ゆ び わ も の が た り





あなたを守るためなら 俺はなんだってしよう


この指輪に そう 誓って


あなたを守るためなら なんだって どんなことだって


もしも俺だけの力で足りない時には

この指輪に込めた力を借りて


この指輪に そう 誓って



4


十二月は師走と言うほどだからどんな仕事も忙しい。
走り抜ける木枯らしに身を屈めながら足早に走り去る人々をちらりと見てナミは思う。

ナミがバイトをしているカフェも同様で、特にクリスマス寸前は戦場だ。
パティシェ総動員で23日から25日まで昼夜問わず働き続ける。
厨房は死人がうようよする地獄のようだ。
浮かれた外の空気とは正反対に、裏方ではクリスマスなんか滅びちまえと口々に呪いながら
ブッシュドノエルや、クリスマス仕様のケーキが次々と作られて行く。

こんな光景毎年見てきたけど、今年は特に大変そうだ。
このカフェは一年前にオープンしたての新店で、本店から独立した二号店。

ナミは高校生の頃からバイトをしていて、早3年が経つ。
その内2年ほどはこのカフェではなく、以前はリストランテである本店でホールに出ていた。
今年新店のカフェがオープンしたと同時にオープンスタッフとして一緒に移動となり、
このカフェとはおよそ一年未満のお付き合い。

去年まで本店の地獄を見てきたけれど、スタッフはベテランばかりだったので
クリスマスディナーと平行してクリスマスケーキの予約をこなすのも、何とか乗り越えられた。
しかし、今年は違う。
腕利きのパティシェはカフェ専門の二号店の方に重きを置かれているけど、
それでも人手不足と一年目と言う経験不足からからか去年の地獄とは一味違う。

「俺もう3日寝てネェような気がする」
「かみさんに最後に会ったのいつだっけ?」
「時々幻覚見えるんだけど、クリスマスだから妖精がいるのかもしんネェな」

なんてスタッフもいて、みんな真っ青な顔で一日中厨房に立ち続けている。
なのにもかかわらず、深夜営業のバーは相変わらず営業している。

さすがにナミは夜十時過ぎには帰らされてしまうのだけれど、
大丈夫かな?と挨拶をしにスタッフルームを覗くと
死屍累々と言った体で仮眠を取っているパティシェ達が転がっている。

店内はクリスマスの買い物の帰りなのか、楽しそうな人たちが沢山居て思い思いに喋っている。
ナミは店内を見渡しながらもカウンタの中でシルバーを磨きながら、
未だに落ちそうになるヘッドドレスをピンで留めなおした。
本店から独立した時、制服が一新した。
以前はホールは男女問わず白いシャツに黒くて長い前掛けで、
チーフのみベストにネクタイという出で立ちだったのだけれど、
このカフェが新たにオープンした時オーナーの鶴の一声で今の制服になった。
ホールの男性は蝶ネクタイにベスト、それから黒い前掛け。これは変わらない。
しかし、女性の制服はがらりと変わった。

白い丸襟のついた黒のワンピースで丈は膝よりも長くて、かなりクラシカル。
赤毛のアンが憧れていたふくらみ袖の袖口には、これまたクラシカルなダブルカフス。
店名ロゴの入ったカフスボタンが貝ボタンのように淡く光っている。
ワンピースの上に白いエプロン、ところどころ控えめに綿のレースが使われている。
極めつけはヘッドドレス。
何時の時代のどういう種類かまでは分からないけれど、
白を基調として所々黒のリボンが通されている。
ピンで留めるのだけれど、時々刺さり具合がうまくいかなくて、ずり落ちてしまいそうになる。
足元はヒールの低めのストラップシューズに白のタイツ。

かなり倒錯的だ。

この制服が決まった時に「なんだかコスプレみたいですね」といったものの、
「かわいいじゃないか!」と男性スタッフ総動員で意見が一致した。
こんなこと後にも先にもコレっきりだろうとオーナーが自ら認めたほどに。

ピンがきちんと刺さったかどうかを磨いていたスプーンの裏側で確認した。
とりあえず、落ちては居ないからいいだろう。そのとき、電話のベル。

「ナミちゃーん、電話ー、出てー!」

厨房にある電話が鳴ったが誰も取れるような形相ではないようでご指名がかかる。
ホールをチーフ一人に任せて受話器を取った。




「ありがとうございます、cafe de barratie でございます」





「 ゆ び わ も の が た り 」   後編






十二月と言うのは本当に忙しくて、特に十二月の休日と休日前はこっちのバイト先は毎年死ぬかと思う。
本音を言うと家庭教師なんかやってられないくらいで、
ゾロが優秀でなけりゃ冗談じゃないほど神経が参っていただろう。
まぁでも、ゾロは他の面ではかなりの難ありだけれど。

決戦の日まであと残すところ1日。
23日は夕方からでいいよと久しぶりに遅番を貰った。
そうなると遅くなるのは必至なんだけど、久し振りにゆっくり眠れたからよしとする。
久し振りに部屋の片付けや掃除をしていたら半日がすぐにつぶれてしまった。
夕方、遅くなるからと言うノジコに頼まれて牛乳と葱を買いに出かけた。

夕暮れ時、自分の住んでいる街は余り年の瀬を感じさせなかった。
その代わり明日のクリスマスイブを待ち望んでいる気がした。窓には沢山の電飾をつけた家があるし、庭にツリーを出してる家も或る。
二十五日を過ぎたら一気にお正月に向けて加速しながら年の瀬を感じるのだろうけど、
なんだか今年も圧少しで終わりなのに、妙な暢気さがある。

多分、クリスマスって言う陽気なイベントのせいだろう。

いつも歩くこの街並みも少し空気が違っていて、ちょっとだけ楽しい気分になった。
あと少しでマンションと言うところでよく知った顔を見かける。家庭教師先のゾロだ。
なんだか可愛い同い年くらいの子の家から出てきたみたい。
なんだかちゃんと彼女が居るんじゃないのとちょっと意地悪く思って声を掛けた。

先生とか何とか言ってたけどアレは絶対、嘘。
やっぱりあたしのことはからかってただけじゃない。
ほんとに、子供って仕様がないイタズラするもんだわ。

なんだか一緒に帰る約束をしてたみたいだけど邪魔しちゃったみたいで、
彼女に手を振ってアタシの隣に並んだ。
照れずに一緒に帰ればいいのに。
別に喋ったりしないのに、バカね。

アタシは彼女との事を今度は逆にからかってやろうとしたのに、唐突にクリスマスの予定を聞かれた。
またそうやって妙なことを聞いちゃって。

だから答えた。

両方とも忙しくって帰りは遅くなるって。


そしたら酷く怒り出しちゃって、取り付くシマもないくらい。
いつもなら大人顔負けの減らず口を利いてくるのに、様子が違う。変なの。


兎も角、約束させられた。


「二十五日、終バスのバス停で待ってる」



そんな約束、あたしが守れるもんですか。
だってその日は、先約があるんだから。



*


二十四日、クリスマス・イヴ。

予約殺到のクリスマスケーキ受け渡しで、夕方はホールは戦場だった。
本店から選りすぐりのパティシェを集めたとか言うのが効いたらしく、十二月の半ばに締め切った予約だけでも捌くのが手一杯。お昼前から夜11時までナミはケーキ受け渡し業務から一歩も動けないで居た。

詰め掛ける客にから予約票を貰い、二枚セットになっている整理券の片割れを渡す。それをもう一人の係に予約表と整理券を一緒につけて渡しケーキを捜して持ってこさせる。再び該当客を軽やかな声で呼びたて、整理券を回収し、その番号札に合わせて予約したケーキを渡す。お帰りの際にはドアを開けて一礼。

前払いでよかったと心底思った。

乾燥しきった店内で、いつもの通りの笑顔を振りまきながら応対するのでもう咽喉が痛い。
この戦場が明日も続くとなれば、今日は濡れマスクに薬用のど飴必須だわ、と受け答えの最中で考えた。
厨房の学生バイトの子が夕方三十分だけ交代してくれて、控え室で持参してるのど飴を二、三粒一気に口に放り込み咽喉を潤す。
もうかれこれ半日入り口近くの専用ゲートで立ちっぱなしだった。

「休憩か?」

不意に背後のドアが開いて新の煙草の箱を持った男が入ってきた。
きつい天然パーマの黒髪を後ろで一つに束ねて、真っ青な顔をしてる。

「そそ、休憩。咽喉痛くって」

オツカレとホットレモネードを目の前に置いた。

「なにコレ?」

湯気の立つカップからはとても甘酸っぱい匂い。

「“ナミさん、コレ飲んでもうちょっと頑張ってね”だってさ」

灰皿を指で引き寄せて珍しく煙草を吸ってる。
指が長い、彼の指はとても器用。ブックマッチの軸を切り取らずに火をつける。

「自分だって忙しいくせに」

多分コレを淹れたのは厨房で檄を飛ばしてるこのカフェの店長。
本店のオーナーから此処を任された彼の愛…息子、サンジ君。
あたしは店長と呼んでるけどそう呼ぶと怒るので“サンジ君“。歳は二十代半ばオーバー。
中卒でこの世界に入って叩き上げ。カフェは若い店にしたいって言ってオーナーが抜擢した。
欲目かねとカフェをオープンさせる前に聞いた事があるけど、そうでもないと思う。

「頑張ってるお前に俺からはコレをやろう」

隣に座った男はウソップと言う。
経歴はサンジ君の幼馴染。高校生の頃から約七年此処でバイトして、高校卒業したあとデザイン系の学校行ったけどどう言う経路かでここのマネージャをする事になったらしい。詳しいことは“恥ずかしくって言えない”とのこと。
この店のコンセプトやデザインを考えたのも彼。開店前のデザインは勿論、季節ごとに内装も彼が企画している。決定権は無いけれど、この店自体が彼のキャンバスのようだ。
それに割と経営面にも明るくて、サンジ君と二人で息のあったコンビプレーを見せてくれてる。

「なに、チョコレート?」

入ったばかりの頃、ナミの指導係は彼ウソップだった。
お世辞にもかっこいいタイプではなかった。
けれど、社会勉強一年目のナミを叱ったり、褒めたり慰めたりして伸ばしてくれた。

「ピーナッツも入ってるんだぜ」

来客のコートをナミのミスで汚した時もオーナーを呼ばず対処してくれた。
そのあと一緒に叱られてくれた。
風邪で体調が悪いときも誰より早く気づいて帰宅命令を貰ってくれた。
バスが辛いだろうと車で送っても呉れた。

「コレスーパーのお得用のヤツでしょ?」

面倒見がよくて、気前がよくて、細かい気配りをしてくれる彼の事を、
ナミは知らず知らずのうちに好きになっていた。

「これ意外と美味いんだぜ!俺好きでさぁ」

ナミは自分でも全然気がつかなかった。

「もっといいものかと思った」

礼を言うと“いいってことよ”と背中を叩き、
夜遅く上がる前には「気をつけろ」とバス停まで見送ってくれた。
或る時は終バスを逃してバイクでマンションまで送ってくれて、
家の灯りがつくまでマンションのロータリーで待機していてもくれた。

「バカ!疲れたときにはチョコレートがいいんだぜ?」

本当に、知らず知らずのうちに。




5



イヴのケーキ受け渡しの最終締め切り時刻は十時半。
遅くまで働いてるサラリーマンの為にそうしたらしいけど、
こっちの身にもなって欲しいとナミは最後の客を送り出しながら思った。

さすがにこの混雑を見越してカフェの営業を今日明日は中止している。
ナミはドアにクローズの札を掛け、店先のスタンディを店内に入れた。
臨時アルバイトの子たちは、お先ですともう帰ってしまった。
今日の分の伝票の整理を済ませ、明日のための掃除を終えるともう終バスは過ぎてしまっていた。
ゾロに言ったタクシー横付け予告は現実のものとなる。

「せっかくのイヴなのにな」

そう独り言のように呟くけれど、此処何年もクリスマスパーティをイヴの日にやったことなんて無かった。
サービス業の多くはクリスマスだろうがお盆だろうが年末年始変わらず営業するのが常で、
もうそれが当たり前のように身体に滲みこんでしまっている。
ただ、バラティエが他のサービス業のそれと一線を画しているのは、
クリスマスが終わって26日27日を毎年スタッフ全員の休暇に宛ててくれる。
何しろ元旦空けて3日からはまた営業で、年始の予約が再び殺到しているのだ。

そして二十五日の営業が引けたあと、
決まってクリスマスパーティ兼忘年会と称して朝まで騒ぐのが決まりごと。
それさえ終わればあとは連休が待っている。

その為、24日のイヴの合言葉は“あと一日”。

伝票の端を揃えてクリップで綴じる。
タクシーは大通りで拾えば大丈夫だろうとナミはフロアの電気を消す。
厨房では、明日のケーキをまだ作ってる最中だった。
多分今日は泊まり仕事になるんじゃないだろうか。

お先に失礼します、声を掛けると妙にハイテンションな返事が返ってくる。
疲労のピークでランナーズハイになってるみたいだ。
ロッカールームのドアの前にあるソファでウソップが煙草をふかしていた。
珍しい、立て続けに喫煙シーンを目撃してしまう。今日は相当疲れているみたい。

「お先でーす」

あぁ、お疲れさまと灰皿の上で灰を落とす。
彼の横にはチョコレートとココア。相当疲れが溜まってるらしい。

「ナミ、伝票は?」
「集計して、レジの横」
感謝してよ、マネージャになっても昔の先輩後輩の気安さで二人の時はこういう口をきいてしまう。
それをウソップは許して要るのでますます口のきき方にも心にも拍車が掛かるばかりだ。
「マジで?サンキュー」
これは礼だと隣にあったチョコレートを差し出す。さっき貰ったのと同じものだ。
安上がりな「お礼」だ。
「まだ上がらないの?」
うーんと唸りながらウソップはコレからやることを羅列し始めた。
聞いただけで疲れそうなので頑張れとチョコレートをもぐもぐさせながら一言激励。
「お前どうやって帰るんだ?」
「タクシー捕まえる、バス最終行っちゃってるんだもん」
ウソップは腕時計をちらりと見るとホントだと渋い顔をした。
女の子をこんなに働かせて、とナミは冗談めかして言うとウソップはしばし考え込み、
来年は善処しますと頭を下げ二人で笑いあった。バイトのシフトはすべて彼が決定している。
じゃぁねとナミがロッカールームのドアを回しかけた。

「送ってやろうか?」

勢いよく振り向きながら、いいよいいよと遠慮をする。
本当は心底ラッキーと思ったのだが、さすがにまだ大量の残業が残る彼を使う気にはなれない。
ウソップは気分転換だよと灰皿で煙草をもみ消す。
事務所のほうへ足を向ける。上着を取りに行ったのだ。

「裏口で待ってるぜ」

手をひらひらさせながら、鼻歌。

「五分待って!」

そう、ナミは叫んで大急ぎでロッカールームに滑り込んだ。






「さーむーいー!」
「あぁ?なに?聞こえネェ」

ウソップはずっと大きなバイクで通勤している。
ナミはバイクにはとんと詳しくはないがロゴくらいは読める。
ハーレーだ。

裏口に駆け足で行くとイジーライダーのテーマを鼻歌で歌いながら、意外と早かったなと
予備のヘルメットを投げて寄越した。暖かそうな革の上着を着こんでいる。
しっかり掴まれと言いながら、もうほとんど人通りのない大通りを走っていく。

しかし、温暖化が進んでるって言ったって、寒いものは寒い。
迫り来る風に息が出来ず、エンジン音と風でお互い会話はほとんど出来ない。
背中に隠れながら息をして、カーヴに差し掛かれば叫び声を上げた。
意地悪でやってるらしく絶叫を上げるたびに大声で笑った。

寒いことに関してはタクシーの方がよかったかもと思ったけど、
イヴの最後の最後でこんなクリスマスプレゼントを呉れた神様を少し粋に思った。
見慣れた通りに差し掛かりマンションが見えた。
時間はいつもの半分足らずで到着してしまう。
ちょっと残念。

「ありがとう」

ヘルメットを返しながら、凍える声で礼を言った。
コレから戻って仕事だと言う彼のために短くお疲れ様でしたと言う。
「部屋着くまで此処に居るから電話しろ」
「なんで?」
「オートロックでも最近は物騒なんだぞ。夜中だしな」
ウソップはエンジンを切りライト点灯させると早く行けと手を振る。
こういうところまで気が回るのかと感服しながら、ナミはエントランスを潜りエレベーターに乗り込む。
Door to Door、か。ちょっと特別扱い気分だ。
例えそれが一女子アルバイターに対するマネージャーの気遣いであっても。

部屋のドアを開けエントランスが臨める窓を開け、ウソップの携帯にダイヤルする。
短いデジタル音が耳の中で鳴って「到着」と敬礼して見せた。
冗談めかして敬礼を返して、「ゆっくり寝ろ」と今日のお別れの言葉。
そして軽いエンジン音、テイルランプが赤く尾を引いて夜の閑寂に消えた。





告白するとかそう言う気持ちはまだなかった。
勝算云々と言うより、この気安い関係が壊れるのがなんだか惜しい気もしたのだ。
それに、好きだと気がついたのがバイトを始めて三年経ってからだと言うのが
より一層そういうタイミングを逃していたように思えた。

恋はしたことは或る。
付き合った人も居る。
でも、それは告白される側の恋だった。
こうやって追いかける側の位置に立ったことは無かった。

ナミを他者が称する時、勝気で姉御肌、少し我侭、でも憎めない。内面をそう評価されることが多い。
だが、多分自分や他人が見ている外側と内面のギャップが思った以上にあって。

臆病なのだ。


だから、いいのだこのままで。






相変わらず二十五日クリスマス当日も酷く忙しかった。

イヴの方が盛り上がるとか何とか言うけど、お構い無しに客足は朝から混雑を極めた。
ただ、今日の受け渡しは八時までなので少しは気が楽だ。
それに今日はクリスマスパーティ兼忘年会。
まぁ全スタッフ総出のお祝いだけど、彼と同じテーブルになればどうでもいい事で延々と盛り上がれる。
それに昨日いいことがあった所為で少しだけ浮かれていた。

夕方遅く予約件数がほとんど捌けた頃、今度は厨房では今宵のパーティの準備が始まっていた。
本店が九時まで営業しそのあとこのカフェを会場に大宴会が始まるその準備だ。
戦場はまだ引けそうに無いけどムードは和やかになっていた。

その中の一人、本店から引っ張られたパティと言う腕利きのパティシェの一人が、
休憩に入ろうとしたナミと一緒になった。
目つきも悪く態度も大きく毛むくじゃらの腕で指もすごく太いのに、すごく繊細な味のケーキを作る。
“見た目と味は比例しネェもんだなぁ”なんてサンジ君は揶揄するけど、
オーナーを筆頭に此処の人たちはみんなそうだ。
一見すると柄が悪く、コックの白い「戦闘服」でも着てない限りコックには思えない。

ただ。

柄が悪いのは同性にだけで、アルバイトの唯一の女の子のナミに対しては、
軽口を聞いたりお菓子をくれたり飲み物をくれたりして本当に甘い。
賄だって一人だけデザートがついてたりだのという“えこひいき”されたりする。

彼もその一人で“今から?ラッキー”と肩を竦めた。
漸くカミさんの顔見に帰れるよと休憩室で話している途中、
そうだと思い出したようにポケットから封筒を取り出した。

「ナミちゃん、カンパよろしくね」

封筒には『野郎一人頭1000円』と赤字で書かれている。

「何のカンパですか?」

カフェオレを冷ましながら一口飲んだ。
ミルク大目の砂糖抜き。いつものセレクト。

「花束だよ」

昨日貰ったウソップのチョコレートがまだ残っていたので取り出してセロファンをはがし口に放り込む。
コレが最後の一つ。

「ウソップの婚約を祝して」

口に入れかけたチョコレートは躊躇って口唇の熱で溶けた。





6






二十五日、最後のケーキ受け取りが完了した。
クローズの札を出した瞬間、スタッフの口から一斉にメリークリスマスと雄叫びが上がる。
同時にカフェのテーブルには手の開いたスタッフ総出でテーブルのセッティングが始められていた。
ナミはそれを横目で見ながらいつもの通り伝票の整理を始める。

パティから言われたあの言葉が頭の中で回っていた。

「婚約を祝して」

相手はしらない。
そういう相手が居たことすら知らなかった。
そういう色っぽい話を彼の口から聞いたことは一度も無かった。

そういえば聞かなかった。
意識的に避けていたのかもしれないし、そういう話にならなかったような気もする。

自分でもちゃんと分かっていたじゃないか。

「一女子アルバイターに対するマネージャーの気遣い」


浮かれすぎたのかもしれない。

それとも期待していた?




たかがチョコレートを呉れた。
帰りが遅いからと心配してくれた。

思わせぶりだとそういってしまえば確かにそうだ。
でも、そう言う気性だから知らず知らずのうちに好きになった。
だから、そこは責めるべきところではない。

不意に聞かされた慶びのニュースは黒い影になってナミの心に影を落とした。
誰に対して怒るとかぶつけるとかそう言う類のものではない。
ただ、驚いているだけだ。
そうだ、きっとそうだ。

伝票の集計を無意識にこなしながら、他の音をシャットダウンしていた。
その所為で後ろに人が立っていることにも気がつかなかった。

「ナミ、気分でも悪いのか」

少し掠れた様な声は本店のオーナー、ゼフその人だった。
時計を見るともう9時半過ぎで本店のスタッフが続々と終結している最中だった。
おひさしぶりですと頭を下げて笑おうとしたがうまく笑えているかどうかは分からなかった。

「始まるぞ、そんなものウソップにさせりゃいいんだよ」

彼の名が出た瞬間自分の心臓が跳ね上がったのが分かった。
あまりに過敏な反応で一瞬まともにオーナーと視線がぶつかってしまった。


何かを感じ取られただろうか。


オーナーは一筋の髭も動かさず、ただ目を細めただけだ。

「行こう、そいつァ放っておけ」



オーナー自らに手を引かれて会場に入った。
会場には美味しそうな匂いが立ち込めていた。
そういえばお昼から何も食べていないことを思い出させるには十分だったのに、
少しも何かを食べたいと言う欲求が起こらないでいる。


始まりはいつもオーナーの挨拶からだ。
野郎共、で始まる短いスピーチ。終わりは「潰れるまで飲みやがれ」、だ。

多分、今年は違う。

「今年も最後の戦争が終わった。
俺からの労いの台詞よりさっさと飲ませろって言うだろうな、おめぇら」

スタッフすべてを見渡すとみんなニヤニヤ笑いながら小突きあう。

「飲んで前後が分からなくなる前に一つめでたい話だ」

いきなりクラッカーが頭上で何十と炸裂した、しかも、一人の人物を狙って。
沢山の紙テープが彼を目掛けて走り出す。
当の本人だけが「なんだなんだ!」と叫んでいる。


「おめでとう!」



野太い声が叫ぶ。
重なるようにして同じように口々に祝福の声が上がり、時には指笛が鳴る。

「先走りやがったのはどいつだ、人の台詞取りやがって…」

オーナーはぼそりと呟き腕を組んでふんぞり返る。同時にナミはオーナーの目配せを受けた。
ナミは背中をトントンと合図された。
目の前には黄色い花束があって、パティのがその中に埋もれていた。
「やっぱ、女の子からのほうがいいだろなァ」
パティの何気ない一言がまた胸を裂いた。
ハイヨと言う風にそれを託される。



この花束を。

私が。

手渡す。



不思議だ。
足が動かなくなると言うのは本当にあるものだ。
黒革のストラップシューズは自分の影ごと床に縫われてしまったかのように全然動かせない。
手は震えることも出来ない。


全く、動けない。




「ナミ」


オーナーの声。
いつの間に真後ろに来たんだろう。


「渡してやれ」


なにを言うの。
なにを、言うの。


「出来るな」



喧騒の中にあって、その声は背中から足元まで直滑降。
それを合図にしたのか金縛りのようだった身体が一瞬軽くなった。
振り返ると怒るでなく、泣くでなく、笑うでなく。
とても凪いだ目でオーナーがこちらを見ていた。

多分。




何もかも知っていて言うのだ。

“出来るな”と。



誰にも聞かれないようにしてナミは深呼吸を二度した。
冬の花は少し人工的な匂いもしたけれど心を落ち着かせてくれる。
紛い物だとしても、突き通さねばならない。

「いきます」

オーナーに微笑みかける。
決断の儀式を見送った彼は頷いて背中を押した。

一歩一歩、踵が鳴る。

人垣の輪、その中心を目指す。

そこには彼がいる。

その中に入って行く。


両足が揃った。
みんながナミの方を向く。
真正面に、ウソップが居た。



声は震えないだろうか。


手は震えないだろうか。


涙は出ないだろうか。


私は今どんな顔をしているだろうか







「おめでと、ウソップ」



腕を伸ばす。
大きな目が開いた。
愛嬌のある優しい目。



セロファンがカサカサと鳴る音がする。
ウソップが何事かを言いかけて、一度口唇を引き結んだ。
心臓が跳ねる。

受け取りなさい。





そして、騙されて。






「ありがとな、ナミ」




わっと言う歓声はナミとウソップの背中を叩いた。
同時にウソップはもみくちゃにされはじめた。
ナミは危機を感知してするりと輪から抜け出す。

抜け出したところでいきなりシャンパンボトルが一斉に吹いた。
本当に一瞬にして、グラスがそれぞれの手に渡り誰が音頭を取ったのか、「それじゃぁ乾杯」の掛け声。

メリークリスマス

今年一年お疲れ様

結婚オメデトウ


てんでばらばらの声が重なり合う。
いつもの光景と違うのは、今年は主役がきちんといるということ。
ナミはグラスのシャンパンに口をつけて飲み干した。

もう、告げることの叶わぬ言葉と一緒に。




*




「そろそろ帰りまーす」
そろそろ足元も覚束なくなった人間が出る頃、ナミは大声で叫んだ。
「ナミ、もう帰るのか?」
ウソップがかなり赤い顔をして此方を向いた。
そんなにお酒に強くないウソップに、無理矢理祝いの杯だとか何とか言って飲ませたに決まっている。
「終バスなくなるもん」
「じゃぁ俺が送るよナミさん」
多分飲ませたのはサンジ君を筆頭とした連中だ。
返杯の返杯続きらしく、色白の顔がこれまた真っ赤だ。
「駄目よ、サンジ君飲んでるじゃないの」
送るにしたって飲酒運転、バス停まででだったひょっとしたら足が覚束無いんじゃ無いかと思う。

「それじゃぁ、お先です」

メリークリスマスと付け足したら一斉に返って来た。
陽気で楽しいスタッフたち。
本当に、居心地の“よかった“場所。


ナミはロッカールームからコートをだし、制服の上からそのまま羽織った。
着替えるのも億劫だし、クリーニングにももって行かねばならない。
今日はコートだからもうこのまま着て帰ったって、どこに行くこともないからいい。
靴だけ履き替えて、ヘッドドレスを鞄の中に放り込んで、裏口へと向かう。

「ナミ」

不意に背後からの声。
その主はオーナーで、手に何かを持っている。
なにかあったんですかと傍に寄ると手の包みを差し出した。
「コレ持って帰れ」
中身はずしりと重かった。箱の形からして恐らく。

「クリスマスケーキ、ですか?」

そうだと頷いた。
細長い箱の中は多分ブッシュドノエルだろう。
毎年幾つか余分に作って余ればじゃんけん争奪戦。
実はじゃんけんが弱くてこの季節限定のブッシュドノエルは一度も食べたことがなかった。

オーナーは静かに続ける。
灰色の柔らかそうな目がくれる視線が、訥々と降る雪の色に思えた。


「コレ食って、ゆっくり寝て、明日起きたら」








「また元気になる」







柔らかな声は心の中に波紋を広げながら静かにおさまる。
心を震わせる。
小さな波が、岸に寄せる。

波紋。

「オーナー、あの」
「気をつけて帰れよ」

オーナーは会場へと戻ろうと背を向けた。

「ありがとうございます」

振り返らず手を上げた。
ここで働いていて本当によかったと思った。

「ナミ」

廊下の曲がり角で一度だけ振り返る。
返事をする前に一言。


「メリークリスマス」





「メリー…クリスマス」




*



バス停に立つとバスはすぐに来た。
寒い中待たなくてよかったことにほっとしながら、ほとんど乗客の居ないそれへと乗り込む。
車窓には、ところどころまだクリスマスネオンが煌いていた。
その殆どは明日には消えてしまうと言うのに、未練がましく光っている。

ナミはそれらをずっと眺めていた。

あまたの中は意外なほど真っ白だった。
考えすぎて飽和しているのか、それとも思考が完全に停止しているのかそれすらよく分からない。
あんまり悲しくもなかった。
その証拠に涙も一粒も流れてこない。
そういえば話を聞かされても涙なんて出てこなかった。




あふれ出せば止まらなくなるだろうに。
泣きたいんだろうか。
泣いて泣いて、失恋した自分を見たいのだろうか。
シャンパンの代わりに止まらない涙で悲劇のクリスマスに酔ってしまえば簡単なのに、
なかなか都合よく行かない。

そういう、ヒロイン体質じゃないのかもしれない。

それともそんなに好きじゃなかったのかもしれない。

恋とかではなくて、ただの憧れに似た何かだったのかもしれない。

大体にしてなんであんな鼻長い男が好きだとか言うんだろう。

もっとカッコイイ人だって沢山いるじゃない。


かっこよくて優しくてよく気がついて、あたしの事を叱ってくれる。
そういうステキなひと。

まだ見えない誰か。



ネェそれって誰。
どこにいるの?
いつまで待つ?
どこで待つの?

揃えたつま先から底冷えが上がってくる。
バスは大通りを潜り抜け、坂道をいくつも登り同じ数だけ降りた。
車窓を見れば見慣れた道。昨日バイクの後ろから見た景色とは違う。

そう、いつもの景色だ。

あともう一つ坂を上れば停留所。
もうそんなところまで来ていたのかと、押しボタンを押した。


気がつかない間に数少ない乗客も皆降りてしまっていたようで私だけが残っていた。
バスは緩やかに下降しながら、スピードを落として停留所で止まる。
ナミは降り口に立ちタラップを踏む。


「よう、メリークリスマス」



少しキーの高い声が今しがたオーナーと交わし同じフレーズを繰り返した。
そうだ、約束していた。

“終バスのバス停で待っている”

ゾロは待っていた。
この寒い中、こんな時間に。

何のために?




最終のバスは行ってしまった。
背中で見送った。

誰も乗っていない、最後のバス。




彼は待っていた、私を。





同じ位の歳の女の子と仲良くしてるんじゃないの?

私の事は冗談じゃないの?

何で待ってるの?

私は忘れてた。

約束だなんて本当は信じてなかった。



どうして今此処に現われるの!



「お前、なんて顔してんだよ」




心に波が立つ。




ひとつ

ふたつ




波紋が広がる。

今日の事がフラッシュバックする。



一つ残らずまぶたに焼きついたシーン、
鼓膜にこびり付いたことば、
すべてが巻き戻されながらゆっくりと再生される。





遅かった


間に合わなかった


あなたの事が好き


でもどうにもならない






『明日になったら』







“ 泣 い て し ま い た い ”








咽喉の奥が、痛い。





「なに、泣きそうな顔してんだよ」



銀色の月が冴え冴えと照らす。
すべてのものに、平等に。




心の中の小さな器が揺れる。
振動で波紋が広がる。
表面張力に守られた器の中のきらきらひかる流星の欠片が、ひとつ。

零れた。






腕を伸ばして頭ひとつ小さいゾロの首にすがり付いた。
一瞬ゾロの身体が強張る。
静寂に絶叫がこだました。


泣いた。


化粧が落ちるのも気にしないでわんわん泣いた。
貰ったケーキはきっとクリームがこそげおちて箱の中についてしまっているだろう。
そんなことも気にせず泣いた。

わんわん泣いた。

女の涙は武器だと言うけどこんなもの武器になるはずがない。
汚い嗚咽が繰り返しこみ上げて、まともな声にならない。
ゾロのあまり大きくはない身体によろめきながらすがりついた。







もうよせといわれるまで。




ゾロの耳元で泣き叫びながら、身体を震わせて。
耳元で煩いからもう泣き止めと引き離されるまで。



「もう、結婚、しちゃうんだって」


選ばれることを望んではないと嘯いた。


「ずっと好き、だったのに」


このままでいいのだと黙っていた。




そしてこの結末に泣いている。
自分よりうんと小さい男の子に縋りついて泣いている。
こんなエンディングを昨日は想像しただろうか。




早く言って、もうやめろって。
いつだって泣き止める自信はあるのよ。
だってこれは酔ってるだけなんだから。
本当に悲しいわけじゃぁ、ないんだから。


そう思っているのに涙は勝手に後から後から零れてくる。
水道管が破裂したみたいに、止めようとしたって止まらない。

早く言って。
もうよせって。





「なんだ、他の男の事かよ、アホくせ」


首の辺りで溜息のような台詞が聞こえた。
いつものゾロだ。
いつもの、ゾロのあのクソ生意気な台詞だ。


「アンタ女の子泣いてんだから少しはやさしくしなさいよ」

泣きながらそのままの姿勢で叫んだ。
車も通らない、誰も居ない、あるのは月だけ。
叫ばなくてもいいのに叫んでしまう。



日常の瑣末な場所へ戻って行きたいと叫んでいる。




だから優しくしないで。
もっと涙が溢れてしまう。
悲しい私が表に溢れ出てしまう。
もう他に隠すものがないからこの涙は武装。
笑顔が剥がれてしまったから、この涙だけが私を守るもの。



だから、突き離して。

もっといつもみたいに


泣くのはバカな女のする事だと言って。
俺の前で他の男の事で泣くんじゃないとクソ生意気に怒ってみせて。

ゾロの肩は自分と同じくらいの細さで、或るは少し小さいくらいかもしれなかった。
両足を伸ばして突っ立ったまま、重みにそれでも耐えている。
何もせず、ただじっと耐えている。
それでいい。
ここに居てくれるだけで。

なにもしなくて、いい。








「泣くな」








棒切れのように突っ立ったままだったゾロの腕が動く。

ナミの背中をゆっくり撫でた。

まださほど長くはない腕で、大きくもない手で、

ゆっくりと上下しながらナミの耳元で声変わり前の少し掠れた声で囁く。


“泣くな”と。


月の光が二人の影を照らした。
抱きしめあう恋人たちのようにはどうしても見えない、不恰好で不可解な構図だった。


「泣くなよ、ナミ」


なのに。




ナミはまた泣いた。

膝から崩れ落ちてしまうほどに、身をあずけて。
苦しくてむせてしまっても構わないと思いながら。
そのたびに背を撫でてくれたこの小さな手は、髪の毛まで撫でる。
頭の天辺から、耳の後ろの方へゆっくりと。

とても気持ちがよかった。


この涙がすべて零れ落ちたら今度はむき出しの心が露呈してしまう。
そしたら何で守ろうか。



「なぁナミ、頼むから」


この手が守ってくれるだろうか。
小さな手だけれど。
その両腕に抱いて。

この涙が枯れたら、
この涙が止まったら、

暫くの間守ってくれるだろうか。


「泣くなよ、ナミ」







「泣くな」












*







漸く泣き止んだナミにゾロはハンカチを渡した。
持ってるもんと子供のように拗ねたが、使えと手の中に押し込んだ。
ナミを立たせて膝を払ってやると、バス停近くの自動販売機であったかいレモンティとコーヒーを買う。
ナミに向いて「どっちがイイ」と尋ね、指で示したレモンティを差し出した。

「一回りして帰るぞ」
コーヒーのプルトップを空けてコーヒーを一口飲んだ。
「なんで」
少しはなを啜ってからナミは問いかける。


「その顔でお前家に帰る気か?」


ゾロはいつもの調子、いや少し紳士的だろうか。
残りのコーヒーを飲み干し、空き缶をごみ箱にシュート。
行くぞと突っ立ったままのナミの手をからケーキの包みを取り上げ掴んだ。

ナミは左手にレモンティ、右手を取られたまま引きずられるようにいつもの帰り道を少し逆送する。


日付変更線を越えてしまって、クリスマスはもう昨日の事になってしまった。
星がきらきらとしてとても綺麗だ。
そして月明かりがとても眩しい。
目を細めながら、睫毛に残る涙で光る、月光の反射をじっと見ていた。

ああ、とても綺麗。



月が天頂にあるかえり道。
地面の上には随分と長さの違う影が二つ、少し離れて形を変えゆく。
ナミの右隣を歩きながらゾロは彼女の手を引っ張った。
泣いたばかりだからかとても手が温かい。
いやとも言わずに手を引かれて歩く。

並んで歩きたいのに、少し前を行く。
夜を掻き分けるように、ナミの行く手を先に行くように。


「ね、ゾロ」



「なんだよ」







「月が綺麗」







心をどこかに落っことしてきたんじゃないかと言うほど、声があどけなかった。
だから止まった。
ナミの顔を見るために。

振り返る。

涙はもう止まっていた。

睫毛に流星の欠片がきらきらとひかっていた。
地面に落ちる前に拾ってやろうか。
それとも、その欠片に願いをかけようか。

なんという、願いを。


涙はもう止まっていた。
その代わり、笑顔だった。
月が綺麗だと言って、笑っていた。







「そうだな」






*





家の近所を一周してマンションまで戻った。
エレベーターの中で本当は昨日渡すはずだった物をゾロはナミに手渡した。
一人で開けろと言い捨ててそのままひとつ上の階まで階段を駆け上がる。
ナミは短くお休みと背中に言った。

そして、ありがとう、とも。


ドアの鍵を開けて入るともう姉も母も寝てしまっているようだった。よかったと独り言。
潰れてしまっているブッシュドノエルはそのまま冷蔵庫に仕舞って、シャワーを浴びた。
腫れた目は明日になったらどうなっているだろう。何の予定もなくてよかった。

髪を拭きながら、自室に入りゾロから貰った包みを開けた。
小さな箱で、可愛いラッピングがしてある。

ひょっとして。



中には小さなリングが入っていた。ビーズで作ったリングだ。
白い、どちらかと言うと今日の月の様に真珠色。
縁に青い色のビーズが編みこまれている。
まるで、サファイアをつけた王冠のようだ。

つけてみようかなと台座から外した。

少し歪で、どの指にもきちんと嵌らない。
中指には小さく、小指には少し大きい。

薬指には、やめておこう。


そういえば。
宴の最中、誰かが見せろと言ってウソップの婚約者の写真が回ってきた。
とても可愛い人だった。
あのウソップが選んだんだからきっと性格も可愛い人なんだろう。
そして、なにより、ウソップの事をとても好きなんだ。

写真で見た彼女の薬指には綺麗な指輪が嵌められていて、ぴったりだった。
多分、もう抜こうとしたって抜けないのだろう。



あの指輪とこの指輪。


どちらも、男の人が贈ったもの。




ナミはドレッサーの中の小さな小箱を取り出す。
中には子供の頃母が呉れたイミテーションのリングやお菓子のおまけのアクセサリーが入っていた。
子供の頃から或る、価は無いけど宝物を入れる箱。
一見してガラクタばかりだけど、そう思い引き出しの中に仕舞いっ放しだった。
かき回しながら確か、と小さな銀色の指輪を見つける。

少し小さいピンキーリングだった。
確か、昔夜店で買ってもらったものだ。誰に買ってもらったものだろう、思い出せない。
でもまぁいい。
貰った指輪を緩いまま嵌めて、少しきついピンキーリングで落ちないように小指に栓をした。



二十歳になる前に男の人から指輪を貰うと幸せになれるって聞いたことがある。
アレは銀の指輪だっけ?

小指に嵌った白いビーズのリング。
まるで雪で出来た王冠のよう。


「男の人に、指輪貰ったの初めて」


ナミの体温にあたっても雪の王冠は融けることはなく、月明かりに鈍く光った。



end


すべて書き上げたのは2004年12月31日の朝5時でした(笑)
こんなに根を詰めて書いたの久方ぶりです
何しろ年内完成を目標にしておりましたので…
その甲斐あって最後に発したあたしの得意な大風呂敷はちゃぁんと畳むことが出来ました
ご愛読感謝

モチーフは全く違いますが、
この話の決め手は小野塚氏の同名タイトル漫画
すいません、少々お借りしました…

Please close this window

inserted by FC2 system