ゆ び わ も の が た り




喜ぶかおが見たい たったそれだけ


ほかには

ほかには



なぁにも

いらねぇんだ




たったそれだけ









「それ、流行ってんのか?」

ゾロは隣の席の女子に尋ねた。
誰から見たって内気な彼女、名はコニスと言った。

普段はおとなしくて本を読んだり、仲のいい女子としか喋らない。
その友達の輪の中にあっても、彼女はあんまり前に出る風でもない。

コニスは滅多にゾロとは喋らない。
喋る事と言ったら、消しゴムがなくなったから貸してくれと頼む時や、
教科書を忘れたから見せてくれと頼むその程度だ。

ただ教科書はゾロに丸ごと貸して、自分はその隣の席の女子と机をくっつけあって見せ合っていたりとか、
消しゴムはカッターナイフで切ってくれた。

ゾロはじぶんがこの教室内で女子たちに毛嫌いされているらしいと薄々思っていた。
勿論連中に何かしたとかそんな覚えは無い。
掃除をしないとか、好きな子にわざとちょっかい掛けるなんてガキくせぇマネもしてねぇぞ、
そう思いながら面白くないが憤慨する事の話でもない。

何しろこの学校の中には本命は居ないから。

決定的なのは他のクラスメイトの男連中は全員呼び捨てで呼びつける姉御肌の委員長ですら
ゾロのことは「君」付けで呼ぶ。
怖がって近付いてこないんだろうと、自分では思っていた。
愛想は無いし、大体にして共通の話題も見当たらない。
一目置かれているんです、って言うのが同じクラスのヨサクの意見だ。

とりあえず、女子とはあんまり話さない。
特にこのコニスとは、半年以上クラスを同じにして、
最近では半月以上席を隣にしているのにまだまともな会話をした事が無かった。
完全無視と言うわけではない。
朝の挨拶くらいはする。今朝もそうだ。
マフラーを首から抜きながら「よう」と声を掛けるとにこりと笑って小さな声でおはようと言う。

コニスはその日の朝、一生懸命何かを作っていた。
細くて透明な糸に、小さなビーズを通している。
手元をじっと見ていたら、だんだんと紋様のようなビーズが編まれてゆく。
本なんか見なくったって手順を全部覚えているようで、器用だなとじっと見た。

彼女の指には小さな指輪がはめられていた。
淡い鈍空色、飾りっ気が無くて模様のようにビーズが編んであるだけ。
多分彼女が作ったものなんだろう。

「それ、流行ってんのか?」

コニスは心底驚いた顔をして見せた。
手から一つ小さなビーズが転がり落ちた。
そんなに驚かなくったっていいだろうとゾロは思うのだがやっぱり口には出さない。
床に転がった小さなビーズを拾い、“ほら”と彼女が目の前に置いている小さな缶の中に入れてやる。

「ありがとう」

コニスはにこりと笑って相変わらず小さく言う。
そして質問の答えもとても小さな声でそうだよと付け足しまた作業に没頭し始める。

「女子連中、結構それやってんのな」

最近教室でもよく見かけるようになった。
休み時間になると何か作ったり、見せあったりする様子がある。
いったい何をやってるのか詮索するつもりは無かったけれど、
女には女の世界があるのだろうと位にしか思っては居なかったが、コレで漸くわかった。

「それも、自分で作ったのか?」

ゾロの質問にコニスは中指にあるリングを指して、“コレ?”と手を止め頷いた。
“器用だな”と感嘆を込めて言うとコニスは首を振った。
簡単だよと笑った。

「難しそうじゃねェ?」
「ううん、テグスに順番に通すだけ」

テグスってなんだと聞いたら、透明の糸の事を指す専門用語らしい。釣り糸と同じだろうか。
見せろと言うように手元を覗き込んだら、作りかけのものを渡して呉れた。
よくよく観察すると二本の糸を交差させたり一回転させたりして紋様を作っていくらしい。
変化をつけるのに小さな丸いのだけではなくて、
スワ何とか言う十露盤珠のような光るヤツなんかを通していくのだと言う。

「これさぁ」

コニスは俺の手から完成前の物返しながら、首を傾げる。
出来かけのビーズが甘く光る。



「教えてくんね?」





*




「違うよ、ロロノア君。二個をいっぺんに通してからだってば」

「一つずつ両端に入れて、ビーズを一つ入れてまた交差」



ゾロはコニスの部屋でテグスとビーズに格闘していた。
不平不満を漏らさず、手順を示されながらひとつひとつビーズをテグスに通してゆく。
時々、「上手」と褒める事も忘れずに。


あの申し出をした日はこの冬最後の授業で、四時限の授業のあとは大掃除。
そして翌日は授業を終えた後、終業式と言うタイトなスケジュールだった。
年末差し迫っているのは大人も子供も同じ。

朝の話は担任が来たので最中に中断されてしまい、じゃぁ休憩時間にとコニスはそのまま沈黙した。
二時間目の授業が終わったあと、いつもなら男連中引き連れて外に遊びに行くのだが、
今日は教室に残ったままだ。
行かないんですかとジョニーが誘いに来たが、暫く忙しいから来ンなと追い払う。


朝、コニスはゾロの申し出に一瞬考えて、編みかけのビーズの端をクリップで止めた。
ついでに机の上にあったビーズが入った小さな筒も一緒に纏めて小さな缶に入れて仕舞う。
大事そうに鞄の中へ入れ、初めてゾロのほうへ確り向いた。

「ロロノア君が、つくるの?」
「そうだ」

間髪いれずに答えるとコニスはなんともいい顔をした。
今まで隣に居て半月、ゾロが見た事も無い顔だ。
困ったような、それを隠そうとするような。

「こういうの、好きなの?」

いつもの笑顔じゃなくて首をかしげて明らかに困った顔。
ゾロはその顔を不自然にすら思わない。

「女って、好きなんだろ?」

一概にそうとは言えないけどと言葉を濁す。

「ロロノア君って、もしかしてこういう小物に弱いの?」
「はぁ?」


「自分で、その、つけるの!?」


「人に遣るんだよ」


「自分でするわきゃネェだろ」


吹き出したあとコニスは声をあげて笑った。
笑い声は初めて聞いたのでなぜだかとても新鮮に感じたけれど、
そのあとコニスは暫く笑いが止まらなかった。

休憩時間、コニスは教室に人が少なくなったのを見計らって、どんなものがいいのか聞いてきた。
“ショシンシャ”だと告げたが“それは分かります”と頷いてどんなカンジのものがいいのか聞いてきた。
丁度カタログのような作り方の本があると鞄の中から豆本のようなものが出てきた。
ビーズのキットカタログらしく完品が並んでいるが、どれもコレも自分の力量で作れそうなものではないとまず諦めた。

「お前嵌めてるヤツ、シンプルでいいな」

コニスが今しがた指に嵌めていた物を指す。
少し考えたあと「アタシ、作ってあげようか?」と申し出てくれた。


「俺が作んなきゃ意味ネェの」


うーんと少し考え頷いてビーズはあるのかと聞いたから無いと潔く答える。
少し呆れ顔と笑顔でそれじゃぁウチにおいでよと言ってくれた。
明日は終業式で昼まで。クリスマスプレゼントには間に合うよと言った。
話の流れと時期が時期だったので察したらしい。女の洞察力だろうかとゾロは思う。

そういうわけで終業式の日、コニスの家まで一緒に行く事になった。
いつもは塾の無い連中とかでつるんで遊ぶのだが今日はパスだ。
コニスの家はゾロの住むマンションとは筋を二つ三つ違えた通りにある。
小さな事務所が一階にあり、そこに入って一人の男を連れて出てきた。
挨拶すると丁寧なお辞儀を呉れたあと

「コニスさんもボーイフレンドを連れてくるようになったんですネェ」

ニコニコ笑って、髭面の人の良さそうな顔が楽しそうに歪んだ。
コニスはその発言に怒っていたが、その会話とで父親だと知れた。
おっとりしてるのはどうやら“血”らしい。


コニスの部屋に通されてお茶と菓子を差し出したあと、
リビングらしき部屋の大きなテーブルに着く。
コニスは釣りのルアーを入れるような大掛かりな箱を取り出し目の前に開いた。
その中から幾つもジョイントできる小さな薬ケースのようなものが塔のように連なり眼前に並べられる。
赤や紫、青に黄色、碧に橙。
色とりどりの塔は、急ごしらえの、それでいて堅固な要塞のように思える。
今から乗り込むの自らは未踏の領域。


先陣を切るのは戦場を先導するコニス。
大きなテーブルの上にクロスが引かれる。まるで戦略地図。描くのは自分の手。

「じゃぁ、やろっか?」

教室では見ないような楽しそうな彼女がそこには居た。





2





「俺がつくらネェと意味ネェの」





そう言った手前、コニスは絶対に手を貸さなかった。
自分も同じものを作りながら「分からない」といえば実演もしてくれた。
“人がいいと言うか、一文の得にもならないのに”
自分から頼んでおきながらコニスのお人よし加減に思わず漏らしそうになったが、
コニスは何かを気に知る様子も無く、丁寧な指導を続けた。

「誰にあげるの?」

単調な作業になればゾロですら段々と慣れてきて、
たどたどしいながらもゆっくりと進めて行く。

「好きなオンナ」

同じものを作っているのだけれど二人の差はロケットと亀くらいのスピードの差がある。
コニスはおしゃべりする余裕もある。

「クラスの子?」
「いいや」

慣れたとはいいながら、気を抜くとビーズを一つ入れ忘れたりするから要注意。
コニスの厳しい目はそれを逃さず、一個忘れてるよと進言を呉れる。


「じゃぁ、違うクラス?」
「いや」

ゾロが一番簡単なクロスをする間にコニスは三つのクロスが作れる。
コニスはゾロの手元を観察しながら時々口を挟みながら教室では考えられないほどの事を聞いた。


「学年が違うとか?」
「まぁ学年は違うな」

テグスの先が慣れない所為で少し縒れて仕舞っている。
ハサミで切るといいと小さな手芸用のハサミを差し出す。

「学校にいる?」
「学校にゃ通ってるがうちの学校じゃネェ」

ゾロは差し出されたハサミで折れ目の癖がついたテグスの先を切る。
小さな白いトレイに入ったビーズを一つ摘んで鋭い切っ先のテグスに通す。

「その人と、中学一緒になる?」
「いいや、この先同じ学校に通うとしたら自動車学校くらいのもんだろ」

コニスはちょっと考えて、結論は出ていないようだった。
ゾロはその様子を見事すら出来なくて作業に没頭していた。


コニスは一生懸命にビーズなんてやってる、
昨日までは『気難しそうな同級生』だった少年をじっと見ている。



はじめ、ゾロは色が選べなかった。
形は小さなビーズを編んで模様を一つ入れる簡単なもの。
形は決まっているのに色がなかなか決まらない。

組み合わせたりすると可愛いよとか、一色でもいいよとか、なんだか色々言い過ぎて考え込んでしまったのだ。
うんうん唸っていたので、コニスは助け舟と思いクリスマスの特集を差し出した。
クリスマスプレゼントでしょうと参考にしなよと言うようにページを開いた。
うんうん言いながら選んだのは白にパールの掛かった色をメインで、
中の模様はクリアシルバー、縁に蒼色のビーズをつける事にした。
「レースのよう縁取りの青色がステキ」とか書いてあって、ちょっと見、雪で作った王冠のような風貌だ。

「似合うかもな」

そう漏らしたのを確かに聞いた。

“ロロノア君は誰にあげるんだろう“
そう、コニスは一人思う。

彼は意外と女の子の間では人気がある。
男の子の中心的人物で、彼の周りには常に懐いている子分的存在があった。
でも彼自身は威張り散らすことも無く、ガキ大将的なイタズラなんかの事件には関与してない。
むしろ、そう言う事をする人間を諌めているような雰囲気すらある。

顔が怖くて近寄りがたい。
そういう子も居るけど、時々同じクラスの女の子が重たいものや大きなものを運んでいたら
黙って手伝ってくれる。御礼を言うけど、“別に”と言うだけでまた元居た彼の居場所に戻って行く。
それを殊更に吹聴したりする事も無く。
確かに風貌はちょっと怖い顔で、同じ歳の男の子たちよりも少しばかり背は低い。
でもその振る舞いは少し大人びていて、それが逆にギャップとなって人気が出たのだと思う。
今日のビーズ講習の事だって友人の何人からは羨ましがられた。

その彼の好きな人。

結局、自分には誰か分からずじまいだが夢中になってテグスを通す懸命な姿はなんだか素敵に思えた。
意地の悪い男の子たちが影でバカみてぇだなんていってるのを聞いた事がある。
私は楽しいのに、そう思うのだけれど面と向かって反論した事はない。
ロロノア君は体面も気にせず、教えてくれと頼み、自分で作るのだと言い張った。
しかも自分で作らなくちゃ意味がないと。

想われているその人が、少し羨ましかった。

「なぁなぁ、この次は?」

コニスの思考はゾロの言葉でぴたりと止んだ。
彼の手元には少し不恰好ながらも編み上げられたビーズの織。
彼のためにも、そして彼の想う人のためにも一生懸命教えてあげようと見せてとそれを受け取った。






*





「ロロノア君、元気出して」

コニスの懸命なフォローはあんまり効いていない様だった。
彼女の指導の基、懸命に作った作品は「足の親指にでも嵌めるんですか?」と言うような大降りのものになった。
コニスが席を外している間、ゾロは教えてもらったとおりだと信じてやったらこうなった。
時刻はもう4時。そろそろコニスは夕飯の支度をしなくてはいけない。

「クリスマスプレゼントでしょ?間に合うよ」

とは言ったものの、さてどうしようかなとコニスは考えるがいい案は浮かばない。
彼の信条に反するようだが、急いで自分が造ろうかなとも考えた。
でも多分それなら彼はもういいと言うだろう。

「いいか?」

手許の作品を暫く見つめてゾロは細い声で言った。
コニスは聞き取れず、聞き返す。

「明日、来ても」

困った様でいて、意志の強そうな顔だった。
思わず見とれて、コニスはうんと頷いた。

夕飯の支度の事を告げると悪かったとゾロは帰り支度を始める。
ゴメンねとコニスは謝ったがゾロは「シの言う事を聞かないバチだな」と小さく言う。「シ」とはなんだろうか。
表の事務所まで送ろうとコニスは階段を下り、
ゾロの家の方角を指差し「この道まっすぐいったらマンション見えるから」と何度も念を押す。
彼の方向音痴は有名で、遠足の時など、迷子になった回数が限りない。
ゾロは分かったと言いながらいきなり角を曲がろうとするので、
あんまり不安に駆られてやっぱり送っていこうとコニスは上着を取ってこようと家の中に入りかけた。

「なぁにやってんの、ゾーロ」

凛々とした鈴のような声が背後から聞こえた。
コニスは振り返る。そこには赤い柔らかそうなコートを着たキレイな人が立っていた。
歳は私よりはるかに上で、高校生くらいかなと思ったけど、制服ではなかった。

「あら?もしかして、デート?」

コニスのほうを見てこんにちわと笑顔。そのオプションには明るい橙色の髪の毛がカールしていた。
手には近所のスーパーの白いビニールの買い物袋、それからおサイフ。
身軽なお買い物らしい。慌ててお辞儀をするコニスと、違うってと言うゾロの声は同時だった。


「コニスは俺の先生だ」



「先生!?」

言い放った台詞にコニスと新たに登場した彼女の声が重なる。
しかし、特に驚いているコニスにすら何の説明もせず、
ゾロは「先生」であるコニスに向かい「今日はありがとうございました」と深々と一礼し、
そしてそのままの姿勢で続けた。


「明日もよろしくお願いします」


顔を上げる時一瞬にやっとして、じゃぁなと手を振った。

「送らなくて平気?」

コニスは歩き出すゾロに向かって声を掛けた。
一人で帰り着くのは明日の事になるんじゃないんだろうか。
だがゾロは朗らかに「こいついるから平気」と指差して手を振り、コニスも振り返す。
ゾロが手を振るのを止め向き直り、同行していた女の人と話し始めた。
何か話していきなり買い物袋をその手からもぎ取っている。

“ああ、なあんだ”

彼が女の子に優しい理由。
アレはきっと予行演習なんだ。確信に近い思いつきでコニスは二人を見送る。
夕焼けがとても赤く二人を照らして眩しい。



「イイのが出来るよ、きっと」



随分先へ行ってしまったゾロの背中には到底届かないけれど、そう呟いた。







3







「かせよ」

年の瀬の暮、陽の沈む道、道路の上には随分と長さの違う影が二つ、少し離れて形を変えゆく。
ナミの右隣を歩きながらゾロは彼女の手から買い物袋を取り上げた。

葱が袋からはみ出している。
ナミは意外なほど素直に礼を言って、「重かったんだ、ありがと」と暢気そうに言った。
言われたとおり見た目よりなんだか妙に重たい。中身をちらりと見たら牛乳パックが二本も。
三人家族のはずだけどとその量に驚く。

「なにしてたの?」

右に僅かに傾ぎながらナミの問いへの返事を考える。
「指導してもらってた」
「とかいってデート…でしょう」

言い訳する気?と付け足してナミは小悪魔気味に笑った。
その背後には嫉妬も何も隠れて無さそうな事をゾロは知りつつも、落胆することなく唐突に問う。

「ナミ、明日の夜、暇か?」

今日はまだ23日。
コニスの話では明日中に出来ると断言した。
出来るまで付き合うとも約束してくれた。
ならばイブには渡せるはず。

問題はナミに会えるかどうか。
ナミは持て余し気味の小さなサイフをコートのポケットにしまおうか
そのまま持っていようか試行錯誤していた。
溜息を吐いて言葉を飲み込む。

“返事をくれよ。”


「暇なわけないじゃん、イブは真夜中にタクシー横付け、二十五日はバイト先の打ち上げだもん」

ナミは家庭教師のほかにバイトをしているらしい。
“らしい”と言うのはナミがゾロに教えない所為で、ゾロは断片的な母親経由での情報しか持ってなかった。
サービス業と言ってたからどこかの販売にでもついているんだろうけど、ナミ自身詳細は教えてくれない。
理由は“アンタ絶対来るから!”と一販売員のナミから入店拒否を食らった。
そこまで言われては仕様が無いのでまだ詳細は聞き出せないでいる。

“バイト先は野郎ばっかりとか言いやがって、こっちは心配で仕様がないってぇのに“

恐らく年末の一番の繁忙期、その一大イベントが差し迫り、
24日はナミも夜中までシフトを組まれているらしい。

“帰りはタクシー横付けだからいい、俺が下まで迎えに行けばいい“

「でも二十五日はうちのバイト先恒例のクリスマスパーティ兼忘年会、だから帰るのは遅いよ」

“このバカ、野郎ばっかりの中で酒飲んで帰るって言うのか!”

「何か用事あんの?」

サイフは結局手で持つ事にしたらしく、振り子のように腕と一緒に揺れていた。
あんまり暢気そうな物言いにゾロは声をあげる。

「ある!っていうかお前は自覚しろ!」

なに考えているんだこの女!
あまりの歯がゆさに立ち止まって、少し前を行ったナミの背に思い切りぶつける。

「なにを自覚するのよ!」

「テメェが振りまいてるいろんなもんだ!」
「なによそれ?」

“この女全然分かってねぇ!“
今年最後にして最大の溜息を吐く。
冷静になれと長い瞬きをしたあと、息を吸う。

「いいか!」


吃と眼を射抜き、指を少し遠い鼻先にぶつけるように高く指した。


「野郎ばっかりの中で日付変更線越えてみろ!」

「俺は絶対ゆるさネェからな」



いくら言ったってわかんないバカ女は一回くらい痛い目見たほうがいい、だなんて屁理屈は要らない。
危険の芽を先回りして摘んでやろうとしても、
このバカはその摘んだ芽のほうへふらふらと行くようなヤツなのか。
心中でひどい毒吐きを以ってナミの行動を非難した。しかし、効き目は一向にないのは明らか。


「何でアンタの許しがいるのよ!」
「要る!キスした仲だ」

まだ日は落ちかけているとはいえ四時半。
ナミは急いで取って返してゾロの手を引っつかんで、引きずるようにして物陰に隠れる。



「キスしたくらいで所有権を主張しないでもらえるかなボク?」



眉間に皺を寄せ、低く小声。
かなりの密着度、接近戦。

いつもならこんな至近距離はないからこちらのほうから「今日は積極的だな」と言ってやろうか。
だけれどそれは余裕があって、こんなに頭にきてない時しか使えない。
「うるせぇ!」そう言うなり、ナミの手を振り解いて帰路を急いで歩き始める。

待ちなさいよとナミの声が跡を追うのも構わない。
もう置いて帰ったっていい。

「ゾロ!」

往来で名を呼ぶな。
俺以外の他の人間が振り返る。

一呼吸おいて追いかけるナミを立ち止まり待った。
夕焼けに照らされて随分と表情がはっきりと見えた。
こちらがなにゆえに怒っているか分からぬと言う困惑だろう。


「いいから絶対終バスまでには帰って来い!」



「帰ってこなけりゃ色々吹いて周るからな」



奥の手。
いやこれは禁じ手。
でもこのカードを出すしかないような気がした。


「なにを吹いて周るのよ!」


怒った顔も笑ってる顔も。
どれをしたって、その辺の男には勿体無い。


「そりゃァ」

誰にも渡さないから卑怯者の名を敢えて選ぶ。



「色々」

だからどうした。
それがどうした。



「色ボケガキ!」

見る見る顔を真っ赤にして凄い勢いでこっちに駆けてくる。
他にも色々叫んでいるけど、もう無視だ無視。
こっちから追いかけるばっかりで、いちども追いかけられたことはない。
このっ位してくれたっていいだろう。

「うっせぇ、絶対帰って来いよ、二十五日バス停で待ってるからな!」

横に並んだナミが何事が大絶叫。

「指図しないで」

こっちはもう耳のシャッタを降ろしているので何にも聞こえないフリ。

「勝手に待てば!」

苛ついたナミが鼻を鳴らして俺の前に出た。
負けじとその一歩前に出る。

「ああ、待つ!」

もう一歩前だ。
追いつくために凄い勢いで迫っている。
それでも前進、最大速度で。


「約束だ!」



*



「ああ。もう、うるさーい!」


ナミと別れたのはエレベーターホールだった。
降り際には何も言わず俺の手から買い物袋をとると、子供みたいに“ふーんだ!”と鼻を鳴らした。
最後の最後で取り付けた、かどうかはかなり微妙な線だが、約束は伝えた。
向こうが守らなくとも此方が守れば言いだけの事だ。

だが、コニスが一生懸命教えてくれたこのリングは無駄になるかもしれない。
翌日、師の家へ出向いて最後の教授を願い出た。
初日の失敗を踏まえて、ゆっくり一粒一粒編んでいった。
時々解きながらも、コニスの二倍の時間を掛けて完成。
最後の処理が済んだ後、コニスは手を叩いて喜んで「これはあたしからのプレゼント」と小さな箱をくれた。

「ラッピング用の箱買っておいたの、コレに入れてあげなよ」

その箱は濃い青色で、白いリボンが掛けられていた。
用意してなかったでしょうと笑いながら、思いつきもしなかったと答えるとまた笑った。
突然のプレゼントに返すものが無く、まずは礼を言った。
用意をしてない事をどうもコニスはお見通しで、「あたしはコレを貰うね」と昨日作った失敗作を抓みあげた。
どうする気かと問うと、さぁどうしようかと首を傾げた。

コニスはニコニコと笑って詰めちゃおうと箱を開けた。
中には小さなビニール樹脂のようなものがセットされていて、リングをはめ込んで固定するらしい。

箱に入れると俺が作った物でさえ、出来栄えが一、いや二割増。


それが二十四日、昼の事だ。
別にクリスマスなんてどうだっていいけど、何かをしてやりたいと思うのはなんだろう。
自分が満足するためだけの事なのかもしれない。
箱に入ったビーズのリング。

こんな風に、誰しもがなるものなのだろうか。
去年までは全く興味の無かった一年の行事の一つ。
今年はその日のために何かしようと躍起になっている。

いや。

“その日“の為ではなく。
“その日を楽しみにしている人を喜ばせたい”
それだけ。


ナミはまだ帰ってこない。
部屋からはマンション前のロータリーが見える。
でも十二時を過ぎても、ナミは戻ってはこなかった。
本当は迎えに行く必要なんかない。
マンションロータリーを出れば目の前はエントランスホールで、監視カメラもついているオートロック。

タクシーはつかまらなかったんだろうか。
それともバイトが長引いているんだろうか。
それとも“なにか”あったんだろうか。

理由がどうあれ面白くないことは必至だ。

こういう時に差を感じる。
歳の差、男女差、力の差、それから。
もっと根本的な事。でも決定的に開きがあるもの。

心配で溜まらないとは口には出せない。
半分方出ていたような気もするけれど、ナミはそれを本気にしていない。

分からないんだろう。
どれほど心配しているか。

心配なんて要らないといつもの調子で怒るのだろうけど、
それでも真夜中過ぎに一人で帰ってくるって事がどれほど心配か、
待ってるこっちの身は一度も顧みない。

それを望んではない。

望まない二者の相容れぬ差。
絶対的な温度差。

それがはがゆい。

今宵何度目かの溜息と共にもう一度窓の外を監視する。
明日何時に起きようがもうお構い無しだ。

意気込みを新たにして、一度だけ肩をゆすった。



そのとき、一台のバイクがロータリーに滑り込んだ。
古めかしいアメリカンタイプのバイクだ。メーカまでは遠目過ぎて分からない。
だけれど、後ろから降りたのは自分の待ち人。

タクシーねぇ、嘘吐きやがって。

バイク乗りの方はナミがロータリーに入るまで待っていた。
その後手を振り暫く見送る。
しかしそこから動かずに、携帯電話で暫く何かを話しはじめた。
なにも人のマンションの前で話さなくったっていいだろうに。

バイク乗りは此方を見上げた。
そして手を振った。
一瞬此方へ振ったのかと思ったのだけれど、
部屋の電気はすべて消えているはずでこの部屋に振ったのではない。
ふと一階下を見るとナミが身を乗り出してあのバイク乗りに手を振っていた。
静かな住宅街には微かな電話の話し声も少し響く。
着いたよ、ありがとうと独り言のように受話器に向かって話しているナミ。

応えるようにそれに手を一つ振って、バイクは沈黙の夜の海を波立て遠くへ走った。





*






約束は二十五日の終バスの行ったあとのバス停。

昨日の今日で、自分だけが見ていたと言うのも覗いていたようでなんだかばつが悪い。
しかも、約束のその日、夕方ナミとばったりマンション下で出会った。
こっちは母親からの遣いの帰り、ナミは今からバイトへ出かける間際だった。
酷く急いでいたようで、短い挨拶だけで横を通り抜けた。
約束忘れんなよと後姿に叫んだが、ナミは白いコートの裾を翻し相変わらずガキのように舌を出した。


気に掛からなかったといえば嘘だ。

あの小さな箱の中身が重くなった事も事実。

でも、約束は守るものだ。

笑われようが、どうしようが関係はない。

初めっから、分の悪い勝負。

仕掛けたのは自分からだ。





一番近い停留所へ止まる終バスは、夜十二時過ぎ。
ひっそりと家を抜け出し、その場所へ走った。
夜中は零度近くまで落ちる夜道。
いつものジーンズにファーつきの上着、それだけ。
さすがに冷えるなと、吐き出す白い息を追い越しながら月が映す自分の影の先を見た。

ポケットにはあの小さな箱が入っている。
それを指先で弄びながら終バスを待った。



月がとても綺麗だった。
珍しくとてもよく晴れていて、雲が青白く動いていく。
夜の空なのに、闇はどこにもなくて。
とても濃い群青色の空が天地を逆さまにした海のように深く続いていた。

誰も居ない。
街路樹の或るバス通りは誰も通らない。
みなクリスマスだから家族と居るのかも知れない。



誰も居ない。
誰も居ない道。



くるだろうか。
こないだろうか。


とても静かだ。
星だけが静かにざわめいている。





そのとき、一台のヘッドライトが坂の上から下ってくるのが見えた。

二つの眩しい光は徐々にスピードを落として停留所の目の前で止まった。
バスには人は乗っていないようだった。
車内は不思議なほど真っ暗で、車内の電光掲示板だけが無遠慮に光っている。


ドアの空く音。

車内の床を歩く音。

タラップを踏む音。

ブーツのヒールの軽い音。


白いコートが夜にはよく映えた。
そこだけ浮いて見えるくらいに光っている。



「よう、メリークリスマス」



柄にも無く、そういう。
返事はなかった。

ナミの顔を見上げる。






明日の朝は、晴れ上がった夜空の所為で氷点下まで下がるだろう。
そして、来る朝と同じくらいの温度に見えた。






「お前」


銀色の月が冴え冴えと照らす。
すべてのものに、平等に。






「なんて顔してんだよ」

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