなかった。
死んでいるとでも、思っていてくれたほうがまだましだったよ。
生きていると分かれば列記とした反逆者だ。
死んでいるならまだしも、さ。


ああ。
いつだったかな、もう温かくなっていた頃だったか。
橋の袂で経を読んでいたんだ。

ふぅと目の前に陰が刺した。
破れ笠の隙間から見えたのはね、随分と大男だったよ。
おれの経を聞いているところだった。

おれは立っていてね、立っているのにその男はおれより頭一つ大きいのさ。
経をじっと聞いていたね。
手を合わせるわけでもなく、ただじっと聞いているんだ。

気味が悪かったよ。

暫くして懐に手を入れてね、ざらざらと金を鉢に放り込んだ。
幾らくらいあったかな。

今の金にそろそろ変わった頃だったけれどね、銅銭もあったが、紙の金もあったかな。
拝むふりをしてその中をちらりと覗いたんだ。
ばら銭だったが、かなりの額が入っていた。
男はおれがそれを見ていたのを知ったいたのか、そっと言った。

「気ィつけや、似非坊主」

多分、おれにしか聞こえない声だった。
低く、それこそ密談のときにしか使わないような調子でそう告げた。
あまりにぞっとしたので顔を上げたんだけれど、もうそのときには居なかったんだ。
橋の上は人通りも多くてね、旅人や大きな荷を持った商人が行き交っていた。その雑踏に紛れたんだ。
代わりにおれの前に現れたのは風体のよくない連中で、その日の「稼ぎ」を丸々取られた。
向こうもおれが何をしていたか知っていたんだろう。

三人って言うのは、反則だ。
殴られて蹴られて、暫く起き上がれなかった。
痛みも勿論だが、惨めさに。

高等な志を以って戦に行って、人を斬り、怖いものなどありませんと言った愚かな自分に後悔していた。
怖いに決まっている。
何も怖くなけりゃァ、強盗でも盗賊でも、何でもやってる。
死ぬのも怖い、生きるのも恐ろしい、惨めで行く宛てもなくて、
こんなに泣きそうな位なのに、腹が減っている。

正しい場所ってなんだよ。
人間は間違う生き物、知ったことじゃねェ。
誰が悪い。
問答無用でこの国に宣戦布告した連中か、
戦に応じた侍か、引き金を引いたのは誰だ。
それとも戦に負けたこの国か、
或いは戦に行った自分か。
そうだよ、その通り。

虚しくて惨めで人生の在り方を説きながら、死ンじまいたいと思って泣きそうな位なのに、
一番に思うことは食い物のことだった。
生きるって言うのは、食うことなんだなって初めて分かったよ。
善悪も是が否もなく、飯を食うことなんだよ。


「よぉ、生きちゅうかェ」



愉快そうな声がした。
あばら屋の群立するどぶ板の中に倒れこんでいたおれを覗き込んできたのはさっきの大男だった。
人懐っこそうな顔でにこにことしている。

「見てたんなら、助けてくれたって、いいだろ」

男は笑ったまましゃがみ込み、頭の上で布袋を振るう。
ざらりとばら銭の音がした。
拾うたがよと笑ったが明らかに先ほどおれを襲撃した連中が持ち去ったものだ。

「返せよ」

嗚呼、今日の飯にありつける。

男はすっと眼を細めた。
笑いながらごく静かな声で、おんしのものかぇと尋ねた。
即答できなかったのは男の声の調子が酷く穏やかだった所為なのか。
自分の良心を問われているような気がした。

おれは起き上がろうとしたが、縛っていた片手が婀娜となった。
無理をしながら縄を解くが酷く難儀をして、詐欺なんてするもんじゃないと言われてるみたいだ。
男に問うた。

「あんたは、なんで分かった」

男は一瞬きょとんとしたが、愉快そうに言った。

「経が嘘っぱちじゃ。ありゃァ真宗の経文ぜよ」

なんだ、そうか。
信心なんてしないから一つ憶えたきりの経を読んでいただけだった。
ところどころは誤魔化して。
縄を解きどぶ板の中から身体を起こした。
襤褸から埃を払いながら、これからどうするかを考えた。
塒に帰って空きっ腹を抱えて寝るか、もう一仕事場所を変えるかだ。


「飯、食わせちゃろうか」


男はすっくと隣に立つと酷く優しげな調子で尋ねた。


「此処は上野じゃないぜ、他所あたんなよ」

そういえば、夜盗にもなれねェ、乞食もできねェと言う連中の幾らかは陰間か何かに身を落すとも聞いたな。
仄暗い宵闇に女装束で紛れて暗がりで笛を吹くと言う連中もいるらしい。
男はまた愉快そうに笑った。

「ワシはほがぁな雅な男じゃないぜよ」

じゃぁなんだよ、おれは尋ねた。
まるで他人に警戒心を持たせない男だった。
顔はいつも笑っているし口元はどこか緩んでいる。
だが時々細められる眼が一瞬だけ鋭い時がある。
笑った顔の中に紛れてて分からないのだが、お前のものかと問われた時に滲んだ蒼黒い凄みがあった。

「人の縁は奇異なるもの、思わんか」

さぁなァ、吐き捨てるように言い歩き出した。
おれより年は少し上だろうか。
子供だと思っているのか知らないが、同情などは不要だし、ヘマした後に掛けられる情けなどこれ以上も無い屈辱だ。
そんなみっともない真似は出来ない。
男は豪快に笑うとおれの後を追う。

「おんしにゃァ分からんでも、ワシはおんしに飯をおごらにゃァいかん縁がある」

来や、腹へっちゅうろー、ぽんと肩を叩かれた。




街中の一膳飯屋へ入り男はあれこれと品を頼んだ。
酒も一合ほど頼んだがおれは生憎ほぼ飲めない。

「アンタァ、物好きながか」

酒が運ばれる。
男は手酌で遣りながらさぁのうと答えた後、おやと言う顔をした。

「同郷かえ」

言葉はどうしたと尋ねられた。

「わからねェと云われたんで、直した」

戦に志願したとき隊内で言葉が分からぬと不便だと言われ、周りの者の言葉に合わせるようにした。
苦労したがコレで出自が誤魔化せたこともある。
男はふぅんと言った。侍には見えなかった。
身なりは悪くはない。
韮山笠、ぶっさき羽織に伊賀袴、仕立も悪くはないだろう。
刀を差してはいるがにこやかな所為か威圧感と言うものをまるで感じない。

「侍か」

いや、そうではないだろうとすぐに自分自身で打ち消した。
そうは見えねぇけどと付け加えたら笑っていた。

「悪人かも知れんぜよ」

冷酒を飲みながら一献と注いで呉れたが口唇を濡らすだけにしておいた。
酒精が目に滲みる。
お待ちどうでしたァと客二人の身なりの差に少々怪しんだ店の女が膳を運ぶ。
湯気の立つ皿が並んだ。

熱いつゆを飲んだとき一瞬ほっとして息を吐いた。
温かい飯など久方ぶり、いや誰かと食う飯が久々なのか。

「いやかまん、飯を食わしてもろうたし」

あとは自力で何とかにげらァと冗談交じりに笑えば、男はゆっくり食べやと手酌で飲んだ。
男は傍らに置いたおれの荷をちらと示し、その中の一つを示した。
小柄である。

「ちくと、おまさん、それ、見せてくれんか」

使っていた刀は折れたが、此れは勿体無くて抜き取っておいたものだ。
大して値の張るものではない。
男はそれを矯めつ眇めつ眺めながら、おおきにとすぐに返した。

「戦に、でちょったがか」

あぁと頷く。
男は窓の外を見ながら微かに頷き、西かと尋ねた。

「まぁな」

男の歳は幾つくらいだろうか。
同世代と言うほどには若くはないのか。
この年代の男の殆どは戦に行っている筈だ。
多かれ少なかれ、刀を未だに差しているなら、そうに違いあるまい。

「アンタも」

男は黙って手甲を解き、袖を捲った。
左手甲には傷跡が大きく残っていて、手首の随分上まで引き攣れた皮膚があった。
深かったようで、腕の傷は縫い痕がまだ残り、赤黒く残っている箇所もある。


「何をしてんだ、あんた」

男は腕を仕舞いながら、旅をしているといった。
九州の方へ行くと教えた。何をしにと言う問いには、船に乗りにと至極完結に答えた。

「船乗りになんのか」

男は笑う。
このご時勢に船乗りか、物好きな。
空飛ぶ艦が攻めてくる時代に、海に漕ぎ出してどうする気なのか。
男は相変わらずにこにことしている。
そんなもんじゃと言いながら、手酌で一合飲んだ。酒豪らしい。
店の女にもう一合冷酒を頼んだ。

「侍をやめてか」

薄い、氷を踏んだ音がした。
酒を飲みながら外の人が行き交う景色を眺めていた男は此方をちらと見た。
またあの眼だ。

「いいや」

一膳飯屋は合席や客でごった返している。
けれども男の声は小さく柔らかいのに、ぞっとするほど耳の奥に響いた。


「おまさんは、何処へ行くがか」

行く宛てなんてないさ、そう告げた。
おれは多分戦で一度死んだ。
此処でなんで生きているのか全く分からない。
本体に合流しようともその場所さえ分からないのだ。
それに、もうそんなもの消滅しているのかもしれない。

「明日もあそこで、経を読むか、動けなくなったら死ぬだけだ」

そう、自分で言ってぞっとした。
飯を食いながら、急に味がしなくなった。
おれの人生ってなんなんだろうか。
燻って倒れるまであそこで似非襤褸坊主のふりをして経を読むだけか。
虚無さが己が身を嘲笑うが、反論も出来ない。
せり上る侘しさに、思わず掻き込んでいた飯茶碗を置いた。



「なんで、船乗りになるんだよ」


男はおやと言う顔をした。蕗の炊いたものを箸で摘みにこりと笑う。
しりたいかえ、笑いながら咀嚼しのみこんだ。

「この国を、喰わんれようにするために」

喰われん様に、って。
こんな汚い一膳飯屋で政治論でも語る気か。
この男、何をいきなり言い出したんだろうか。
思わずおれは呆れた。山師か、ほら吹きか、それとも風呂敷屋か。
何言ってやがると一蹴しようとした時、男が僅かに此方へ身を乗り出しじっと眼を見た。
あんなに愉快そうに喋っていたくせに、笑っていなかった。


「こん国は戦を退いただけで、わしらぁ奴隷になったわけじゃぁ無いきに」


志と言う言葉は美しくて尊い。おれも昔は持っていた。
でも圧し折られた。圧し折られて磨り減ってもう何処にも残っていないと思っていた。
この男何を言ってるんだ。
「アンタ、何する気だよ」


男は柔らかく笑っている。
鋭い眼で、でもとても綺麗な目で。
侍はやめない、でも船乗りになると言う。
船に乗って何をするんだ、何処へ行くんだ。
この国を食い物にされないようにって。


「…聞いたら、おんしゃぁ行きとうなるぜよ」

男は両肘を卓に着け、手を組んで首を傾げた。
聞いてから決めると言ったおれを笑う。

「来たら後悔するかもしれんぜよ」

行ってよかったと思うかも知れねェじゃねェか、つんと顎を突き出せば愉快そうに天邪鬼じゃのぉと笑った。
よう似いちゅやつが居ると言いながら、煮物を抓む。
ちくと長い話になるぜよと酒で喉を湿らせ、長い話を始めた。

















「後悔しねェ奴なんかいねェ」

何をいきなり、同僚であり一番の仲のいい友人でもある女がおれの独り言に合いの手を入れた。

「そうだろ、突然こんな厄介ごとに巻き込まれてなんでおれ此処にいるんだろって途方にくれるよ」

おもわねェか、溜息を着きながら手を動かす。

「なぁ、よう、陸奥」

思うたところでどうもならんちや、と同じように溜息を吐きながらも、
陸奥は同僚の男がいうことも一理あると思った。
二人は俯きながら賢明に手を動かしている。
部屋一面、或るものによって汚染されているからである。

「なんで、おしるこストーブにかけるかなァ」

おれは思わず一人言ちた。
社長室の壁と言わず床と言わず、部屋中におしるこが散乱していた。

「あっはっは、すまんすまん」

笑っているのは自分達のボス、坂本辰馬だ。

「いや温いモンがのみとうなってのぉ」
「ここにしっかり、直、火、禁、止、ゆうてかいてあるろう」

陸奥が噛み付いている。そりゃァそうだ。缶を直火にかけないで下さいと書いてある。
ツーかこの艦でストーブとか焚いていいのか。
火傷をしない最新設計とか謳ってるけど、ほんとに大丈夫なのか。
いやぁ、最近とみに目がわるうなって、と坂本さんはサングラスのブリッジを押し上げるが、読んでいなかったに違いない。
ツーか読まなくても分かるだろ、フツー。

缶入りしるこをストーブに掛け、忘れた頃にプルトップを引き上げたら破裂した。
部屋中にしるこの中身が飛び散っている。
あれどっかで見たことあるなァそれ、何かのマンガで読んだ気がする。
どう考えても居合わせたところがまずかった。

陸奥と酒保で飲む約束をしていたので探しに来たのだ。そしたらしるこ爆弾の爆発にかち合ってしまった。
二人はしるこまみれで仲良くあまーい匂いを漂わせている。
顔についたしるこを拭い、陸奥はすぐさま人を呼んで社長室の壁にかけて或るすべてのものを外させ拭かせた。
社長である坂本さんにまずは説教。
説教したあと、その上背を生かして壁面と天井の拭き掃除を命じた。

「すまんのぉ、もう上がりだったんろう」

用意されたバケツの中で雑巾を絞りながら、傍で床を拭いていたおれに坂本さんはそっと言った。

「ホント最悪っスよ」
「アッハッハ、怒ってる?」

悪いと思ってねェな、と思わずその態度に笑みがこぼれた。
この場合、笑うしかないと言う類のものだ。
まァいつものことだが。

「寿司を要求する」

陸奥はしるこまみれの上着を脱ぎ髪を括って、机の上に散乱した書類一枚一枚を丁寧に拭いながら、
酷く憤慨した調子でそう告げた。
回る奴でえぇがか、坂本さんはおやと言う調子で顔を上げる。

「この世のどこかにあると言う、値段の書いてない寿司屋へ」

その声に皆が一瞬坂本さんを見た。彼が困ったときにする動作、すなわち笑う前に素早くご馳走になりまァすと皆が声を上げた。
陸奥は即人数を伝えた。
坂本さんはアッハッハ、アホを言うがやないおまんらァと笑った。
眼が笑ってねェ。

「えぇ、もう上がりろう」

おしるこに汚染された床を拭きながら、床を這っていると急に傍に人が来た。
陸奥だ。

「此処まできたら最後まで付き合うよ」

寿司の正当な権利を得るためにもと、と言ったらおォそうじゃのぉと意地悪く言った。
陸奥の筒袖にはしるこの跡がついている。
風呂入ってから飲み行こうぜ、と言ってやるとおおきにとめったに笑わぬ陸奥が微かにはにかんだ。

あぁ、そうだよ。戻ることなんて出来ないんだから、最後まで付き合う。
そう決めたじゃないか。



「中島ァ、おおきに」




壁面天井床板、ほぼ清掃完了と言うところで、解散の命令が出た。
後の片付けは社長自らやってくれると言う。
早々に命令を出した陸奥は、もう我慢ならんと風呂に入りに行った。
しるこくさいと憤慨しながら、坂本さんに飛び蹴りでもしそうな勢いで部屋を出た。
三十分後に酒保で待ち合わせだ。

残された数多の雑巾を抱えながら、洗濯室へとそれを運ぶのにも付き合った。
毒を食らわば皿までだ。
結局しるこ爆弾の所為で中身は全然呑めなかったらしい。
これから仕事なのにと言いながら、雑巾を洗濯機へ放り込む。

「坂本さん、寿司楽しみにしてますね」

やっぱり未だちょっと見上げるようにしてしまう大男は、粉石けんを洗濯機に入れながらこっちをむいた。

「え、あの話マジで」
「マジっス」

しるこなんか買うんじゃなかったのォと苦々しく言って、甘酒ンしとりゃァよかったといった。
いや結果おんなじだからさ、とすかさず言う。



後悔しない奴なんかいない。
でも自分が間違っていた道を歩いてきたかなんて誰が判断できるだろう。
そんなもの最後の最後までわかりゃァしないじゃねェか。

今だって間違ってるかもしれない。
でも、この道を選んだことには、後悔などしていない。





















「コレ、あこに入れてきや」


一膳飯屋を出たあと、妙に清清しく晴れ晴れとした気持ちだった。
此れまで鬱屈して地面ばかり見ていたのに、見上げれば空がとても晴れていた。
なんて綺麗なんだろう。
男は、道すがらもう屋根が落ちそうな祠を指し、先ほどの金の入った袋を渡した。

「他人の金じゃ。あこに入れたら浄財ンなるき」

掌の中の袋はずしりとしている。
さっきまで此れが俺の全てだったのに、今はとても小さく見える。
賽銭箱にざらざらと入れて手を合わせた。
もうやりなや、そう、言われた気がした。


「どこにも行くところがないゆうならワシんところへ来たらえい」


男の少し後ろを歩きながらおれは頷いた。
少し寂しく晴れ晴れとしていた。



「ところでなんちゅう名前じゃったがか」

暢気に男は尋ねた。
未だ互いに名乗ってねェのにと思いながら、
先ほどの眼光の鋭さとこの暢気さを内包する男がとても不思議でならなかった。

「わしは坂本辰馬、どうぞよろしゅう」

おれは、その名を名乗れば、戻れない気がした。いやそうじゃない。
戻れないのではなく、一歩進んだ。
この名を告げ、名を握られ、懐に入って、ここからどこへいこうとも。


圧し折られ磨り減った志と言うものが、数多の塵芥を払われ奥底から再び姿を現した気がした。


あんたの言うとおりだ。
おれ達は奴隷になったわけじゃない。

おれはこの名で生きていく。
誇り高き侍の血を脈々と受け継ぐ。
魂を、志を、何度圧し折られようが、磨り減らされようが、何度だって打ち立ててやる。

もう随分とこの名を呼んでいなかった。
自分の名を、この身体以外の唯一の財産である、その名を。
奴隷じゃない、おれ達は侍だ。
誇り高き、気高き志を持つ。




「おれの名は」

end


WRITE / 2009.2.20
快援隊妄想、趣味に走ってごめん。
なんとなく昭和二十年代終戦後くらいの暗い時代をイメージ…かな金田一の世界だね。
今回すっごく趣味に走ってます。ゴメンネ、いつもだけど
しらすじろうさんは素敵だと思います。かっこよすぎる。


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